Spizzichino氏に会ったのは11年前の今日✨

Roberto Spizzichino氏に会ったのはちょうど11年前のまさに今日✨

 
福島原発事故の実に2週間後…
今でも当時のなんとも言えない社会の閉塞感を思い出す。
事故が起こってからイタリア行きをキャンセルするか悩んだが、予定通り決行することにした。
それは欧州に住むミュージシャン仲間から、「シンバル探してるんだろ?スピッツさん、病気で体調が思わしくないようだから、なるべく早く会いに来た方が良いよ..」と聞いていたからだ。
氏は既に血液のガンに体を侵されていた…

 
過去に何度か会う事を試みたが予定が合わなかったが、今回は友人のドラマー=ジミー・ウエインスタイン氏(数年前に奥さんの母国であるイタリアに移住)と連絡を取り合い現地近郊で待ち合わせる事になった。場所はフィレンツェとピサのほぼ中間、ローマから電車で5時間、マイナーな路線の駅。

 

ジミーはバークリー時代からの友人、現在イタリアで教育者としても大活躍している。久しぶりの再会に盛り上がっていると、程なくしてスピッツ氏もその集合場所に現れた。
初めてスピッツ氏と対面したときに、ようやく会えた喜びからか、気づいたら氏を強く抱擁していた。
すると開口一番、「オマエ、放射能は大丈夫なのか?」
とイタリア語訛りの英語で返された。
その意味が福島原発事故の日本から来たから、被曝大丈夫か?の意味か、本人の治療時の被曝でこちらを心配してくれているのか?よく分からなかったが、氏のどこか人懐っこい反応に長旅の疲れも吹っ飛んだ。

 
彼はこの時期、病気治療の為に何度も放射線を浴びていた様で、
「このところ手足が思うように動かなくて辛かったけど、今日は具合がいい」と話していた。
たまたまこの日は調子が良かったようだ。

 
彼のシンバル作りは完全に独学、元々売れっ子のドラマーだったが、当時オールドのKジルジャンが思うように入手できないという理由で、Kジルに近いサウンドを求めて自分で研究してシンバルを作り始めたのだ。独立してからはその腕を買われて本場トルコのシンバルメーカーにスカウトされたが、独自のシンバルを作りたいと言う事で、それはハッキリ断ったそうだ。

 
「完璧なシンバルを作りたいのではなく、一枚一枚個性のある面白い(ある意味変わった)シンバルを作りたいんだ」とビデオでは語っている。(*本人の許可を頂き動画を沢山録ったが、ご家族のことを考えてここでは控える)
シンバル作りの工程もショートカットで我々に見せてくれた。
トルコから仕入れたシンバル用の鉄の円盤をコンロで熱して、ヤットコで掴んで水槽に投げ入れ急冷、そしてそれを水槽から取り出して専用の台の上で、まるで刀鍛冶のようにハンマーリングしていく。とてもリズミカルに…一日大体一枚のペースだそうだ。

 
工房のそこら中に物凄い数のシンバルが所狭しと置かれている、あのシンバル達は今一体どこにあるんだろう??
噂では彼には弟子もおらず、家族もあまりビジネスには関与していないと聞く。

 
昼過ぎに工房に着いて、為になる話を沢山聞いて、試奏をして3枚のシンバルを選び、山を降りて宿に着いた時には既に深夜0時を回っていた、外が物凄く寒かったことに改めてビックリ…
氏と別れて我々3人になった時に、同行してくれたジミーの奥さんが、
「カズミ、このシンバルで、早く日本の皆んなを元気づけないとね!」
と言ってくれた。今でも印象に残っている。
ジミー夫妻、本当にあの時は付き合ってくれてありがとう🙏

 
スピッツのシンバルは当初はオールドKサウンドを目指して作られたのだが、他のどのブランドのシンバルとも全く違う性質を持っていて、個体によってもそのキャラクターがかなり異なる。そして100%ハンドメイドなので新品の時は音がかなりキツイ。下手に扱うとキャンキャン暴れて大変なことになる。そして物凄く繊細で割れやすいのだ、でも凄く美しい。なんとも扱い辛い魅力的な女性??ん〜なんかよく分からないが、、そんなイメージだ。
一打一打注意して演奏する中でさらにタッチも繊細にならざるを得ない。
明らかに使いやすいシンバルではない!
その辺りが広く評価されている割に他のイスタンブールやジルジャンなどに比べて、思うほど広まってはいない理由だろう。
勿論全て完全手作業なので値段が高額というのもあるだろう。

 
ただこのシンバルでしか出ない音がある✨
その魅力的な音の虜になってしまうのだ。
私の生徒の少なくとも5人は既に影響されて購入している。
使い始めた当初、音が生々し過ぎて、上手くコントロール出来なくて氏に電話した事があった。
彼は「もし好みが違ったら代理店で別の物と交換して貰うようにするか?」とも言ってくれたが、
「このシンバルは普通のブランドのものと違うんだ、雑に扱っちゃーダメだ、コレは特別なタッチを持ったものだけが、使えるスペシャルなものなんだ、お前はそのタッチを持っている!」
と言われてもう少し頑張ってみようと思った。

 
度々ギグやレコーディングで使ったシンバルの感想などを氏に伝える為、結構メールでやり取りした。こないだ過去のメールを探したらまだメールボックスに残っていた💡
彼は会った時に渡したCDの演奏をエラく気に入ってくれたみたいで、「お前の演奏とても好きだよ。伝統的な事がしっかり出来ていて、更にモダンな感じがする。」と書いてあった。

 
それから、半月以上が過ぎ、11月のある日、氏が亡くなった事を知った。忘れもしないタワレコの昼間のインストアライブに行く直前、会場に早く着いて何気に携帯を見ていたら、友人からメールが流れてきた。
なんと時を同じくして全くの同日に、昔からのアイドルであるポール・モチアンも亡くなった事を知った…
歴史的にはとんでもない事、本当ならワンアンドオンリーのポールが死んだのが自分には相当ショックの筈なのだが、なぜかスピッツさんの事が気になって仕方なかった。

 
今もこのシンバルを叩いていて彼のことを思う時がある。
短い間だったけど、会えて話せて、シンバルも譲ってもらって本当に幸せだ。
今また世の中は日本だけに関わらず、本当に大変な状況だけど、このシンバルでみんなを元気付けられるように頑張ります。

 
ロベルトありがとう、安らかに🙏


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