音楽は不要不急ではない

相変わらず不要不急って、飲食店やライブハウスが標的にされてるけど、、
政府はこの冬の対策は考えているんだろうか?
ふと思った、果たして政治家の人でアートや音楽を愛でている人はいるのかな?って。
先日施設の母に、「どこも出れなくてゴメンな、なんか楽しいことでもあったらええんやけど、退屈やな?」
と聞いたら、珍しく
「こないだ嬉しかったんや、、、、、あのな、ここで働いたはる人がな、歌を聞かせてくれはってな〜、嬉しかったで〜、、」

 

 

どうやら施設の女性の介護士の方がスマホか何かで、母の好きそうな歌を聴かせてくれたらしい。
本人が歌が大好きなのを、知って気を効かせてくれたのだ、
忙しい業務の中で、ちゃんと対峙してくださったんだな、と思った。

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母は幼い頃、両親を戦争と病気で亡くして12、3歳の頃からすでに外に働きに出ていた。
なので小学校さえちゃんと卒業できなかった、その後も学校に行けなかった、それがずーっとコンプレックスになっていた。
当時軍事工場で働いていたので、子供にはとても重い弾丸などを素手で持って運んでいたので、今でも指先が少し変形している。

 

 

でも、字を書くのが好きで、独学で徹底的に練習した時期があって、ある時はライバルなんかもいて、お互いに相手がいない時にそっと寮の部屋に入って、こっそり今どんな字を書いているかをチェックし合ってたなんて事もあったくらい。

なので、凄く味のある字を書く人だった(今は字が書けない🥲)

 

 

やはり、音楽は大好きで、住み込みの工場の寮で、当時蓄音器を持っていたのは自分一人だけだったと言うのが自慢だった。

恐らく貰った給料で当時安くは無かったはずのポータブル蓄音器かなにかを購入したのだろう。

それで大好きな美空ひばりを聴いていたんだと思う。やはり美空ひばりは戦後復興期の日本人に夢と希望を与えた人なのだ✨

 

 

ある時、職場に行く為か何かで、電車(汽車?)に乗っていて、車掌さんがあまりに幼い当時の母を乗客の中に見つけ、家出少女かと思い、車掌室に連れて行かれた事があったそうな。

結局、車掌さん達は、すごく優しい大人の人達だったようで、レコードを大切に抱えて乗車した母を、「どこから来たの?」「大丈夫なの?」と声をかけて、最後には、母は大好きな歌手(ひばりさんを始め当時筋金入りの凄い歌手ばかり)の歌を大人達の前で次々に披露して、拍手喝采を浴びたそうだ。

 

 

若い時には宝塚ばりに男装をして、マドロス姿で写真(プロマイド)を撮ったりもしていた。

追っかけみたいな女性たちが写真を奪い合う様な時代もあったようだ。

もう普通の人ではない。もしそれなりの教育を受けていたら何某かの表現者になってたかも知れない。

 

 

幼くして両親を亡くし、一人で働き始め、そんな本人の心の支えになったのは、いつも歌、紛れもない「音楽」なのである。

 

 

私がまだ狭い公団に母と同居していた頃、楽器屋でシズルを打って貰ったばかりのシンバルを持ち帰り、嬉しくて、近所迷惑にならない程度に、指でソッと触って鳴らしていたら、

「なんやそれ?!ええ音がするな〜✨」

と言ってスグに反応していた。こんな感覚を同じテンションで分かってくれる親、まあそうそう居ないと思う。

 

 

今、このコロナ禍で音楽を聴かせてやれないのがどれほど辛いことか、以前のようにドラム演奏でエネルギーを与えてやれないのが、どれだけ可哀想なことか、音楽や芸術を必要としていない人たちにはきっと理解できないんだろうと思う。

 

 

昨年、ドイツのメルケル首相のスピーチは感動的だった。ヨーロッパや北欧などでは当たり前に音楽や芸術の必要性について一般の人は勿論、政治家でも一応は理解はしている。彼ら自身が音楽大好きで、それはちゃんと生活の中にポジショニングされているからだ。一方で、日本と来たら、いつまでも政治家はお年寄りのオジサンばかり、女性や若者の登用は遅れていて、途上国レベル以下だ。

 

 

未だに合理的でない、古いしがらみだらけで、国民には訳の分からんことをウネウネやっている。

新鮮味のないのは芸術だと完全にアウトなのに!😡

少しでいいから耳を澄まして、感性をオープンにしてもらえれば、自分たちの創造性のなさに気づくかもしれない。

 

 

現在90歳になる母は芸術を愛し、誰も憎むことなく、争うこともなく、女手一つで息子を何とか高校までは、と一生懸命働いて来た。苦しい生活の中から国に税を払って、ズルい事もせず、真面目に。

年老いて認知症になって今は施設だけれども、入所者のお友達とも(名前は覚えてないようだが)上手くやっている。

 

 

母にとって芸術は高貴なものというよりも、生きるために必要な楽しみであり、休養、そして大切な気分転換であり、必要な空想の時間だったのだ。おかげで、私もそれを敢えて考える事もなく至って自然に、自分にとっての音楽でこれまでを生きてくることが出来た。

 

 

そう、音楽は不要不急じゃない! 生きて行くために必要不可欠なのだ。

時と場合によっては衣食住以上に大切なものなのかも知れない。

 

 

一流大学を卒業して政治家になった人たちが、この後に及んでも、まだ、オウム🦜のように何度も何度も同じフレーズを繰り返している。何もアイデアを出さず、言うのが怖いのか?能力が無いのか?それなら出来る人に変わらないと無責任じゃないかなあ?

 

 

本来、リーダーであるはずの人達には、もっと想像的であって欲しいのだが、、、

やはりアートや音楽を知らないのではないだろうか?🤔


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