リーダーシップと想いの強さ

僕にとっては忘れられない日、昭和54年5月13日 もう41年前。
高校3年生の頃だ。

 

片親で育っているので、一刻も早く就職してその母を助けたいという想いが自分の中にずっとあった。最もその条件に近い商業科のある高校に入学した。
当時の周りの友人たちは僕が進学校ではなくその選択をしたことに大層驚いていたようだった。

とはいえ就職に有利な簿記や珠算などの能力はしっかり身につけた。

でも、入学して気づいたのは本来はある筈の音楽の授業がないということだった、そして軽音楽部なるものもなかった。
ということで、それまでバンドをやっていた僕としては、その唯一の音楽部である吹奏楽部で自分のスペシャリティーを磨くしか選択肢はなかった。

授業が終わった後のクラブ活動に、最も気合が入った。1、2、3年とみんなとも仲良く楽しくやってきた。3年生になった時、僕はみんなから部長に指名された。

自分は本当は内気な性格なのだが、好きなことに関しては意気を放っていたのかも。
当時の自分の行動力は今思ってもびっくりする。

 

部長になった僕は、部の存続をかけて部員確保に力を入れ始めた。

新入生を勧誘するためにその時の副部長と一緒に朝早く学校に行って登校時のあらゆる新入生たちに声がけをした。
運動部に入るか文化系のクラブに入るか迷うところ、唯一の音楽部、吹奏楽部に入ろうよ!ということで、声がけをしたのを覚えている。

 

楽器がもう古くてサビサビの管楽器しかなく、新入生に来てもらうためにも楽器を買う部費が必要だった。当時楽器庫で、埃をかぶったトロンボーンやクラリネットのパーツの断片を見つけたり、古ーいイスタンブールのKジルジャンなんかも積み重ねられた段ボールの山の中から発掘したりした。
でも新入部員を十人以上入れるには圧倒的に楽器が足りなかったのだ。

 

部活動の予算会議で部代表として出席した。

今年の予算の中から、部費を確保するには、何がしかのアチーブメント(活動の成果)を示して金額がそれだけ必要であるという根拠をしっかり示さないと予算を分取ってくることができなかった。

そして僕は副部長に相談して、図書館に行き、古い文献で学校の歴史、学校の吹奏楽部の歴史を調べてみた。
そしたら吹奏楽部は創立して15年ということがわかった。50周年とか30周年なら決まるけど、15周年、短いかあ、、、まあでも一応きりが良い数字だと自分を宥めて、この作戦で行くことに決めた。

 

創立15周年記念コンサート。

人口5万くらいの小さな地方都市の市民会館で、500人を収容した。
その時の新聞記事とチケットは大切に保管してある。
集客のために隣町の高校も賛助出演を依頼した。

当時、隣町といえば全く別世界。
副部長と共に交渉に行った、、我ながら大した度胸だ。

ドキドキしながら他校の校門を潜ったのを思い出す。
部員は女性が圧倒的に多く。
雰囲気も我が校とは全く違って凄くアカデミックな校風に見えた。
まさに、隣の芝生は青い。

中に入ってみんなと話すと、同じ人間なんだと感じ。
彼らのことが好きになった。

そんなこんなで隣町の高校の吹奏楽部には賛助出演ということで、コンサートに花を添えていただいた。

 

ここに当時のカセットテープがある。

部長挨拶で喋る自分の声を聞くとなんともいえない気分になる。
顧問の先生も当時相当年上だと思っていたが、今の僕よりずっと若い年齢、ご存命だろうか?

 

これはどう考えても新入生たちが最も大変だった。

入部してすぐに、コンサートに向けて猛練習!しかも楽器を初めて吹くという人も居たのに、、
4/8に入学して5/13にコンサートって、超短期集中!!で猛特訓。みんな学校の授業の後に集まった時間だけでたったの一ヶ月でコンサートを準備してやってのけた。
あの行動力は今思っても凄い。あの1ヶ月は今の半年よりも長かった実感がある。

 

この業績を評価されて史上初破格の金額、その年度の予算の半分以上をいただいた。
これはちょっとした校内のニュースになった。
きっとこの陰で涙を流した部もあったと思う。

 

そしてその部費で多くの楽器を購入した。
戦略的にもよく考えて目標を達成したと思う。
これが自信になって、その後の行動にも影響した筈だ。

 

みんなで楽しく活動して、本当に必要なことを考えてやれば凄いことができる。
若さだろうか?こんな内気な僕でも当時はリーダーシップがあったのだろうか?

 

 

 

現在の日本政府のリーダーシップのなさは、今回のコロナ問題で大きく露呈した。
親も政治家で社会の底辺を知らずにその世界の中だけでのし上がった二世、三世、当然平民の気持ちはわかりっこない。
このような大変な状況になってもすべて他人事。自分たちはずっと給料支払われている。2割カットでも痛くも痒くもない。

 

昔の徒弟制度は丁稚奉公から始まる。

伝統芸能、伝統工芸、など日本の伝統を重んじるものは古くからそういう制度が自然に敷かれて来た。
野球でいうところの まず球拾い、、から始まるわけだ。
昨今の考え方では軽視されるかもしれないが、物のありがたみ、物の価値、人の気持ちなど基本を知るために僕は大切なことだと思っている。
人としてあたり前のこと。

 

議員は議員年金の他に+一般の年金ももらう、そして全国移動費無料、破格の高給、、その働きに比べ極端に優遇されすぎている状況。

どう考えてもおかしい。子供でもわかるくらい事はシンプル。

 

大阪府知事を見よ、本音で喋っているから一言一言が心に刺さる。

他があまりに気概がないので彼が目立ってしまう。
でも彼はきっと当然のことをしているだけと答えるだろう。

若い人でないとできない、しがらみもなく、府民への愛情すら感じる。
話はいつも分かりやすい。
そう、分かりにくい話は絶対何かがおかしい。

みんなのことを思う、リーダーの元に一致団結して困難に向かっていく気概。
その気持ちがあれば政策はついてくるはず。
周りがアドバイスをくれたり、何かを閃いたり。
今の政府ははっきり言って思考停止状態。

 

今から41年前に、こんな弱気な僕でもできたのは、部に対する想いと愛情、そして若さ、があったからだと思う。

政治家で高給取りでほとんど働いていないお爺ちゃんはもう隠居してもらい、ご意見番として外からアドバイスをしともらうくらいで良いと思う。

 


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