某月某日 「花と水」ツアー
菊地成孔氏とツアーするのは,8年か9年ぶりだと思いつつ,羽田空港へ。菊地氏,マネージャー

の長沼氏と落ち合い飛行機に乗る。「花と水」ツアーの始まりだ。昨晩良く寝られなかったゆえ,

僕にとっては珍しく、機内でうとうととしていたら,福岡についてしまった。あっという間という

前に,あっと発音する前に到着してしまったと言い直した方が正しいほど、最近の交通網、飛行機

を含めての発達には、身体よりも,精神的についていけない。便利になるということは,旅の旅情

をこの世から無くす算段としか思えない。ビジネスにはうってつけなのであろうが,それでもやは

り,何かが足りない気にさせられる。


以前福岡には何度かツアーで演奏をしているが,ビルボードから来た迎えの車の外の景色は,なぜ

か文京区の裏の辺りの街並のように見えた。土地勘が無いということ自体を楽しんでいたら,程な

くして午後二時半頃、福岡ビルボードに到着。これも予想外に駅、ビルボードの道程が短かった。

遊びに来てるのではないので,効率よく物事が運ぶことは,必要なことではあるが,何かしら一抹

の寂しさを感じた。デュオの仕事ゆえ,サウンドチェックも簡単に済み、ビルボードにて饗された

食事を食べて,一旦ホテルで休憩することにす。かなりクオリティーの高いホテルで少し驚いた。

こういうツアーの寝どころは、ビジネスホテルと相場が決まっているものだが。ホテルの部屋でテ

レビを見ることとす。どの番組も豚インフルエンザ一色であった。医学的知識などこれっぱちも持

ち合わせていないが,要するに,自然界から人間に対しての間引きなのだろう。


演奏開始15分前にホテルのロビーに集合。ビルボードの迎車が待機している。至れり尽くせりで

ある。楽屋で着替えていたら,演奏時間となる。ピアノはスタインウエイ。おお,我が女神よ。こ

んなコンディションの良いピアノを弾くのは何ヶ月ぶりだろうか。さながらイングリット・バーグ

マンのようなピアノであった。なので,弾くというよりも,愛でるというスタンスで演奏した。

菊地氏も演奏,MC共に絶好調。客席もほぼ満席で,演奏が進むにつれ、聴衆も熱を帯びてくる。

デュオという形態ゆえ,一曲内の全てのモーメントがそうあるわけではないが,ピアノ一台で一人

三役という瞬間も少なからずある。この三役とはつまり,ベース,リズムキープ、元々のピアノの

役割といった事柄であるが。ピアノがスタインウエイなので,何を演奏してもサウンドが上品に仕

上がるので,あまりうきうきと演奏すると,菊地氏の伴奏という大切な要素を無視することになる

し,かといって,ピアニストが,伴奏というスタンス一辺倒で演奏したところで,デュオの面白み

は出ぬ。そういう案配をうまく入れ替えながら、一人三役を交え,入れ替えの2セット,あっとい

う間に終わってしまった。断っておくが、いつも上記のような、つまり一人三役を常時頭の中で考

慮しながら演奏しているわけでもない。勝手に手が動く,時にはサックスを無視してディスコード

ギリギリの音を出すことも,演奏中、多々含まれる。


ホテルで着替えた後、早稲田のジャズ研時代の友人の店に行く。ツアー直前,その店主Y氏から連

絡があり,福岡に来るのなら是比立ち寄って欲しいと連絡があったからだ。寝るのには少し早かっ

たので,菊地氏も誘う。その名も「ON THE ROCK」。中央区大名にある。素晴らしいレコード

プレーヤーにて良い音楽を聴きながら,しかも落ちついた雰囲気を味わえる店で,店内のデザイン

は斬新なのに,何か懐かしさを感じるしっとりとしたバーだ。この店のハイボールがまたふるって

いて,ただウイスキーを炭酸で割るのではなく,オレンジピールにてうまいこと香りづけされてい

る。のどごし良し。近所にあれば、通いたい店の一軒にすぐさま頭の中に登録されるべき場所だっ

たが,いかんせん、仕事が終わったあと福岡まで呑みに行くわけにもいかぬ。残念至極。福岡在住

の方は,是比一度顔を出してみてください。


翌朝,ビルボードの迎えの車にて博多駅に。今まで散々バンドリーダーとして,ツアーをしてきた

身にとって,今回のツアーは非常にウエルオーガナイズドされたものであった。僕はただ,菊地氏

やマネージャーの長沼氏について歩いていればよいのだから。ラクチンなことこの上ない。新幹線

にて福岡から次の演奏場所である岡山へ。これもあっという間についてしまった。そしてまたして

も、岡山駅前には迎えの車が待機している。あっという間にその晩の演奏場所、「ルネスホール」

に到着。デュオの仕事ゆえ,楽器セッティングの時間が必要ないので、到着後すぐにサウンド

チェック。天上高く、自然なリヴァーブが我々の出す音に加味されて,とても演奏するには良い環

境。関係者に聞くところによると,この場所,昔は銀行だったそうで,多分戦前の造りと思われ

る。どおりで通常のホールより天井が高い筈だ。廻廊を歩くと,壁やドアなど,いぶし銀のような

重厚さと歴史を感じさせるものがそのまま使われており,そういえば、よくヨーロッパにツアーに

行ったとき,こんな場所でよく演奏したな,と、ちょっとした脳内ディスプレースメントを起すよ

うな感覚を楽しく味わわせてもらった。演奏は,福岡と同じく好調で,しかもまたピアノはスタイ

ンウエイ。普段スタインウエイをなかなか弾けない身としては、毎晩イングリット・バーグマンと

囁き声をかわしているような陶酔感を味わうことができ,嬉しくてたまらなかった。菊地氏の,絶

妙なMCの効能もあろうが、聴衆は,皆こちらの音に極度なまでに集中していることが,ステージ

の上で痛いほどよく分かるような,そんな演奏に終始した。演奏終了後,「サウダーデな夜に」と

いうイカした店にて、関係者,お客さんの一部など集まり,楽しい時間を過ごした。特にその晩饗

された特上な花見弁当のような食事には大いに満足した。岡山でも,駅→演奏場所→打ち上げ、と

いう、ツアーに於ける三角地帯のみを見聞きしただけであるが,岡山という場所,なぜか時はゆっ

くりと過ぎ行き,空気感も人間に優しいような,そんな街に思われた。故郷を持たぬ僕でさえ、そ

ういう安心感を得られるような土地柄だったゆえ,その日の晩は,大いにくつろがせてもらった。

ありがたい限りである。


翌朝,昼過ぎに岡山駅に,またしても迎えの車にて向う。交通機関の発達は,旅の旅情を削ぐと書

いたが,もっとゆっくりと話がしたかったり,親交を深めたかったりする人達と,すぐお別れせね

ばならないという、旅情のみならず,人間関係をも変えてしまうことをあらためて感じた。まあ、

こちらは岡山に遊びに来ているのではなく,ツアー中ということもあって,移動はなるべく負担の

かからぬ,しかも合理的なことに超したことは無いのだけれど。やはりどこか心の中にひっかかる

ものが残る。しかも,これから先,交通機関は、もっと速く,もっと便利にをモットーに,日本全

国を丸め込んでいくに違いなく,そうなれば,各都市やその地域に於けるサブカルチャーのような

ものは、いったいどうなってしまうのだろうか。


大阪にも,あっという間に着いた。またしても駅前から迎えの車にて「ザ・フェニックスホール」

に向う。このホール,どうも大半はクラシックの演奏に使われているようで,モニター、スピーカ

などを使わぬ,完全生音状態での演奏となる。そしてまたもや、ここにも見目麗しきスタインウエ

イが鎮座ましましていた。おお、イングリット,君は僕の後をついて歩いて来てくれているんだ

ね,などと、妄想をとおりこした狂気に近い歓喜と共にサウンドチェック。まあ、そのピアノの音

といったらあなた,ドミソと弾いただけで倍音がピアノの弦から美しい金粉が舞い上がるごとく,

高いホールの天井に、吸い込まれるがごとく反射する。もうテンションの入ったコードさえ弾くの

もイヤになるような経験は稀だ。普段弾いているクラブのピアノとは,雲泥の差である。たまには

イングリット,君と毎日逢瀬をかさねるのも、年に数日は許されるよな。なあ、イングリット,ま

た今晩も君を愛でてあげよう。そして演奏開始。楽器がいいもんだから少しはしゃぎすぎたかと思

われるくらいの演奏をしてしまった。ピアノのサウンドの良さは、当然のことここ数日菊地氏の耳

にも変革をもたらしており,良い意味で演奏が意外な局面を迎えたり,この晩の演奏は,非常にス

リリングであった。終演後,サイン会となる。今回のツアーに於いて、我々のCD「花と水」は勿

論のこと,拙書「鍵盤上のU.S.A.」(小学館)、文庫化された菊地成孔著「スペインの宇宙食」な

どを各地で売り歩いていたわけだが,大阪でのサイン会の人数が,ありがたいことに,一番大勢

で、しかも、客層が,若い人から子供さん,上品なマダム風熟年女性と多伎にわたる。一冊々々、

一枚々々に丁重にサインをした。後,楽屋で着替える。終演が午後8時半頃ということもあり,そ

のまま大阪から新幹線に乗り東京に帰るというのが今回のツアー日程だ。ここでも,関係者との人

間的交わりその他,持つ時間は無かった。さっさと新大阪駅に向い,それら関係者との挨拶もそこ

そこに、新幹線に飛び乗る。

新大阪,東京間は,今回の移動では一番時間がかかった。といっても,僕の記憶の中にある、子供

の頃盛んに利用した、東京,京都間の移動時間と比べるべくも無いが。僕の子供の頃の新幹線は,

やはり速い乗り物には違いは無かったが,旅をしている,という実感を満喫するに充分な、逆の意

味で気持ちの余裕のようなもを楽しんでいたように思える。当時は,ビュッフェという車両が新幹

線の真ん中に存在し,親父とぬるいカレーライスを食べた思い出は,消せるものではない。しか

し,今はどうだ。こんなことを考えながら,喫煙ルームに行き一服。もう夜だったゆえ、外の景色

はあまり見えなかったが,街の灯りなどが車窓を過ぎ去る速さは,やはり尋常ではない。喫煙ルー

ムがある連結車両のような空間も,何やらデザインが,昔のSF小説に出てくる宇宙船の内部のよう

だ。いったい今の新幹線は,どんな素材でできているのかと,喫煙ルームの壁をこつこつと叩いて

みた。プラスティックのようなそうでないような,僕には与り知らぬ新素材であることは確かなよ

うだった。これは堅牢な造りなのか,それとも,速度を増すため,軽い素材をあえて用いているの

か,要するに僕には分からなかったということだ。最近の新幹線は靴べらのような顔をしている

が、これだけの物質を,たとえ線路の上だとはいえども,これだけのスピードで移動させるには,

難しい物理や数学や電子機器などに精通した人々が,ああでもないこうでもないと造り上げた賜物

であることは確かだ。さて、これから、新幹線を含めて,交通網というものが,どういう変容を遂

げていくのやら。今回のツアーで,音楽の次に感慨深くなったのはそのことであった。


久しぶりにある一定の時間,菊地氏と並んで座り,おしゃべりをした。この時間は、僕にとって,

菊地氏と出会った頃からの,至福の時間の一つである。ただ単に話の合う友人、という枠を超え

て,文筆家の先輩として,また興味の対象が音楽だけではないという共通項を含めて,我々は,新

幹線が東京に到着するまで語り合った。本のこと,文学,哲学,フロイト、ゴッホ,上品なるシモ

ネタ,人生の箴言,ここには書けないこと,世界状勢,等等々々。話題は尽きること無く,多伎に

渡り,時には脱線し,正論と曲解入り乱れ、その乱れの中からまた面白い話が双方尽きること無く

沸きいでて,気がついたら新横浜であった。


恵比寿方面に帰る僕は、品川で下車。勿論のこと,席を立つ前に,マネージャーの長沼氏,A&R

のA氏に、お世話になりました、云々必要な挨拶を済ませる。


家に帰ってドアを開けたら,住まい自体が僕に向って,掃除してくれ〜、と、べそをかいている声

が聞こえるような気がした。すまないね。掃除は明日するよ。

某月某日
ロックミュージシャンの忌野清志郎氏が亡くなられた。特段ファンであったわけではないにも関わ

らず、なぜかミュージシャンの死というものは,特別な哀しみが僕の心の中につきまとう。まだや

りたいことが沢山あっただろうに。ぶつけどころのない悔しさもひとしおであったろうに。頭の中

に浮かんでいる新しいサウンドを実現したかったろうに。やりきれない思いだ。これから先,僕が

死ぬ順番が回ってくるまでに,こういう不条理感を、何度味わえばいいのやら。ひたすら,哀し

い。

某月某日
前回は尾籠な話に終始してしまったが、よく考えれば、あのような家の中における些事を事細かに

伝える必要もなかったと、いま少し反省している。便器が壊れようとも、屋根に穴があこうとも、

今お知らせしなければならないのは、拙書第二作「鍵盤上のU.S.A.」(小学館刊)のことであろ

う。おかげさまで、僕の周辺では評判よく、知り合いの書店の人に聞いても、買う人多いという。

ありがたい限りである。音楽のジャンル、その他のことをまたいで、海外に観光客ではない状態で

住み着くということは、一種の試練である。江藤淳氏の「アメリかと私」を筆頭に、明治以来、ま

たは戦後以来のお偉方の異国留学体験の本、または文章は引きも切らない。だが、斯様な文人、ひ

いては、日本の文壇をリードするインテリゲンチャの留学記はさておき、僕のような、官費で留学

したとか、財団がお金を出して将来を託したとか、そういう範疇に入っていない留学記は数少ない

のではないのだろうか。それだけに、現地での行動はおろかで、型にはまらず、日本国自体から金

を工面されていないとういうだけの自由で、それだけに厳しく、官費留学した日本のインテリとは

少し違う経験と行動をとらねばならなかったあの頃の僕を考えると、万感の思いがある。言ってみ

れば、僕のスポンサーは、その時代、つまりバブルというハチャメチャな騒動の中でつかみ取った

現金であり、本には書かなかったが、半額出た奨学金によって、僕のアメリカ生活は支えられてい

た。ここで,本には書かなかった些事を少し披露しよう。食に関してである。実は,留学して一年

ほど経って、ボストンのチャイナタウンが料理の材料を買い求めるマーケットを発見した。これは

画期的なことであった。そこでごぼうなど買って、中華丼を調理していたのだから、アメリカ滞在

二年目にして、食料事情は格段に良くなった。否,無理矢理よくする必要があったというべきか。

これは拙書にも触れたが、アメリカの食べ物は、グルマンでない僕にも、格段に不味く感じたし、

重複するが、チャイナタウンの店が買い出しに行くマーケットを口コミで知ったことは、僕や僕の

ルームメートに、大きな食の変革をもたらした。まずそのマーケット、決して清潔ではない。魚売

り場では、積み上げられた鮮魚の上にはハエがたかっていたし、食料を物色中、何か変なものを踏

んだなと思って足下を見ると、それが鮮血を流した豚のガンクビであったり、肉を購入する時点

で、英語が通じなかったりと、数々の難点があった。しかし、それに見合うものがそのマーケット

には山積みにされていた。まず、なぜかインスタントラーメンの出前一丁が、タイ輸出用なのであ

ろう,謎の文字のパッケージで売られていた。オカモチを持った少年のイラストは変わらぬゆえ,

中身も同じだろうとお想い,大量に購入した。確か一パック30セント前後ではなかったかという

記憶がある。これに、胡麻油で炒めた豚肉とモヤシをのっければ,そこらのアメ食よりは相当マシ

な喰いものに変身した。胡麻油と記したが,そう,そのマーケットには,オイスターソースや,そ

の他僕の知らない調味料が大量に揃っていた。海老の絵のあるラベルのソース,その他、ソース類

は多岐に渡り,それぞれ単価が安いので,そのマーケット行くごとに数を揃え,さながら,僕のア

パートメントの台所は,最終的に,中華料理屋みたいになっていったのである。なんの料理本もな

かったが,肉,ニンニク,野菜、これらを胡麻油で強火で炒め,それらの謎のソースをふりかけ,

用意しておいた片栗粉を溶かしたものをその食材に流し込めば,要するに何だか一品できあがっ

た。中華丼もどき。焼きそばもどき。などなど。

しかも,アメ食は不味いが,肉そのものは日本に比べて安い。特に挽肉など,日本の比ではない。

そこをうまく利用して,挽肉,タマネギ、謎の中華ソース類を駆使して,ジャージャー麺などもよ

く調理した。多くできすぎた時は,ヨーロッパから来ている友人に振る舞ったり,翌朝,ご飯にか

けて食べたりもした。そのマーケットには,冷凍餃子も売られており,重宝した。とにかく全て安

い。カリフォルニア米など,一俵20ドルぐらいであった。ニホン人のルームメート三人で,これ

で三ヶ月は優にもつ。乾燥麺も,安いものが手に入り,その中華マーケットを発見して以来,外食

の頻度が減り,食費も相当安く上げることができるようになった。今回の本に書かなかったことも

、この他多岐に渡る。

某月某日
今回の話はかなり尾籠だ。長時間ピアノを教え、さすがに疲弊したので、コンビニエンスの焼酎の

安酒を買いに行った。すると、そこのコンビニエンス、ティッシュとトイレットペーパーを安く

売っていたので同時に購入。酒瓶と共に大きなプラスティックバッグに入れてもらう。家に帰り、

小便がしたかったので、まずトイレに直行、ようをたしてから、件のティッシュとトイレットペー

パーを便所の棚に置いていたらいきなりガシャンという音がした。よく見たら、便器の手前の部分

がほとんど欠けてなくなっている。犯人は僕が買った安物の焼酎の小瓶であることがすぐ分かっ

た。ティッシュなどを棚に置いているうちに、瓶がプラスティックバッグからこぼれ出て、便器に

直撃したのだろう。ようをたした後だったので、やむを得ず試しに水を流してみると、トイレの床

中が水びたしとなった。この世が不条理で成り立っていることは百も承知だが、こういう難儀もそ

の不条理のうちかと思わざるをえず。まずトイレの床を、ぼろぼろになったTシャツにて拭く。ま

あ、便所掃除の手間が省けたと思って拭いていないと、脳内のあらぬところから怒りが沸き起こり

そうになったので、掃除、掃除と念頭で唱えつつまずトイレの床はピカピカにした。さてこれから

どうするか。とにかく、テレビで見覚えのある苦羅死案に電話をしてみたら、小一時間で修理にく

るという。便器の製造番号を教えろというから、トイレの床に這いつくばるようにして、その番号

とやらをやっと見つける。よく考えてみて、なぜ僕がこんなことをしなければいけないのかという

怒りがまた沸き起こってきたが、この世は不条理、不条理とお題目を念じながら、苦羅死案の到着

を待つ。なぜか、こういう時に


限って小便がまたしたくなる。庭に放尿。だいたい酒など買ってこなければ良かったのだ。酒を呑

んだって、結局この便器に小便として流れてしまう。ただ今回は酒瓶が割れず、便器が割れたとい

うことである。呑んだっていずれ小便になってしまうものを受けとめる器具が不調なのだ。など

と、一人押し問答をしていたら、早速、苦羅死案到着。我が家のトイレを一目見るなり、便器交換

が必要とのこと。工事費合わせて6万円ぐらいかかるという。心的不条理のみならず、経済的不条

理に直面した思い。6万円だって!焼酎小瓶何本買える額なんだよ。高級寿司店に何回行ける値段

なんだよ。元い。これから先壊れた便器にて用はたせない。本日日曜日の夜ゆえ手持ちの金がな

い。コンビニエンスでお金をおろそうとしたら、時間外とあり、時既に遅し。しょうがないので、

かくしていたへそくりをがさごそ取り出して計算してみる。ギリギリ6万円あった。苦羅死案の修

理のおじさんに、6万円ぽっきりしかないから、何とかなりますかと聞けば、何とかなるという返

事。小一時間後、料金を払い、改めて僕の家のトイレを観察。今までとは見間違うばかりのピカピ

カな空間となっていた。まず、便器自体が、何かしらのモダンアートの彫刻のように輝いている。

しばらくは便所掃除にも手が抜けるとほくそ笑んだ。しかし、6万円の突然の出費は、あらゆる意

味でかなりのダメージである。しかし、僕もアンドロイドではないので、排泄をヤメるわけにはい

かない。排泄は禁煙とは違うのだから。ともかくも、月初めの6万円の思わぬ出費は痛い。トイ

レット博士ではないが、こういう経験をし、如何に便器というものが、偉大で、必要不可欠で、

住むということにあたってまず最初に必要なものだということを、あらためて認識した次第。


某月某日
昨晩の春風で、少し暖かくなると思ったら、まだのようである。地球温暖化もどこへやら。都内の

桜はもう満開というが、もう少し暖かくないと、そぞろ歩きも難しかろう。新しい自著、CDの発

売日も過ぎて、やっと一段落した気分。またそろそろ扶桑社刊「EN-TAXI」の続編を書き始めねば

ならないが、季刊ゆえ、まだ締め切りは遠い。僕の様にフリーランスで仕事をしていると、やは

り、というか当たり前のことだが、仕事に波があり、しかし毎日が上り坂下り坂というわけではな

く、さざ波もたたぬ鏡のような水面の日もたまにはあるのである。まあ、雑用その他を考えれば、

やることは山ほどあるが、本日は、誰にも会わず、一人で休みたい。話は飛ぶが、J.JAZZ.NETに

て僕の特集が始まった。今までの僕の演奏した曲の中から曲を選び、ウエッブを通して聴くことが

できる。アドレスは、http://www.jjazz.net/,興味のある方はのぞいてみてください。いやさて、

のぞくという言い方は正しいのだろうか。世の中ここまで機械が発達すると、それに付随して、専

門用語を除いても、その扱いを正しく第三者に説明するのに、どういう言葉を選べば良いのか、

時々うろたえる。覗きという語感が、今の御時世、どこかの高校教師が、女学生の着替えを覗いた

とか、あまり良い意味に使われなくなったような気がしてならない。では、無難な言葉はと考えて

みたが見つからぬ。とにかく、上記のアドレスをクリックしてくださいと書けば良いのか。何だか

味気ないなあ。いずれにせよ、特集の選曲は、けだるい午後に、じっと聴き入るにはもってこいの

曲ばかりなので、覗くかクリックするか、操作、あるいはチェックしてみてください。5月6日あ

たりまで掲載?放送?予定です。

某月某月
12時を過ぎて4月1日となり、拙書「鍵盤上のU.S.A」の発売日を迎えた。この本に関しての宣伝

は、以前のこの日記で、またはこのウエッブのNEWSの欄に書いたり載せたりしたから、もうこれ

以上の宣伝文句はない。バブル全盛の銀座から抜け出して、アメリカのボストンへ留学ならぬ逃避

行を敢行した、当時の僕のことを、時にはこと細かく、時には大ざっぱに、アメリカにいた時の時

間の流れを巧みに操作し、書いた文章が、今回発売される「鍵盤上のU.S.A」という形で世に出る

こととなった。書店によっては、一作目の状況を思い起こしてみると、4月1日発売だからといっ

て、すぐに入荷していないところも少なからず有りそうである。残念ながら、売り切れることはな

いであろうから、読みたい方は、今週中に手に入ると思っている方が無難なのかもしれない。前作

よりもページ数は多くなってしまった。まだまだ書き足りないことも幾許かあるが、今回書ききれ

なかった話などは、4月11日(土)、青山ブックセンターにおける菊地成孔×南博 トークショー

にて、話す機会もあるかもしれない。詳しくは、

http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200904/usa2009411.html

上記のアドレスを参照されたし。雑談ながら、この頃ににはもう少し、お天気、気温ともに春めい

ていることを望む。何れにせよ、何を着て皆様の前に登場していいのか、つまり4月頭の気候では

冬物でも無し、春物でも無しという天候が続いていることは確かで、11日には何とか、春めいた

気候になっていることを望むのみである。皆様のご来場をお待ちしております。
某月某日
日記を書いたら眠ろうとしたが、なぜか脳内麻薬の分泌が思わしくなく、久しぶりの朝の太陽光線

を見てしまい、僕の脳内にかろうじて居座っているセロトニンが微弱にも動き出したようで、自然

と徹夜をした朝のような状態になってしまった。情緒不安定は、僕のお家芸だが、ここまでくる

と、本当に御しがたし。もうこうなったら地球の自転と我が生活基準を乖離して、何も異常はない

と思い込んだ生活をすることに、無理矢理自分を仕向けることにする。睡眠導入剤も服用しない。

地球の自転と我が活動が乖離しているのだから、夜になったら寝られる、寝られないということ

も、一切考えないこととすれば、逆に気が楽になるのではないか。本日は、他人と会う約束もな

く、夕方ヘボ用で新宿に行かねばならぬが、それとて、こちらが金を払った商品を受け取りに行く

という程度のことなので、まあ、どうにでもなる。しかしいったい、健康とは何だろうか。中学の

保健体育の時間に、健康の三大要素を教わった記憶がある。肉体的、精神的、社会的に順調な人が

健康人であるというような内容だったと思うが、よく深く考えれば、この三つの要素に当てはまる

人は、逆に、この不条理で、不公平で、矛盾だらけで、ペシミスティックなこの浮き世の中では、

不健康なのではあるまいか。このような三つの要素が全て順調な人など、ほとんど存在し得ぬ奇態

な何かしらなのではないか。更にいえば、この三つの要素を無理矢理肯定する社会というものは、

畢竟ヒットラーユーゲントのようなファシズムの、何らかが完璧に隠蔽された社会でしか実現しな

いのではないか。民主主義だの自由経済だの資本主義の世の中だのああだこうだ言ったって、所詮

は人それぞれ。体育の教科書の定義が丸ごと当てはまる人こそマイノリティではないのか。特に、

精神的にという意味において、どこまでがマトモで、どこまでが狂っていると、いったい誰が判断

できるのだろうか。如実に、無差別殺人を犯す輩をのぞいて、今の我が国において、何かしら精神

的統一を図る宗教なり思想なりが存在するとは、到底思えない。噺家の表現を借りれば、日本銀行

発行の絵はがきを、数多く持った者の勝ちというのが、まあ、単純にいって、世界基準ではあるの

だろうが。ああ、やるせない。全てにおいて、何をか言わんやである。だがしかし、ただはっきり

としていることは、一人一人の人間の生命力は均一ではなく、若くしてクタバル者、不摂生をして

も長生きをする者、つまり生命力だけは、健康であれ不健康であれ均一ではないということだけ

が、不確かな事実なのだろう。生老病死は誰もが免れぬ生の成り行きとしても。まあ、生きてるだ

けで大変なんだから、その上仕事だ家族だ収入だということになれば、疲れるのはあたりまえ。

なんてね、世の中のモンクばっかり書き連ねてもなにもなるまい。さあ、明日は、菊地成孔氏と制

作した新譜「花と水」の発売日である。この音楽が、普段音楽などをあまり聴かぬニホン人の感性

に、なにかしらの瑞々しさをもたらすことを願ってやまない。

某月某日
今回こそ、ウエッブサイトとしての本領発揮です。つまり正式拙書の宣伝です。

南博・著『鍵盤上のU.S.A. −ジャズピアニスト・エレジー アメリカ編』
小学館
2009年4月1日発売
定価1995円(本体価格1900円)
四六判 簡易フランス装
322頁


一つの恋愛に勝る音楽理論が、この世に存在するのだろうか。

銀座で稼いだ金を首からぶら下げて、青年は「ジャズ・カントリー」に旅立った。
言葉、文化、食べ物、差別。タフでハードなアメリカの日々。そして、すばらしい仲間との出会いと情熱的な恋。
大好評を得たデビュー・エッセイ『白鍵と黒鍵の間に』に続く、内省と感傷と爆笑と希望に満ちた、ジャズ青年のビルドゥングス・ロマン。

一人の杖をついた黒人のおばあさんが、よろよろと僕の方に近づいてきてこう言った。
「あなたのさっきのブルースのソロ、最高ダッタわよ。」
彼女は僕に両手を差し伸べてきたので、自然と僕も彼女の両手を握る格好となる。彼女がぎゅっと僕の手を握る。その瞬間、僕は目からとめどもなく涙がこぼれ落ちている自分に気付いた。
そうだ、僕はこの瞬間を求めて、アメリカまでやって来たんじゃないのか。
(本書「黒人街の神風マザーファッカー」より)

ちなみに、4月1日発売が、APRIL FOOLだとしても、発売に関しては、嘘はありません。



某月某日
一度過労で倒れたので、自炊を復活させることにした。中目黒の東急ストアが、この近辺では品数

多く、値段も安い。しかも夜11時までけなげに開店している。今晩のお惣菜の材料以外に、サバ

イバル用のさんまの缶詰、インスタントラーメン、永谷園のお茶漬けなども買い足す。頭の中で、

家に有る米の量と、凍らせているパンの量などを酌量し、同時に賞味期限も考える。忙しいとこれ

らのことが頭の中に入らないので自炊ができない。料理中は、落語のCDしか聴かない。音楽のCD

を聴くと、包丁を持った手が止まってしまう。噺家の日本語は、料理のテンポに拍車をかけ、料理

しつつ洗い物をするという基本的なこともスルスルと進むのが不思議だ。料理中は不思議な心境

で、特にスープのアクを丁寧に取っている時が一番気分が落ちつく。なぜだろうか。弱火で焦らず

スープを煮込みつつ、少しずつアクをとりながら円生などを聴いている時が今のところ僕の至福の

時間である。多忙の間は、どうしても店屋物に頼らざるをえず、やはりそういうものばかり食べて

いると、基礎体力のみならず、思考回路もぼやけてくる。そのぼやけた頭の中でも、僕が常用して

いる蕎麦屋と中華屋があって、この二店の出前のしかたがあまりにも違うので不思議に思うことが

ある。蕎麦屋の方は、店の方にも何度か出向いたことがあるところで、これといって特色があるわ

けではない。特に親子丼の卵の調理は、もう少し何とかならないかと思うほど柔らかみに欠け、

ビーフカレーセットのカレーの味が、かろうじて蕎麦屋のカレーの味であることが、色々と出前を

注文するうちに分かった。蕎麦屋のカレーというものは、まったくもって特殊なもので、特に僕が

いつも出前を頼む蕎麦屋のカレーは、カレーのルーの中のタマネギがやたらとでかく、ベースに

なっている味が、カツオダシ風で、まあ、喰える代物だ。とにかくこの蕎麦屋、天候、時間帯に

よって、電話注文した後の到着時間にムラがある。雷雨の時など、びしょぬれで五目蕎麦など届け

てくれるのだが、いかんせん、蕎麦が若干冷えており、蕎麦自体もツユを吸ってのびていることが

多い。翻って件の中華屋は、店に食べにいったことはない。しかしなぜだか、注文をして最長15

分以内で出前を届けてくれる。気候、時間に関わらず、必ず15分以内に来る。この違いはどこか

ら来るのか。地理的にいえば、中華そば屋のほうが、日本蕎麦屋より遠いところにあるにも関わら

ずである。しかも、担々麺など、挽肉と野菜が山盛りであり、麺の量も近くの日本蕎麦屋より多

い。畢竟、多忙な時は、最近など、中華屋のダイアルを回すことが自然と多くなる。野菜不足の僕

にとって、得難い中華の出前ではあるが、やはり、体が弱っている時は、自炊に勝るものはない。

昨夜は、トマト味をベースにした黒豆入りのリゾットを調理し、深々と夜がふける中、ゆっくりと

食べた。独り住まい故、会話をするものもなく、それだからこそ、旨いものをこしらえないと、気

分転換にもならぬ。結局のところ、出前も自炊も大きく見れば大差が無いように思えるが、やは

り、野菜をふんだんに使った自炊の方が、思考力、体調、翌朝の目覚めに良いようだ。次は、夜中

の通販番組でやっている、野菜カッター及びジューサーを手に入れるつもり。これがあれば、僕も

一応ピアニストなので、包丁で指を怪我する頻度も少なくなろうというものである。総じて、酒は

いくら酔っても小便で出てしまうが、食べ物に対しては、これからもう少し気を使うつもりでい

る。まあ、件の中華屋の担々麺が15分以内に来るという心的セキュリティーの上に成り立った、

とてももろい自炊だが。
某月某日
前回の文章を書いた後、再度書き換えの指令あり、または他の文章を書く仕事が加わり、その合間

を縫ってピアノを教えていたら心身共に衰弱し、久しぶりに倒れました。倒れたといっても、重病

ではないのですが、つまりは過労ということなのか、起き上がれなくなってしまいまして、ここ二

三日でやっと回復してきました。何と情けない。情けないといえばこの国の実情もそうであるよう

です。僕は我が国をこの国と書く人は好きではないのですが、そんな僕でもこの国、と自国を放り

出したようなものの言い方をしても、何ら気にならないほど、この国は今ダメの最高峰にあるよう

な気がしてならない。ここで政治ネタを本気で書き出せば、多分明日には命が無くなっていると思

いますので、詳しくは述べませんが。それにしても、いかに一国の首相といえども、支持率と年俸

を歩合制にすれば良いのではないでしょうか。ライブハウスの歩合制のようなものです。支持率が

下がれば、その分年俸から何%か引かれる。支持率にしても、そうなれば意外に簡単なのではない

でしょうか。何億という単位では、この国の体たらくには焼け石に水でしょうが、総裁自ら身銭を

切って予算の足し前にするとか。家屋を売っぱらうとかすれば、国民も少しは溜飲が下がるってモ

ノじゃないんですかね。ああ、書いちゃった。まあ、要するにこの国はGDP世界第二位といいなが

ら、要するに「我が国」は、実は貧乏クセえ国で、更に言えば、塩野七生さんの本を読むまでもな

く、儲かった国にしか文化芸術は栄えない。ローマ帝国、ハプスブルグ家、例を挙げたらきりがな

い。こんな「我が国」でピアノ弾いて生活してるなんて、或る種の奇跡なんでしょう。派遣切りに

あった人が、炊き出しでメシを食っている映像が映ったかと思えば、チャンネルを変えると、ギャ

ル曽根が信じられないような量の食い物をがつがつ喰っていたりして、シニカルでユーモアのある

不条理というものの考え方もあったのかと、つくずく思う次第です。そういう殺伐とした世の中に

潤いを与えるものが芸術だと思っていたのですが、もうこうなったら、今の「我が国」には、芸術

もへったくれも享受する豊かさなど、どんどん減っていくのでしょう。大正末期に生まれて、昭和

16〜17年あたりで兵隊にとられ、インパール作戦なんかに投入された英霊達のことを思えば、昭

和35年に生まれて良かったと、少しは自分の身の幸福を思わなければいけないことは百も承知の

上ですが。米兵がイラクで今までに7000人ぐらい戦死しているようですが、日本の自殺者は年間3

万人をくだらないという。戦争よりタチが悪いじゃないか。何だかさっぱりよくわからない。我が

国には、国内にいったい何枚の一万円札があるのでしょうか。国民総資産が2千6兆円ぐらいらし

いのですが、この額は、全て現金で揃ってるのでしょうか。再びなんだかさっぱり分からない。定

額給付金にしても、渋谷区役所に取りに行くのであれば、電車賃かかるんだけどな。これも経済効

率の一環なのかしら。どうせなら、時間を決めて、例えば明治通りの渋谷、原宿間を選挙カーの上

から万札ばらまくから、日本臣民よ、是比お集りを、としたほうが面白そうだ。警備の警官も職務

を忘れ、群衆と共に万札に群がり、現場は滅茶苦茶。公平も不公平もない。網を持って待ち構える

者。他人をぶん殴ってでも万札を拾う意欲のある者。それらが渾然一体となって、世紀の拝金

ショーでもぶちあげたらどうか。全国でも同じような催しを行い、ニホン人の拝金主義にさらに不

気味な狐火でも付けたらいい。いずれにせよ、今のシステムでは、どうせ国民の隅々まで正規の手

続きでは行き渡らないんだから。


などと、あらぬ妄想を膨らましてるヒマではありませんでした。前回に宣伝したように、このメタ

クソなご時勢にも関わらず、3月25日には、菊地成孔氏とのデュオ「花と水」(ewe)それを追う

がごとくの勢いで、4月1日弟二段の拙書「鍵盤上のU,S,A」(小学館)、各々発売となります。

「花と水」に関しては、菊地氏のWEB SITEでライナーが読めますから、コンセプトに関しての話

はここでは割愛。さて、本の方ですが、ご想像のとおり、サブタイトルが「ジャズピアニスト・エ

レジー・アメリカ編」であり、僕の留学体験及びアメリカという国で僕がつらつら考えたことなど

が今回の本の主眼です。皆様、楽しみに待っていてください。

某月某日
三月末に発売となるEN-TAXI(扶桑社)の連載弟二稿の締め切りを終えたと思ったら、4月一日に

発売予定の本、小学館刊「鍵盤上のUSA」の校正をすることとなり、数日間、なにげにミュージ

シャンらしくない生活を送ってしまった。いずれにせよ、このウエッブにて、またこれらの本や文

章が刊行される時に宣伝するつもりですので、よろしくお願いします。まあ、文章というものに関

わることと、音楽活動が一緒になると、自炊は自滅せざるを得ず、とかく外食に頼ることとなる。

この不況時に外食のみなど許されない筈だが、しょうがない。しかも、僕の住んでいる中目黒、恵

比寿近辺の変わり方の早さと言ったら、もうどうしようもない。きのう有った店が、いきなり無く

なっているというのも稀ではなく、往生している。友人に、この近辺を案内してよと言われても、

僕の記憶力以外の日本経済の差し出がましさで、見覚えのある風景や店がどんどん消えてはなくな

るのだから、下手に友人を招くことも躊躇される。いったいこれから、都市景観とともに、このエ

リアはどうなっていくのだろうか。

とにかくこれからのこちらからの音楽、文章の発信の期日を明確にします。

2月25日発売;KASPER TRANBERG  「DREAM AND BLUES FOR TAKEMITSU」
       EWCD0124

3月25日発売;EWEから、菊地成孔、南博DUO「水と花」EWCD 0159

4月1日 小学館から、上記したとおり、「鍵盤上のU.S.A」発売。

追って詳細を報告します。 


某月某日
昨日の夜中まで、三日間をかけて、菊地成孔氏とのデュオのアルバム、「花と水」のレコーディン

グを敢行。デゥオならではの身軽さと難しさを体感しつつ、スタンダードを含めた曲が百科桜蘭。

発売は3月末とのこと。おお、民よ、聴かれよこのCD,静謐な雰囲気の中に、しっかりと、ジャズ

と音楽と、菊地氏の息吹、僕の魂のこもったピアノの音が響いておるぞよ。更にまた、僕のデン

マークの盟友、トランペット、コルネット奏者のキャスパー・トランバーグとの新譜がeweより2

月25日発売となる。タイトルは、KASPER TRANBERG 「DREAMS AND BLUES FOR TORU 

TAKEMITSU」。タイトルが示すとおり、作曲家、武満徹氏へのオマージュという形になってい

る。しかし、恐るべしデンマークのジャズメン達、コペンハーゲンでの録音から幾歳月、出来上が

りを聴いてみて、いまだに音楽が恐ろしく新鮮だ。曲によって、スモールコンボからビッグバンド

に至るまで、曲想も様々。ジャケットの写真は僕が選んだ。デザインもなかなかの出来だ。乞うご

期待。

某月某日
まあここは、政治のことは抜かして、バラク・オバマの演説ファンであると言っておこう。あくま

でも、これは彼の、英語の演説によるという意味だ。政治的なことは書かない。バラク・オバマの

演説は面白い。あの切れ味のいい言葉のセンテンスの切れ味。長いフレーズにも、短いフレーズに

も、必ず聴こえてくるオバマアクセント。口角の上下が微妙に、そして一種ジャズに通じるfunky

な瞬間さえ見せるあの口の動き。ああ、もったいない。なにかの縁でオバマが日本にやってきて、

噺家になったら、もう相当な名人にまっただろうなあ。もちろん芸名は馬楽亭小浜。あのクールな

語り口で「芝浜」かなんかやったら、日本的人情話とは違う、もっと深いところにある人間の情

を、いまの落語からは違う角度から表現できたりなんかして。羽織着物も、あのスタイルなら似合

う気がするし、どうせだったら、噺のなかに、政界の話題なんか取り入れても、世界的に受ける落

語を噺てくれないかな。与太郎は、もちろんブッシュ。難題を突きつけられると、隠居のパパブッ

シュに泣き寝入りする。海苔屋のおかんこババアは、ブッシュ母。火消しの大将はパウエルで、大

家さんはグリーンスパン。花魁の総元締のやりてばばあはヒラリー・クリントン。ビル・クリント

ンはタダの遊び人。ヤクザの親分はフセイン。それに対抗するヤクザの親分ラムズフェルド、いつ

でもカチコミかけまっせいと息巻いている。そのバランスを取っているのがコンドリーサ・ライ

ス。横丁の博学な女儒学者的存在。どうやら偉人らしいという噂あり。これだけメンバーが揃え

ば、噺の一つや二つ、出来上がりそうである。鳴りものは、やはりアメリカ国家か。横業なシャミ

の後に馬楽亭小浜が登場。きっちりと客席にお辞儀をしたあと、「え〜、なんて〜ますかね。アメ

リカで始めての黒人大統領になっちまった。時代は変わったとはいえねええ、大変な問題がたくさ

んありまして、ま、実行あるのみなんですが。今晩は、その〜、鰍沢なんか話しようかと思いまし

て。」噺の中間点は略す。「あれ、花魁、妙にヒゲが濃いと思ったら、アラブ人ではないです

か。」「お分かりかい、一度ソ連に攻められてできた傷さ。」「ということは花魁、お前さん

は。」「瓶羅典と呼ばれているのよ。」「ひえ〜!」「あんたに呑ませたさっきの卵酒、実は毒入

りさ。」馬楽亭小浜は這々の体で脱出をはかるも、ロケットランチャー、機関銃などで後からうた

れる。南妙法蓮華経とは、馬楽亭は言わないだろうが、雪の斜面を滑るように逃げる。後からは、

ロケットランチャー、機関銃の猛攻撃、ジーザスクライスト、南妙法蓮華経と唱えていると、CIA

直属の特殊部隊が馬楽亭を救いにくる。「大統領、いけませんや、いくら話しあいで解決するたっ

て、あんなところに行ってはいけませんぜ。」「もっともだ。」な〜ンテね。こんな新作落語誰か

やってくれないかなあ。

某月某日
足の痛みもだいぶおさまってきた。冬のけがはなぜか長引くような気がする。まあ、けがが足だっ

たからよいようなものの、指だったら全ての行程が停止すること必須。こうなったら、少し話題が

古めなれど、金井克子氏のように、両足に一億の保険をかけるしかないか。月いくら払うんだろう

な。不思議と、美脚という言葉はあれど、美指という言葉は見当たらぬ。語呂が悪いせいなのだろ

うか。拙書「白鍵と黒鍵の間に」(小学館刊)に書いたとおり、バブルの時期銀座でピアノを弾い

ていた。ホステスのお客に対する褒め言葉というものは、その状況に対して千差万別であること

は、あたりまえとしても、「まあ、あなたの指ってとってもステキ!」などとホステスがのたまう

時は、その他その客に褒めるところがないのが相場であった。顔や体格、その他の美醜を褒められ

た方がいいに決まっているが、指はなぜか最後の褒め場であって、横でピアノを弾いている僕にさ

え、それらの成り行きが分かったものである。えへん、閑話休題。今回の日記の欄には、本来の

能、つまり自分の音楽状況の宣伝をする筈だったのだが、余計なことをまた書いてしまった。さ

あ、宣伝だ。まず、松風鉱一氏(SAX,FLUTE,etc)のライブレコーディングに参加しました。

ベースは吉野弘志氏、タイトルは仮題ながら、松風鉱一 avant-garde trio,STUDIO WEEから今

春発売の予定です。また、EWEからデンマークのコルネット奏者、キャスパー・トランバーグの

新譜が2月25日に発売されます。タイトルは、「DREAMS AND BLUES FOR TORU 

TAKEMITSU」,つまり、キャスパーの武満氏に対するオマージュ的作品で、参加ミュージシャン

も、デンマークでこれはというメンツがビッグバンド構成で演奏しています。様々なサウンドコ

ラージュ、純粋なるビッグバンド演奏、その他日本ではあまりない音楽作法にしたがって、武満氏

を音楽的に参賀しています。乞うご期待。しかも、2月中に菊地成孔氏と僕とでデュオのアルバム

を制作することが決定しております。内容はいまだ打ち合せ中ですが、発売は、3月頭となりそう

です。まあ、これだけ音楽的話題があれば、この日記の本来の機能を果たしていることになるで

しょう。また、「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)の続編が4月1日に発売予定。タイトルは今のと

ころ、「鍵盤上のU.S.A」エレジー・ジャズピアニスト・ボストン編、というサブタイトル付き。

つまり、今度の本は、僕のバークリー時代を活写したもので、前作と合わせ読むと更に面白いと想

います。今日の宣伝はここまで。それぞれ話しが進展したら、またこの日記にて報告します。

某月某日
さて、新年と共に、今年も体の動く限り、音楽活動をやろうと思っていた矢先の出来事であった。

初仕事となる「晴れたら空に豆まいて」での我がピアノトリオ出演に向おうと家を飛び出した矢

先、なぜだか知らねど、何かに足を取られ、2秒ほどの滞空時間をじっくり味わった後、地面にた

たきつけられた。何に足が引っかかったのかということも分からず、全身の痛みをこらえて立ち上

がってみると、満身創痍とはこのことか。体中が痛む。脇に抱えていた譜面やCDは見事に路上に

ばらまかれ、見るも無惨な状態に、演奏直前の自分は陥っていた。またこれが交通事故なら、相手

の不注意をただし、病院代を出させることも可能なのだろうが、今回は完全なる自爆事故である。

その晩の演奏場所は、代官山「空豆」であった為、何とかイザリながら現地に到着し、痛み止めの

ワインを一二杯。幸い演奏は好評のうちにすぎ、対バンの水谷氏などと共に、恵比寿に行きつけの

焼きトン屋などにしけこみ、既にその頃は自分自身がひどくころんで、道路に打ち付けられたとい

うこと自体忘れるほど呑み、翌朝。何ということだろう。両足に激痛が。ベットから起き上がって

もまっすぐ歩けない。これは整形外科だと思い、即インターネットで近間の場所を調べるも、大都

会の片隅に居ながら、なかなかこれだという病院が探せ出せない。足の痛みはひどくなるは、立っ

て正常に歩行できないはで、まずおかめ蕎麦を出前してもらい一瞬の人心地。後、何とか近間に整

形外科を見つけるも、とても歩いて行ける状態ではない。家を出て、大通りまで、他の家の庭の

柵、階段の手すりなどにつかまりながらタクシーを拾う。運転手さんも、事情を呑み込んでくれ

て、イヤな顔一つせず、駅反対側の整形外科へ。その時点からなぜか、各所の痛みが増してきて、

待合室で横になって目をつぶっていたら、初診の方は、この紙に何か書き込めと係りのものが言

う。わざと、重傷、複雑骨折、歩行困難(これはウソではない)と書き込みしばらくしたら、大声

で名前を呼ばれたので、しめたと思い診察室に。そこには、咄家、桂三木助そっくりの医者が居

て、なんか面白い話しでも二三聴きたい気分にもなったが、足が痛すぎてそれもダメ。レントゲン

を撮ったり、色々と調べた結果、骨折は無いなれど、ひどい打ち身、右足首をくじいているとのこ

と。テーピングをしてその日の治療を終わったが、なにしろ何枚もレントゲンを撮ったためか、料

金が一万五千円となってしまった。これは法外なと思いつつ、歩けないんだからしょうがなく、再

度タクシーに乗る。その後、駅に近づいた時点で、脳味噌のどこかしらにしまわれていた昔の悪し

き習慣が噴出してきた。「運転手さん、駅前で降ろして。」無謀にもイザリ歩きで商店街へ。よっ

しゃ、今日の診察代、マトメテ倍返しにしてやろうと、3年ぶりぐらいでパチンコ屋に入店。最近

の機種は分からぬゆえ、これは場所と雰囲気で台を決めざるを得ぬと周りを見回していると、なん

だか冬のソナタで大合唱している中年女性発見。見れば横の席が空いている。新台を入れた後の

サーヴィスなどもあるのではないかと、その中年女性より出口に近い窓側の台を占拠し、まず、

2〜3千円うってみる。釘も確かだし、妙なはじき方をしないので、この台にて、手持ちのカネ全

てつぎ込んで、病院代を稼ぐこととす。実際冬のソナタなど大嫌いだけど、この台をイワセてイワ

セて38°線も超えてやるんじゃ、という気合いで打ち出したら、じゃらじゃら玉が出てきた。何と

も哀しくなるような変革の嵐の中、腰を据え、痛みをこらえ、うちまくっていたら、初期投資5千

円んで4万五千円まで上りつめたので、こういう時はヤメ時が肝要、と、打ち止めを決意。病院代

も稼いだし、夜メシもなにげにマトモなモノが喰えそうな札ビラは財布にあるし、と、肩で風切ろ

うとしたが、体中が痛くてできない。店のオニイサンに手伝ってもらい、大量のパチンコ玉を換金

し終えたら、いきなりそれまで以上に足が痛くなってきて、今晩としては、おとなしく家に帰るし

かあるまいと撤退を決意。正月あけから何をしているのだか。


某月某日
いつまでもダラダラとしているわけにはいくまい。関係省庁、と書けばウソになるが、省庁でなく

とも、仕事関係の各事務所、及びEWEを含めて諸官庁、と書けばまたウソにになるが、僕にとっ

ての関係諸官庁が動き出したことは事実である。メールのやりとり、その他諸々のルーティーンが

また始まったということで、フリーランスの身である場合、これらは避けれれない事実である。た

まにテレビを垣間見ても、政治の動向はどうも、なにも信用できない丁々発止に終始しているし、

まあ、生まれた国を間違ったという観点から、己の行動を進めるしかなさそうだ。いつものことだ

し。自動車会社を筆頭に、エコだエコだと騒いでいるが、まずF1レースをやめることから始めれば

良いのではないか。ほかのスポーツも全てデイゲームにし、つまりエコロジーがビジネスになって

いないことを、各企業は、証明する必要があるのではないか。そういう意味で言えば、カーレース

などもってのほかである。これは何の統計的結果や、専門家の意見を聞いたわけではないが、いま

さらエコだと息巻いても、とうに遅い気がする。だいたい、精油産業が勃発してきた時点で、今の

状態は創造し得た筈だから、なにかしら、地球というものに直接インパクトを与えうる国々が、先

手を打たなかったから、今の状態を招いているだけで、一言でいって、人類はいびつである。オプ

ティミストがいう人類の未来は、光り輝いているが、光あるところに影があり、その割を食うのは

一般庶民でることは、歴史が証明している。電気自動車が隆盛になれば、いままでのガソリンで動

く車は少しずつ廃車になって行き、それら皆上手く、ある一定の法律基準で廃車になればよいが、

今までのこの国の動向を見ていると、またどこかの田舎の国道の一角が、ガソリン車の墓場となっ

て、よくわからない有害物質を垂れ流すこととなるのだろう。国土の狭いこの国の、いったいどこ

がガソリン車の墓場となるのか。各大手の自動車会社の車の売り上げが伸び悩んでいるという。エ

コという観点から見たら、これほど良いことはないではないか。なぜエコロジストはこのことを喜

ばないのか。輸送業者、食料輸送、エネルギー輸送、救急車、その他どうしても車を使わなければ

成り立たないものをのぞけば、この狭い国の中でそんなに車の台数はいらないのである。ちょっと

極論かな。

僕はエコロジーというものを信じていない。地球の動態から考えて、五千年、一万年で起きる周期

に、我々は何をもって刃向かえるのか。ここまで石油を掘り尽くし、ここまでエネルギーを地球か

ら搾取してきた我々は、次の方策を、ビジネス抜きで本気で考える時期が来たんだろうと思う。ま

た、それがクリアーすれば、年金問題も、100年一度の不況も、何をか言わんやである。住環境そ

のものが犯されているのだから。エコロジーをビジネスにするのはもうやめだ。

某月某日

皆様、明けましておめでとうございます。某月某日と書いても、今は、一月六日午前六時です。

ピットインの年明けライブに出演した以後、夜形の生活がまた更に夜形になり、もう少しで正常な

一般の我が同胞の暮らしに追いつくのではないかという転換期にあるようなありさまです。なにし

ろ年明けライブが終わったのが、元旦の午前二時。その後飯を喰ったり酒をの飲んだりして、就寝

は雀チュンチュンの時間。起床したのは、とうに日が暮れたあとで、脳内に太陽の光を届けること

もままならなかった。起床した時、既に夕方であるというのは、何やら地獄での堂々巡りとはこの

ような状態なのではないかという感がある。やむおえず、テレビを見ていたら、去年使った体と脳

味噌が弛緩してきて、もういけない。そのまま寝正月状態に突入。寝正月といえども、就寝の無い

状態の寝正月、つまり体を横たえ、画面に写るあれこれを、見ているような見ていないような状態

で、動いているのは眼球だけといった体の状態。次に入眠したのは、もう時間も曜日も分からない

いつか。次に気がついた時は三日になっており、少しお天道様は拝めたが、なにしろ寝正月である

から、引きこもりのごとく、部屋でダラダラしていたら、だんだん頭がおかしくなってきそうに

なったので、六本木シネマに映画を見に行く。「K-20 怪人二十面相」をなぜか観てしまった。イ

マイチであった。帰宅後また眠れず、そのまま今に続くわけだが、近所の喰いもの屋、マーケット

など軒並み閉っており、ウエッブにて24時間営業のマーケットが神泉にあることが分かり、深夜

そこに買い出しに行き、今カレーをつくっている最中だ。このカレーで何日かしのげば、徐々に近

所の食べ物屋もオープンするだろう。三が日の夜中につくるカレーは、また、そこはかとない寂び

しみと、独り身の充足感を同時に味わえる味となるだろう。

正月の定義ということを考えてみる。日本中がほっとする次期には変わりないだろうが、それも自

分の年代と、家族の状況にもよるだろう。僕が子供の頃は、新橋に有ったおばあちゃんの家に集

まって、親戚、従兄弟、勿論、お爺ちゃんおばあちゃん、両親を含め、手作りの御節を食べつつ、

かるた、おとしだま、羽根つき、その他諸々、新春にふさわしい盛り上がりが有ったが、今現在、

両親も年老いて、お爺ちゃんはとっくになくなり、おばあちゃんは5年ほど前、105才(!)で鬼

籍に入った。思い出が無いよりはマシだとは思うが、あの頃のお正月の雰囲気を今再現するのは非

常に難しいこととは知ってはいながら、親戚一同が集まるといいった行いが近年行われなくなって

久しくなると、やむおえず、僕も夜中にカレーを調理しなければならなくなる。味気ないと言えば

味気ないが、逆の意味で一人で居られるという得点も有るのである。忘年会、新年会は誘われるこ

とに喜び半分、めんどくさ半分で、呑んでしまえば、年末もへったくれも無くなる。

年越し蕎麦は、近所の蕎麦屋にテンプラ蕎麦を出前してもらったが、この近所の蕎麦屋、旨くもな

いが不味くもない蕎麦を提供する店で、出前だった為、出前された時点で、天ぷらが皆ツユを吸い

べちゃべちゃになっており、まあ、納得して喰うしか無いかなといったような状態が、器の中に展

開していた。まあ、これは日記を書く上でいえば逆順の大晦日の出来事であり、正月を迎える前の

出来事ではあるが。

今、僕の腕時計は既に六日の午前五時。不健康な深夜放送の映画も、特別番組も終わってしかるべ

き曜日に行き着いた。そろそろ、精神身体共に本当の意味で、起きなければなるまい日が近づいて

いる。充分休んだから、明日から本格的に音楽活動を始めるつもり。

まだタイトルが決まっていないが、拙書「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)の続編が、今年四月には

出版予定。音楽活動に於いても、菊地成孔氏とのデュオのCDが3月中に発売される予定。まあ今年

も、例年のごとく、一寸先は闇ならぬ、一ミクロン先は漆黒でしかないミュージシャンとして、生

き残って行くつもり。皆様。応援お願いします。

某月某日
しつこいようだが、僕の新連載が、扶桑社刊、EN-TAXI、12月26日発売の号から掲載される。タ

イトルは、「六本線の五線紙」。責任編集に、福田和也、坪内祐三、リリー・フランキーとあり、

駄文を載せるわけにはいくまい。これから八回程度の連載になる模様。一冊本を書いて、このよう

な雑誌に連載を許される事自体、自分ながら不思議なり。ジャズの世界より、文章の世界の方が、

風通しは良いとみた。喜ばしいのか哀しいのか。興味のある方は読んでみてください。


某月某日

拙書「白鍵と黒鍵の間に」の続編を書き終えた。次回は留学先ボストンで起きたあれやこれやを面

白おかしく書いた本である。少しながらアメリカ文明批評のような事も書いている。発売は来年三

月の予定。請うご期待。

某月某日

師走である。多分昔から、えらい先生でも、走りまわざるをえないような時期だったので、このよ

うな言葉が生まれたのだろう。師ではない僕も、何やら身辺がさごそと忙しく、また日記を書く暇

がなかった。ウエッブのトッピックスの欄にも宣伝を書いたが、扶桑社刊、EN-TAXI、次期26日

発売から、何回かに分けて、連載を持つ事となった。タイトルは、「六本線の五線紙ーあるジャズ

ピアニストの心的探訪」。興味のある方は是比この雑誌をチェックしてみてください。

師走と言えど、僕の生活態度はいまだ変わらず、明け方まで起きていたり、夜11時に床に入った

り、まったくもって、自らの整体リズムを破壊しているような日々を過ごしているが、これもいた

しかたない。ピアノを教えたあとは疲れるし、自らの練習の時間、または文章を書く時間は深夜

二時から四時が一番適しているので、人生自体のリズムがこのような仕儀とならざるをえない。な

ぜかと言えば、この時間帯は、電話もかかってこず、何やら世の中も、東京の真ん中にすんでいる

にも関わらず妙に静かで、集中できるからに他ならない。そういう日が続くと、ある日寝る時間が

一回転して、午後11頃床にはいる日もあるのだが、毎日そうだというわけではないので、不規則

には変わりあるまい。中学生の頃、健康という事について習った憶えがある。曰く、社会的、肉体

的、精神的に健康でないと健康でないという、何やらパラドキシカルなことを体育の先生が言って

いた憶えがある。しかし、この三つの要素を充分に享受している人というのは、いったいどんな人

物であろうか。この不況時、明るく元気にいつも公平な判断を下す精神と、規則正しい、早寝早起

きを毎日くり返し、本当の意味で正しく税金を払い、社会から、人間関係からのストレスはまった

く感じなく、何らかの意味で社会の中に於いて人の為に鋭意毎日働いている。しかしなあ、こんな

人本当に居るんだろうか。もし居たとしたら、多分そいつはヒットラーユーゲントの一員みたいな

奴だと僕は思う。人間はそう単純にはできていないのではないだろうか。全体主義、ファシズムで

ない限り、こういう人材は多数ではない。というか、多数でない事を望む。こういう人が多数だ

と、世の中変になるに決まっている。まあ、僕の例は、あまりにも極端だけれども。

ここで宣伝です。12月20日、横浜DOLPY http://www.dolphy-jazzspot.com/index.html

に、あの与世山澄子様(VO)が降臨します。天使の羽根を、背中の一部にそっと隠して。幸運に

も、僕がピアノで伴奏担当。他の共演者は、鈴木正人(B)津上研太(sax)という布陣。天使の

声を聞きたくば、是非聴きにきてください。健康、不健康を通り越した何かが、彼女の歌声から聴

き取れる筈です。うっ、突然眠くなってきた。僥倖だ。また何とか近いうちに日記を更新するつも

り。

某月某日
本日、携帯電話を買い替えた。今までのもので何ら支障はなかったのだが、充電の差し込みの部分

がぐらぐらしており、更に、長年使ったゆえ見た目もみすぼらしくなってきたので、心機一転とい

うことである。と簡単に書いたが、新種に買い替える際に、僕の持っている携帯電話の機種のサー

ヴィスセンター(これで名称はあっているのか。あれらの店は、要するに電話屋か。)に行き、機

器を買い替えるということは、相当大変なことだということがわかった。まず、サーヴィスセン

ターの女子職員が、新しいらしい携帯電話の機能などを説明してくれるのだが、全然理解できな

い。前回の機種を買ってから二年、何やら便利なんだか余計なんだか良くわからない機能が、新種

の機種にはこれでもかと備え付けてある。ワンセグが付いておりますと言われ、ワンセグって何で

すかと問うと、テレビが映った。ワンセグというのはどういう意味かと問うと、先方答えに窮す。

ワンセグ、はい、テレビのことね、ほかにこの機種にはどういう新しい機能があるんでしょうとま

た問うと、何やら棒読みのように色々と説明を始めるが、先方の言っていることの20%ぐらいし

か分からなかった。とにかくメールと電話のかけ方のみを正確に問いただし、あとは説明書を家で

読めばいいやと思ってサーヴィスセンターを後にした。道すがら、ワンセグとはどういう意味かと

いうことが気になりつつ家路を辿っていたら、ああ、SEGMENTのことかと腑に落ちた。この断片

や部分というこの単語には、テレビ放送の番組という意味もあるらしい。話しはそれるが、つい最

近まで僕は、アラフォーという言葉を理解できないでいた。何やら新種の深海魚の名前のように思

えて、それがいたって珍味であることが分かり、皆でそれをきそって食べているのかと思っていた

くらいだ。最近何かのきっかけで「Around Forty」の略だと知った。黒人のラップミュージック

も、著しく英語というものを、小気味よく破壊しているのだが、この日本的な言葉の凝縮のしかた

は、また別種の破壊力を持って、英語を杜撰な日本語にしている。まあ、元々、日本語も、外来語

の寄り固まりといえばそれまでだが。しかし、何か昔とは違った語彙の扱い方であると思う。要す

るに雑だ。どうあれ、アラフォーの女がケイタイワンセグ見てた、なんて言葉も生まれてくるのだ

ろう。言葉はその時代時代に合った様相を呈するもので、別に僕が文句を言う筋合いではないけれ

ども、少なくとも、外国語を日本語に導入する部分で、なんだか粋でない気がするのは僕だけだろ

うか。アラフィーは携帯操作が分かりませんなどと使われるようになるのであろうか。


話しを新しい携帯電話に戻す。帰宅後、箱を開けてみれば、思ったように説明書の束だ。「着デ

コ」「おサイフケータイ」などの文字が、僕の目の前を通り過ぎたが、読む気など全然起らない。

金田一春彦でなくとも、このような日本語に、理由無き拒否感と、或る一種の哀しみが伴うのは、

僕の年齢のせいだけではないと信じたい。基本的な取扱説明書も、以前と比べ、イラストなどを配

し、工夫のあることは認めるが、やはり、最終的に何を説明しているのか良くわからない。説明書

を読まずとも、テレビが映り、辞書も付いていることはわかる。いわゆる満艦飾である。イージス

艦の戦艦大和みたいだ。しかし大和は沈んだ。携帯電話は沈まぬとも、利用者の方が、心理的に、

ゴムボートに乗って漂流している感があるのではないか。

僕の新しい携帯電話は、海外仕様OK、説明書を見ずとも、送信、着信は何とかできる。メールも

同様。ただ、急に、会話の内容が外付けのスピーカーから鳴り出すことあり。相手の声が聞こえて

も、こちらの声が聞き手に聞こえないこと多々あり。一つの提案。少なくとも、ある程度まで、大

人の使える携帯電話を開発してくれぬか。老人の持つシンプルだけが売り物の携帯電話だけでな

く、世界の文豪の恋愛小説にでてくる、いわゆる殺し文句がボタン一つで表出するような携帯電話

を作れば、老若男女売れること間違いなしだと思うのだが。そのフレーズが、どの小説の孫引きか

を言い当てる女人は、相当の優れ者と、また逆に判断できるではないか。サマーセット・モームの

箴言などを、簡単に取り出せるボタンを一つ装着すれば、日本における携帯電話の存在価値自体が

変わるのではないか。なんてね、これも全て、真夏の世の夢か。

某月某日
PIT INN、3DAYSが終わっても、何かと忙しく、また日記をおろそかにしてしまった。書くという

仕事が増えたことは前にも触れたとおりだが、ただ書けばいいってもんじゃないとうことを思い知

らされる日々が続いた。

まあ、これが日記の延滞の理由になるかどうかは分からぬが。どうあれ、大げさに言えば、人生と

いうたこつぼの中で、色々なところに触手を伸ばし、その先が、さきイカにされたり、おでん種に

なったり、たまにはその触手で、何かしら今行っている音楽活動に有益なアイデアを掴んだりして

いるのである。一進一退、八勝六敗、これらの体勢を少なくとも維持していられれば、自分自身の

未来はあるということか。

今回の日記は、PIT INN 3DAYS後の、僕の活動に関わることを書き表すわけだが、これといって

進退窮まる事柄も起きなければ、眼球が一メートル先に飛び出すような僥倖もなかった。今晩は、

日記を書きたい気分なので、身辺雑記を書こうかなと思う。本当はエッセイというもの、モンテー

ニュの言うとおり、「試論」でなければならず、別に日々特別なことが起らなくとも、人間が何か

考えている限り、書けることはたくさんある。ただその書いたことが、特徴的かどうか否かという

ことだけが重要な視点のような気がする。だが今晩は、そのことを忘れ、日本で言うところのエッ

セイ、身辺雑記に徹してみようかと思う。

過日、吉祥寺で演奏も為、井の頭線に乗る。帰宅者あふれる午後6時過ぎの電車の中は非常に込ん

でいる。なるべく電車の中側へと移動していたら、優先席という座席の真ん前に立つ仕儀となっ

た。僕は電車に乗る際、必ず本を持参するのだが、その日は適当な本が見つからず、珍しくも、電

車内の辺りの景色を見渡していた。そこで優先席に座る条件が書いてある活字に素早く目がいっ

た。優先席に座る条件は、老人であること、妊婦であること、体が不自由な方であること、などが

主な理由として書いてあった。まあ、ニホン人が考えそうなことだなと思いつつ、ふと電車の窓を

見ると黄色いシールが貼ってある。そこには、ものすごく間抜けな字体と字の大きさで、「おもい

やりぞーん」と、この字のごとく、全て平仮名で表記してあった。井の頭線は、度々お世話になっ

ている電車だから、あまり文句は言えなと思うけれども、この標語、語感が悪い。読み方によって

は、「おもいやり損」という語感が頭に浮かぶ。しかも、英語で言う所のZONEとは、地域、区域

といった、もう少し広大な場所をさす語感が僕の中にあって、たかだか左右八名ほどの人間をある

意味保護することには向いていない言葉に思えた。老人にも色々な人がいる。かくしゃくとした


老人に優先席に於いて席をゆずろうとしたら、「ワシはまだそんなトシではない!」と拒否される

こともあるかも知れぬ。これこそ「おもいやり損」である。全ての席が、「おもいやりぞーん」に

なることを望む次第だ。

PIT INN 3DAYSが終わってあたふたしていたら、もう11月末である。歳をとると時間の流れが速

くなるというが、さもありなん、僕の中での時間は、相当ゆっくりすぎている。これは毎日やるこ

とが多いというフリーランスの定めから来るものなのか、はたまた、自分の脳がそういうふうなデ

キなのか。大きいイヴェントを終わらすのも、大変な労力を必要としたが、言い換えれば、毎日が

イヴェントのようであり、関係各位に連絡を取り、何とか世の中に存在すべく格闘しているという

のが、正しい見解に思えてならぬ。時間は無限だが、僕の持っている時間は無限ではない。かと

いって、せこせこしても、物事は上手く前に進まぬ。どうしたらいいんだろうなあ。さて、久しぶ

りの日記を書き終えた。練習でもしよう。 

某月某日
やわな身辺雑記を書いている暇もなくなった。書くことの悪い面ばかりを喧伝していてもはじまら

ぬ。音楽活動も忙しいのです。来る11月1日(土)2日(日)3(月)、新宿ピットインにて

3DAYSを行うことになりました。僥倖です。くわしくプログラムの内容を述べますと、1日、

REUNION、菊地成孔(SAX),水谷浩章(B)、芳垣安洋(DS)という布陣。2日(日)TRIO、吉

野弘志(B)、芳垣安洋(DS)という豪華さ。3日(月、休日)GO THERE! 竹野昌邦(SAX)、

水谷浩章(B)、芳垣安洋(DS)という信じられなさで、三日間、新宿ピットインにて演奏しま

す。タイトルは「Pianoholic Nights 2008」。何事かにAddictiveなのはなにも、酒やタバコと活

字だけではないと、僕の本業をまさしく定めるため、このタイトルを付けたんであります。なんて

大仰なものではなくて、やはり僕はピアノを弾くことが好きなのです。そう、このタイトルで、も

う既に何回か、3DAYSをやってきました。最初は、Pianoholic Nightsのあとに、VOL,1、VOL2

とナンバリングしていましたが、さすがこのミナミヒロシ、今現在何回3DAYSをやったか忘れて

しまったので、2008とした次第です。こういう風に書くと、あんたはそんなに3DAYSをやってる

のか、と言われそうですが、たいした回数はやっていません。ただ、たいした回数さえ忘れてしま

うというところが、さすがこのミナミヒロシなのです。自分のイメージの中に残っているもの意外

は、記憶になくなってしまう,こういう発言をすると、過去の3DAYSの演奏が、あまりよくなかっ

たような印象を持たれる方もありましょうが、そこが違うのです。演奏のことはよく覚えている。

特に音楽的に素晴らしい瞬間のことは忘れません。ただ、その瞬間を味わったのが、VOL何回目か

思い出せないのです。まあ、これでも二つのバンドのリーダーなのですから、サイドマンの苦労を

思うと申し訳なくてしょうがないのですが。ということで、とにかく僕はメモ魔で、手帳に全部、

仕事の必要事項は書き込むようにしています。話しがそれました。3DAYSの宣伝の文章を書かな

くては。


1日(土)を「REUNION」と名付けたのは、理由があって、アメリカ帰国後、最初に選んだ

HIROSHI MINAMI QUARTETのメンバーは、実はこのメンバーだったのだ。だが、どういういき

さつか忘れたが、フロントが竹野氏に変わった。これは、誤解を招かぬように書いておくが、


僕が菊地氏とケンカしたとかそういうことではなくて、何かの加減でそうなったということです。


あの当時から菊地氏は超多忙だったということも理由かもしれない。仲が悪くなったのではないこ

とは、帰国後の菊地氏との演奏活動など考えくれればお分かりだと思う。特に、EWEから出した


TRIOプラスSTRINGSの二枚のアルバム、「Touches&Velvets」「Elegy」は、菊地氏のプロ

デュースによるもので、菊地氏のプロデューサー能力を遺憾なく発揮した音楽です。また話しがそ

れました。つまりREUNIONとはそういう経緯で付けた名で、勿論メンバー全てが、僕の帰国当

時、1994年頃から比べれば、活動範囲、音楽性、その他諸々比べようもないくらい有名になって

いますが、今ここで、この四人が集まることは、ある意味大きな祝祭性があると思い、3DAYSの

最初の日に、このメンバーで演奏することにした。


さて2日目のトリオ、普段から憧れていたベーシスト、吉野弘志氏と演奏することとした。前回の

日記に書いたとおり、先日松風鉱一氏のライブレコーディングで一緒に演奏したばかりだ。サロン

コンサート形式だったので、録音は全て生音で行われた。僕のすぐ右後に、吉野氏が演奏している

という状況だった。モニターなどを通さずに聴くそのベースサウンドは、非常に手堅く、柔軟で、

しかもソフトにピアノのサウンドを包むような度量が感じられた。このベースサウンドと芳垣氏の


ドラミングで、EWEから発売中の「Like Someone In Love」のレギュラーメンバーとはまた違

う、ステキなトリオサウンドが出来上がること請け合いである。


そして、3日目のGO THERE!、もう既に、このメンバーになって10年近く演奏している。ジャズ

の弱点であるバンドサウンドというものに固執したくて、上記のメンバーを集めた。メンバーが集

まらない時は演奏の機会があってもやらなかった。その繰り返しがもう10年近く経ってしまっ

た。お互いが、音楽的にも、人間的にも、カッテ知ったる仲となって久しいが、まだまだ演奏の内

容は煮詰まらない。思うに、竹野氏、水谷氏、芳垣氏が、ほかのバンドで演奏して得たエッセンス

を、充分僕のバンドに注ぎ込んでくれているからだろうと、感謝の念は絶えない。ある意味、3日

目も、普段はお客さんにお目にかけられないようなメンバーと内容とで、何か演奏しようかと目論

んだが、もう既に、僕にとっては、1日、2日がそういう内容なので、あえてど真ん中の人選とし

た。GO THERE!というバンドそのものが、既に僕の肉体の血肉に近い部分まで浸透していて、3

日目は、その血肉に近いメンバーと演奏することが、よきフィナーレとなるとも思った。


よく考えれば、出世したものだ。アメリカに行く前、新宿ピットインの朝の部で、ああでもないこ

うでもないと演奏していた時期が懐かしい。あの頃から幾歳月、素晴らしい仲間を得て嬉しいかぎ

りだ。いずれにせよ、また3DAYSのことに関しては、続報を書くつもり。皆様是比聴きにきてく

ださい。


某月某日

最近、書く仕事が増え、昼夜逆転気味だということは、前の文章にも書いたとおりだが、これを正

常なサイクルに戻そうと思っても、夜中になると筆が進むので、戻せないでいる。いわんや、昼夜

逆転の先の境地もあるということに最近気付き、愕然とするとともに、自分自身が不気味な存在に

思えてきた。昼夜逆転のその先は、深夜明け方昼間逆転という、もはや、この地球に住んでいる実

存は、重力のみにしか感じない、という恐ろしいもので、つまり、地球の自転とは、とうにオサラ

バしてしまっているということだ。ここまでの状態になると、しっしんもびっくりしたのだろう

か、はたまたしっしんを感じる神経まで麻痺したのか、痒くても痒くない、という、なんだか良く

わからない体感さえあって、この体に対する借金のぶり返しがどう来るのか、気味が悪くてしょう

がない。いずれにせよ、この状態を、朝日が上がる時間に起床するという、いわゆる人類が何万年

も実行してきた、地球との良いお友達関係に戻すには、まず今の状態から、昼夜逆転まで生活態度

を戻し、後、正常に朝起きるという二段構えのプロセスを経なければならなくなった。困ったもの

だ。または、いまひらめいたのだが、このまま、深夜明け方昼間逆転を突っ走り、突き抜けてしま

えば、ガラガラポンの一回りで、カタギの方々と歩調を合わせる状態になりはしないかと、あらぬ

期待が無いではないが。いずれにせよ、こうまで正常な時間感覚とずれてしまうと、多分正常に齢

をとることもかなわず、時間という概念も飛び越して、一種、不健康な不老長寿のような状態にな

るのではないかと、ぼんやり妄想したりする。まあ、妄想癖が無くては、文章など書ける筈もな

く、話し自体がここでまた自己矛盾を来すのだが。ですが、仕事関係の皆様、前回に書いたような

遅刻は、いままでほとんどしたことがないのです。演奏の仕事などには遅れぬよう、様々な手配は

してありますので、誤解のなきよう。

某月某日
最近、夜中に文章を書く仕事をしていることが多く、ことにこのごろは昼夜逆転気味だ。そんな

日々の中、既に昨日の出来事となってしまったが、松風鉱一氏(SAX ,Flute)吉野弘志氏

(BASE)と、津田沼にある個人所有のステキな小コンサートスペースにて演奏した。演奏そのも

のは、ピアノの状態が非常に良く、とても満足のできる出来だったが、この仕事の出だしがまずい

けなかった。JR津田沼駅午後12時集合という約束を両氏と交わしていたのだが、なんと僕が津田

沼駅に到着したのは、午後2時半すぎ。冒頭に書いた通り、ある意味昼夜逆転の生活をしているの

で、集合時間が決まった後、これは、ベッドの横にあるおんぼろ目覚まし時計では絶対遅刻すると

悟った僕は、数人の女友達、はたまた僕の妹まで利用して、各々、朝の9時、9時15分、9時半と微

妙に時間を分けてモーニンングコールを頼んだのであった。これならさすがの僕でも起きるわいと

タカをくくっていたら、仕事の前夜、強烈なる不眠に陥り、少しウトウトしたのが朝の7時。後、

計画どおり、数人の天使達からのラブコールならぬモーニングコールで目が覚めた。さあ、シャ

ワーでも浴びて、と思った瞬間の後の記憶がまったく無し。これがなぜだか分からない。とにか

く、ふと気がつくと、ベッドに上半身を乗せ、下半身はかしこまっているという状態の自分自身が

目を覚ましたのは、なんと午後1時半であった。さすがの僕も戦慄に近いショックを受けた。こう

見えても僕は、滅多に時間には遅れないタチなのだが。ああ、やってしまったという後悔の念とと

もに、とにかく家を飛び出す準備をしつつ、松風氏に携帯で電話をかける。当然のことながら、松

風氏の着信は6回を超え、僕の携帯にその痕跡がある。「松風さん、すいません、寝坊しました」

「まだ家なんだろ」「そのとおりです」「じゃあねえ、津田沼についたら、また電話して」

なぜ僕が、半眠状態でアラーの神に祈るポーズをとっていたか、自分でも分かりかねる。とにか

く、3分で外出の準備をし、電車に飛び乗った。新宿駅で総武線に乗り換え、電車の運転手が、津

田沼駅まで暴走運転してくれることを妄想していたら、再度また、不覚にも車内で眠りこけ、気が

ついたら船橋駅をすぎた辺りであった。危ないところだった。もう少し居眠りが長く、津田沼駅を

とおりこしていたら、タクシーハイジャックを敢行していたことは間違いない。

津田沼駅をでて、松風氏に再度携帯で電話をしたら、タクシーで、○○小学校バス停まで来いと言

われたので、急いでタクシーを拾い、バス停まで行ってみたら、今回のコンサートを企画した方が

僕を待っていてくれた。オソレオオイ。そうだ、今日は、演奏を録音するのだということを思い出

しつつ、やっと演奏会場に到着。なにしろ松風氏、吉野氏とも年上で、先輩に当たり、今回僕のや

らかした遅刻という概念を大きく通り越したこの体たらくは、許されるものではないと思い、最大

限のお詫びを両氏にしようとしたのだが、お二人とも、僕に向かって、笑顔をもってして、「や

あ、今日はよろしく」などと言ってくださる。怒られるものだとハナから覚悟していた僕は、両氏

の度量の広さと、本物の大人がもつ優しさにすくわれたということだ。録音の前に、スッタモンダ

してもしょうがないと思われたのかもしれないが、とにかく、僕がその場ですました顔をしていら

れる雰囲気を、ご両人は無意識に演出されていたのだろう。何が一番大切かを見極める大人の目が

なければ、こうはモノゴトは運ばぬもの。両氏に頭が下がるのみ。

いずれにせよ、僕がその一軒家で行われるホームパーティー形式の録音をかねた演奏場所に到着し

たのは、午後3時であり、演奏開始は午後3時半からであった。我ながら、悪運強いものよのうな

どと、独り言つを内心で唱えている暇もなく、演奏曲の打ち合わせとなる。演奏まで時間は30分

もない。見たことも演奏したこともない曲がずらりと並んでいる。松風氏のはしょった説明でだい

たいの道筋を見極るよう努めた。僕が定刻にこの場に参上していれば、もっときっちりとしたリ

ハーサルができた筈である。両氏に再度、申し訳ないという思いがつのるばかり。しかし、それだ

けでは良い演奏はできないから、この場合、ぶっつけ本番で演奏したが為に良い結果がでるよう

な、そんなプレーを披露しなくては、僕の存在意義が無くなる、と思いつつ、ちらちらと譜面に目

を通していたら、すぐ演奏時間となってしまった。起きてからなにも食べてないゆえ、頭の動きが

少しニブい感じがしていたが、ホームパーティー形式の小コンサートならではの、演奏後食べるの

であろう旨そうなものが散見される。しかし、僕には、この大遅刻の後、二人の大先輩を差し置い

て、つまみ食いをする度胸は無し。気がついたらピアノの前に座っていた。

広いスペースではないので、ピアノ、サックス、ベース共々生音で、林立するマイク類は、録音用

のものだけである。畢竟、ダイナミクスに神経を配らねばならぬ。ともかくも、一曲目の第一音を

鍵盤で押さえた瞬間、これはいけると思った。なぜなら、そのピアノが、あまりにもコンディショ

ンが良かったからだ。調律、タッチ、アクション、そして最も大切なこと、それは、そのピアノが

鳴る楽器であったということだ。大遅刻のポカを巻き返すには、別段遅刻しなくても同じ事ではあ

るが、演奏にて、そのマイナスをなんとか巻き返すしかない。松風氏のシブいフレーズの間に間

に、スコーンと刺激的なコードを挟み、奥深く、手堅いプレーをする吉野氏のベースの音色にマッ

チした、繊細で、刺激的なコードを、吉野氏のソロ中で、またスコーンと弾く快感を味わいつつ、

見も知らぬ新しい曲をどんどんこなして行く。一曲終わるごとに、松風氏の奥さんが曲の注釈や、

ジャズという音楽の成り立ちについて、集まったお客さん方に、易しい説明を加えるという趣向も

あった。特に、セカンドセットの始まりには、自著、「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)の宣伝まで

して頂き、頭の下がる思い。演奏曲は、全て松風氏のオリジナルであり、曲ごとに、こちらの演奏

のアプローチを変え、時にはパーカッシヴに、時にはメロディアスに、時には充分サックス、ベー

ス共々ソロの間に弾く音数を増やしたり減らしたりして、しかもこれらのことを、無意識的に工夫

を凝らすことに、この3人で演奏する妙味ありと、勝手に決めてピアノを弾いた。

アンコールが終わり、僕の遅刻という事態が、人々の頭から消え去ったと自分自身で思い込み、供

された美味しい食べ物に食らいついて酒を呑んだ。松風氏も吉野氏も、とても嬉しそうだったか

ら、演奏はうまく行ったのだと、自分自身でそう思い込みつつ、くつろいでいたら、持参したCD

や本が思いのほか売れて、嬉しいかぎり。久しぶりに、色々な種類の総菜というものを一度に食べ

てしまい、僕にとっては奇跡的なことながら、眠くなったので、午後9時半頃、その場をおいとま

した。今回の録音は、上手くすれば、Studio Weeというレーベルから発売予定だそうである。ま

ずは、今回の演奏のミックスを聴くことから始めなくてはならないだろう。

大遅刻の後の帰途は、ある意味気軽なものであり、その意識がてつだってか、津田沼駅から乗車し

た総武線の中で、また居眠りをコイてしまった。ふと目が覚めたら荻窪駅だった。僕の帰る駅は恵

比寿駅であり、新宿を通り越してしまったということである。この禁治産者以前の行いを、自らが

どう判断すれば良いのだろうか。這々の体で家に帰ったのが午前12時近く。津田沼駅をでた時刻

は確か午後9時半過ぎである。イッタイ何をやってるんだか。いずれにせよ、今回の録音状況が、

良くなかった場合、僕の、人間としての存在価値はほとんどゼロになってしまう。早く今回の録音

の結果が聴きたいし、知りたいと思うのは、つまりは、こういった理由からであるが、近い将来、

発売という段階までいけば、またこのウエッブにて宣伝しますので、これらの我が禁治産者ぶりを

思い浮かべながら聴いて頂ければと思います。だってその方が、聴いてて面白いでしょ。

ということで、今はまたお得意の時間。つまり午前5時。できれば、読者の皆様も、明け方にこの

一文を探し当てたという気分で読んでみてください。きっと次回のCD発売が、待ちきれないもの

になりますよ。

某月某日
前の日記で、試しにしっしんの窮状を訴えかけたところ、何人かの方々から、とても優しく丁寧な

お返事がありまして、良い皮膚科について貴重な情報を寄せて頂きました。皆様、本当に感謝して

います。その情報を元に、医者を変えてみたら、一時よりは快方に向かっております。皆様、どう

もありがとうございました。

体調も何とか持ち直してきたと思ったら、演奏するという僕の人生の主題に、文章を書くというこ

とが新しく別の意味での主題となってきて、ここでしっしんなどにかまけているわけにはいかず、

まあ、先に進むしかないということです。その一例が、演奏のブッキングに関して、もう既に、来

年の三月のスケジュールを聞かれるような、もう鬼の笑う暇もないような状況になっていて、と

言っても一本きりですが、何となくせわしないことには変わりない。手帳には今年末のカレンダー

のページしかなかったので、文房具屋で、2009年のカレンダーのページを購入。パラパラと、

買ってきたばかりのカレンダーのページをめくると、勿論のこと、なにも書き込まれてはいない。

これらのページが、来年はどういうスケジュール、もしくは仕事で埋まるのか、言い方を変えれ

ば、埋めていかなければならないのかと、しばしある種の感慨にふけってしまいました。多分ま

た、波風の多い、多難な日々となるのでしょう。カレンダーに設けられている日々の升目は、真っ

黒になるのか、はたまた空欄の多いものとなるのか。まあ今までよくぞここまで一人でやってきた

と、たまには自分を認めておかないと、先が思いやられるのみだ。今までもそうですが、慎重に、

そして無軌道にハチャメチャに、やり続けて行くしかないのでしょう。そうしかやり方を知らない

し、特に僕のような身分のものは、一寸先は闇ならぬ、一ミクロン先は漆黒という状況で、間々々

自分自身の舵取りをしていかなければならないのだから。こういう状況で長年善し悪しは別にして

生きてきたので、気鬱になることもありますが、気鬱になっても状況は変わらないので、何とか発

想の転換をしつつ、シノイで行くしかありません。まったくなんてえ人生だ。

ちなみに、3月の仕事というのは、津上研太(SAX)ひきいるBOZO の新譜発売記念ライブをピッ

トインで行います。また詳しい情報は、追ってこのウエッブにてお知らせしますのでどうかよろし

くお願いします。


某月某日
ひと月前ぐらいから、体中にしっしんが出て、往生している。減感作療法など、いくつかの治療法

があるようだが、ネットで調べても、あまりにも情報がお多く、どこの医者に行けばいいか分から

ない状態である。そこで読者の皆様にお願いがるのですが、どなたか良い皮膚科を知っていたら紹

介してもらえませんか。実は近所の皮膚科には既に通っているのですが、投薬、塗り薬等、あまり

効力を発揮しません。どなたかよい病院、医者などご存知でしたら教えてください。尚、仕事が忙

しいため、通院しやすい恵比寿、渋谷近辺がいいのですか。どなたか心当たりはありませんか。

某月某日
一天にわかにかき曇り、雷鳴とともに土砂降りという天気が最近続いて、なにやら台風の来なく

なった我が国土に、異変ありきと思う時、どれもこれもつまるところ、人間の所行に他ならないと

いう思いがかすめる。もし未来というものが存在するならば、今のこの時代を、100年後の人はど

ういうふうに歴史に刻むのか。戦争もないのに、自殺者は年間三万人を超えるという。衣食中足り

ても、我々人間はどうも御せない生き物の様で、思想も宗教も、我が国では上っ面のもののよう

だ。島国であるが故に他国が困難に直面している移民問題や国境紛争など、何とか我が国は避ける

ことができる問題であるようだが、これも時間の問題で、いずれ同種の問題は起ってくるのであろ

う。おかしな気候も、おかしな政治も、どうも僕には必然とは思えず、わざわざ人間自らが、最初

から分かっていながら起している災害の様に思えてならない。巷では、ポシティブシンキンング、

前向きにモノゴトを考えるなど、無責任なことを言う人が多いようだが、全ての国民が前向きにモ

ノゴトを考える国家は異常だ。不気味でさえある。まあ僕がいる限り全ての日本人がそうなるとは

限らないことは保証するが。気候の合間に挟まると、妙なことを考えてしまってどうもいけない。


某月某日

ラジオの収録に行ってきた。文化放送、「浜美枝といつかあなたと」というラジオ番組だ。放送

は、9月28日の午前10:30〜11:00。なんだか、わけの分からないことをべらべらしゃべってき

たが、内容を知りたい方は、以上の時間にどうぞ聴いてください。浜さんは、さすがもとボンド

ガールであり、とてもエレガントな方であった。話しの内容は、だいたい僕の著書「黒鍵と白鍵の

間に」(小学館)の内容からのことが多かったが、浜さんの巧みな質問に翻弄されて、何やらいら

ぬことまでしゃべってしまったような気がしているが、もはや、何をしゃべったかは記憶にない。

ここのとに関わらず、僕はどうも、過去のことはすぐ忘れる傾向にあり、そういう部分が女性には

不評である。何故過去のことをすぐ忘れるのに本なんか書けるのかといわれれば、これはこれでま

た違う理屈が成り立つ。つまり、物事をイメージとしてとらえられることは、何故だか忘れない。

そのときの会話内容を含めて。イメージとは理路整然としているものではないが、その事象にまつ

わることがイメージ化しやすい場合、その事象の中での会話も覚えていられる。ではどういうこと

をイメージとして頭の中に保っていられるかといえば、これはもう雰囲気と言うほかない。イメー

ジしやすい事象を取り巻く雰囲気が、僕の何かしらの感性にひっかかれば、それはもう既にイメー

ジ化されているということである。特に、音楽そのもの、または音楽に関する周りの事象がイメー

ジ化しやすく、その他のことは記憶に残らない。まあ、こういう極端な僕の欠点を考慮しつつラジ

オ出演をしたので、放送禁止用語とか、誰それを中傷したりする発言はしていないつもりだが、ま

あ、楽しい番組になっていようことは推察できる。お時間のあるい方は、ラジオを聴いてみてくだ

さい。

某月某日
また長らく、日記の更新を怠ってしまった。諸事雑用、ピアニストも、クリーニング屋に己のスー

ツを自らの手で持って行き、ゲリラ豪雨を縫って、洗濯をしなければならぬということである。あ

まり私生活のことをあからさまにすると、少数の人が幻滅するやも知れぬが、事実なのでしょうが

ない。今晩テレビを見ていたら、福田首相辞任の報。この日記はあまり政治問題に触れるつもりな

く書いているが、つまりグウタラでノンポリの僕の日記だからというスタンスで書いているという

ことだが、やはりどうも解せぬ。福田首相(前首相と書くべきか)は、首相を辞めるというが、政

治家という家業自体はヤメナイんだろう。首相を辞めるということ即ち、政治家を辞めるというこ

となのか。いずれにせよ死ぬまで喰っていける人である。ヨイヨイになっても家族に負担かけるこ

となく、メシが喰える御仁であろう。僕がピアニスト廃業宣言をしても、ああそうですかと言われ

るだけだろうが。体の続く限りピアノを弾くしか生き延びる手段なし。福田首相もキツい仕事を

担っていたんだろうが、ヤメることができて、しかもメシが喰えるというのは、何とも恵まれた御

仁である。父親の資産もあるだろうし、別にヤメてもメシが喰えるんだからヤメられるんだろう。

色々と複雑な問題があるのだろうが、途中で首相の座を投げた奴は全財産没収という法を制定して

はどうか。まあ、そうなったって、福田首相には痛くも痒くもない話なんだろうが。どうあれ、飯

を喰える奴は強いなと思った。バンドマンは気楽な部分もあるが、メシ喰うのに精一杯である。

ヤーメタと言った時点で、少しかすっていた世の中との接点もなくなる。しかも、福田首相の


収入は税金である。僕の収入はライブのお客さんの数である。元々比べることがナンセンスだが、

今度からは、喰えないでオッツコッツの政治家を皆で選んだらどうか。そう簡単に仕事を手放すよ

うなことはしないと思うが。組閣するという行為にイッタイいくらかかってんだろう。福田首相

は、別に個人的怨恨はないけれど、ヤメたことで無収入になるのでしょうか。良くわかんないな。

日本の政治は。まあ、一介のバンドマンがノタレ死のうが生き残ろうが、日本政府には知ったこっ

ちゃ無いことなんだろうけど。人生に余裕があるということは、役得ですな。まあ、言ってみれ

ば、当分、僕はピアニストヤメませんから。ご安心を。

某月某日
毎日あまりにも暑いので、日記を更新することすら眼中に無いような生活を送っていた。とにかく

日々の雑用及び仕事をすることが精一杯であり、他にもとあることで文章を書き続けなければなら

ぬ仕儀となり、日記の文章がおろそかとなってしまった。ここまで暑いと、宗教音痴の僕でさえ、

既にこの世自体が地獄なのではないかと思ったりしてしまう。火の海地獄は実際、今この生きてい

る世界に存在しているではないか。しかも世間は喧しい。オリンピックの開会式をちらと見たが、

彼の国は、北朝鮮と同じく、マスゲームが好きですな。大げさなものは粋じゃない。家ではほとん

どテレビは見ないが、蕎麦屋、定食屋の類いに昼時行くと、必ずテレビで高校野球を放映してい

る。こんなことを書いては、大勢の人に嫌われるのを百も承知で書くが、もう騒ぎ過ぎだよ。タダ

でさえ暑いんだから。何でこんな暑い中、汗だくの高校生を見なければいけないのか、理解に苦し

む。余計暑苦しいじゃないか。何故この時期に野球なんかやるのですか。秋にやったらいいではな

いですか。甲子園ではなく市民球場かなんかで。おまけに変なメロディーの校歌もイヤでも耳にす

るし。日本人は総じてサディストなんだろうな。あんな暑いところで高校生に野球やらして喜んで

んだから。高校生の健康状態にいい筈ない。まあ、全てのテレビ局がこれらの放映を中止する必要

もないと思うけど、どこか一局でもいいから、エリス・レジーナや、アントニオ・カルロス・ジョ

ビンの映像を、何の解説もなく流しておくチャンネルがあってもいいのになあと思うのですが。ビ

ジュアル的にも涼しいし、浮き世の憂さを忘れるのに、うってつけではないか。まあ、こんなこと

書けば、朝日新聞に睨まれるんでしょうな。いずれにせよ、ボサ・ノヴァの番組にはスポンサーが

つかないんだろうな。ここまでくれば、オリンピックならぬ、ドリンピックというものも、裏で企

画したらどうでしょう。ドーピングしまっくってもOK。気の早い選手は、HONDAと提携して、

下半身をロボットにし、つまりミュータントですな、100m5秒とかで走りきるように体を改造す

る。薬物や人体のロボット化によって、人間がどこまで何ができるかを裏ドリンピックで試してみ

るのも一考でしょう。その方がスポンサーつくんじゃないのか。いずれにせよ、この時期に、ヤバ

い事件を起す奴がいても、新聞その他のメディアは、オリンピック一色だから、第一面には乗らな

い。危険な兆候ですな。タダでさえ暑いのだから、夏はじっとしている方がいいのだと想います。

某月某日
昨晩、渋谷のJZBLADにSteve Kuhn Trioを聴きにいった。ベースがエディー・ゴメス、ドラムは

ビリー・ドラモンド。とってもとってもとってもとってもステキな演奏だった。世の汚濁にまみれ

た我が精神と身体が、浄化するようなサウンドを、キューン氏のピアノの音は果てしなく紡ぎだす

のであった。派手さはない。しかし、キューン氏にはもう、そんなものは必要ないようだ。そんな

ものはとっくに過去にたくさんやってきた。私の今の境地はこれだ、と提示されるピアノの美音の

数々には、もう既に、枯淡の境地に入った、ある一人のジャズピアニストの道程が示されているよ

うであった。もうそこには、大人の演奏などという陳腐な表現を大きく乗り越えた一人の求道者

が、ピアノの前に座っていた。僕がアメリカにいた頃、キューン氏に師事した。貴重な体験であっ

た。ロシアンテクニックというピアノ奏法を学んだ。手の小さい僕にはきつい練習方法だったが、

70歳に近いキューン氏が、まだ第一線でピアノを弾いているということは、あながち、ロシアン

テクニックを学んだことは間違いではなかったと再確認した。ピアノはKAWAIであったが、ちゃ

んとスティーブ・キューンのピアノサウンドが楽器から鳴り響いていた。弘法筆を選ばずか。あの

境地までいけば、生半なことで調子を崩すということもないということであろう。只々脱帽。この

クソ暑い極東の小国にやってきて、なんの遜色もない演奏すること自体、御大の年齢を考えれば、

体力気力ともにきついに決まっている。だが、そんなことを微塵も感じさせない音楽を、キューン

氏は我々に提示した。真のプロフェッショナルとはああいう芸当をすんなりやらかすということで

あろう。さらに脱帽。キューン氏のピアノサウンドは、僕の日常についてまわる悩み、腹の立つ世

の中の仕組みなどを、全部洗い流すかのようなパワーを持っていた。キューン氏の演奏を聴いてい

る間、それらのことが全て、僕の脳内で、忘却の彼方に引っ込んだ。今晩だけ、僕は自分がピアニ

ストだということを忘れ、ただの一ファンとしてキューン氏の音楽を楽しんだ。CDを買ってサイ

ンしてもらった。キューン氏は、ちゃんと僕のことを覚えていてくれて、仕事の調子はどうだ、演

奏は定期的にやっているのかと、僕のような者の活動状況まで心配してくれた。優しい方である。

買ったCDを差し出し、サインをねだると、「Hiroshi-All the new best ! You are very special

Steve kuhn」と書き込んでくれた。嬉しかった。たまにはこんな一日が有ってもいいだろう。

小雨降る東京の街を、空を見上げながら歩いて家まで帰った。ステキな夜だった。

某月某日
東雲、散歩することがある。まるで夢遊病者のようだが、この時間が、いたって心地よい。空気は

まだ湿気をはらむものの、午前四時から五時にかけて、この都心でも鳥の声を聞くことができる。

空の模様は東雲そのもの。もちろん、深夜にかけて人通りの多い区域に住んでいるが、さすがにこ

の時刻には、人っ子一人いない。この時刻が、いちばんすごしやすい。世の中は静かで、誰も居

ず、夜明け前の明かりのせいか、コンヴィニエンスのライトの明かりも、少し暗くなったようにも

見える。今週は、ジャズヴォーカリスト、与世山澄子さんと二回共演した。何たる幸福。彼女のメ

ロディーのフェイクのしかた、そのフェイクの中に温存された本物のフィーリング、伴奏冥利に尽

きる。否,伴奏と言っては誤解を生じる。彼女も一つのインストルメントで、僕は与世山さんとい

う、肉体自身の楽器と共演できたということだ。本物のアメリカのにおいがする彼女の歌声。パン

チのある歌の出だし、バラードに於けるはかなさ、これ以上は文章では表せない。与世山さんさえ

良ければ、また一緒に演奏したいと切に願う。こんなことを考えながら、夜明けの旧山手通り。

なぜかカラスは姿を見せず、美しい歌声を持つ鳥達が空を舞っている。しかし姿は見えない。普段

はどこに身を隠しているのだろう。与世山さんだったら知っているような気がした。こういう体験

ができるのも、不眠症の特権である。さあ、そろそろ寝ようかな。

某月某日
明日は、国立のNO TRUBKSでBOZOの演奏。 
バンドの核はドラマーであるが、その定義の恩恵をこれほどまでに 
享受しているバンドは他にはあるまい。外山明氏のブレークビート、 
または音楽全般に関わるすべてを最高のサウンドにしてしまう化学変化 
の、その力の弱まった事は一度としてない。オルタネーイェィブとか、 
主流派とか、中央線ジャズとか、そんなことはどうでもいい事で、 
水谷浩章(B),津上件太(sax),外山明(DS)の音の行く末は、 
明日になってみないと分からない。 
7月 
11(金) 国立 NO TRUNKS BOZO 
津上研太(AS) 南 博(P)水谷浩章(B)外山明(DS) 
http://notrunks.jp/ 
音楽の夜明けは夜やってくる。

某月某日
前回の日曜日、仙台へ演奏に行く。共演者はベースの鈴木正人氏、つまりDUOでの仕事。送られ

てきた新幹線のチケットをたよりに、東京駅ホームへ。やたらと人が多い。何かイヴェントがある

のか。出発時間15分前に着いたのでスモークしようと思い、喫煙コーナーを探すも、見当たら

ず。売店のおばさんに聞いたら、ちょうどそのとき僕が立っていたホームの位置からいちばん遠い


ところにあることが分かった。色々な種類の、おばさん、おじさん、よたよた歩きの子供などを避

けながら、ホームの反対側に行き、やっと喫煙コーナーを見つける。そこは、プラスチック張りの

小さなスペースで、スモーカーでもういっぱいであった。僕も何とか中に入ろうと、喫煙室の扉を

開けると、モアッとした煙とヤニの匂い。愛煙家の僕さえ咳き込みそうなその中に突進し、一本煙

草を吸う。何となく、ナチのガス室を思わせる空間であった。違いは、その空間が外側からよく見

えること。何とはなしに、僕の頭に、HUMAN ZOOという言葉が浮かんでは消える。ここまで愛

煙家が嫌われる土壌、発想、コンセプトは一体どこの誰が考え出したものなのか。非喫煙者が珍し

そうに喫煙コーナーの中を覗き込む。なにをやってるんだろう見たいな目つき。タバコ吸ってんだ

よ!


鈴木君と指定された新幹線の席で落ち合う。乗車前になにげに買った産經新聞を読んでいたら、何

とまた、僕の本の書評が出ていた。(6月29日の朝刊)早速、編集者や実家などに知らせようと思

い、デッキに出て携帯を操作したがつながらず。仙台到着後でもええわいと考え直し、仙台着ま

で、鈴木氏とバカ話をしていたら仙台に着いてしまった。それまでの窓の外の光景は、雨と湿気で

遠望が効かず、醜い景色も、美しい景色も、緋色の暗い彼方になにも見えない。少なくとも、景色

を楽しむような旅の役得が得られぬこと100%不可能な天気。

仙台駅に到着してみると、今回の仕事を仕切っているSさんが迎えに来てくれた。体の芯から好青

年と呼ぶにふさわしいSさん。動きもテキパキとしており、何気ない会話も的を得たこをしゃべ

る。Sさんにつれられて投宿先のホテルに荷物を降ろし、歩いて30秒ほどのところにあるである,本

日の演奏場所、Berkanaに移動。サウンドチェック。雨脚が仙台に着いた辺りから強まった。集客

に影響が出ないことを望むばかり。サウンドチェック後、Sさんにつれられて食事に行く。なんだ

か無茶苦茶雰囲気のいい小体な和風レストランのようなところ。繁華街から少し離れた位置にあ

る。こういう場所は仙台に住んでいなければ分かるまい。鮎などを食す。久しぶりの鮎だ。川魚の

宝石。

後ホテルに帰り着替える。本番は夜八時半から。Berkanaに十分ほど早く行ってみると、そこはも

う、若い人でいっぱいであった。この雨の中をありがたい。曲を決め演奏開始。

お借りしたアップライトベースのサウンド良し。ピアノのサウンドも良し。お客のクイツキも良

し。ということで、全体の雰囲気も良し。今回売り出し中のCD、「Like Someone In Love」

(EWE)で演奏しているスタンダードに加え、新しいスタンダードなど交えて演奏。演奏の後半

に、自著「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)からエピローグの部分を演奏付きで朗読。自分としては、

ポエットリーディングのつもり。文中に出てくる「イパネマの娘」や、「ゴッドファーザー愛の

テーマ」に文章がさしかかったとき、軽くこれらの曲の冒頭を弾き、またフリーで怪しげな曲調に

戻るといった趣向。今回は、フリーなピアノフレーズの一音一音に、日本語の一言一言を乗せ、早

く読んだり、間を空けて読んだりということを試す。どちらも効果的であることが判明。

ありがたくも、お客さんの反応はとても良いものであり、Sさんも嬉しそうであった。2セット、

入れ替えであったが、どちらも満員。本もCDもよく売れた。僥倖である。

後、Berkanaのスタッフ、Sさん、居残りのお客さん、鈴木君などと呑む。僕はハイボール、仙台

に住む仲間のピアニスト、Wさんは、ワイン、鈴木君はウイスキーロック。その内、皆の酒がうま

そうに見えてきて、僕もハイボールから、ワイン、ウイスキーロックへと移行。アメリカ時代に、

名も知らぬバーのカウンターで呑んでいた時、初老の白人が僕の隣に腰掛けたことがある。何とな

く言葉を交わし始め、その老人は、なんと戦後日本で働いていたことが判明。色々な話をしてくれ

た。双方帰り際、その老人に酒の呑み方の流儀を教わった。「簡単なことだから、覚えときなさ

い。Just don't mix it, that's all young man.」

老人に教わった流儀を無視して騒いでいたら、場を変えようということになって、気がついたら、

見知らぬカウンターに座っていた。ジャズ喫茶でないにも関わらず、アンドリュー・ヒル・トリオ

がかかっている。粋なバーだ。皆で明け方まで騒ぐ。

翌日、ホテルのロビーに午後2時集合。チェックアウトが午後2時のホテルは、いままでのところ

知らない。もしかしたら、ミュージシャン専用のホテルなのではないかというあらぬ妄想が頭を駆

け巡る。そんな筈ありゃしない。

Sさんの提案で鈴木君とともに、昼飯を喰いに行くことになる。またSさんの後にくっついて行

く。彼の愛車、プジョーに乗って、仙台の中心街から少し離れたところへ向かう。短いながらも観

光ができた。仙台は緑多く、建物も落ち着いた雰囲気で、湿気少なく、近くに大きな山がないの

で、全ての景色が広々と見える。ステキなところだな。

Sさんのお勧めで、冷やし中華を食べることとす。古い店のようで、実際建てつけも古い中華料理

屋だった。元祖冷やし中華、略してガンヒヤが名物だそうで、早速それを注文。まだ少しほてった

体に、冷たい麺が涼気をさそう。今年初めての冷やし中華なり。

Sさんに重々礼を言い、仙台駅にて新幹線に乗る。ホームの売店で、何となく、鈴木君は週刊文

春、僕は週間現代を買う。車中、お互い黙々と雑誌を読む。宇都宮辺りで雑誌を交換。しかしなん

だなあ、政治も社会もこうどす黒くては、やりきれないなあ。あの仙台の美しい風景とは雲泥の差

だな。

東京駅にて、鈴木君と別れ、一人JR渋谷方面のホームに向かう。たった一日の遠出ではあったが、

体が新鮮になった気分。東京の人々の立ち振る舞いが、何やら重々しく感じる。これは錯覚だろう

か。

我が家着。出かける前に、ちゃんと掃除をしておいたので、気分よし。しばらく日本間で大の字に

なっていたら、午後10時半を過ぎてしまった。いけねえ、マーケットが閉まる。

その晩は、また野菜スープを作る。腹がくちくなったら、また何か呑みたくなった。昨夜のバーは

よかったな。これから行くのも無理だよな。見知らぬ人々を含めて、ワイワイ騒いだ次の日の晩と

いうものは、普段一人でいることに慣れた僕のような人間にも、そこはかとない寂びしみがわいて

くるものだ。まあ、独り酒も悪くないと外出。その後の僕の動向を知るもの無し。


某月某日
くだらない事を書いていたら、小学館より連絡あり。今週発売の週刊現代に福田和也氏が連載して

いる「平成フラッシュバック」にて、僕の本のことが、またしても紹介してあるとのこと。売店に

走る。先日、福田氏に、バブルの頃の銀座の様子を話したのだが、その話しの内容は、記事の資料

に使われるものだとばかり思っていた。今回の文章を読むと、何と、僕が表に出る形で記事が構成

されている。またまたびっくりした。興味のある方は、読んでみてください。

某月某日
急に夏日となる。窓から見える木の葉が匂いたつようだ。またこの季節が巡ってきた。舗装された

道路の上に波立つ陽炎と、呼吸するごとに体内に入ってくる熱気。また今年の夏も暑いのだろう。

冷たいもりそばがうまい季節でもある。冷や奴、枝豆、たまご豆腐、そうめん。書き出したらきり

がない。しかし、消え去った日本の風情も、気がついたら多いような気もする。風鈴、蚊帳、蚊取

り線香の匂い、ひぐらしの音、ゆかた、行水。特に風鈴など、マンション住まいであると、隣近所

から苦情が来るかもしれない。そういう世の中、そういう都市構造に我々は住んでいるということ

だ。良いのやら悪いのやら。テレビを垣間見ると、年がら年中エコだエコだと騒いでいる。まず僕

はこういう和製英語もどきの短縮した言葉がキライなので、なにか新しい、環境のためという意味

が一発で分かる日本語を誰か考え出したらどうか。エコだエコだ言われると、なんだかえこひいき

に聴こえてしょうがない。地球のためのエコひいき。自分の気に入った者にだけ肩入れする地球規

模のエコ。何だ、もう人類全員がやってんじゃないか。和製英語でいうところの依怙ロジー。本当

の意味のエコロジーを実現するのは、考える上に於いてだけ簡単だ。まず世界中の核施設、核爆弾

などを地中フカ〜くに埋めてしまう。その他の自然に有害な化学物質も、何らかの方法を用い、中

和して無毒なものとする。そのあと、人類全員が、セーので全員クタバレバいいだけだ。これほど

完璧なエコロジーもなかろう。まあ、そうなれば、人類が一人も居なくなるのだから、エコロジー

という概念もなくなるということであり、やはり意味ないか。エコサッカー、エコ野球など開発し

てはどうか。自転車こいでもある程度の電力は得られるのだから、風力発電の小型軽量機械みたい

なものを開発し、サッカー選手や野球選手の股間に装着する。世界中であれだけの数のサッカーの

試合が年中行われてるんだから、まんざらバカにできない数値が出るのではないか。生み出された

エネルギーは、電波でもって電力集積所などに集められる。そのエネルギーで、夜の試合を照らし

たら良い。動きがニブくなると、試合会場は暗くなるから、畢竟、各選手、走り回るしかなくな

る。そういう試合の方が、手に汗握って面白いのではないか。まだ本格的に夏にもなっていないの

に、真夏の夜の夢のようなことを妄想してしまった。

某月某日
今度の日曜日、仙台にて演奏します。詳しい情報は以下のごとくです。

berkana 2nd Anniversary
Hirosi Minami×Masato Suzuki
"Like Someone In Love"Release Live In Sendai
2008.6.29.Sun at berkana
1st STAGE:19:30 OPEN/20:30 START
2nd STAGE:22:00 OPEN/22:30 START
ADV\4.500,DAY\5.000(with 2DRINKS)
※各ステージ限定25名様完全入替制
RESERVATION:berkana
info@berkana.jp
仙台市青葉区一番町4-3-9B1F TEL/022(711)0238

今回の新しいCD「LIKE SOMEONE IN LOVE」ewe,及び自著「白鍵と黒鍵の間に」小学館、共に

発売します。お店の大きさから、ピアノ、ベースデュオというフォーマットとなりますが、トリオ

とは違った味わいある演奏となるでしょう。仙台方面の方、お会いできることを楽しみにしており

ます。

某月某日
先日、文藝評論家の福田和也氏と会ってきた。福田氏は、週刊現代にて、昭和、平成の出来事を追

うといった内容の記事を書いておられる。ということで、ぜひ僕の本「白鍵と黒鍵の間に」に書い

てある、昭和末期のバブル狂騒の時期を詳しく知りたいので会いませんか、という連絡を受けた次

第。週刊新潮の「闘う時評」で僕の本が採り上げられた関係もあるのであろう。かねがねこちらお

礼を言いたいと思っていたので、約束の某一流ホテルのバーにて会合す。思ったとおり、福田氏

は、温厚で知的な雰囲気の方であった。会話の内容はもちろん、バブル狂騒の時代のこと、僕が本

に書き損じた内容をうまく聞き出すということがメインテーマであったが、博覧強記の福田氏のこ

と、話しは途中から、文学、音楽、時勢、この国の在り方、落語の話しと多岐に及び、まったく

もって楽しい時間をすごさせてもらった。前にも書いたことだけれど、福田氏は僕と同年である。

何たる基礎教養、又は知識の違いか。どうすればあれだけの情報、知識をイヤミ無しに身につけら

れるのか。とにかく、時間を忘れ、知的会話に没頭するという経験をしたのは、本当に久しぶり

で、本当に楽しかった。また、機会があれば、福田氏と話ができたらどんなに楽しいかと思う。

会合の日からしばらくして、福田氏が編集している雑誌、「en taxi」が送られてきた。刺激的内

容に満ちた雑誌である。本を書いたことでこういうおまけがつくとは、実際想像していなかった。

次回は、福田氏といっしょに落語などを聞きにいきたいと思う次第である。

某月某日
本日は久しぶりの休日。といっても、部屋の掃除、洗濯などをする。後、ピアノトリオのレパート

リーを増やすための曲探しと練習。日記にて、ピアノの練習をしているなどと書くのは、あまり

かっこいいものではない。毎日ふらふらとすごしている輩が、ピアノを弾かせたら、突然ものすご

くうまいというのが、本物の才能だろう。僕はそういう本物のヒップスターとは違うというだけ

だ。ヒップスターなんてもう死語だと分かりつつ書き付ける自分が哀しい。今晩は、ちゃんと夕食

を調理しようと試みたが、残念ながら時間切れ。気がついたらスーパーマーケットが開いている時

間を過ぎていた。スーパーとはとび抜けたという意味があるのだから、マーケットにて、独り住ま

い用の総菜類をもっと増やすべきだと思うのだが。例えば、「金欠コーナー」「野菜不足コー

ナー」「家庭の味コーナー」など、その場で調理してくれる半定食屋のようなセクションがあれ

ば、もっと人を呼べるだろうに。換算するに、独り住まいの場合、光熱費、水道代、調理の時間、

皿洗い、片付けなどを視野に入れると、外食を主にするのと、どちらがコストパフォーマンスに優

れてれているのか。誰か統計立てて研究し、本を書けば、僕の本より売れること間違い無し。ホテ

ル住まいを続けた、藤原義江、淀川長治、収入さえあれば、洗濯、食事から面倒をみてくれる生き

方ができる。しかし、いかんせんこちとらピアニストなので、パトローネスを得て、仕事の面でも

高級取りになっても、ホテルにピアノは持ち込めない。賞味期限なんか気にしている脳味噌の隙間

なんてもうない。僕の母は専業主婦だが、それでも冷蔵庫の食べ物を腐らせる。どうしたもんなん

だろうか。一事缶詰だけを主食にしていたことがあったが、意外と長続きしない。まあ、一日五

穀、色んな色をした野菜を食べるのが最も良いのだろうが、それもまた夢の夢。夜中なのに小腹が

減ると往生する。キツネドンベイ我が見方。塩分多いんだろうなと想いつつ、夜の闇にまみれてす

すりこむ。明日も帰りは演奏なので遅い。食事の準備などできなかろ。要するに、「死ぬまで生き

る」しかないんでしょうな。

某月某日
自著、「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)が、昨日の、日本経済新聞夕刊の書評欄で紹介された。僥

倖である。


評者の井上章一氏は、もちろん面識はないが、京大出身、現在、国際日本文化センター助教授とい

う職にある方だ。とんでもなく偉い人にまで、自著が行き渡っているということが、まず驚きで

あった。以上の情報は、インターネットで調べたものであるが、国際日本文化研究センターという

ところが、またとんでもなく学術的なものを扱う場であるようである。その研究のキーワードは、

風俗、意匠、近代日本文化史となっているのが面白い、と言っては失礼に当たるのか。ともかく、

井上氏が僕の本に目をつけた理由は、80年代後半の、それもバブルがはじける直前の銀座に身を

置いていた一人のクラブピアニストをとおして、ひとつの昭和史に於ける、この研究機関がいうと

ころの「風俗」を感じ取られたということなのであろう。その視点から、井上氏は、僕の本に注目

してくれたような気がする。また、そういう観点から、井上氏の書評を読むと、逆に自分の気付か

なかったものの見方を教わったような気がした。そうか。あの80年代後半の、昭和という時代が

異常に燃えあがっていた時期、あれは、一つの風俗としてとらえることも可能な、そんな時代だっ

たのか。確かに、きょうび頻発している、一般人が無闇に刃物を振り回すようなことは、当時はあ

まりなかったような気がする。本にも書き記したが、特に銀座という場所に於いては、銀座の夜空

に万札が唸りをあげて旋回しているごとくな雰囲気が、僕がピアノを弾いていた界隈を覆ってい

た。天皇陛下が崩御されるまでを頂点に、日本人全員が、グワーッと何かに向けて、各自が両方の

手のひらを開いて、何でもいいから掴めるものは掴み取ろうと、魑魅魍魎、百鬼夜行もどきの群れ

が、跋扈していた時代だったのだ。もちろん僕も、その中の一人であったことは言うまでもない。

本には書かなかったが、銀座のクラブが休みの土曜日曜は、有り余った金をポケットにねじ込み、

あこがれの池上正太郎先生の本に出てくる旨いもの屋巡りなどをしていたのである。それでもちゃ

んと留学用の貯金分のカネは残ったのであった。けだし、その当時、自分が今どういう時代のどう

いう辺りに居るといった客観性は、僕には無かったと言えるし、多分、大方の日本人がそんな客観

性など持ち合わせていなかったのだろう。実際、昨今の経済、政治の体たらくを垣間見れば、逆に

それは明らかというものだ。あの「バブル」という時代の「風俗」が無ければ、僕はいったいどう

なっていたのだろうか。渡米という僕の人生に於ける大事業は、果たされなかったに違いない。

いずれにせよ、この場を借りて、井上章一氏に感謝の意を評したいと思います。

某月某日
ウガンダ・トラさんの訃報に接した。哀しかった。もう何年も前のこと、そう、アメリカに留学す

るずいぶん前に、僕は青山劇場にて、ミュージカル「ジョージの恋人」のオケピットでピアノを弾

くという仕事をしていた。公演は一ヶ月ほど続いたような記憶がある。ウガンダさんは、その

ミュージカルに出演していた。この「ジョージの恋人」、ミュージカルとしては、歌のメロディー

や、合唱部分の譜面がやたらと難しく、本番に入る前に、一ヶ月ほどリハーサルをする必要があっ

た。主演の有名俳優や、その脇を固める他の俳優全員、なぜだか譜面の読める人が少なかった。複

雑に絡み合うメロディーの輪唱などに、リハーサルを何度やってもついていけない人が続出してい

た。その中で、音楽的カンの良さ、タイミングの良さを含めて、ウガンダさんは群を抜いていた。

その頃の僕は、ウガンダさんがビージーフォーというバンドでドラムを担当していたということさ

え知らなかった。またさらに、今回の訃報の記事を読むまで、ウガンダさんの父君が、有名なジャ

ズドラマーであったことなど、夢にも思っていなかった。


ウガンダさんは、音楽が難しくてだれ気味になるリハーサルに於いて、ムードメーカー的存在で、

いつも人を笑わせたり、セリフのあいだにアドリブを混ぜるなどして、指揮者と俳優陣の関係に不

穏な空気が流れそうになる時など、独特のジョ−クでその場をなごませるような、そんな存在感を

持った人だった。ウガンダさんがその芝居に参加していることによって、いくつもの難しい局面が

スムーズに行くようになることも珍しくなく、とにかくウガンダさんは、誰からも好かれる存在と

して、そのミュージカルに参加していた。


本番が始まって半月ほど経った頃のある日、なぜだか僕は早い時間に青山劇場に着いてしまったこ

とがあった。客入れの時間まで少し間があったので、オケピットに置かれているスタインウエイ

で、スタンダードチューンなど弾きながら時間を潰すことにした。その頃、スタインウエイのピア

ノなど、滅多に触ることができなかったからである。何曲か弾いていると、突然舞台の上から、そ

のとき弾いていた曲に合わせてスキャットで絡んでくる人物が居た。びっくりしてステージを見上

げると、そこにはウガンダさんが、少しおどけた表情で、僕のピアノに合わせて歌を歌っていた。

何だ、この人、ジャズの素養もあるじゃないかと嬉しくなり、何となく何曲かいっしょに遊んでも

らった。今から考えれば当然だ。僕が無知だったというだけのことで、ウガンダさんはあらゆる音

楽に精通していたのだから。それから後、楽屋は違えど、ウガンダさんと青山劇場の地下の廊下で

すれ違う時など、二言三言言葉を交わすようになった。「君、やっぱりジャズやりたいんだ。僕は

ドラムを叩くんだけど、今度一緒に呑みにいこうよ。」などと気軽に誘ってくれたときもあった。

ウガンダさんは、本番で、いつもセリフの中にアドリブを噛まして、お客さんを笑わせていた。エ

ンターテイナーだった。そのアドリブは、絶妙な間をもって、毎回違うネタでミュージカルのその

場その場を盛り上げていた。こんな表現はなんの工夫もないことは百も承知だが、才能あふれる方

だった。

ミュージカルも終焉を迎えたある日、ウガンダさんと、また楽屋近くの廊下ですれ違った。ウガン

ダさんは、あの独特な微笑みをもってして、また僕に声をかけてくれた。「今度さあ、六本木にア

ナバーっていうバーを開こうと思ってんだよ。良かったら呑みにおいでよ。」「アナバーって、あ

の、穴場という言葉ににひっかけて名前をつけたんですか。」ウガンダさんは僕の質問には答え

ず、優しくにっこりとしただけだった。

ミュージカルの仕事が終わってしまうと、自然と僕は、アナバーのことも忘れてしまった。今から

思えば、一度でも遊びにいっておけばよかったと悔やまれる。

ウガンダさんの訃報に接して、その頃の記憶がよみがえってきて、本当に哀しくなった。優しい人

だった。

某月某日
おたおたとしていたら、自分が出演したラジオ番組放送日が過ぎ去ってしまった。しかし再放送が

ある。僕のだみ声を聴きたい方は、まず、www.uniqueradio.jpにアクセスし、サイト左上にある

「Listen Now! UNIQue the RADIO」という箇所をクリック。すると小さい画面が表示されるの

で、そこに表示される簡単な質問に答えると、番組を聴くことができる仕組みとなっている。再放

送は、6月3日(火)8;00〜10:00、14:00〜16:00、22:00〜24:00となっています。だ

がなぜこういう機械の操作を説明する文章を組み立てるのは、難しいのだろうか。どうりで取扱説

明書も良く読めない筈だ。例えば、こんな文章は、分かりにくいだろうが読んでいて楽しかろう。

わくわくとした気持ちと共に、www.uniqueradio.jpに、各自の電脳ボックスをつなげてみる。息

を殺しながら、サイト左上にある「Listen Now! UNIQue the RADIO」をそっと押してみると、

曼荼羅のような小さな小宇宙的画面がプラスティックの透明盤の向こうにぽっかりと浮かび上が

る。電脳曼荼羅には学術的とはいかないまでも、あなたのカルマを決定している基本事項をあなた

自身が書き込むはめになる、そんな質問が立ち現れる。そうするとなぜか、少しマニアックな会話

とともに、あまりテレビなどでは見聞きしない音楽が、あなたの耳を俊敏な動物のように、細やか

な動きをするある器官として動き始めるだろう。ーちょっとやりすぎかな。ー

某月某日
大変なことが起きた。だいたい蕎麦屋がどうしたこうしたなどというくだらない事を日記に書いて

いる暇ではない。6月5日発売の週刊新潮の、闘う時評、福田和也氏執筆の欄に、自著「白鍵と黒

鍵の間に」が採りあげられたのだ。びっくりした。誰に頼んだわけでもないのに。福田和也氏とい

えば、「近代の拘束、日本の宿命」以来のファンであり、「まぜ日本人はかくも幼稚になったの

か」「内でも外でもバカばかり」などを含め、文藝春秋に連載されている「昭和天皇」を愛読して

いる最中だから、重複するが、本当にびっくりした。天皇陛下の物語を紡ぎ出している方が、僕の

物語も受け入れてくれるとは、夢にも思わなかった。この時評欄、かなり手厳しいことを書かれて

いる有名な作家もいるということは、不定期的にではあるが、読んでいたので知っている。今回の

僕の書評は、巧みに、しかも要点を押さえた僕の本の内容の要約的な文章に終始し、幸い手厳しい

お言葉は見当たらなかった。さすがだなあと思った。まあ、福田和也氏が書く事だったら、たとえ

手厳しい書評でも純粋で健康的なマゾ的快感をもってして受け入れていたであろう。否、すこし叱

られたかったなという気分さえある。僕は自分の本が出たという事にさえ、まだ少し驚いている

ペーペーなのだから、何かしらの辛口批評があっても然るべきであったろうに。思うに、そして恐

るべきことに、福田和也氏と僕は1960年生まれである。まったく違うフィールドに居る、という

か、僕のまったく手の届かないところにいらっしゃる方が、同年代。しかしこのことが、今回の僥

倖をもたらしたのではないだろうか。つまり、福田和也氏も、高度経済成長時代に少年期を送り、

バブルの頃は僕と同じく27才前後であった筈であろうから、僕の書いたことが、リアルタイムに

伝わりやすかったのではないかと思うのだが、どうだろうか。

これ以上書くのはやめよう。祝杯の準備だ。今晩の酒の味は、また格別であろう。

某月某日
先日、intoxicateのお招きで、浜松町にある文化放送に行き、ラジオの収録を行った。だが、放送

日の宣伝をしようとこの文章を書き出したのにも関わらず、詳しい日時を確かめておくことを忘れ

ていたことに今気付いた。詳しい、しかも正確な情報は後日また日記に書くこととしよう。さて、

ラジオの収録が終わり、そうだ、浜松町から銀座は目と鼻の先、久しぶりに銀座の○○庵で蕎麦で

も喰おうという気になり、JRに乗り、有楽町へ。勝手知ったる道筋をたどっていき、フフフーンと

件の蕎麦屋の前まで来てみて愕然とした。○○庵が無い。おかしいなあ、たしかこの道筋にあった

筈なのだが。何度もその界隈の道筋を歩いてみたがやはり見つからない。しばらく顔を出さないう

ちに、新しい店舗となってしまったのか。銀座界隈には土地勘があるとはいえ、その蕎麦屋の両隣

の店の名前までは覚えていない。しかも、その日のお昼時はなぜだかとても暑くて、もう一度歩き

まわって探すのはイヤだなと思っていると、ピカッと閃いた。そうだ、泰明小学校の裏に、もう一

軒、うまい蕎麦屋があることを思い出した。○○庵のように無くなっていてくれるなよという思い

いっぱいで、泰明小学校裏の路地を入っていくと、あったあった。ガラッと威勢よく店内に入っ

た。しばらくご無沙汰だったこの蕎麦屋は、昔と同じたたずまいで、多少狭いが、僕がここによく

通っていた頃そのままの雰囲気が、店の中にまだ残っていた。小瓶のキリンがあるというので、昼

ビー(昼間からビールを呑むこと)になること承知の上で、天ぷら盛り合わせと共に注文す。天ぷ

らなんていうものは、熱いうちにどんどん食べなければうまくない。ビールと共に天ぷらを食して

いたら、もりそばが来た。このもりそば、絶妙な蕎麦の盛り加減で、言うことなし。蕎麦屋には蕎

麦を喰いに行くのだから、ざるそばのように、刻み海苔などいらない。ざるよりちょっと、蕎麦の

盛りつけが堂々としていれば、視覚的満足は、まず得られる。つゆも黒っぽい少し紫がかった色を

しており、これだこれだと一気にもりそばを啜りこむ。あっという間に食べ終わり、そば湯を呑ん

でいたら、少しビールの酔いを散らすことができたので、さらにご満悦となり、その店を出た。


しかし、最初に目指した○○庵は、店を閉めたのだろうか。それとも僕の勘違いで見つけられな

かったのだろうか。銀座もしばらくいかないうちに、街の景観がずいぶん変わってしまった。時代

が流れているのだろう。このままでは、ちょっとした食の安らぎも、その流れにそって、どこかに

行っちまうんだろうなあ。


そうだ。今回は、収録したラジオの宣伝をするつもりで書きはじめたのだ。この辺で、今回の記述

は終わりとしよう。最初に書いたとおり、詳しい情報は、また後日この日記にて報告します。

某月某日
今回は、僕のサイトの管理者を紹介したいと思う。実はこの方,僕にとっては、途方もなく偉い方

であり、なぜこのような方に面倒を見て頂いているのかも、今もって不明だ。以前の日記にも散々

書いたことだが、僕はまたこれ途方もなく機械音痴である。懐中電灯の電池を逆に入れてしまうほ

ど、機械というか、その近辺のものやことが理解できない。何か新しい電化製品を買っても、説明

書が読めない。もちろん字面は目で追えるけれども、意味が理解できない。例えば、特に電話機の

説明書に多い「保留」という言葉の意味が分からない。説明書には「通話中にお待たせする(保

留)」と書かれているが、操作のしかたの欄を見れば、だいたいの用途は分かるけれども、何をど

う保留するのか、ということについては理解ができない。しかもなぜ、「通話中にお待たせする」

という、曖昧な敬語を使ってこういう説明書を書くのかも理解できない。かかってきた電話がオレ

オレ詐欺でも、「お待ち頂く」というスタンスで通話を「保留」するのか。


おっと、サイトの管理者の紹介をする為にこの文章を書きはじめたのだった。このサイトの管理者

は小笠原たけしさんという方だ。コンピューターグラフィックという世界で大活躍されている。ご

覧のように、新しいウエッブの表紙のデザインも、あっという間に完成した。まあ、ある意味で出

版記念であり、本の表紙の顔と、サイトの表紙の顔が、あまりにもかけ離れていては、今までの表

紙の顔は、アンチエイジング後と間違われるかもしれないし。また話しが横道にそれた。今回、サ

イトを一新してもらうので、小笠原さんのことを日記に書くことにしたのだ。ということで、小笠

原さんの最近の活動をかいつまんでメールで送ってもらい、その文章を僕が咀嚼して、小笠原さん

のやっていることのすごさを文章化するつもりだったのだが、小笠原さんの送ってきたメールの文

章を読んで一秒後、それは不可能だということが分かった。なぜかと言えば、何が書いてあるのか

良くわからないからである。よって、誤解の無いように、小笠原さんが送ってきたメールの文章を

そのまま以下に列挙することとした。

小笠原たけし
http://www.graphic-art.com/

1)アート作品
高精細&大型平面コンピュータグラフィックス作品、および
各種センサー等を用いたインタラクション・アートを作り続け、
国内、海外の美術館、イベント等で展示・発表を多数行っている。
CG平面作品はデザインコンテストで多数受賞。


2)グラフィックデザイン
IT関連を中心とするグラフィックデザインを行う。


3)講師
女子美術大学の非常勤講師としてインタラクションアートをメインに教えている。

「デジタルコンテンツ エキスポ」
http://www.cofesta.jp/official/asiagraph.shtml
開催日時	10月23日(木)〜26日(日)
会  場	日本科学未来館(一部 東京国際交流館)
主  催	経済産業省/(財)デジタルコンテンツ協会(DCAJ)
---------
私はこのエキスポの招待作家になっています。
今年は音楽に反応して絵柄が変化するインタラクションアートを
企画しており、ミュージシャンとの共同作品となる予定です。
--------------------------------------------------------

とにかく、小笠原さんのサイトから、彼の作品群をご覧頂きたい。何度もいうようだが、機械のこ

とは分からないので、解説しようもないのだが、とにかくすごいということだけは、誰でもが分か

ることであろう。



某月某日
新しいCDと、本の出版が続いたため、このウエッブサイトも少々内容を変えることとなった。

まずは、もう皆様ご存知のとおり、「BOOK」という欄が新設された。こういう欄をつくってもらう

と、なんだか本一冊ではすまないような気がしてくる。書ける機会があれば、また何か書きた

いと思う意欲はあるのだが。


同時に、トップページのデザインも近々変える算段となっている。現在のフロントページにある

僕の顔は、既に、10年以上前のものであり、下手をしたら、なりすましメールのごとく、男が、

「ハ〜イ、私の名はノリカ、スタイル抜群、いつでもあなたとお会いできるわよ。メール下さ〜

イ。」といった種類の行為に間接的に近かったような気がする。今回トップページに使われる

写真は、2年ほど前、コペンハーゲンにある、ピットインのような位置にあるジャズクラブ、ジャ

ズハウスの前で、イタリア人のカメラマンが撮ってくれたもので、、少なくとも、既存のトップ

ページよりも、あらゆる意味で、僕の面構えの信憑性が増すこと請け合いである。次回の日記

には、このウエッブの管理者のことを含めて書きたいと思う。しばし待たれよ。

某月某日
過日、ずっと雨の日だった。CDの発売や、本の出版が重なって、本日は久しぶりの休日。と

はいえ、相変わらず、洗濯物に困ったり、家の中を掃除している。我が人生に於いて、この正

月前後、心機一転をしなければならぬことあり、、家の中をRENOVATEした。思いきって、ど

うしても必要と思われる書籍以外、全部売っぱらった。すっきり爽快である。家の中にあるご

ちゃごちゃしたものも、正月以来少しずつ捨てていって、畢竟、掃除がしやすくなった。壁も明

るい色に塗り替え、照明器具も刷新した。気分よし。


ピアニストも、食事の準備、掃除、洗濯は、いまだに生活の必須アイテムである。しかし、残念

ながらできないことがひとつある。それはボタン付けとアイロン。包丁は、指を切らないように

して調理することに慣れたが、ボタン付けの場合、布地のどこから針の先が出てくるか分から

ないので、自然と敬遠すいるようになってしまった。ということで、服を買いにいく時は、チャッ

クなどがついている、自然とボタンの少ないものを選んでしまう。ここまで科学が発達してい

るのだから、自動ボタン付けマシーンのようなものが、発売されてもしかるべきだと思うのだ

が。

みそ汁を調理していたら、なぜか曲想が浮かんで、一曲すぐに作曲してしまった。次のGO 

THERE!で試しに演奏してみるつもり。タイトルはまだ仮題だが「RAINY DAY」。


最近また料理に凝ろうという気がしてきたので、明日は、近辺のマーケットを廻ってみるつも

り。一旦ものすごく料理に凝った時期があって、その時のような状況を再現するつもりはない

けれど、ただ、味醂、料理酒、醤油、オリーブオイル、塩、コショウなど、基本的なものは良い

ものを買い、後は、財布の機嫌をうかがって行動するのみ。ピアノの練習前後など、料理をす

るということが、どんなに気分転換になることか。僕の知っているクラシックの作曲家は、大

方、料理が巧い。多分、作曲と同じプロセスを料理をするという行いの中に感じているのだろ

う。何となく納得できる。


重複するが、次回の GO THERE ! 6月10日(火)には、二曲の新曲が用意できたことにな

る。僥倖。

また、新譜「LIKE SOMEONE IN LOVE」のトリオで、5月25日、代官山、晴れたら空に豆まい

て、というクラブで演奏する。この日は対バン形式であり、詳しくは以下のウエッブを参照され

たし。


「晴れたら空に豆まいて」http://www.mameromantic.com/

このクラブでは、8月25日、噺家と我がトリオのコラボレーションが予定されている。

乞うご期待。


某月某日
最近、僕の新しいCD,「LIKE SOMEONE IN LOVE」のジャケットの写真について質問されるこ

とが多い。この表紙の女性は誰ですか、ミナミさんの知っている人?もしかして、よく演奏で

行っているデンマークの現地妻だったりして。お安くないなあ。こんなことをいう人が現れたの

で、少し、今回のCDのジャケットの写真について説明します。もちろんジャケットの女性は、僕

は会ったこともなければ、現地妻でもありません。まあ、もしそれが事実だとすれば、ある意味

喜ばしい、ロマンスですが。この後に書く文章の内容も、もっと衆目を集めるものとなったで

しょう。とにかく、今回のCDのジャケットの写真の評判が良いことは確かだ。


この写真は、CDの内側に書いてあるように、オランダの女性写真家、Hellen van Meeneとい

う人が、2004年に、ラトヴィアの首都、リがで撮影したもののようです。今回、CDの制作が三

年近くかかったため、ジャケットの写真選びには、EWEの若手の制作担当者などと、本屋巡り

を何度もやって、やっとこの写真にたどり着いた次第。Hellen  van Meeneで検索すれば、彼

女の他の作品も見ることができる。


写真を選んだ段階では、この写真がラトヴィアの女性を撮ったものだとは知らず、とにかく、

制作側、僕も含めて、これだこれだ、これを使おうと、選び出したのであった。お分かりのよう

に、写真選定にも相当な時間がかかったということだ。CDの発売が、あまり長引くことも良く

ないことだが、こうやってジャケットの写真を、充分な時間をかけて探すことができたというメ

リットもあったのだがら、まあ、結果として、差し引きゼロということになるのだろうか。今から思

えば、運がよいことに、北欧でも東欧でもロシアでもない、バルト三国の女性という、この情報

の多い日本でも、いまだにあまり知られていない国の謎の雰囲気が、この写真の真骨頂でしょ

う。また、内容の音楽となぜかすごくマッチしていることが、不思議といえば不思議です。

ちょっと不自然に英語で言うところのBELLYに左手が少し形を斜めにしている構図も秀逸で、

背景の薄いブルーも、なんだかこの写真の未知なる部分を強調していがごとることが、今回

の評判を呼んだひとつの一因なのではないだろうか。


しかしこういう日記形式の文章は、不特定多数の人々が読んでいる筈であり、あまりこの作品

を自画自賛してしまうと、ニッポッン的謙譲の美徳、という点から言って、反感を持たれる方も

おられるのではないかと思う。いやあ、つくづく日本の社会は難しい。儒教というものが、韓国

のように、本当の意味での儒教体勢が社会の中に浸透しており、同性の者同士は結婚できな

いというぐらいに厳しいものであれば、何を書いてよいか悪いか、基準がはっきりしているのだ

から、ある意味容易かろう。しかるに我が国は、儒教の影響は受けているものの、それは韓国

とは比べるべくもなく、しかも、よく言われるところの世間という、目に見えない、しかも漠然と

した基準があるので、こうやってものを書くのも、容易ではない。


あまりにも自分のしたことを褒めちぎっては、何だあいつ、居丈高だなあ、出しゃばりやがって

と思われるのもイヤなものだ。また逆に、「エヘッヘッへ、どうも皆さん、お世話んなってます。

ミナミです。こんどCD出したんすけど、まあね、たいしたモンじゃございませんよ。ま、皆様の

お耳に快いサウンドがちょっとでも届けば、なんて、そんなこと考えてるんですがね、えへっ

へっへ。」などと妙にへりくだっても、じゃあ、なぜCDなんか出すんだよ、と言われれば、返す

言葉もない。今この日記を読んでいる皆様、どうか、どっち付かずのものの見方で受け取って

ください。再度書きます。僕にもしヨーロッパのどこそこに現地妻が居ようとも、自分のCDの表

紙には載せません。悪しからず。



某月某日
昨日は僕の誕生日であった。しかも自著「白鍵と黒鍵の間に」の発売日でもあった。またまた

しかも、盟友キャスパー・トランバーグが東京に居るという、近年稀にみる華やかな時間が過

ぎていった。こういう偶然も起こりうるということだ。キャスパーは、ピットインで共演後、僕の家

に投宿しており、お互い昔話にふけったり、今年11月に出る我々の新しいCDのこと、(このこ

とに関しては、また新しく報告します。)それによって可能となる未来のことなどを話しあい、

非常に有意義な時間をすごした。キャスパーは、本日早朝、成田に向かうべく去っていった。

タクシーを拾うため大きな通りへ彼の荷物を半分持ちながら、早朝の街を歩いた。二人とも無

言だった。僕はタイミングよくやってきたタクシーに片手を上げて止め、「ヘイ,メーン」と一事

言ってキャスパーをハグした。彼もぎゅっと僕の体をハグした。一秒ほど。一抹の寂しさが僕

の身を貫いたが、男同士というものはいいものだ。相手が日本人でなくとも、黙っていても、お

互い同じ心境であることが分かりあえる。荷物をタクシーのトランクに入れ、キャスパーがタ

クシーの後部座席に座り込む。お互い目で見つめあってから、同時に二人とも微笑んだ。

ドアが閉まる。タクシーが見えなくなるまで手を振った。いまごろ、あのおとぎの国のようなコ

ペンハーゲンで、彼の娘達に東京のお土産でも配っているのであろう。またな、キャスパー。

またいっしょに演奏しような。


というわけで、本日はあまりにも早く起きてしまったので、部屋の掃除などをして時間を潰して

から、近所の大手の本屋へ行ってみた。自分の本が置いてあるかどうか不安だったからであ

る。この本屋は、行き慣れているので、どういう本がどこにあるか、大体僕には見当がついて

いる。僕の本は、音楽関係の出版物が並ぶコーナーに、平積み状態で置いてあった。複雑な

心境だ。今まで何冊の本を読んできたことか。今まで何冊の本をこの本屋で買い求めてきた

ことか。そこに自分の本が加わるなど、以前は夢にも思わなかった。これからは、自分の本で

はなくとも、本というものへの見方が大幅に変わりそうだ。本というものが、どういう行程をへて

完成するかを目の当たりにし、実感したからである。畢竟、今まで読んだ本の文章も、僕の意

識の中で変わりつつある。ものを書くということは、こういうことだったのね、という、何というか

一線を越えてしまったからこそ分かる重みと儚さ。思考の方は、斯様に重々しいものであった

が、行動の方は、僕らしくもなく、どういうわけだかそわそわしていて、自分の本が置いてある

棚の前を行ったり来たりしている。何をやってんダア俺は。他の来店客の様子などをチラチラ

見て、さあ、帰ろうかと思ったが、どうも自分の本がまだ気になる。何がどう気になるのかよく

わからない。まさか買い求めたりしてもしょうがないし、誰かが本を買うまで立ち去らないと自

分に言い聞かせるのもばからしい。だが立ち去れないというこの心境は、いったいどこから来

るものなのか。ほかの本を見に行くべく本屋の中をうろうろした後、また自分の本が置いてあ

る棚の前まで来て、なんだか落ち着きなく行ったり来たりしてしまう。私服警官が僕を見た

ら、万引き犯と思ったに違いない。怪しいメガネをかけた惚け顔の男が、不定期的に、同じ場

所をうろうろとしているのだから。少なくとも、禁治産者には見えたのではないだろうか。しば

らくしてから、心身ともに冷静を取り戻し、いつまでもこに居てもしょうがないと自分に言い聞

かせ、本屋を後にした。まさか、その場で、「こ、こ、これは俺が書いた本なんだあ、誰か、誰

か、頼むから買ってくれい!」と叫ぶわけにもいかないし、寅さんのように、「けっこう毛だらけネ

コ灰だらけ、お猿のおケツはマッカッケ!」などと、香具師のようにバイを始めるわけにも行くま

い。

今日、本当に残念に思ったこと。それは、キャスパーに僕の本を一冊プレゼントできなかった

こと。なぜって奴は日本語が読めない。その点、音楽とは何と素晴らしいのだろうか。あ、小

学館の皆様、こんなことを書いてごめんなさい。


某月某日
昨夜、横浜MOTION BLUEにて、久しぶりに、盟友キャスパー・トランバーグ(TP)と演奏。相

変わらずのサウンドの美しさにこちらのピアノの音まで影響され、またそれが、ベース水谷氏、

ドラム外山氏に伝播して、近来まれに見る大人の音楽を演奏してしまった。こんなトランペッ

ターなかなか居ないよな。もうかれこれ18年来の友であるけれども、彼のサウンドが年を追う

ごとに磨かれていくのが分かるというのも、共演していて嬉しい側面のひとつだ。今回はベー

スの水谷君が、彼のバンド、フォノライトのレコーディングに彼を呼んだことで、今回の演奏が

実現した。水谷君にも感謝せねばなるまい。


キャスパーの、ある意味舶来文化的提案で、僕は、ポエトリー・リーディングまでこなしてい

る。ポエトリーといっても、実際の題材は、5月15日に発売になる僕の本「白鍵と黒鍵の間に」

のエピローグを朗読したのだが。怪しいインプロのサウンドに乗っかって何かを読むということ

が、こんなに面白いとは意外であった。本日12日は、鎌倉ダフネ、14日は新宿ピットインで

演奏する。残る二回とも、マイクの数が足りるのであれば、ポエトリー・リーディングに再度挑

戦したい気分だ。もうひとつの面白い局面を発見した。キャスパーは日本語を解さない。彼に

は僕が読む日本語がサウンドとして聴こえているということである。これは非常に面白い現象

を生み出す。つまり彼は僕の読む日本語を音楽としてとらえ、僕の朗読にトランペットで絡ん

でくる。句読点、文章の間など、彼には分からないからこその新しいサウンドが、さらに新鮮な

空間を作り出す。もちろん、キャスパーの曲も、ユニークという枠を超えた、新しい響きの音楽

だし、このバンドはクセになりそうだ。元々、僕が長年、デンマークのミュージシャンを日本に

呼んで演奏したり、僕がデンマークへ行って演奏したりしてきたのだが、今回のKASPER 

TRANBERG JAPANESE QUARTETの狙いは、日本で彼のリーダーバンドをつくってしまおう

というところにある。キャスパーを一人デンマークから呼ぶということであれば、今までやって

きたように、他のデンマーク人4人を呼ぶ労力も省けて、その時々のバジェットと状況に於い

て、こちらもフレキシブルに動けるというわけである。昨夜の一回目の演奏で、何故だか分か

らないが、もう既にバンドとして成り立ってしまったので、あとは、この四人を今後機会を見て

集合させるのみだ。と言いつつ、なかなかこの四人を集合させるのは難しいんだけどね。

興味のある方は、お見逃しのなきよう。また、何度も書きますが、5月14日ピットインンでの演

奏では、僕の著書「白鍵と黒鍵の間に  ピアニスト ・エレジー銀座編 」小学館 を先行発売し

ます。

某月某日

さてっと。自分なりのライナーは書き終えた。(この日記の下を参照。)これらの文章が、聴く

側の人々をより楽しませることを望むのみである。CDを買った方ならお分かりのように、この

一枚を世に出すのに2年かかってしまった。詳しい事情は言うまい。しかし、こちらにとっては

長い長い待ち時間であった。


表紙の写真も自分で言うのもおかしいかもしれないが、秀逸だと思う。CDのジャケットを開い

て左側の右下にある白抜きの文字、「For My Niece」はイワクツキである。実は、我が妹の出

産予定日が4月23日(CD発売日と同じ日)であったので、この一言を入れた次第だ。赤ちゃ

んは、予定日より早く生まれ、名前をつけるのに時間がかかったため、CDに、我が姪の名前

を入れることができなかった。まあ、早く生まれたといっても、早産ではなかったので、問題は

ないのだが。いや、問題は、僕が本当の意味で叔父さんになってしまったことにある。このCD

に於いて、姪の存在を明らかにしてしまった。僕はUNCLE HIROSHIとなったのだ。


さらにまた偶然が重なる。僕の著書、「白鍵と黒鍵の間に」小学館5月15日発売というのも、

1/365の確率だ。なぜかと言えば、5月15日は僕の誕生日である。これらの説明のつかな

い偶然もあるのかなと思うところと、あまり神秘的な方面での考えはやめようという思いが、今

ないまぜになっているところだ。我が姪は、2008年生まれである。午後7時頃に生まれたか

ら、勝手にナナコちゃんというあだ名をつけた。ナナコちゃんは、それはもう、本当にかわいく

て、難しい本を読んでいるより、人間を知る手助けをしてくれているようでもある、僕には貴重

な存在だ。変な喩えかもしれないが、我々人間は、飛行機に乗っている時はのぞいて、地球

の表面約2メートル以下の空気の範囲を、我々の肉体が占めている。そこにまた、新たに地

球上の表面を地表2メートル以内のどこそこかの空間を占める存在がこの世に生まれでてき

たということだ。神秘といえば神秘だし、当たり前だといえば当たり前だけど。ナナコちゃんが

成人するのは、2028年である。オレは生きているのだろうか。ナナコちゃんの成人式とやらに

参加できるのであろうか。否,参加できる体であっても行かぬがよろしいようで。カタギの祭り

を邪魔しちゃあいけませんぜ。なあおい。



某月某日
(今この日記にて、新譜「LIKE SOMEONE IN LOVE」の、僕なりのライナーを書いているとこ

ろです。気がつけば、文章を日を追って上に積み上げる式なので、読みにくい状態になったこ

とに気付きました。お手数ですが、このサイトを初めて読みはじめる方、最初から読むには、

下段、「MY FOOLISH HEART 」から読み上げてみてください。)

CHELSEA BLIDGE 

言わずもがな、僕の一番敬愛する作曲家、ビリー・ストレイホーンの名曲である。

勘違いしていたようだが、どうも、チェルシーブリッジという橋は、NYには存在しないらしい。

タイトルの由来は、ロンドンのチェルシー地区に架かる橋の名前であるようだ。まあ、そんなこ

とはどうだっていい。この曲のハーモニー、絶対古びない。フランス印象派の影響をものすご

く受けたことの分かるコード進行で成り立っている。ジャズチューンとしてはハイブローだが、

メロディの微妙な切れ目の中に、ちゃんとブルースが埋め込まれている。本当は、メロディー

を2コーラスソロ無しで演奏しようかと思ったほどだ。ソロなんて意味ないと思わせてしまうほ

ど、メロディーが完結している。こんな難しい曲を何故ラストに持ってきたかといえば、それだ

けの重々しい高貴さがこの曲にはあったからなのだが。ビリー・ストレイホーンは別の名曲、

「LUSH LIFE」を 、彼は17歳の時に作曲したらしい。こういう場合、もう既に、日本語で言うと

ころの早熟などという表現は当てはまらず、つまり、生まれながらにしてあの世を感知できる

人物だったのではないかと、僕は冗談抜きで思っている。


そう、僕たちの一番身近にあって、それなのにまったく未知の世界である「死」ということ。なぜ

だか僕は、ビリー・ストレイホーンの音楽を聴くと、その洒脱さ、ユーモア、曲の構築性のしっ

かりした様、それら、ビリーの音楽的特徴の向こうに、いつも「死」というものを感じてしまう。そ

れは、決してペシミックなスタンスのものではない。ここが不思議な点で、しかも矛盾するとこ

ろなのだが、その音楽的特徴の向こうにある「死」というものは、何かしらの永遠性を秘めてい

るような気がしてしょうがない。それは、よく牧師さんが言うような、彼(又は彼女)は、永遠の

眠りにつきました、という場合に使う永遠性ではない。僕の感じる永遠性とは、ビリー・ストレイ

ホーンのメロディーの中にあるのである。客観的に時間という単位で計ってみれば、ものの

3〜4分で一曲は終わりだ。だが、だからこそ、ビリーのメロディーには、時間の長短を超越し

た何かが存在するのではないだろうか。恣意的な意見かもしれない。だが、彼のメロディーを

聴く者が、一瞬一瞬永遠な何かを仰ぎ見るような要素が、彼の曲を聴く間、存在しているよ

うな気がしてならない。

ご存知の方もあるかと思うが、ビリーは、エリントンの片腕であった。否,この言葉は正確ではない。


"Billy Strayhorn was my right arm,my left arm,all the eyes in my back of my head,
my brainwaves in his head,and his in mine." -Duke Ellington

このエリントンの言葉に訳は要るまい。これは、ビリー・ストレイホーンのサイト

http://www.billystrayhorn.com/で見つけた言葉である。

その他、参考になるのは、「ラッシュ・ライフ ー ビリー・ストレイホーン・ソングブック」VERVE

POCJ9543 のライナーに詳しい。


このライナーの中には、哀しい記述もある。抜粋することを躊躇したが、あえて載せよう。

「1939年から1969年5月31日、自虐的なほどの無神経さで酒やタバコを続けたのが原因

となった食道ガンで亡くなるまで、デューク・エリントンの協力者、アレンジャー、時には作詞

家として活動した。彼がエリントンのために書いた作品のほとんどは、ストレイホーンの流儀を

前面に出しながらも、バンドリーダーやオーケストラの体型に合わせて、親愛の情を持って仕

立てられていた。」


天才ビリー・ストレイホーンも、ある面タダの人間だったという証かもしれない。僕は、エリント

ン研究家ではないし、そんなことをするつもりもないから、これから先は僕の臆測である。


ビリーがいくらナイスガイで、エリントンを敬愛していたとしても、出版される作品は、皆エリン

トン名義となる。ここに、天使でない限り、人間としての屈託が生まれてしかるべきである。し

かし心優しいビリーは、これを諦観し、エリントンを見守っていたのではなかろうか。更に言え

ば、その諦観が、また新たなる曲の雰囲気を作り出していったと想像しても、あながち間違い

ではないような気がするのだが。さらにまた、その諦観と屈託が、彼を、酒とタバコを「自虐

的」にまで用いる要因となったのではないか。ビリーの周りの人間が、「自虐的」と思うほど、酒

とタバコを用いたということは、相当な量だったのだろう。何故って、普通他人は、周りの人間

を、思うほどあまり見ていない存在であるから。


ごくたまに、芸術のジャンルを問わず、このような天使のような存在が世の中に現れる事があ

る。幸か不幸かは分からない。しかし、現れてしまうのだからしょうがない。


ビリーは多分、自分が「知っている」世界に帰っていったのであろう。そう考えないと、なんだか

やるせない。2008年の日本という国で、彼のメロディーを演奏したCDが発売された。そのこ

とを彼が知ったとき、いったいどう思うのだろうか。いずれにせよ、ビリー・ストレイホーンは、彼

の作曲したメロディの間に間に生きていると思うので、ノープロブレムだ。この曲は、これから

も、ライブにて、執拗に、しつこく演奏してゆくつもりだ。もしかしたら、ビリーに会えるかもし

れない。




某月某日
(今この日記にて、新譜「LIKE SOMEONE IN LOVE」の、僕なりのライナーを書いているとこ

ろです。気がつけば、文章を日を追って上に積み上げる式なので、読みにくい状態になったこ

とに気付きました。お手数ですが、このサイトを初めて読みはじめる方、最初から読むには、

下段、「MY FOOLISH HEART 」から読み上げてみてください。)

EIDERDOWN

今回のCDは、南博トリオ、初のスタンダード作品集との謳い文句で発売されていることは、当

の本人が充分承知である。同時に、オーダー(つまり曲順)から見て、最後の曲のひとつ前と

いうのは、なかなか選曲が難しい。こういうシンプルな曲の構成だと、最後から二番目の曲

は、最後の曲より目立ってはならないし、かといって、今までのオーダーをつつがなくエンディ

ングの曲に繋げなければならないという役割もある。こうなれば、スタンダードではない、かと

いって、ものすごくオリジナルな曲を選ぶでもない、そのあたりの条件を充分に満たした曲を

探す必要があった。


あまり悩まずとも、「EIDERDOWN」が頭に浮かんだ。言わずもがな、巨匠ベーシスト、ス

ティーヴ・スワロウの曲である。全ての素晴らしいプレイヤーが、素晴らしい曲を書けるわけで

はない。同時に、素晴らしい曲を書けるプレイヤーが、誰しも素晴らしいプレーヤーではない。

これは天の配剤だからどうしようもない。スティーブ・スワロウは、生まれてくる前に、あの世か

どこか知らないが、誰からか、よほど良い処方箋を受け取った数少ないミュージシャンであ

る。いずれにせよ、彼の曲を入れることによって、CD全体の雰囲気も締まると思った。同時

に、この「EIDERDOWN」という、一見簡単そうで実は音楽的に難解な曲を、芳垣、鈴木両氏

にぶつけてみたいと思った。結果は、まあ、CDを聴いて頂くしかないが、僕の狙いは功を奏し

ていると思う。まずは鈴木君のソロを聴いて欲しい。素晴らしいから。


このトリオの録音時に限らず、ことあるごとにこの曲を演奏してきた。しかしこの場になって、

この曲のタイトルの意味を知らないことに気付いた。早速辞書をひく。


「EIDERDOWN」1:雌のけわたがもの綿毛。2:(1その他の柔らかいものを詰めた)羽布団。

3:(米)毛羽の厚い綿ネル。


また、他の辞書には、けわた鴨(北欧沿岸産)とある。お手上げだ。


ネイティブの英語には、やはりついていけない。まあ、これは論文ではないのだから、何となく

雰囲気を察するにとどめよう。だが、けわた鴨とはいかなる生物か。調べてみると、う〜ん、

頭が痛くなってきた。

けわたがも:カモメカモ科ケワタガモ属の鳥の総称。北極地に四種がすむ。羽毛は非常に良

質で、寝袋、羽根布団などに珍重される。


ああ疲れた。調べれば調べるほどワケが分かんない。スティーブ・スワロウはニュージャー

ジー出身の筈だから、北欧沿岸とは関係ない筈だが。待てよ待てよ、北欧にツアーに行った

時に、EIDERDOWNでできた羽根布団で就寝したという可能性もあるぞ。または、スワロー幼

少の頃、そういう布団で寝ていたという可能性もあるし、曲ができたあと、何となく付けたタイ

トルかもしれない。


これらの珍種の鴨が、鉛色をした湖に浮かんでいるという風景を想定しながら演奏することも

悪くない。また、今回調べたことなど忘れ去って、自由に演奏するのもまた良し。実際、それ

だけの可能性をプレイヤーに提供すべく、この曲は、シブく、難解で、シンプルで、小節の数

がハンパで、かっこいい。

関係ないけど、オレはやっぱり冬の寒い日に鴨南蛮をかっこんでいるのがいいなあ。




某月某日
(今この日記にて、新譜「LIKE SOMEONE IN LOVE」の、僕なりのライナーを書いているとこ

ろです。気がつけば、文章を日を追って上に積み上げる式なので、読みにくい状態になったこ

とに気付きました。お手数ですが、このサイトを初めて読みはじめる方、最初から読むには、

下段、「MY FOOLISH HEART 」から読み上げてみてください。)

HOW INSENSITIVE

ポルトガル語の題名は「INSENSATEZ」。

9・11のテロが起きたあの日、僕はとあるクラブでの演奏を終わり、楽屋としてあてがわれた

テーブルの奥に座っていた。そこには何故だかテレビが置いてあった。スイッチをひねってみ

たら、画面は見えるが音が出ない。クラブのマスターに聞いたら、音は出ないようにしてある

のだという。


しばらくして、同じ光景が、どのチャンネルでも何度も何度も写りはじめる。アナウンサーや、

リポーターの声は聴こえない。きっと「大変なことになりました!」「今二機目が突入したところ

です!」というようなことを言っているに違いないと思った。僕は、無言の画面をしばらく凝視し

た。ふとあるメロディーが頭に浮かんだ。それはジョビンの「HOW INSENSITIVE」だった。


こんなことを書いては、あのひどい事件で被害に合った方、亡くなられた方からお叱りを受け

るかもしれない。しかし正直に書くこととしよう。その無言の画面に僕の脳内は、自然と

「HOW INSENSITIVE」のメロディーを思い浮かべていたのだ。


ポルトガル語の辞典がないので「INSENSATEZ」の意味は英題からでしか推測できない。

「 INSENSITIVE」、辞書には、鈍感な、感受性の鈍い、無神経なさま、とある。

僕は思った。こんなカタストロフィーが眼前に繰り広げられているのに、泣くこともなく、いわん

や、頭の中にジョビンのメロディーを思い浮かべている僕は誰なんだろう。しかし同時に、ま

た、やるせないことに、その音のないテレビの画像に写し出される光景が、そのメロディーに、

ものすごくフィットしていた。


現代社会に生きていれば、人様々ではあろうが、どこか鈍感でなくては生きていけないという

側面も認めざるを得ない。しかし、9・11のような出来事は、ただ鈍感だから、感受性が鈍い

からではかたずけられない何かを僕に発していた筈だ。しかしジョビンのメロディーは、脳内

に鳴り続けた。そして、少し気付いたことがひとつあった。

鈍感なのは、アメリカ政府だけじゃないし、テログループだけじゃないし、僕を含めた全世界

の人達が「HOW INSENSITIVE」なんじゃないか。人間全体が、ある意味、鈍感でバカなん

じゃないか。


「HOW INSENSITIVE」のメロディーが、僕の脳内から聴こえてきたことは、僕に何かを悟らせ

るために、自然と僕のサブリミナルな部分を、何かが刺激したとしか思えない。また、逆に考

えれば、あれだけの惨事を、ひとつのシンプルなメロディーの流れで総括してしまうことは難

しい。しかし「HOW INSENSITIVE」だけは、少なくとも僕にとっては例外だった。なぜって、僕

は哀しい画面を見ながら、このメロディーを思い起こすことによって、とても慰められたのだか

ら。


もちろんアントニオ・カルロス・ジョビンが、僕がこのような状態で自分の曲を聴くことを想定し

て、「HOW INSENSITIVE」を作曲したとは思えない。しかしジョビンは、もっと大きなスタンス

で、森羅万象あらゆる人間共の悲喜交々を、肩代わりするつもりで、この曲を、それも無意識

の内に作曲したのではなかろうか。


以上が、僕がこの曲を演奏するときの基本的な心情である。この曲の歌詞を要約すると、「あ

んなに真剣に愛してると言ってくれた彼(又は彼女)に冷たい態度をとってしまった。〜もう彼

(又は彼女)の面影を追うのみだ。」ということになる。


別段、上記のようないきさつを、我がメンバーに伝えてから「HOW INSENSITIVE」を演奏した

のではないけれど、そこは音楽。なかなか皆さん、僕のピアノを素晴らしくするための演出に

怠りがない。

いずれにせよ、バカでもいいけど、鈍感ではありたくない。


某月某日

(今この日記にて、新譜「LIKE SOMEONE IN LOVE」の、僕なりのライナーを書いているとこ

ろです。気がつけば、文章を日を追って上に積み上げる式なので、読みにくい状態になったこ

とに気付きました。お手数ですが、このサイトを初めて読みはじめる方、最初から読むには、

下段、「MY FOOLISH HEART 」から読み上げてみてください。)

MISTERIOSO

言わずと知れたセロニアス・モンクの曲である。モンクの曲は、どうアレンジしようが、どういじ

ろうが、メロディーの骨格というしかない全体の流れが、絶対に、まあ料理に当てはめて言え

ば、煮くずれしない。同時に、今回のCDは、この曲に限らず、他の曲も含めて、全然と言って

いいほど譜面上のアレンジを施さず、全曲を演奏した。しかし、唯一この「MISTERIO」だけ

は、いわゆるヘッドアレンジを用いた。まあ、ヘッドアレンジといっても、鈴木正人君に、テーマ

を弾いている間、ベースソロをしてもらうという、ごく簡単なものであったが。いずれにせよ、こ

のアイデアは、レコーディングブースに入り、ピアノ、ベース、ドラムがスタンバイをし、エンジ

ニアが、録音開始のキューを僕に出す寸前に浮かんだもので、「鈴木君、テーマやってる時、

同時にソロして。」と、機械類のスイッチがonになる一瞬前に彼に一言言っただけである。こ

れでは、ヘッドアレンジとさえ呼べない。しかし、効果は抜群であった。ここで鈴木君がソロを

することで、全体の構成も良くなり、彼のまた違った魅力を聴く人に提供できたと思う。


このセロニアス・モンク、また今回のCDの最後の曲の作曲家でもあるビリー・ストレイホーン共

に、ニルヴァーナの世界をメロディにて体現しているような気がしてならない。この二人の偉

人は、音楽的サウンドの方向性は違えど、彼らの表現したかった音楽の芯の部分は、明らか

に同じだったのではないだろうか。ニルヴァーナの訳を見てみると、「心をやすらかにし、さとり

をひらくことと」とある。なにも彼らの音楽が直接仏教的だということを言いたいわけではな

い。同時に、何かしら宗教的な意味合いを通してこの曲の解説をしたいのでもない。現に、

我々人間なんて、そう簡単に、本当の意味で、心安らかになんて心境を得られる筈もない。も

しかしたらこの二人の偉人も、実生活においては、いつもニルヴァーナの心境ではなかったか

もしれない。しかし、一旦彼らがピアノを弾きはじめ、また、曲をつくりはじめると、その心境は

一変したのではないだろうか。否,もしかすると、実生活に於いてさえ、ニルヴァーナだったか

もしれない。なんだかそんなことを想起させる雰囲気が、この「MISTERIOSO」のメロディーに

は隠されている。実際、ライブでこの曲を弾くときは、CDと違い、テーマを4コーラスぐらいくり

返してしまう場合が多い。お経の何たるかを知らぬ僕がお経に言及することは、極めてイン

チキ臭いことだけれども、実際、「MISTERIOSO」のメロディーを何度も何度も弾いていると、

何かこう安らかな気持ちになって来ることは間違いない。それは、静かな寺でお経を聴いてい

るような時と感覚が似ている。霊能力もなく、生まれてからこのかた幽霊さえ見たことがない

僕がそう感じるのだから、何か秘密があるに違いない。


余談ではあるが、モンクのミドルネームは「SPHERE」である。僕の知っている限り、このミドル

ネームを持つ人は少ない。「SPHERE」とは、球体、天体の意であること、辞書で調べてみた。

特に「天体の音楽/The music of the sphere.」という例文も書いてあった。ううむ、僕が演

奏中に感じたことも、当たらずとも遠からずという気がしてきたが。


彼の経歴を見てみると、ジャズの仕事を始める十代後半まで、福音派の伝道者とともに、各

地の教会でオルガンを弾いていたとある。福音派、というものが、キリスト教という膨大な知

識と意識と知恵と流派の固まりの中で、何をどのような形で活動しているのか僕は知らない。

だがしかし、Mr.Sphereの中には、もう天体そのものが見えていたのではないだろうか。滅茶

苦茶な理由付けと承知しながらも、まあ、演奏者が楽しくこの「MIOSTERIOSO」を弾くことが

できればいいではないかと、ひとり、分かったつもりでいる。何にせよ、UAや、その他のバンド

では聴くことのできない、「別の」鈴木正人君の素晴らしいベースの音が、自転するメロディー

の奥から、聴こえてくることには間違いない。


某月某日
SOLAR

自分のバンドのメンバーの良さを、バンドリーダーが意識しないわけがない。鈴木正人(B)、

芳垣安洋(DS)のトリオでの演奏は、EWEから出ているアルバム、「ELEGY」からCD盤として

世の中に出たが、元々、ご存知のとおり、芳垣氏は、もうひとつの我がバンド、GO THERE!の

メンバーでもあり、もっと掘り下げて言えば、芳垣氏が大阪に住んでいた頃からの付き合いで

ある。アメリカから帰ってきた1995年頃、芳垣氏と既に演奏をはじめていた。アメリカで、

色々な音楽を見聞きしてきたが、音楽即ちそのプレーヤー存在そのものであり、それを元に

各自がアンサンブルするということが、すなわちバンドであると学んだことは、大きな収穫で

あった。その意識が伝播できるドラマーの一人が、芳垣氏だと、帰国後早くも感じたことを覚

えている。光陰矢の如し。1998年ぐらいから、芳垣氏にGO THERE!に加わってもらった。爾

来、バンドサウンドが煮詰まったことは一度もなく、GO THERE!事体のサウンドの発展に、芳

垣氏は貢献し続けている。

二つのリーダーバンドを持つということは、各々に特色がなければ意味をなさない。僕の中で

は、GO THERE!はオリジナル中心、ピアノトリオはスタンダード中心という位置づけをしている

つもりでいる。その二つのバンドに、同じドラマーを使うことは、本来危険が伴うことであるの

だが、芳垣氏の音楽性の深さは、僕のちょこざいな心配を大きく凌駕しており、まったくもって

フトコロが深い。21世紀のレガートは、彼が叩き出している。その大きな魅力を、存分に披露

するために、マイルス・デーヴィスの「SOLAR」を選んだ。正解だったと思う。

某月某日
LIKE SOMEONE IN LOVE

「LIKE SOMEONE IN LOVE」の歌詞を訳そうと思って、しばらく思案した後、やめた。

スタンダードの英語の歌詞に限らず、英語の詩というものも総括的に読んでみると、僕にとっ

ては、これはお手上げだということを確認する作業にしかならない。何でお手上げかって?頭

の中で邦訳することができないからである。あまっさえ、萩原朔太郎氏の詩を読んでどう感じ

たかなんて、どんなに筆が立つものでも、容易に文章化することは難しい。日本の詩でさえそ

うなのだから、母国語でない詩を邦訳するなんて、僕には無理だ。さらに問題なのは、なま

じ、英語の歌詞なので、各々の単語の意味は分かってしまうという妙なバイアスがかかること

が、頭の中の翻訳機能をさらに鈍らせたりする。しかし、今回のCDのタイトル曲となった

「LIKE SOMEONE I N LOVE」の歌詞は、内容を理解することに関して、他のスタンダード曲

の歌詞より、僕にとって少し身直に感じることのできる数少ないスタンダード曲である。お手

上げだ、やめた、といいつつ、ちょっと日本語に歌詞の内容を移し替えてみようか。この曲の

最初の出だしには、まあ何となくこんなことが書いてあるのではないだろうか。「このごろ、 何

となく星を見上げている自分に気付くことがある。ギターの音を聴きながら。まるで誰かが恋

をしているように~」「Lately I seem to find I'm gazing at stars,Hearing guitars,Like 

someone in love~」

邦訳ヤメ!恥ずかしい。やはり日本語にすると、何かしらのしのエッセンスが逃げていってしま

うような気がしてならない。僕はこの曲を、まず歌詞が好きだから選んだので、そのいきさつを

文章にしようと思って書き出したのだが、どうもうまくいかないらしい。いずれにせよこの歌詞

は、己のロマンティックな感覚を、意識的に第三者の視線からとらえていて、あえてその表現

で、けだるく歌詞の内容を完結させているところがステキなのだろうと思う。もちろんメロ

ディーも秀逸だから、CDの表題にすることに決めたのだけれど。だがやはり、詩というものは、

その言葉のネイティヴでないと、文字の数ミリメートル上の芳香を充分堪能することはできな
い。

しかし、メロディーは別である。この曲のメロディーには、口笛が似合うと思う。僕がこの曲の

メロディーを弾いていて、いつもイメージしているのは、晩秋の自由が丘近辺から、駒沢公園

をはさんでROUTE 246までの、街のたたずまいだ。東京独特の、これから冬になりそうな空

気の乾燥度とか、そういう条件のもと、このメロディーを、かすれた口笛を吹きながら、気に

入ったジャケットなどを着て、散歩をしている、そんなイメージをこの曲のメロディーから感じ

ることができる。まあ、この感覚を、僕の意見だからといって限定するつもりはないけれど。だ

が、少なくとも僕がこの曲を演奏するときは、上記のような気分とイメージが、どうしても沸き

起こってくる。自然と、CDの「LIKE SOMEONE IN LOVE」も、晩秋の駒沢公園辺りを散歩し

ているときのイメージで演奏した。

何度も記すようだが、この曲のメロディーには、かすれた口笛の音が、よく似合う。


某月某日

新しいトリオ、「LIKE SOMEONE ION LOVE」のCDを買った方ならお分かりのように、今回の

菊地氏のライナーの文章は、直接、CDの曲目を説明するといった常套句でないことがお分

かりであろう。いずれにせよ、美文ではあるけれども。そこで、何の足しになるかは分からずと

も、ここで、今回のCDの自分なりのライナー、乃至は所見を述べたいとおもう。再度誤解のな

いように一言加えるが、菊地氏の文書に、物足りなさを感じて書こうとするということでないこ

とだけ、はっきりさせておきたいとおもう。これは僕なりの、自分に向けたライナーノートであ

る。

MY FOOLISH HEART

言わずもがな、ビル・エヴァンスの名演のひとつである。事の起こりはこうだ。何年か前、菊地

氏の仕事で、映画、「大停電の夜」という映画のサウンドトラックの製作に参加した。この映画

をご覧になった方はお気づきであろうが、この「MY FOOLISH HEART」が、ある意味、狂言回

しの役割をこの映画のストーリーの中で担っている。映画では使われなかったが、一応、ピア

ノトリオのフォーマットで演奏したヴァージョンが、今回のCDの最初の曲となった。これを演奏

したとき、スタンダードのみのCDを制作するといったような意識は微塵もなく、ただ、サントラ

用に、ビル・エヴァンスの演奏を、我がトリオのメンバーが、オリジナルの演奏を意識しなが

ら、それなりに真似るような真似ないような、何ともいえない気恥ずかしさを覚えながら演奏

したのが、今回のCDの第一曲目となった。後、いざ総本山のビル・エヴァンスの演奏と聴き比

べてみたら、似せようとおもった演奏が、全然似ていないことに各自の演奏者が気付いたの

であった。当たり前のことに気付くことには、逆に言えば、ある一定の演奏経験なり、各自の

ミュージシャンの感性の中の何かを刺激するものがなくては気付く筈はない。そういった観点

から、よし、これはこれでいい演奏なのだとメンバー各自納得し、EWEのA&R,M氏に、スタン

ダードのみのCDを制作するというアイデアを発案してぶつけてみた。M氏は幸いにして、最

初からその案に乗り気となった。ここから僕が、「MY FOOLISH HEART 」に続く、新たなるス

タンダードナンバーを探すという新しい役割が生じたこととなる。

追って、次の曲の自分なりの解説も、書いていこうと思う。しばし待たれよ。

某月某日
さて、今日はEWEより、新しいトリオのCD「LIKE SOMEONE IN LOVE」の発売日だ。残念な

がら小用が重なり、今日の午後あたり、タワーレコードなどに、変装をして様子を見に行く時

間がないのが悔しい。今日は、と書いたが、今は午前一時半。セロニアス・モンクのCDをかけ

て一人で祝杯をあげているところだ。おっと、酒がなくなったので、近くのコンビニエンスに出

動してくる。しばし待たれよ。、、、、、、、(5分経過)えっと、夜のコンビニエンスというのは、

何故あのように明るいのであろうか。瞳孔のスジの筋肉痛をおこすかと思った。しかも僕は蛍

光灯が大嫌いである。我が部屋に入りまたモンクを聴きはじめる。意外に思われるかもしれ

ないが、何故だか今年に入ってから、あまりCDで音楽を聴かない。なにも音楽を機械で再生

しなくても、頭の中で鳴っているときがあるから、邪魔になるというのがひとつの理由だと思

う。まあ、ある意味頭の中がラプソディーなんだろう。


今回のCD、ライナーを菊地成孔氏に書いてもらった。秀逸な文章である。日本語の軸の部分

を、いたぶったりくすぐったりしているような彼の文体は、とかくペシミスティックな文章になり

がちな日本語という言語の中に有って、希有なリズムを持つと思う。どうあれ、ライナーの文

章はライナーのごときにあらず、いわゆる曲紹介などを含めたライナーは、僕があらためて、

後日書くことにしようかと思っている。


ニュース番組を見ていると、どうもペシミスティックになっていけない。まあ、もともと、ジャズと

いう20世紀に生まれた音楽は、近代、現代の人類のペシミズムを代表して表現しているよう

な音楽だと、僕は感じているのだが、どうも、最近の世の中の動向は、ジャズが表現してい

る、また、表現しようとしているペシミズムとは、また別種の様相を呈しているようにも思う。

まあ、そういう気分のときでも、モンクのピアノは、今日のような、僕にとって特別な日に実に

フィットするのだが。さあ、あしたから、また何が起ろうと、苦笑を軸に、口笛を吹きながら毎日

を送ることとしよう。それしか対応策なさそうだからね。

某月某日
NEWSの欄のCD発売日が間違っていました。なぜか3月23日と記載してありました

が、4月23日の間違いです。また、新しく出る本のサブタイトルは、「−ピアニスト・エ

レジー銀座編−」と決定しました。内容を詳しく述べることは、本を出す意味がなく

なりますので避けますが、僕が高校時代、ジャズに興味を持ち、毀誉褒貶、精神的天

変地異、偶然と悪運と幸運の渦巻きの末、バブルの時代の銀座のナイトクラブの仕事

を経て、アメリカに留学するまでの話しをまとめたものです。4月23日発売予定のCD

は、NEWSの欄にあるように、スタンダードのみ、今回は、ストリングス無しの、掛け

値無しのピアノトリオ演奏です。記載ミスをお詫びしたいと思います。なにしろ秘書

もなく、全て手作業で行っており、小さな記載ミスが大事になることがあることは、

重々承知していますが、ご勘弁下さい。

某月某日
まずは、本に関しての詳しい情報が新たに届きましたのでお知らせします。

前の日記と重複するところは目をつぶってください。

「白鍵と黒鍵の間に」ー ピアニスト・エレジー ー 銀座編  南博著 小学館

定価 1785円(税込)5月15日発売。

なんと、5月15日は僕の誕生日である。40歳を超えると、別段、誕生日という

日にちに対して、深い感慨もわかなければ、誰も僕の誕生日を祝ってくれなく

ても、そんなもんだと思えるようになってくる。そういう思いの中には、僕が40

歳の誕生日を迎えた時、もう充分10年分の誕生日の至福を受けるような誕生

日パーティーを僕が満喫したということも影響していると思う。40歳の誕生日

を迎えたのは、コペンハーゲンだった。ちょうど、キャスパー・トランバーグのバ

ンドでのデンマークツアーが終わった日であった。7月初旬の陽気のいい日

で、僕のために、演奏仲間や、その友達、各々のガールフレンドなどが、レスト

ランでは味わうことができない、デンマークの家庭料理を持ち込み、あらゆる

種類の酒を用意して、僕の誕生日を祝ってくれた。サックスプレーヤーのヤコ

ブのアパートの前にある庭に、わざわざいくつかのテーブルを運んでくれて、な

かなか暗くならない北欧の初夏の天空のもと、パーティーは時間の次元を超

越して、止まるところを知らなかった。デンマークの家庭料理に舌鼓を打った

後、僕も含めて、誕生日パーティーの参加者全員が、しこたま酒を飲み、らん

ちき騒ぎ寸前の状態で、僕が聞いたこともない、デンマークのお祝いのときに

歌う古い歌などを彼らが合唱してくれて、僕の誕生日を祝ってくれた。そのとき

僕は、自分の誕生日を十回ぐらい祝ってもらったような気がしていたのである。

なぜかと言えば、少なくとも、あの乾燥して空気の中、コペンハーゲン郊外の、

森に囲まれた白夜の中で行われ誕生日パーティーに匹敵するものは、二度と

再現不可能だと思ったからである。

それから七年間、誕生日らしいパーティもしたことも無ければ、実家にも帰った

わけでもなく、時はすぎた。だが、今回自分の本を出版するにあたって、その発

売日が奇しくも自分の誕生日となった。これは特別、編集者と打ち合わせをし

た結果ではない。単なる偶然だ。七年前の、あのコペンハーゲン近郊の澄んだ

空気の記憶が、今回は、本の発売という特殊な事情にて塗り替えられようとし

ている。時はうつろう。しかしうつろうがこその、飛び石的な特別な誕生日を迎

えようとしている。いずれにせよ、これを吉事だと思い定め、飛び石でも良いか

ら、また新たなる、そして違った形の誕生日を、将来も迎えたいものである。



某月某日

気がついてみたら、正月以来文章を書いていないことに気付いた。生来三日坊主ならぬ三

十秒坊主である僕らしい所行ではあるが、今回だけは、他に確固とした理由がある。この

日記以外のところで文章を書き続けていたからだ。それで日記まで手が回らなかった。よ

うやく三月中旬を過ぎ、書き続けることから解放されたのが、ついこのあいだ。実は本を

出版する成り行きとなった。僥倖である。タイトルは、「白鍵と黒鍵のあいだに ー ピ

アニスト・エレジー銀座編」発売日、5月中旬、発行元、小学館。まあ、エッセーのよう

な、そうでないような、僕の業が深いんだか浅いんだか、やる気があるんだか無いんだ

か、正直者なんだかずるい奴なんだか、よくわからない今までの所行を、あるときはアン

ティペダンティックに、ある時は饒舌に、ある時はささやくように書き下ろしたもの。正

確な発売日、本の値段などは、またこの日記、またはウエッブのNEWSの欄でお知らせし

たいと思っています。皆様、どうか本の出る日を楽しみにしていてください。


さらに、新しいCDも発売となる。タイトルは、「LIKE SOMEONE IN LOVE」。曲目は

スタンダードのみ。メンバーは、鈴木正人(B)芳垣安洋(DS)という布陣。発売日、4月

23日。あえてオリジナル曲を入れなかったことについては、この日記の欄でその理由を書

くことになるだろう。ちなみにライナーノートは菊地成孔氏が書いている。まあしかし、

菊地君の文章であるから秀逸であるということは言うまでもないことだが、発売日が近づ

いたら、菊地君とはまた焦点と観点を異にした、自分自身のライナーノートを、次回の新

譜のために書くつもりでいる。もし僕の三十秒坊主が頭をもたげなければの話しだけれ

ど。双方の活動に新しい進展があれば、またこの欄に書き加えていきたいと思う。次回の

日記を待たれよ。