デンマーク紀行完結。後半を書き終えた。バックナンバーから読み始めた方が面白いの

で、この日記を初めて読む方は前に戻ることをお薦めする。

某月某日
日々の疲れが出て昼過ぎまで寝る。寝られたというべきか。日々これすでにUP SIDE 

DOWNなので、早起きをしたような気分。だいたい前に書いた通り、午後9時を過ぎない

と外が暗くならないので、その影響もあろう。本日はオフであり、コペンハーゲンの街を

散策した後、ア−マッド・ジャマル(P)トリオのコンサートに行く。本筋の、本物のプ

ロの、余裕に満ちた、豊かなサウンド。こんな贅沢をしていて良いのかしらとふと思う。

東京ではめったにコンサートにも行けぬ。東京で聴くより五分の一の値段で、しかもト−

ステンの家には、歩いて帰れる距離である。ローカルなミュージシャンのすばらしい演奏

も多々見たが、このコンサートは別物であった。コンサートの場所は、TIVOLIという、

なんというか遊園地の中の、グラスガーデンという建物であった。TIVOLIとは、夏季は

午前1時まであいている大人も楽しめる遊園地のようなところで、コペンハーゲンの中心

部のそのまたど真ん中にある。豊島園が、銀座四丁目にあるようなものだ。不思議な国で

ある。うっすらと白夜の中、コンサート開場を出ると、そこはお伽の国という摩訶不思議

な空間であって、大人も子供もはしゃいでいて、しかもバーがそこいら中にあるから、

ビールを飲むところに困らない。何度も書くが、コペンハーゲンとはいったいどういうと

ころなのか。先祖の時代から親しまざるをえなかった白夜の夏の夜の時間のすごしかた

を、現代に於いて凝縮したのがこのTIVOLIという場所ではないか。ト−ステンの家に

帰っても、また誰もおらず、寝坊したのでまた明け方まで眠れず、鳥の声を聴き、段々空

が白んでくるその空の色を楽しんでいたら、明け方の静寂をぶちやぶるようなミドルイー

スタンミュージックが、閑静な住宅街に突然響き渡った。何ごとかと窓を開けてみると、

タクシーが停まっており、その中からトーステンが千鳥足でおりてきた。コペンハーゲン

のタクシー運転手は、NYの例にもれず、大体がトルコ系などで、トーステンは、それ系

の運転手に、ラジオかテープか知らねども、演奏後の帰途、多分音楽をフルヴォリュ−ム

でかけろと無理難題を運転手にいったに違いない。白夜の夜明けと中東のサウンド。ミス

マッチでクレイジーな瞬間だった。また、最もトーステンらしい御帰還とも言える。ドア

を開けて入ってきたトーステンは相当できあがっていた。こういう場合、忍び足で逃げる

に限るが、あいにくまだ起きているところをトーステンに目撃されてしまった。「ア〜ヒ

ロシ、レッツリッスウントゥ ア グウド ミュジック 」などと言いながら後ろから

迫ってきて、僕の眼前でニコッと笑った。何が彼の身に起きたかは推測しかねたが、いま

彼は非常に淋しい状態にあるということが一瞬にして察知できた。居候としてこのオ

ファーにノーとは言えぬ。長い明け方となりそうな予感がした。彼は、ジャズ、ロック、

民族音楽、クラシック、あらゆる種類の、しかも厳選されたレコードやCDを持ってい

て、まずこの夜明けにはこれを聴かねばといった調子で、GILL EVANS &STEVE LACY

のデゥオアルバム「PARIS BLUES」をターンテーブルにのせた。ものすごくタイミング

のあった選曲だった。白々と明けて行く薄いブルーの夜空に、この二人の希代の音楽家の

音が溶け込んでいった。鳥も鳴いている。次はデゥーク・エリントン、次は現代音楽の

モートン・フェルドマン。あまりにも選曲がその瞬間瞬間の空気にあっているので、僕は

もうベッドに辞退すること事体あきらめて、ずっと夜があけるまで、トーステンと無言

で、微笑みあいながら、ちょっとクラシックなテーブルとイスをはさんで、止まってし

まった時間を共有した。二人とも今までも友人であったが、この瞬間、二人の間にはある

共通のシンパシーのようなものが生まれた。つまりダチになったのである。お互いのコ

ミュニケーションは、第二外国語である英語によってなされていた。が、この瞬間、二人

の心の中の共通点を、音楽が見事に浮き彫りにした。共通して好きなサウンドにお互いが

反応し、微笑みあう。こういう場合嘘はつけない。長い長い夜明けをトーステンと共に過

ごした。新しい、真の友達ができた瞬間でもある。彼は真の意味で自分の世界を持った才

能ある芸術家で、そこに彼のクレージネスが加味されると(これは僕が他のミュージシャ

ンに送る最大限の賛美の言葉だ。)、その瞬間、コンサート会場の次元がよじれるような

演奏をする。この文章で彼を言い表わすのは難しいので、トーステンのウエッブアドレス

を紹介しておく。

(http://tshoeg.dk/)

彼は、菊地成孔氏の「10 minutes 0older」にも参加している。

詳しくは、(http://www.ewe.co.jp/titles/detail.php?tid=418)

某月某日

明け方まで起きていたにもかかわらず、本日は大切な日である。ホテル、KONG 

ARUTHER(コングアータと発音する。)に於いて、デンマークジャズ協会、コペンハーゲ

ンジャズフェスティヴァルのアートディレクター、その他、海外から演奏に来ている

ミュージシャンが集まるレセプションがあるのだ。ここに於いて僕は、日本のジャーナリ

ストと共に出席し、取材を手伝い、フェスティヴァルのこと、新しくレコーディングする

CDのことなどを、お偉方と話し合わねばならない。アポイントメントはとってある。

5つ☆ホテルの清々しい中庭に於いて、そのレセプションは開催されており、もちろん

ジャムセッションなども角のほうでやっている。くつろいだ中よい意味の緊張感を持っ

て、ディーセントなイングリッシュをしゃべらなくてはならぬ。キャスパーや、他の

ミュージシャンとしゃべる時など、同類という意識から、あまりきれいな英語はしゃべら

ないが、今日この場所に於いてはそれは許されない。またもやフリーで飲み物、食事が供

される。良い国柄ですな。食事には寿司なども含まれていて、あわやこちとら餓鬼道に陥

りそうになったが、ここはぐっと我慢して、コーラなどを飲みながら、日本から来た

ジャーナリストと、フェスティバルの主要メンバーと歓談。後は日本でこのことが良い雑

誌に良い意味で記事になることを期待するのみ。こちらも日本、デンマークの文化交流の

未来について話し合う。後、CHRISTIANHAVNという地域にあるBEBOERHUS(ベボーフ

スと発音する)に、ニルスのリーダーバンドを聴きに行く。数日後、僕もここで演奏する

予定だったから、偵察の意味もあった。彼のグループの名前は、JUMPNG GEMINIとい

う。ニルスらしいグループ名と演奏であった。ぶっ飛んでいそうで、ジャズの伝統には充

分配慮しつつ、またそれをぶち壊して前に進むといった,ニルスの分身のようなグループ

で、長年彼を知っているから微笑ましかった。前にも書いたがデンマーク人はロウソク

フェチである。絶妙な箇所に、細工の良いキャンドルスタンドにロウソクの火がともった

そのクラブは、暮れなずむ午後10時の空の色と相まって、居心地が良い。残念ながら客

の数が少ない。僕がメインの客のように成ってしまっているところもあり、ステージの真

ん前で、声援を送って仲間を鼓舞した。客数はなぜか少なかったけれど、それなりに僕は

贅沢な時間を過ごした。貸し切り状態に近かったから。その後僕は、街中にさまよい出る

ことにした。時々東京にいる時でも、ふとどこか見知らぬ路地などを探索したくなる。コ

ペンハーゲンはそういう欲求を満たすのにもってこいの街である。あらゆる看板や、店先

のメニューなど、読める字は読めるし、読めない字は読めない。読めない通りの名前もあ

るし、読める通りの名前もある。方角がぜんぜん分からなくなる時もあるし、ふと見覚え

のある通りなどに行き当たると方角が分かる時もある。そんな時間を当て所もなく歩くこ

との爽快さ。見知らぬ街が永遠に続いていたらどんなに楽しいか。僕はヨーロッパの街並

が大好きだ。CHRISTIANHAVNから運河を橋でわたり、CITYの方に歩んで行く。

某日某日
今日は、STUDENTERHUSET(スチュ−デンターフゼット)というところで演奏。

「MORTIMER HOUSE」で共演した仲間と瞬時にサウンドを作り上げる。ある程度の時間

いっしょに演奏していなかったが、長年何度もいっしょにやっていることも事実で、第一

音目から、さっとバンドサウンドに変化する。お互い体のどこかに何度も共演した時の

ヴァイブレーションが残っており、それが即表面化するのだろう。加えて、いままで彼ら

が演奏してきた様々な音楽的要素が新たにに加わって、我々の演奏は天井知らずと言った

ところだ、特にキャスパーの音楽に対するアプローチの斬新さがよりスケールの大きなも

のとなっており、さすが隊長格。バンドを制御しながら、その場その場でソロイストを状

況によって振り分けて行く。一曲一曲も、長過ぎず短すぎず、どんどん前に進んで行く。

ピアノはグランドだったが、あまり良いコンディションとは言えない代物だったが、とに

かく空気が乾燥しているのでよく楽器が鳴る。スチュ−デンターフゼットは、クラブの名

前を見れば分かるように、近くにある大学の学生のたまり場だ。キャスパーの絶妙なアナ

ウンスによって、客がぐんぐん引き付けられる。といっても、僕には彼が何を言っている

のか分からないけれど。我々の演奏の後、比較的若い世代のミュージシャンがジャムセッ

ションをすることとなっており、彼らにピアニストはいるのかと聞いたらノーと言う返事

だったので、ジャムセッションに僕も参加した。非常に楽しい経験だった。ジャムセッ

ションなど何年ぶりだろうか。曲が終わるごとに、前列の客席から、「アリガトー、アリ

ガトー」という声援を何度もうけた。有り難い限りである。他国に於いて母国語で声援を

送られるなど、なんともミュージシャン冥利に尽きる。後、初日に演奏したSTENGARE 

にキャスパーの参加するバンドを見に行く。演奏後も、前にいた通りのFUNKY PUNKY 

で、後深夜帰宅。7月2日から11日のあいだ、コペンハーゲンの各クラブ、バー、コン

サートホール、野外ステージで、同時に色々な音楽が演奏されている。キャスパーなどこ

の間、28もの違ったグループでの演奏をこなしている。僕だけが、へたれることは許さ

れない。

某月某日
先日、ニルスのバンドを聞きに行ったBEBOERHUSというクラブで演奏。今日はなぜか客

が満員御礼である。BEBOERHUSというクラブはCHRISTIANSHAVN(クリスティアンズ

ハウンと発音する)という地域にあって、位置としては、港に近いお台場的ロケーション

だ。古くから人が住んでいる落着いた感じの地区だ。BEBORHUSも古いカフェであり、

この近辺に住んでいるあらゆる階層の人々が、何げなく立ち寄り、話をしたり、情報を交

換したりする場所らしい。どうも客層が今までとは違ったと思ったら、そういう理由があ

るのかもしれぬ。毎週ジャンルは異なるが色々な音楽をやっていて、その中には演劇も含

まれるという、つまり地域に人に愛されるべく存在する空間なのであろう。マイク、モニ

タースピーカー類がない場所なので、自然と、まあ演奏の内容は別にして、元々ジャズが

演奏されていた状態と同じ条件となる。一曲目を始める。何もないのだからサウンド

チェックなどしなかった。しかし幸運なことに、ステージか店の入り口に面した窓側を背

にしており、もちろん天井は高い。ナチュラルなりヴァ−ブ効果が、我々の演奏に加味さ

れた。こういう場合どれだけ楽器を鳴らせるか、どれだけダイナミクスをコントロールで

きるかが、我々演奏者に要求される。その分の緊張感が音楽に良い効果をもたらすと、演

奏は次々と飛躍して行く。僕もその中にいた。ピアノはアップライトの非常に古いもので

あったが、とにかく空気が乾燥しているので楽器が鳴る。グループ全員一体となって、

キャスパーの出すキューや指示を待つ。窓の外が段々暗くなって行き、店のそこかしこに

あるキャンドルの光が、主な光源となってきて、まあ、これ以上の雰囲気は望めないなと

思っているうちに、客にも演奏者側にも適度なビールの心地よい酔いがまわってきて、全

体の雰囲気がぴたりと一丸となった。僕はこの場でピアノを弾いていることに非常なる満

足を覚えた。機械的操作の入らない演奏とは言え、意外と奥のほうの客席まで音は響く。

時間がゆっくりと流れて行く。

某月某日
身繕ろいに時間がかかる。朝起きた時がその良い例である。トーステンの住まいの風呂場

には、なぜかシャワーカーテンがない。しやがって、どう工夫しても、バスタブの外の床

に水が飛び散る。長年そのまま使っていたのか、排水口に向かう水の流れの線の中は、何

かしらぬるぬるしているので、上手くまたがったり、タオルなど落とさぬように気をつけ

なければならない。床には水たまりのようなところもあって、そこは水分に含まれている

石灰かカルキかなんだかしらないけど変色している。階下に水がもれないのだろうか。あ

る日、トーステンがシャワーを浴びた後、そっとのぞいてみると、僕より水が床に飛び

散っていた。家主のやることを見習うのが居候の礼儀である。後々、盛大にシャワーを浴

びることとした。気兼ねなしである。朝飯もまた、準備まで一苦労である。最初はデン

マーク名物のオープンサンドなど外に買いに出ていたが、毎日が同じ店だとつまらぬし、

かといっていろいろと試す金もそうないから、自分で作ってみることにした。外国のスー

パーマーケットに行くのは、旅の楽しみのひとつで、デンマークの場合、ばかでかい肉や

ソーセージがすぐ目に着くが、他にもいろいろと見たことのないものが並んでいる。何か

の魚の酢漬けの缶詰めや瓶詰め、パンにぬるペイストなどの種類がやたらと多い。まけず

にチーズもいろんな種類がある。これらを適当に見繕ってきて、茶褐色のパンにのっけて

食べる。パン事体、麦とか何かの種とかが豊富に含まれていて、酸味が強く、これだけで

も何枚も食えるほど気に入った。この上に、好きにトッピングをして食べると、自然外で

売っているオープンサンドに近いものができあがる。日に一度は暖かい飯が喰いたいと

思ったこともあったが、節約のため、ほとんど毎日三食これでしのいだ。何度も書くが、

パンが旨すぎる。


某月某日
PIERRE DORGEという人物に会う。なぜこの名前をアルファベットで記するかという

と、いまだに苗字の表記がカタカナでは不可能だからだ。Oに斜め線/が入るので、母音

が5つしかない言語には表記不能だ。これからはピエールと呼ぶことにする。彼は、NEW 

JUNGLE ORCHESTRAという10人編成のビッグバンドを運営しており、キャスパーもそ

のメンバーの一人である。今年11月にデンマーク嬢王が来日されるそうで、この

NEWJUNGLE ORCHESTRAも、レセプション、パーティーなどで演奏するため、嬢王と

共に日本に来るということが決まった。僕がデンマークに行く前、ピエールから直々に電

話がかかってきて、どこかこの人数で演奏できる場所を紹介してくれという。キャスパー

経由でここに連絡先が来たのだろう。いくつか紹介してメールを送ったら大変喜ばれ、コ

ペンハーゲンに来たらぜひ会いたいということになっていた。ある日の午後直に彼と会っ

たら、いっしょにディナーでもと誘われた。今回のこのフェスティバルを取材している

ジャーナリストといっしょに、モルドヴァ料理を御馳走となる。彼らの来日は11月。

某月某日
友人のピアニスト、ミヶの家で練習させてもらうことにした。レコーディングまで2日空

いた。演奏はもう終わった。フェスティバルの他のグループを聴きに行くというのもやめ

て、予定を入れず、この2日間で、レコーディングにたえるフィジカルな部分を取り戻さ

ないといけない。ミケの家は大金持ちで、日本の国会議事堂にあたるCHRISTIANBORG 

PALACEという名の建物の裏の通りに居を構えている。ミケからこれは裏側だと説明され

たが、僕にはどうも表にしか見えず、実際表側も見たことはあるが、いずれにしろゴジラ

が思いっきりぶっ壊したくなるような代物ではない。ヨーロッパの一国の政治をになう建

物としての威風堂々たるものである。ミケの家の建物に入ると、中庭に私設のスタジオが

ある。住まいはCHRISTIANBORG PALACEに面した一室を所有しているということだ。

スタジオにはグランドピアノであり、斜めの屋根に窓をはめ込んだそのスタジオは、曇り

空ながら自然に明るい。夢のような環境である。このスタジオには何度も来たことがあ

る。たぶんコペンハーゲンに最初に来た時も、ここに遊びに来たのではなかったか。我が

バンド、GO THERE !がデンマークツアーを敢行した時にも、デンマークのミューシャン

ンと、日本のミュージシャンでどんちゃん騒ぎをした。しかし今日は僕一人である。ゆっ

たりソファーなどに座っていると、そのまま動きたくなくなる。ここでも鳥の声が昼間で

も聞こえる。議事堂の裏でである。窓から外をのぞくと、中庭に面したその場所からは、

三方の壁に、きれいな草が絡まっていて、なんとも良い眺めであり、なんとも心地よくも

あり、そこに来た目的を忘れてしまうに充分な環境が、そこにはあった。誰も邪魔しない

空間であるので、5時間ほどぶっとうしでトレイニングをしたら、使ってない筋肉が悲鳴

をあげはじめ、午後7時頃GAVE UP して、母屋のほうに入るミケに電話をかけ「OK I 

GAVE UP」と言ったら、こっちに遊びにこないかと誘われた。このオファーにもノーと

は言えまい。スタジオは、昔馬や牛を飼っていた時のものを改装して建てたものだそうだ

が、こんど始めて行くミケのアパートを見て、さすがの僕も飛び上がった。まさしく窓の

真ん前にはCHRISTIANBORG PALACEがパノラマのように窓をすかして見え、その左

側には運河と、その端に建つ古いパートのコペンハーゲンの街並が一望できる。ここら辺

は観光客も少なく、僕の格好の散歩道だが、この眺めは散歩では得られない。ここまでロ

ケーションの良いホテルもなかなかないであろう。ミケの住まいは4階だ。19世紀の舞

台装置のような階段を上がった。階段の手すり、壁の模様、全てが優美である。ドアを

ノックするとミケがニコニコ顔で迎え入れてくれた。部屋は優に12畳ほどのものが三部

屋あり、その他に、広いキッチン。かっこいい間接照明がそこいら中に趣味良く置いたり

天井から釣ってあったりする。暮れなずむ空の向こうを、窓を通してみてみると、街の尖

塔などが、曇り空にふっと浮いているのが見える。ミケはワインを運んできてくれ、かけ

た音楽が、マイルス・デイヴィスの「IN A SILENT WAY 」であった。ここまで気分が良

いと、自然とだらしなく微笑んでしまう、ミケのほうを見たら、彼も大差なし。国会議事

堂のすぐ裏で、しかも高級アパートメントで、マイルスのサウンドをスエーデン製の高級

スピーカーで聴いている僕は、いったいだアれ?僕はコペンハーゲンと、ミケが住んでい

る地域を誉めると、昔はもっと良かったんだという返事が帰ってきた。子供の頃は

CHRISTIAN BORGの外堀で釣りもできたし泳ぎもした。いまでは水質が少し汚くなりそ

れが出来なくなった。と、ふっと淋しい顔になった。こんど東京の川を見に来いよ。と

言ってやったら少し二コッとして、白ワインも開けちゃおうぜ、な、ヒロシなどと言って

キッチンのほうに消える。彼はあらゆるゲームが好きだと言う話をキャスパーから聴いて

いたので、考えた末、矢の先がマグネットになっているダーツをプレゼントした。これに

はミケも幸い御満悦で、プレゼントしたその日から矢の持ち方、距離や投げ方、自分だけ

の秘策について研究を始めている。白ワインをのみ終えた頃、完全に日が暮れた。11時

すぎである。ダーツとこの歓待では、さすがに交換条件がこちらに負が生じるような気が

した。いくら友達とは言え、ここまでの親切にどう礼を言えばいいのか。最初はそんなこ

とばかり考えていたが、ワインを飲むにつれ、ミヶも楽しそうだし、もうどうでもいいや

という気分になった。国会議事堂の裏の高級アパートメントで、ジャズを聴いてミケとは

しゃいだ。世の中なるようにしかならないと、いつも少しペシミスティックな僕だが、今

日、今晩は、こういうふうになるようになった。たまにはいいだろう?


某月某日
トーステンの家で洗濯しようと思ったら、洗濯機の扱いを教わっていないことを思い出し

た。しまった、聞いておくのだった。洗濯機は中のドラムが横に回転するもので、ダイア

ルにkとかIとかCとか書いてある。なぜか説明書が洗濯機の上に置いてあった。持ってい

る本人もたまに分からないことが有るのだろう。そんなものが扱えるのか。しかもその説

明書は、デンマーク語、スエーデン語、フィンランド語で書いてあり、英語の表記がな

い。後は、たまに出てくる図解などを参考に適当にやるしかない。ダイアルに、オレンジ

色の線が入っていたので、ここが終着点と目星をつけ、そのオレンジ色の線から一番遠い

ところにダイアルをひねり、スイッチを入れてみた。はたして給水が始まり、ドラムも回

転を始めた。30分ぐらい経ってからのぞきに行くと、洗濯のプロセスは最初のままであ

る。また三十分ぐらいして見に行くと、なんだか永遠に中のドラムがまわっているように

感じた。早く脱水に行きついてほしい。適当にダイアルをオレンジの線の方までひねっ

た。途端に洗濯機の動きがぴたりと止まり、一瞬後、排水して給水を始めた。コレハなん

だか最初のスタートラインに戻ってしまったようだ。そういう最悪のことだけは良く分か

る。とにかくほっておいたら、洗濯機はずっと僕のパンツをグルグルまわしていた。外国

に来ると、一時が万事こういった調子である。

某月某日
翌日もまた、ミケの家にピアノを借りに行く。本日は都合上、ミケのスタジオではなく、

彼のお兄さんの部屋で練習させてくれるという。ミケのお兄さんもピアニストとは知らな

かった。ミケのお兄さんはミケのアパートメントの階下に住んでおり、家の間取りもまっ

たく同じだが、屋内の装飾はそれぞれ個性があってまったく違う。やはり部屋は三つ有っ

たが、ピアノの置いてある部屋がクリーム色、次の部屋が、黄色、白、寝室が淡いブルー


と壁の色をぬり分けている。遠近法をうまく取り入れたおしゃれな場所であった。これは

洋画の伝統を取り入れているのか、もともとこういう家の中で絵を書いていたのか。とに

かく、広い場所が更に広く見える。もちろん窓の外にはCHRISTIANBORG PALACEが一

望できる。議事堂の裏で練習するなんて一生のうち最初で最後だろう。しかもピアノはス

タインウエイであった。こんな親切をダーツのおもちゃひとつで享受していいのかと思っ

たが、とにかく今は練習しなくてはならない。しかし、おお、スタインウエイ!天井の高

い、本当の意味の洋間で弾くピアノは、部屋中に鳴り響いた。いつも防音の部屋で練習し

ているので、この聴覚の格差は大きく僕の気持ちを揺り動かした。元々こういう場所で弾

くべくできあがった楽器なんだなあとつくずく思った。畳の上に絨毯をひいて、その上で

無理に弾いたってな。しかし、昨今のピアノコンクールで、日本人や韓国人が上位に入る

のは、何かしら涙ぐましい訓練をしているのに相違ない。この音色で、音の強弱や、モー

ツアルトや、ベ−トーべンが生気をよみがえらすのだろう。しかもこのタッチ、他のピア

ノとはぜんぜん違うしっかりとして柔らかなこの感触。楽器を持ち運べないというハンデ

を考える閑など、ピアノを習い始める時に考えるべくもない。ピアニスト以外の楽器奏者

は、ピアニストの苦しみを知らない。特にジャズの場合、どんなコンディションのピアノ

に対しても、折り合いをつけなくてはならない。スタインウエイは、スケールを弾いても

音楽的に聞こえる、魔法の楽器である。原節子から恋文をもらった時のような優雅さも兼

ね備えている。僕はミケに、このピアノと結婚していいかと聞いたら、兄貴がゆるさない

だろうと笑ってこたえた。この瞬間こそ、日本に帰りたくないなあと思った。デンマーク

嬢王の住まいの近くでも、鳥の声が聞こえる。なんたる静けさか。強力な軍隊も国教も持

たぬこの国を支えているのは、このゆったりとしたゆとりであろう。後100年経つと、

統計的に見れば、日本人はこの世からいなくなってしまうのだという。50年ほど先に、

人口が500万人ぐらいになって、日本も自給自足できるデンマークのような国になるの

は不可能なのか。そういう具合に国に人口が減っても、そうぼやぼやしていられないのが

現状であろう。無理だろうな。右肩上にはロシアが、右腰下には中国があり、ウエストの

横には北朝鮮で、これが国状だ。対象的に、デンマークは、ノルウエイ、スエーデンには

さまれたNATO加盟国である。お互いの国の文化言語は似通っており、スエーデン語の番

組を見ても、デンマーク人でも理解できる範囲だ。ハングルと日本語ほどの差はない。少

し天気がよいと、海の向こうにうっすらとスエーデンが見える。距離は30キロほど。こ

れらのことも彼らに余計なストレスを与えないひとつの理由であろう。外国かぶれと言わ

れようが、これが事実である。いずれにせよ、僕には年齢的に関係無いことである。生き

いている間に、東京に大地震がこないことを望むぐらいが精々だ。練習を始めると、脳と

指先が分裂を起こしていることに気付く。まずどのくらい分裂しているか、自分で計測し

ながら練習を進める。練習するにはあまりにも恵まれた環境と、時間の流れと、優れた楽

器、この三拍子が揃って、気がついたら6時間ぐらい経っていた。もうひとふんばりし

て、上の階に住むミケに電話をする。「OK,I GAVE UP」昨日と同じ台詞だった。上に上

がってこいということに再度なった。今日はこのあとキャスパーの家で、レコーディング

のこと、その他のことで会う約束をしていた。そう言おうと思ってドアをノックすると、

ミケのびっくりしたような顔が目に飛び込んできた。お前、大丈夫か、あんなに長く休み

なく機械的な練習ばかりして。俺はここでコンピューターで作業をしていたんだけど、君

の音が止まないから、心配してたんだ。腹は減ってないか?何かいっしょに飲もうか?僕

は途端に恥ずかしくなってしまった。豊かさの違いは彼との経済的格差だけではないらし

い。気持ちの上ででも、こんな機会はめったにネエや、などと思いながら、弾き続けてし

まったのだった。気分が貧乏性のちょこまかしたジャパニーズである。こんなに豊かな環

境に居ても、効率とか、時間配分とか、要領よくとか、そんなことしか頭にない。ヨー

ロッパの人と同じパンツをはいて、同じシャツを着て、同じ楽器を弾いていても、頭の中

はぜんぜん違う。豊かな環境の中では、その豊かな時の流れに身を任せればいいものを。

これは音楽性の中にも確実に影響をおよぼすな。自分自身を反面教師と考えねば。さっき

まで、スタインウエイを自由に弾けて、本当に気分が良かったのに。豊かさとは何か?話

はそれるが、ぼくは作家の曾野綾子氏のエッセイが好きである。キリスト教者として、ど

んな僻地までも踏み込み、我々日本人が想像できないような貧困、人種差別などに体当た

りしていらっしゃる。そういう観点から見れば、僕は恵まれているのだろう。しかし、コ

ペンハーゲンの街のそこかしこにかかげられたデンマークの国旗などを見ていると、どう

しても自分の国と比較せざるをえなくなる瞬間がある。日本の観点からいえば、この街は

右翼結社の集まりでできあがっているということになる。ケーキの上にも楊子でできた国

旗が刺さって出てくる国である。どちらが精神的に健康と言えるのか。僕などは、一介の

ミュージシャンだから、その基準を定める資格はぜんぜんない。そんなことは百も承知

だ。しかし、豊かさの本質はどうもこういうあたり、ここらへんのメンタリティーにある

のではないだろうか。至極当然なことを当然としない事、すなわち真の豊かさから遠のく

のではないか。

ミケには、重ね重ね礼を言い、三拍子揃うことなんてなかなかないんだ。練習という場に

はもったいない、いい経験をさせてもらった。ダーツ以上だと言うと、俺もピアニストだ

から君の気持ちが良く分かるよと、二人で握手した。また友達ができたなあと思った。い

まの僕にミケにしてあげられることは何もない。でもこのカリは忘れない。ミヶよ、あり

がとう。腹も減ってないし喉もかわいていていないよ、と嘘を言ってその場を辞した。そ

こで飲み食いすることは、あまりにも礼儀違反だし、キャスパーの家に行く時間に遅れて

しまう。外はなぜか冷たい風がびゅーびゅー吹いていて、あまり観光客などの姿もない。

キャスパーの家の方角に行くバスの停留所をあらかじめ調べてあったが、それがうまく見

つからない。腹減った。CHRISTIANBORG PALACEを横に見て、運河沿いを、簡易コー

トに身を包み、首をすくめてとにかくも、バス停どこかとうろたえた。しかしこのとき見

たCHRISTIANBORG沿いの運河の眺めの美しさは、いままでデンマークで見てきたどの

眺めよりも優ったものだった。灰色の雲の下にたたずむ運河も、空の色を反射し、強い風

にさざなみを立て、決して絵葉書になる景色ではない。その時の僕の個人的な気分と、天

気と、時間と状況が、偶然同じ方向に重なりあったのだろう。何とかバス停を探し出し、

キャスパーの家についてみると、キャスパー自身も疲弊しきった様子で、疲れた声で、

TAKE OUTのタイ料理を食べてから話し合おうと言うことになって、僕はビールを飲み始

めた。腹に染みた。タイ料理のTAKE OUTがまた、日本で言う3人前ぐらいのヴォリュ−

ムがあり、食べ終わった二人は、もう、金の換算とか、レコーディングのコンセプトにつ

いて語るような血液が、脳みそには廻っていなかった。10日間で30箇所の仕事をこな

しているキャスパーは、僕なんかよりずっと疲れていたのであろう。今日はとりあえず帰

るよ、と言うと、キャスパーは、「Good idea, Hiroshi」と言ってウインクした。


  某月某日
本日は、キャスパー達と、EWEから発売予定のに二枚目のレコーディングをする日であ

る。コペンハーゲンジャズフェスティバルは昨日でそのお祭り騒ぎはおさまった。街 中か

ら音楽が消えた。ちいさいとは言えども、ヨーロッパの一国の首都で、あらゆるとこ ろで

ジャズ演奏を許可し、それをスマートに執り行うということ事体、僕には驚異だった が、

祭りの後のうら寂しさなど風流なことを考えている余裕はない。某月某日と書いた が、今

日は7月13日であり、14日午後の飛行機に乗らねばばらない。スタジオセッションがは

じまるのが、13日の午後6時からである。スタジオのスケジュール、メンバーのスケ

ジュールを考えても、この13日夕方から14日明け方、下手すると昼までという時間し

か取れなかったのだ。とにかくすべてが一発勝負である。帰国延期という手もある が、そ

れはそれなりに事務上の手続きが難しい。なんとか終了まで漕ぎ着けなくては。スタ ジオ

の名はグラニ−スタジオ。機械オンチの僕でも、ありとあらゆる機材で充実している こと

ぐらいは分かる。案の定、時間どおりにいってみると、キャスパーしか来ておらず、 譜面

の手直しなどしている。こういう時に、日本人的なイライラ感がつのると、場所はど こで

あれ自分が一番損をすることは、彼らとのデンマークツアー及び日本ツアーの時でい やと

いうほど経験している。これは皆適当に三々五々集まってくるとふんで、近くの中華 屋に

TAKE OUT をたのむ。これを喰い終わるまで全員は揃わないだろうという判断である。

ゆっくりと流れるコペンハーゲンの時間。なんと今回の共演者は、我がキャスパー・ トラ

ンバーグ・セプテットのメンバーに、新たに4人が加わり10人という編成だ。だか らと

いって皆が全員演奏するという曲はない。ちらちらと集まったメンツで演奏できるこ とは

先にしてしまうという方式で、やっと録音がはじまった。最初は、僕が参加する曲が主

だったが、すべて1st TAKEにてOKがでる。一曲一曲どんどん進める。だが、うかうかし

てはいられない。キャスパーの用意した曲は11曲。今回キャスパーがこの企画のプロ

デューサーであり、演奏者を集め、曲を書いて準備した。僕の場合は、このプロジェ クト

を日本から持ってきたということで、CO PRODUCERという位置にある。EWEに頼んでこ

のCD製作をまかされているので、下手なことは出来ない。しかしみるみるうちに帰る日

は今日となる。あっという間に午前12時を過ぎたからだ。さすがにこの頃になる と、出

演者全員が集まっており、皆それぞれ好き勝手なことをやって自分の出番を待ってい る。

出前の中華を喰ったりビールを飲んだり、それぞれ気ままだ。自然とまとまりがない。

皆、今晩僕が、つつがなくレコーディングを終わらせて帰らなければならないなどと いう

ことには、おかまいなしといった様子である。これも豊かさの発露なのか、と思いイ ライ

ラしないようにする。ちょこまかしたジャパニーズにはもうなりたくない。だから、 じっ

とキャスパーの采配に目を配っていた。だらだらと時が流れているように一見見えた が、

良く皆の動向を観察していると、やることはちゃんとやっている。皆楽器がめちゃく ちゃ

うまい。改めて書くようなことではないが、改めて書きたくなるようなつわもの揃い だ。

その中に混じって、いっしょにジョークを言ったり、演奏者に歓声を送ったり、僕は とて

も幸せだった。こんな遠い国に仲間が大勢いる。いっしょに音楽を創っている。お金 のこ

とさえ考えなければこれほどオモロイことはない。東大でたってできることじゃな い。劣

等生だった俺だからこそできることなのかもしれない。自分でレール敷いてるんだから

な。おり番(曲によって演奏しないプレイヤー)の皆と、スタジオ内の演奏に歓声を あげ

たり声援を送ったり、またこちらがそれを受ける側にまわったりする。実際モノスゲ 〜!

音楽が次々と録音されていった。モノスゲ〜!としか書き表せない。興味がある方は ぜひ

CDを買って下さい。モノスゲ〜!から。プロデゥ−サーとして曲の進み具合をチェック

し、キャスパーと終了時間を暗算しつつ、ビール飲んでピアノ弾いて、タバコを吸って

ビール飲んでピアノ弾いて、歓声をあげ、皆とハグしあって、ビール飲んでピアノ弾い

て、タバコ吸っていたら、また更にモノスゲー!演奏が録音されて、ビール飲んでタ バコ

吸っていたら午前3時をまわっていて、少なくとも飛行機には間に合う時間にすべて 録音

が終了する目安がたってきた。外はまだ透明なブルーの空に星がチカチカと瞬いてお り、

前に書いたように、空の裏側までもが見通せるようなその濃さが、興奮した気分を少 し静

めてくれた。空が段々明るくなるにつれ、我々の創造的作業も最終段階に入る。デン マー

ク人は、ロウソクフェチであり、このスタジオとて例外ではない。照明はもちろん間 接照

明だし、ランプシェードから光の影まで生まれでる。あらゆる照明が重なって影を織 りな

すからだ。各奏者が三々五々帰った後、キャスパーとベストテイクを選ぶ作業をす。 これ

はあまり時間がかからずに終わる。全てほとんどが1st TAKEでOKだったから。くり返

し書くようだが、これは2年前に東京で録音した、日本のレーベルからの第一弾、キ ャス

パーの「MORYIMORE HOUSE」の第二弾として今回こんどはコペンハーゲンで録音した

ものである。今回の録音で、この二年間の各々のレギュラーミュージシャンの音楽的 ひろ

がりには目を見張るものがある。付加的に書けば、後はミュージシャンが音楽に対し て、

すごくリラックスした状態でものすごいことを連発するようになった、というところ が、

前回のアルバムとの大きな格差を生み出している。このレギュラーセプテットを含め た十

人編成の今回の録音は、「MORTIMORHOUSE」のCDの帯びにある、ユーロジャズの最先

端という、光栄な表現を更にぶち抜くものであった。叙情性はECMのそれではなく、ヨー

ロッパフリーの過激な側面、たとえばチェーンでピアノの弦をブンナグルといった猛 禽獣

的過激さとも違う。後は僕らの音楽を聞いてもらい、このことをあきらかにするしかな

い。とにかく、三管からなるホーンセクションのアンサンブルは、他に類を見ない。 しか

し、どんな過激な展開になっても、そこにはヨーロッパ人としての根底的な気品が漂 う。

このことは、やはりヨーロッパ発という土台をしっかり持った音楽であるということ が言

える。そこに日本人の僕が加わるのであるから、概念のみならず、先入観が入る余地 さえ

も無くなっている。これはインターナショナルとかいう使い古された言葉では定義でき

ぬ、何かの予兆である。このレコーディングがいつCDになるかは、今までのEWEの動向

を見ていると、今年の冬か、来年にわたって、皆様の手元に届くこととなるであろ う。後

は、僕らの演奏に生で触れて、ジャズという音楽の限り無い広がりを感じて頂くしかな

い。我々は一体となって。お互いがお互いの国で仕事を取り合い、すでに10年弱が 過ぎ

た。今年もかえす刀で、9月、彼らを日本に招いて、新しくレコーディングした曲も含

め、日本ツアーが確定した。NEWSの欄には情報を載せたが、再度ここでも、宣伝したい

と思う。

KASPER TRANBERG SEPTET  9月 日本上陸 ツアー決定!

   9月(11)土(12)日 MOTION BLUE YOKOHAMA

                 http://www.motionblue.co.jp/

               13(月) NAGOYA BLUE NOTE

                http://www.nagoya-bluenote.com/

               14(火)15(水)新宿 PIT INN

               http://www.pit-inn.com/

     電脳チラシ:http://www.shinya.comm.to/minami.html    

帰りはキャスパーと二人でタクシーに乗る。9月のツアーの打ち合わせもしたかったが果

たせなかった。だいたいレコーディングの打ち合わせもろくにやってなかったんだか ら。

二人とも言うべき事は沢山あるが、二人ともものすごく疲れており、酔っぱらってもい

る。「See you soon in Japan,Kasper.」「I like your greeting Hiroshi.」かたい握

手をかわして僕はタクシーを降りた。トーステンの住んでいるホテルのネオンが、明 け方

の空の下チカチカと目に眩しい。なんだか映画のバクダッドカフェのワンシーンみたい

だ。

部屋に上がって気付いた事、それは僕がものすごく酔っぱらっているという事だっ た。二

日酔いは睡眠の後に、ああ、まだ気分が悪いとなる。しかし今の状態は、まだ酔い状態

で、床がぐらぐら見える。こんな事になるだろうと、あらかじめ、しらふの午後4時頃、

基本的なパッキングは終わらせておいた。飛行機の離陸時間は午後3時45分。いま の時

間は午前五時過ぎ。寝てしまえば飛行機を逃すのは必須。しかし寝ずに何をして時間 を潰

せばよいのか。中途半端な時間である。ソファーに腰をかけて酔いがさめるのをじっ と待

つ事にした。今までも、彼らの狂乱に巻き込まれて、さんざん痛い思いをしてきた。 自然

と巻き込まれない術を身に付けていたが、最期にしてやられた。あれだけモノスゲ −!音

楽が目の前でどんどん展開されれば興奮せざるをえない。ここで冷静さを保てるか保 てな

いかの境目が、もしかしたらPRODUCERの資質なのかもしれない。やる事は全部終わら

せた。PRODUCERとしても。しかしとんでもないおつりを背負い込んだ。気が抜けると

共に酔いは増すばかり。とにかく空港に行きさえすれば、別に俺が飛行機を運転するん

じゃないんだし、全身オコノミヤキ人間になろうが、それはフライトアテンダント が、学

校で習った通りの処置を俺にするまでだ。ゆっくりと忘れ物がないかチェック。トー ステ

ンの家の中をゾンビのごとく徘徊する。泊まらせてもらった部屋を少しかたずけきれ いに

したり、台所の汚れ物を洗ってきれいにしたり、なんだカンダ思い付く限りのことを した

が、時間はまだ6時過ぎ。段々日が昇ってきた。帰る日にお天気なんて皮肉なものだ。

後、バスルームの便器に二度ほどお世話になり、体の中はカラとなる。カラとなって も酔

いはさめぬ。そこへトーステンが帰ってきた。彼もどこかで明け方まで飲んでいたの だろ

う。相当できあがっている。藁をもすがる気分で訴えた。昼になったら起こしてくれ ない

か?目覚まし時計を貸してくれ。トーステンは人の話など聞きもせず、レコーディン グは

どうだったとか、いろいろと質問してくる。昼過ぎまで質問事項があるなら答えてい ても

よいが、おたがい酔っ払ているので、SECUREな事柄はひとつもないし望めない。いずれ

にせよ、今日彼は12時に家を出て、デンマーク第二の都市、ア−フスに仕事で出かけな

ければならない。だから寝ないという。だいじょぶかなーと思ったが、トーステンを 信用

して仮眠する事にした。起こされたのは12時であった。トーステンはすでに出立の 準備

を終え、ニコニコと僕の部屋の入り口に立っていた。ヒロシがいたおかげで毎日が楽し

かった。いつでも遊びに来てくれ。君は出発までここにいてよろしい。カギはドアのポ

ストから投げ入れてくれれば万事OKだ。僕は寝ぼけまなこでトーステンと抱き合った。

言葉が出なかった。トーステンのみならず、沢山の人の援助があってこそ、ここまで 色々

な事が可能になったのだ。デンマーク人のミュージシャンシップに乾杯と言いたいと ころ

だが、こちとらまだ二日酔いである。仮眠したので二日酔いに成れたといったところ だ。

名残惜しさは共に人一倍であったが、彼もすぐ出発せねばならない。最期は手を降っ て別

れた。トーステンは颯爽と住まいであるホテルの階段をかけ降りて行く。なんだかよ く分

からない手続きを終え、空港内に入った。予定の時間より2時間も早く来てしまった。あ

のままトーステンの家にいたら寝てしまいそうだったので、僕も家を飛び出してきたの

だ。TAX REFOUNDというのがあって、300KR(クローナ)以上の買い物をした観光客

は、その値段の内に含まれる税金を、空港の事務所で返すしくみとなっている。冷夏 だっ

たので、僕もジャケットとジーンズを買った。いくら戻ってくるかは知らねども、一 応そ

の事務所の前に行ったら何人か並んでおり、日本人と思しきネイチャンんが、なんか もめ

ている。近くには、土産だかなんだか、買ったものがいっぱい積んである。何をあん なに

買う必用があるんだ。そのネエチャンのおかげでずいぶん待たされた。たまにふらっ とし

た。俺はゾンビに近い存在なんだぞ、もうタックスどうのこうのは忘れてどっかに座 ろう

かと思ったら、ネイチャンが消えて、順番のめぐりが早くなり、僕の番でも五秒ぐら いで

済んだ。レシートみたいのにスタンプをもらった。こんなハンコもらうのに、なんで こん

なに時間がかかるんだ。まあ、逆にいえば、体調は最悪なのに自分自身せこい奴だと いう

ことだ。いくらかでも現金が欲しいからこそ吐き気をこらえて列に並んでるんだか ら。あ

のネイチャンをバカにはできまい。そのハンコ紙を別の窓口に持っていったら3000円く

れた。高いんだか安いんだかよく分からん。どういうしくみで何%税金が戻ったの か。こ

の状況で俺はどういう得をしたのか、ぜんぜん分からない。まあ、成田から東京に帰 る電

車賃は確保されたということだ。出発ゲートには、あらゆる種類の土産物屋が軒を並 べ、

牙を剥いて、観光客を待ち構えている。外国のお札は、何かの札(ふだ)か、時々子 供銀

行券のように見える。100$が620KR前後である。算数が苦手な僕は、売っているもの

が高いのか安いのかよく分からない。ドル表示があると大方価格が推測できるが。日 本銀

行発行の1000円券で3日暮らせといわれれば、策を講ずる事はできる。経験上1 00

0円で何ができて何が出来ないか、どこに行けば何を売っているか知っているからであ

る。では1000KRで何ができるかというふうになると、頭の中がうすぼんやりしてしま

う。何度もデンマークに来ているが、やはりまだ感覚的にクローナの価値を掴んでい ない

のだろう。そこを見て取った商人が、空港内にパラダイス的空間を演出し、あらゆる 国の

人々の、旅の浮かれ気分プラス、まあいいや的気分に便乗して、いらっしゃいませを して

いる。かく言う僕も、これらの商人に何回かつけこまれ失敗している。別に莫大な散 財を

したわけではないが、つまンない物を買って、そのまま日本ではぜんぜん使わなかっ たり

とか。しかし、このコペンハーゲン空港の商人達は、この空港のあまりにも優美なデ ザイ

ンに、無償の益を得ているといっても過言ではなかろう。ふと疲れて座る椅子なども、

ポール・ケアホルム、ヤコブセンなどのものであり、待ち時間ということ事体が楽しめ

る。他の空港の殺伐とした印象に比べ、コペンハーゲン空港は、くつろげる空間であ る。

採光を考えつくした窓のデザイン、機能的だが不思議と冷たい感じがしない椅子やテ ーブ

ル類。これが贅をつくしたごてごてのものなら成り金趣味となってしまうが、高価なが

ら、これらのものは調度品の範疇におさまる品の良さをまわりに醸しだしている。憎 たら

しく思うほどの居心地の良さ。空港という機能第一主義の場所におけるこの心配り、 則ち

デンマークの豊かさと直結しているように思う。土産物はのもっぱらタバコしか買わ ?。

免税店で売っているタバコのパッケージには、「SMOKING CAN KILL」だの「SMOKER

DIE YOUNGER」などとでかでかと表示してある。興醒めである。全ての無駄を無くし、

全ての事が健全に行われる世界、そんなところ、タバコを吸をずとも息がつまるであろ

う、人間だったら。2時間も早く出発ゲートにたどり着いてしまった。近くのSMOKING

AREAに行き、出発までタバコでも吸いながらのんびりしようと思い、ある席に腰をおろ

した。2時間は長いが、ぼーっとしてればいずれ出発時間は来る。二日酔いも少し醒めて

きた。SMOKING AREAにいると、あらゆる人種の人々が、それぞれの国のタバコを吸

い、それぞれのスタイルでくつろいでいる。最初に僕の前に座ったのが、イギリス人 らし

いおばあさんで、ミステリーの本を読みながら、ゆっくりとタバコをくゆらせてい た。そ

のおばあさんのタバコのパッケージにも、「SMOKING DIE YOUNGER」と書いてあっ

た。おばあさんにそんな事知らせたってしょうがないじゃないか。そのおばあさんの タバ

コの吸い方は堂に入っていた。まず唇の端にちょこッとタバコをはさみ、さっと鼻か ら煙

りを出す。ページをめくるごとにその動作はくりかえされ、多分このおばあさんは、 本を

読む時にはこういうふうに吸っているのだろうなあと思った。空港のスモーキングエ リア

でも、イングリッシュガーデンのまん中で、お茶の時間でも彼女の所作は変わらない だろ

う。ひとつの型があった。スモーキングエリアでの2時間は、このイギリス人風のおばあ

さんに限らず、世界中の人のタバコを吸う所作の展覧会のようであった。あるスカン ジナ

ヴィア系の中年過ぎの男性は、ゆっくりと、紙巻たばこを吸っていた。煙りを口のま わり

に漂わすような吸い方で、目を細め、窓の外のあらぬ方向をじっと見つめていた。そ の目

つきは、いやに黄昏れていて、生気も覇気もないその体からは、逆にタバコを吸う時 間と

いうものが、いかに貴重なモーメントであるかを指し示すがごとく、顔の真ん前を煙 りだ

らけにしていた。イワン大帝みたいなロシア人が前に座った。タバコのパッケージの 文字

がロシア語だったから、かってにそう判断したのみで、もしかしたら、モスクワに商 用に

行った別の国の人かもしれない。品のいい手さばきで、タバコをすぽっと唇のまん中 にく

わえ、慣れた手付きでライターで火をつけてすっと煙りを吸い込んだ後、なかなか煙 りを

吐き出さない。しばらくして、口の端から上に向けて、濃い紫煙をすっと吐き出す。 顎ヒ

ゲをさすりながら、ゆっくりその動作をくり返していた。スモーカーの観察をしてい たら

出発時間となった。帰りたくないという思いと、帰りたいという思いが交錯する、な ぜだ

ろうか。ふと財布を開けると、コインで50KR残っている。50KRはお札に変えられるか

ら、片っ端からそこいらの人に交換条件を持ち出した。「I have a big favor for you」

なんて言いながら作り笑いで、空港関係者にも聞いたが、誰も50KR紙幣は持っていな

かった。前にも書いた通り、50KRが何円になるかはわからぬ、が、換金所でコインは受

け付けぬ。金とはいったい何か?機内にて、かっこいいデザインのデンマーク製温度 計を

購入。全てコインで払ったから、これで差引ゼロとなる。東京が暑い暑いと、国際電 話の

向こうで皆が言うので、この目で確かめてやろうと思ったの

である。

某月某日
帰国。温度が倍ある。湿度は倍以上であろう。昔の人は、暑さ寒さを感じないところ を極

楽と定義したが、日本はいったいなんなのでしょう。成田からJR鴬谷駅に降り立つ。成

田からの車内で短パンとサンダルに着替える。デンマークでクールな事を成し遂げて きて

も、帰国すれば裸の大将だ。やはり帰ってくるのではなかった。家に帰らば15日分 の雑

用が待っている。一日の雑用を一日でこなすのも難儀だというのに。まず全てのスーツ

ケース類を開け、洗濯するものは洗濯、電話をかけなければいけないところには電話 をか

け、つまりとにかく何かやっていないと、気が狂いそうに暑い。逆に狂うことができ れば

しめたものだ。パンツをずり落とし、小指を口の端にはさんで、そこいらをいざりと して

徘徊すればよろしい。その方がなんぼか楽だ。どうあれ失うものはない。会社の課長 がそ

れをすれば、会社をクビになるのみならず、社会的に放逐されるだろう。僕は平気 さ。そ

の体験でイイ曲を書いて皆に披露すれば喜ばれるという利点もある。日本人は自らの

「型」を失って久しいので、俺は俺流に、俺に合った型をつくるのみである。後の事 は大

方知らんことにしていないと、ますますストレスが溜まる。投票は海外に行く前にち ゃん

と済ましたけれど、どこかの政治家が四国遍路の旅に出立したというニュースがいや でも

目に入った。今は21世紀じゃないのか。これから何を精神のよりどころとして暮ら しを

たてたらいいんだ?この暑さは、そういう疑問を浄化する自然の力かもしれない。思 考力

が落ちるから。とでも思わなければ、帰国したという事実を受け入れる事も難しい。