某月某日
本日は横浜にて通常のライブを行った後、渋谷のJZ BRATでの深夜の仕事という、銀座

時代以来の掛け持ち演奏の日であった。一時期ぼくは、バブル最盛期のころ、午後8時か

ら12時半までの銀座の仕事のあと、六本木のクラブでピアノを弾くという日々を送って

いたことがある。さすがに三ヵ月もすると、からだがガタガタになったので、六本木の方

の仕事は辞退させてもらったが。(何しろ、その銀座の仕事自体が掛け持ちだったのであ

るから。)その当時の記憶がよみがえるような一夜であった。NEWSの欄にも書いたとお

り、電脳魔術師、パードン木村氏との初のデュオ共演を成した。菊地クアルテットでピッ

トイン、横浜MOTION BLUEで、名実共に「共演」はしていたが、今回二人だけでやると

いうのは、まったく新しい試みであった。彼の出すノイズ、彼があらかじめ仕込んでおい

たぼくのピアノの音、その場で演奏したぼくのピアノのハーモニーやフレーズを瞬間的に

ループさせ,その上でぼくが同時に演奏する。これらの条件の上に今回の演奏は成り立っ

ていたのだった。まったく新しい経験だった。予定調和をなるべく避けるように「ジャ

ズ」という音楽を演奏しているぼくだが、この晩のパードン氏との共演は、予定調和を避

けるという事さえ意識できないほど、瞬間瞬間に聞いたことのないサウンドが随所に現れ

出て、即それに対応するという、なんともはやエキサイティングで面白い出来事の連続

だった。演奏時間は三十分、この間に、このデゥオの関係を多彩なものにしようと、打ち

合わせもあらかじめしておいた。前半はカオス、つまり渾沌とした、生のピアノの音とノ

イズとの絡み。中盤はぼくがあらかじめパードン氏宅で録音しておいたジャズバラードに

ノイズを混ぜて、自分の演奏の上で、自分自身と共演するという趣向。つまり聞こえてく

る音は、腕が四本で同時に入り乱れた調べを奏でていることとなる。そして、後半はパー

ドン氏の曲にぼくが合わせて演奏するという三段階システムで演奏にのぞむというお互い

の意見の一致が先にあった。前半のカオス的混沌のなかでは、叙情的なピアノを弾いて、

ノイズとの対比を際立たせようと試みたが、立錐の余地なく立っているお客さんたちは、

何か激しい、脳天を突き抜けるようなサウンドを出してクレーと待ち構えている様子で、

そのヴァイブレーションが痛いほどこちらに伝わってくるので、最初からがんがんとピア

ノを弾き鳴らせてしまった。中盤はバラードを主として展開するので、ここで一端落着い

てッとなどと思っていたら、お客さんの方が、場面の展開に気付いて、またもや、何かき

ついの一発聞かせてクレー状態になったので、思わず、しかも再度、ピアノをがんがん弾



いてしまった。残りの十分ほどは、ぼくもパードンさんもデュオをやること自体に慣れて

きたところがり、絶妙な間合いをお互いが察知して音楽を組み立てられるようになったの

だが、その頃はもうコンサートの終盤であり、二人とも演奏が終わっても微動だにしない

という状態で演奏終了した。ジャズクラブとは違い、お客さんの反応が良い意味で演奏者

に伝わってくるし、演奏後、色々な人から握手を求められたりで、ある意味この企画は成

功だったと思う。いままで行っている通常のジャズサーキットに加え、こういう場所での

演奏も増やしたいと思っていた時だったので、大変嬉しかった。ちょっと弾き過ぎたかな

と思った所もあるが、電子音、ノイズに対するアコウスティック楽器の対応は、、少し弾

き過ぎたかなというぐらいがちょうど良いのかもしれない。パードン木村氏という人物

は、思慮深く、静謐で、背の高い、どこかの国立大学の国文学の教授のような容貌の人な

のだが、彼の創造する音楽は、この見かけとは程遠い。何はともあれ希有な才人であるこ

とに間違いはない。この二人の関係を、もちろんパードンさんが望むのであれば、またぜ

ひ一緒に演奏するというかたちで継続したいと思っている。この演奏形態には、限り無い

可能性が含まれている。それは、下手をすると、ジャズでいう即興性を凌駕した、その

ミュージシャンが元々持っているセンス、テクニック、アイデアが「ジャズ」以上に剥き

出しになる点にある。正直に言っておっかない企画なのだけれど、自分でも気付いていな

い側面がフッと外に出てくるやもしれず、また、パードン氏にとっても、今現在、瞬間同

時アレンジャーという役割に興味を持っていることが幸いだ。できれば回数を重ねて演奏

してみたい新しいひとつのジャンルが、ぼくの仕事に加わった。

某月某日
えーみなさん、ただいま色々なことが同時進行中であり、これら多種のことがその色々な

ことに少しずつ、または大きく関わってきて、一枚岩とはいかず。こちらの都合、相手の

都合、それらもからみあって、ただピアノが弾けるだけじゃ何にも出来ないということを

思い知りつつ、この何年か懲りずもせず、面白そうなことを準備してきました。まず、順

番を追ってこれからの活動の説明をしましょう。

一:井上淑彦氏と初めて中目黒のクラブ楽屋に出演のため、フライアーを製作す。

  ここのアジアンフードはかなりうまい。もちろん井上氏の演奏もうまい。

  俺がお客で行きたいぐらいだ。
  
  詳しくは 楽屋 http://www.rakuya.net/
  電脳フライアー http://www.shinya.comm.to/live.html

二:ジプシー系ドイツ人のヴォーカリスト、MELANIE BONGと都内近辺にて短いツアー 

      を企画した。知り合いの日本に住むドイツ人から紹介されたのだが、ブラジリアン

      のようなものも軽くうたいこなす、ちょっといい女である。(送られてきた写真を

      見ただけだけど。)声質がぼくの好みだったので、仕事をとってみた。
 
  詳しくは、MELANIE BONG http://www.melaniebong.de/
                     電脳フライアー http://www.shinya.comm.to/minami.html

三:ぼくがメンバーであるデンマークのQUINTETのリーダー,キャスパー・トランバーグ

  と、演奏すべく、来る7月にデンマークに行き演奏する。詳しくは、

  COPENHAGEN JAZZ FESTIVAL  http://festival.jazz.dk/start.asp?l=2
  CDに関しては、http://www.ewe.co.jp/titles/detail.php?tid=118

  尚、現地コペンハーゲンで、我々の二枚目のCDを製作も企画中。EWEがスポンサー

  となる。

四:かえす刀でデンマーク軍勢を日本に呼んでツアーを企画中。詳細は5月連休中に

  はっきりする予定。

一、二、三、四の項目の合間をぬって、7月発売予定の新しいアルバム、

 (仮題)「HIROSHI MINAMI TRIO WITH  STRINGS/TOUCHES & VELVETS」

      のアレンジメントの成りゆき等、プロデューサー菊地氏と、今後のプロモー

      ションの仕方などで、定期的に連絡を取り合っている。

うーむ、改めてこう書き出してみると、劣等生であったぼくが、よくここまでなんやらか

んやらやっているということが良く分かる。もうこうなったら俺、誰が何と言おうと、行

くとこまで行かしてもらいやす。ぺぺぺんぺんっぺんのぺん〜♪ぼくのいちばん好きな川

柳をひとつ。「人の世は 地獄の上の 花見かな」(作者不明)お後がよろしいようで。

某月某日
本日は強制的に休日にすることとす。1月からまいてきた仕事の種が芽をふきだして、進

むことは進む、進めなければならないことは強制的にも進める。どうしても進められない

事柄はその時期を待つといった状態で、自分がやりたいことを実現するにはいろいろと

大変である。これらの事柄にずっと張り付いていると、則ちそれらのことが実現するまで

休みがないということに成り、だからこそ今日は、演奏の仕事も何もなかったので、休む

ことと決めた。休むと決めても、なかなか頭の切り替えがうまく出来ない。まず朝寝坊を

し、新聞を買い、近間のカフェにてそれを読みながら朝から家から出ることにする。ぼく

はある意味居職だから、家にいたら、これもやらなきゃいかん、あれもやらなきゃいかん

と、休みではなくなってしまう。だから家の外に出るのだ。なぜか今日は朝からカラスが

沢山カーカー鳴いていて、生暖かい空気がドロッと吹く感じの天気で、なにやら不穏な雰

囲気が漂っている。消防車やパトカーのサイレンの音もひっきりなしに響いてくる。いっ

たいどういう春の一日なのだろう。

新聞はイラク戦争の記事でいっぱいだ。ぼくより信心深い人が戦争をしているということ

が、いまいち解せない。神様というものは本当にいるのだろうか。もし全人類が消滅した

後にも神様が存在するのだったら、神様は悪ふざけが過ぎるし、全人類滅亡と同時に神と

いう存在が消えてなくなるのであれば、なんだ、その程度のものだったのかと見くびって

しまいそうだ。お巡りさんと同じに、肝心な時に神様はいないようだ。戦争をなくすに

は、全人類が死に絶えるしかあるまい。これが一番シンプルで、難しい答えだろう。だか

ら止まないとも言える。どちらにしてもろくなもんじゃない。一日中新聞を読んでいるわ

けにもいかず、カフェを出る。こういう日ほど、無趣味であることが身にしみる。映画を

見に行くことにした。つまらない映画だった。まず映画館のなかの空気がひじょうに濁っ

ていて、居心地が悪かった。映画の内容も、期待したほどのものではなかった。後はどう

過ごせばいいのだろうと思いながら渋谷の街を徘徊。気がついたらビールを呑んでいた。

戦争もろくなもんじゃないが、ぼく自身もろくなもんじゃない。休日というものをまとも

に受け止められない。だからビールを呑むぐらいしかやることがない。別にビ−ルを呑む

ことがことさら低級なことなのではない。他にやることがなくて、ぼーっとしながら呑ん

でいる所に、何か満たされない気分があることが、問題だなあと思いながら呑んでいるこ

とが問題なような気がする。映画は、中年男の淡い恋を描いたものであった。共感もでき

たが、できない所も同時にあり、ナンダ、こんなことだったら日々充分感じておるわいと

いう内様だった。というか、普段感じていること以上に映画の内容のフィクション指数が

高かったから、あんまり楽しめなかったという感じだ。前回見た映画、「ラストサムラ

イ」も面白くなかった。要するに、インディアンが侍にすり変わった西部劇ジャンかと

思った。明治政府に対抗する侍の隠れ家である山奥の村も、どうも日本の地形ではないと

思いつつプログラムを買わずして盗み読んだら、オーストラリアでロケしたと書いてあっ

た。もうこうなると、好き嫌い面白い面白くない以前に、しらけた気分となる。


これいじょう渋谷にいてもしょうがないというしょうもない理由で東横線に乗る。明るい

うちから呑んだので、電車に乗っていること自体になんとなく違和感あり。呑んで電車に

乗るのは普段、暗くなってからだから。家で自分で調理する。夕飯を終えた後、近くの数

少ない友人が来た。こちらはワインを呑んでおり、友人は焼酎を持ち込んだ。酔っぱらっ

た上での世界情勢談義がはじまり、ああでもないこうでもないとしゃべっていたら、午前

1時となった。友人も酔っぱらって帰っていった。一人残り何かしら悲しくなってきた。

こんな所で世界情勢について自己の意見を述べても何も変わらんじゃないか。況んや、今

日一日の過ごしかたはいったいなんなんだ。使ったお金5千円程度。精神的にも肉体的に

も有意義という観点からは程遠いような気がしてきたら、やるせなくなってきて、映画鑑

賞の後買った色川武大著「いずれ我が身も」(中央文庫)を読み始めたら、やっと気分が

落着いてきた。雨がふってきた。

某月某日
タワーレコードへCDを買いにいったら、ちょうど本日が、菊地成孔氏の新譜、 「デ

ギュスタシオン・ア・ジャズ」の発売日であった。ぼくも参加しているから、大変うれし

い。(詳しくはhttp://www.ewe.co.jp/titles/detail.php?tid=441)

5階のジャズコーナーは菊地氏の宣伝一色で、良い徴候である。タワーレコ−ドの出して

いる小冊子、museeに菊地氏のインタヴュ−が載っていて、ぼくの言いたいこと、考え

ていることを、彼はいともたやすく、しかも理論的合理的かつおもしろおかしく言い当て

ているので、今日の日記は書くことがない。ぼくの言いたかったことを、菊地氏は

museeに全部しゃべってしまった。胸の空く思いである。目出度いこと目出度いことこ

のうえない。

某月某日
しばらく人前で演奏する機会がなかったが、今週の日曜と月曜、二日間続けざまにに新宿

ピットインで演奏することになっている。日曜がサックス奏者、井上淑彦氏のグループの

メンバーとして。そして月曜が同じくサックス奏者の津上研太氏のメンバーとして。双方

同じサックス奏者だが、下世話にいえば芸風その他、これまたまったく内容を異にする。

しかし同時に双方ともやっている音楽がジャズなのであるから、メンバーとしてこの二人

の音楽を理解し、サウンドを抜群なものにもって行く醍醐味は、内容を異にするからこそ

楽しい。井上氏との出合いは、もうかれこれ4〜5年前に遡るだろうか。どういうわけ

か、井上氏がぼくがリーダーとしてやっているグループ「GO THERE !」のおっかけをし

ていた時期が一時あった。学生時代からそれこさ新宿ピットイン等で井上氏の演奏を聞い

ていたぼくとしてはとても嬉しいことだった。少なくとも、ぼくのやっていることが好き

でなければ何度も聞きにはこないだろう。そうこうしている内に、ぼくの方から一緒にや

りませんかと持ちかけたわけである。この持ちかけは良い結果をもたらせた。まずこの国

に於いて五指に入るすばらしいサックス奏者の後ろでピアノをひく機会を得られたのであ

る。もうこの国のジャズの中で風化しようとしているエレガンスとダンディズムを体現し

ている人である。音楽のみならず人間性に於いても。ぼくなど想像だにできない数多のグ

ループで演奏し、いろいろな経験もし、この業界の酸いも甘いも噛み分けてけているはず

なのに、そういう長老的態度はまったくぼくのような若年者には見せない。クールであ

る。カッコいいなと思うのである。演奏中に於いていちばん触発されるのは、井上氏の音

楽に向き合う方角とでも言おうか。ぼくにはそれが直線的に見える。もうこのコーラスで

井上氏のソロは終わりダナなどと思っていると、また次の波が、彼のサックスから放射さ

れる。一ッ直線である。前にも書いたとおり、井上氏は長老的態度は微塵も見せない。た

だ一言だけポロッとぼくに言ったことがある。ジャズは全身で聴くもんだ、と井上氏は

言った。その時はぼくと二人だけで向き合っていた時か、楽屋かなんかで、他のメンバー

もいて雑談などしている時だったか、その一言を聴いた状況はまるっきり忘れてしまった

が、その一言だけが、いまだに楔のごとく、ぼくの心の中に埋まってしまっているのであ

る。深く考えてみれば、ひじょうに形而上的な言葉であるが、そこには理屈抜き、掛け値

なしの真実がある。なぜならあの井上氏が普段言わないようなことをその時ポロッと言っ

たからだ。全身で聴く。全身で聴く。全身で聴く。といつもぼくはお題目のように唱えて

いる。自分の調子が悪い時など特にである。バカの一つ覚えかもしれないけれど、その一

言に凝縮した智恵と概念の広がりは良い意味で重く、逆に言えば、全身で聴いている人と

共演していると言うことでもある。井上氏のエレガンスの上にこの言葉が成り立ってい

る、ということが、この言葉の重みを更に意味深いものにしているとぼくは思っている。



津上研太氏のことも書こう。彼との出合いは井上氏と個人的に知り合うよりもっと前で、

ぼくがアメリカ留学前からの顔見知りであった。ピットインの昼の部にぼくのグループが

昇格した時など、知り合いの竹野を通じて遊びに来て、何曲か一緒に演奏したりしたこと

もある。その後、ぼくはアメリカ方面に6年ほど消えるので、彼との親交も自然となく

なった。3〜4年前のことだったか、とあるクラブでセッションを組むこととなり、ベー

スに水谷氏、ドラムに外山明氏、そしてサックスに津上氏を呼んだ。このメンバーが揃え

ば面白いに違いないと思ったからだ。実際一曲目から、この4人は、あたかも何年も演奏

してきたバンドのように、サウンドナイスでグルーヴしやがった。その場で津上氏はこの

4人でバンドをつくると宣言した。グループの名前はBOZO。有名な野球選手だった彼の

祖父のあだ名をそのままバンド名にしたと言う次第。いままで色々なミュージシャンと演

奏したり出会ってきたりしたが、津上氏はある意味でひじょうに、そして良い意味で異色

である。ミュージシャンと言うものは、これは多分にぼくの偏見も混じっているかもしれ

ないけれど、一種独特の影があると思う。ぼくが影だらけだからそういう独断と偏見に満

ちた意見を言えるのかもしれないが、とにかく、津上氏は良い意味で明るい。性格という

ものがものすごく輝いている。もちろんそれには彼の生い立ち、両親の影響などもあるは

ずだが、それにしてもだ。この明るさはこの業界の中で、良い意味をもってして稀有であ

る。自然と、彼の書く曲も明るい。別にダークな部分がぜんぜん無いと言っているのでは

ない。彼の性格、音楽の明るさの比率が、他のものを圧倒していると言うことだ。少なく

ともぼくには彼の音楽がそうであるように思える。もちろんのこと、音楽はちゃんとした

ジャズであり、ぼくに、音楽の新しい側面を披露した大切な仲間である。このまま彼の音

楽性が発展をとげ続ければ、ひとつの新しい日本のジャズの側面足りうるとぼくは思って

いる。

と、こう書いてみれば、この二人がいかに、そして良い意味で芸風を異にしているかと言

うことがお分かりかと思う。異にしているという言い方もあてはまるが、これはジャズと

いう音楽の間口が広いとも解釈できる。この二日間のピットインでの興業、扱う楽器は一

緒だが、音楽の内容はおびただしく違う 二人と共演する。しかしぼくはぼくで、二人の

後ろで、ぼくのピアノを弾くのみである。それが彼らにとっていちばん好ましいことだと

信じつつ。

某月某日
雑事をこなしてから、散歩の後練習しようと、中目黒川に桜の咲き具合を見に行った。ぶ

らぶらと坂をおりて中目黒方面に行ってみたら、平日の午後というのにもかかわらず、大

勢の人が桜見物をしていてびっくりした。なかには、サラリーマン風の家族連れが記念写

真などを撮っている。この時間、自由にできるのが我が職業の特権である。にもかかわら

ず、その特権を乱用している一般人のあまりの多さに辟易として散歩は急遽中止とす。暗

くなるまで鍵盤の前で苦行をして後、夜10時過ぎに友人と再度目黒川沿いをそぞろ歩き

した。薄暗いので人出はあまり気にならず。みなそこいらにビニールシートなどを敷いて

かってに酒をのみ盛り上がっている。桜の方は七分咲きといったところか。もう少し鍵盤

の前に居座っていたかったのだが、いかんせん耳が疲れてしまった。目黒川沿いの居酒屋

及びレストランは大変な盛況で、なので大変うるさく、その中で食事をする気力はもう

残ってはいない。しかし、新しい曲のアレンジのアイデアがどうしても頭から離れず、耳

が疲れているとは言え、そぞろ歩きも気もそぞろといったところで、夜桜の枝を見上げて

も、頭の中では音楽のことばかり考えている。先日風邪をひいた時、行きつけの町医者

が、運動する時間がないのだったらせめて散歩だけでもしなさいといった。こちとらそん

なこたあ百も承知である。だからこうして夜桜を見たり、最近なるべく散歩するようにし

ているのだが、別にこれといった体調の変化は無し。夜も眠れず。2時間も歩けばくたび

れて練習そのものがおろそかになるおそれもあるので、そんなに長くも歩かない。健康の

ため歩くというのもなんだか間が抜けているような気がする。余談だが、僕の祖母は何と

1900年生まれで、今年で104歳になる。御多分にもれず、祖母の脳はあたかも、8次

元の世界を万華鏡で眺めて、それをフィリップ・K・ディック的観点で言語化しているよ

うである。歩いて健康を保ち、長生きして何になるかとも思うし、実際、いま死ねといわ

れても、ヘエ、そんじゃここいらでと、それこさ目黒川に頭から落下することもできな

い。すべて何もかも無駄で無意味に思える。散歩にしても、家を中心として四方八方歩い

てみたが、もう歩きつくしてしまった感もあり。何も新鮮な感慨もなくただぶらぶら歩く

のみ。ただこの時期は桜が咲くというだけで中目黒の方に足を運ぶことが多くなっただけ

である。だからまあ、残念ながらというか、天の邪鬼というか、ビニールシートを抱えて

川沿いに行く気もしない。坂口安吾の小説に、「桜の木の森の満開の下」という名作があ

る。これを読めば花見など逆に僕にとっては無用な気がする。といいつつ、往来の中の一

人がこの僕である。何も起きない夜の、気の抜けた、締りのない、そしてだらしのないな

んとはなしの夜桜見物であった。


某月某日

本日はパーティーの仕事で横浜のさる高級ホテルでピアノを弾いてきたのであった。窓か

らみごとな横浜湾の景観を眺めつつ30分の演奏を二回でけっこういいギャラが出た。ま

あ、こういう日良き日もあってもいいと思うしかない。みなとみらい線ができたおかげ

で、横浜のウオーターフロントも、近づいたか感あり。みなとみらい駅も何だか巨大で、

ホテルに向かう間のショッピングモールもアメリカ並みで、あらゆる種類の店がひしめい

ており、これはいくら金を持っていても散財せずにはいられないというしくみになってい

るようだ。ショッピングモールの天上が高いのは良しとしても、どこに何があるんだか分

からないほどの店鋪の多さに、まるでオノボリサンさながらの気分であった。桜木町の駅

がなくなり、横浜湾側の開発及び人出が激しくなったのであろう。大勢の人達が、案内図

をのぞきつつぞろぞろと歩いていた。数々の高級ホテルと、ショッピングモールに精通す

るには、かなり時間がかかりそうだ。しかし、横浜の良いところは、東京のようにだだっ

広くなく、地域を限定して楽しめるところにあるのだろう。これからの発展が楽しみな場

所でもある。こういう場所や建物を見え入ると、何がどう不況なのかしらと思わざるを得

ない。人が大勢いたって、あれだけの店鋪に金を落とす人が何人いるのだろうか。パー

ティー開場では普段食べられないメニュウを少しつまんだ。それだけではたりなかったら

しく、帰宅後夜中に腹が減ってふと外に出てみたが、日曜日ということもあって、どこも

空いてりゃしない。カラスの声が空の向こうから聞こえるのみである。不眠症がまた顔を

だし、薬を飲んでも寝られない。中目黒方面に行けば何かあるかと思って歩いていった

が、僕の嫌いなチェーンの居酒屋までしまっていた。まあ、しょうがない。午前4時を過

ぎているのだから。いかにこの国が便利だとしても、この時間に飲み家が朝方まで繁昌し

ていれば、それはそれ、全ての終わりが近いことを意味する。明け方にはまずカラスが鳴

いてから、雀のチュンチュンという鳴き声がはじまる。その声を聞かぬ内に睡眠にはいら

なければ、翌日の脳の動きは活発とは言えない状態となる。急いで家に帰る。

某月某日
また夜中に目覚める。午前4時である。3時でなくて良かったと思うしかない。昨日は日

がな一日ピアノを弾いていた。なんと練習しなければならないことの多さよ。楽しいなが

らも苦行である。雨のため散歩も中途半端となり、中目黒の桜並木も、四分咲きといった

ところか。いつもの散歩コースを雨のためスキップすることにして家に帰る。運動不足で

ある。気鬱でもある。次回のCDの件でEWEの担当者と先日会った。ストリングスアレン

ジメントが遅々として進まず、たぶん発売は6月に繰り越されるであろう、ただ待つだけ

の毎日というのも疲れるものだ。ぼくが物書きだったら、途端に放浪の旅にでるであろ

う。原稿はファックスなどで送れば良い。家のまわりの風景にも見飽きたが、かといって

東京の中心部の雑踏へ行き先もなく足を踏み入れるのも気が引ける。こういう時期はじっ

としているのが得策と思い、実際じっとしている。じっとしていられるということ自体豊

かな社会だとも言えるかもしれないが、心は何か満たされないものでいっぱいである。

もっと演奏がしたい。

某月某日

ドリフタ−ズのリーダー、いかりや長介氏が亡くなった。とても悲しい事実である。

否、悲しいというより、侘しいといったほうが今のぼくの気持ちには近い。小学生のこ

ろ、「8時だヨ、全員集合」を毎週見ていた。その頃は、世田谷の団地住まいで、典型的

な高度成長期でもあって、なんだか世の中がいい意味でワサワサしていた。そのワサワサ

感に輪をかけて、基本的な意味でテレビ番組というものを楽しんだのが、この「8時だ

ヨ、全員集合」だった。今ある番組では考えられないほど凝った趣向が毎週披露され、テ

レビ画面から、ドリフタ−ズの動きが飛び出さんばかりの勢いであった。小学生だったぼ

くは、それをあたりまえのように見ていたのであるが、いまこうして大人になって番組を

思いかえすと、あの番組を毎週作るということについて、並み尋常でない準備が必要だっ

たということがわかる。いかりや長介氏の著書「だめだこりゃ(新潮社)」は、何度も読

み返した。ドリフターズも元々ミュージシャンであって、時代こそ違え、みな四苦八苦し

て生き残る道を探ってきた先達である。話は前後するかもしれないが、毎週土曜日の夜く

りひろげられるメッチャクチャなアクションに、ある意味一週間というのサイクルの句読

点をこの番組によって感じていたのも事実で、偉大なショウであり番組であったと思う。

何しろ面白かった。本物のビッグバンドを使っているところも子供ながらに豪華に見え

た。何もかもが活き活きとしていた。ぼくの家はくだけていたのか、家族全員で「全員集

合」を見て笑っていた。良き時代である。シニシズムとか、テロリズムとか、オゾン層と

か、温暖化とか、戦争とか、核の問題など考えなくても良い時代に、いかりや氏は、我々

に最高の娯楽を提供したのである。これはぼくにとって、とてもとても重要で感謝すべき

ことである。いかりや氏のおかげで、良き子供時代の一端を過ごせたのであるから。いか

りや氏のおかげで、楽しい子供時代を過ごすことができたのでもあるから。むかしは良

かったと言ってばかりいては、先に進むこともできまい。しかし、人はいずれ死ぬという

こが痛いほど分かっていても、やはり一時代、何かが終わり、何かがはじまるのだろうと

いうところへ来たようだ。そう考えなければやりきれないほど、いかりや長介氏の死は、

ぼくにとって悲しく、侘びしい出来事である。もう一度、子供の心で全員集合が見たい。


 某月某日
菊地氏、我が家に訪ねる。遠方より友来る、また楽しからずや。と気どりたいところだ

が、彼の住まいは自由が丘なので遠方とは言えまい。ただ、お互いの住まいの距離とは別

に、彼の多忙さを考えれば、遠方より来た感あり。この夜は、菊地氏プロデュースである

我が新譜のタイトルについての打ち合わせであったが、まだトリオ演奏にかぶせるストリ

ングスのアレンジが完成しておらず、タイトルはそれらが完成し試聴した後、新たに考え

直すということになった。その後はぼくも参加している菊地氏の新譜、 「デギュスタシ

オン・ア・ジャズ」「シャンソン・エクストレット・デ・デギュスタシオン・ア・ジャ

ズ」を聴きつつ、男同士の楽しい夜ふけとなってしまった。このアルバム、名作という前

に、(もちろん名作には違いないが、)力作であり、彼の横溢たるイマジネーションと、

彼の思う「ジャズ」への、あたかも野口晴哉著作の、整体入門にうたわれている人体の自

由さと不思議さを模作するようなエナジーが全編を覆っているという、とてつもない内容

でできあがったアルバムである。日本のジャズへのアンチテーゼというには、あまりにも

比較の比重が軽過ぎ、軟弱に見えるほどの充実感と豊富さもそなえている。これが世に出

た後、何がどう変わるかはいまのところ分からないが、菊地氏はこのアルバムによって、

ひとつの新しい、日本のジャズシーンに対する岐路を指し示したということは確かな事実

として残るであろう。また、そうでなくては、我々の求めていることに対する居場所がな

くなること必須である。我々と書いたが、もし賛同するものなくしても、少なくともぼく

にはそうだ。(詳しくはhttp://www.ewe.co.jp/titles/detail.php?tid=441)