「COPENHAGEN THRIVING 2」
   
 もしこの欄を初めて見る方は、「COPENHAGEN THRIVING  1」

    からお読み下さい。

7月8日
本当は、今回のミッションを果たしたので、帰国の途につくところだが、今

回、自分自身へのプレゼントとして、15日までコペンハーゲンに滞在するこ

ととしていた。蒸し風呂ホテルは今日でさよなら。今日から、友人であるト

−ステンのアパートに泊まることになっている。彼は、サックス奏者であ

り、DJであり自らのビッグバンドを率い、ロックのグループにも参加し、作

家でもある、非常に才能あふれた人物で、ハートのある男だ。彼のアパート

は、中心街にあり、何かと便利だ。アパートと言っても、広い部屋が三つ

に、寝室、バスルームに、広いキッチンというつくりで、天井には、2001

年宇宙の旅でボーマン船長が年老いた体を休めている、あのビクトリア調の

部屋のような模様がついていて、居心地いいことこの上もない。

しかも、この一週間、雑事もなく、スケジュールもなく、聞きに行きたいコ

ンサートは街中で溢れている。たまにはこういうことも悪くないだろう。

因果なことに、この日から少し涼しくなってきて、夜は日本の初秋ぐらいの

温度でおさまった。は−っと、ト−ステンの用意してくれたベットに寝転

がったら、そのまま寝てしまった。疲れたとはいえ、蒸し風呂ホテルで燻さ

れた僕の体が、ト−ステンのアパートの窓から流れてくる良い風に、つい気

をぬいてしまったのだろう。

7月9日
夜、MOJOというブルースバーに演奏を聞きに行く。ブルースシンガーと

キャスパー、マ−スなどが共演する。客は満杯で、とにかく中が暑かったの

で、楽屋とバーのカウンターを結ぶ通路に立って音楽を聴きながら、写真を

撮ったりしていたら、カウンターのお姉さんが、そこは邪魔だからどいて欲

しいと言った。しまった。休みということで気が緩んでいた。彼女はこの一
言を言うのに、どれだけこちらのタイミングを伺い、いつ言おうかと煩悶し

たに違いない。そういう事が伺い知れる表情と英語だった。もう一本ビール

を頼み、多めにチップをやった。許してくれ。しょうがないのでクラブの裏

庭に出た。ビールのあき瓶、でっかいゴミ箱、食べ物が腐った匂い、薄明か

り、壊れたベンチ、それらの間を漂うように、ブルースが裏口から聞こえて

くる。煉瓦に腰をかけて残りのビールを啜った。

休みを取ると言っても、やはり僕のコンパスの先はこのような場所を指し示

しているようだ。別にいいじゃないか。ふと空を見ると、星が瞬いていた。

月も出ている。こういう状態を求めて休みを取ったんじゃないのだけれど、

どうしてもこう言う状態になってしまう僕はいったい何を求めているのか。

だらだらとブルースは鳴り止まない。ブルースは本来だらだら演奏するもの

かもしれないと思った。その時の僕の気分にピッタリだったから。壁から一

直線にゴキブリが這い出てきた。元来虫嫌いの僕にも、こいつもブルースが

聞きたくなって姿を現したんじゃないかと思った。

7月10日
キャスパー、ヤコブ、マ−スの参加するバンド、ヒューゴ・ラスムッセン

(B)の演奏を見に行く。オープンエアーの演奏だ。場所はコペンハーゲンの

中心街から少し離れたフレデリスクベアーという高級住宅地の近くにあるレ

ストランだ。名前はどうしてもカタカナ表記できないので割愛。古いデン

マークの家を改装したレストランで、さすが、家具とデザインの国、なんと

もオシャレな空間だ。まずメンバーに挨拶し、ヒューゴを紹介してもらう。

おとぎの国から出てきたように、顎髭を長くのばしたヒューゴは、僕の肩を

がしっと抱いてから、噂は聞いているよと言った。その目は、全くのブルー

で、目の光に濁りがない。素晴らしい人物だとすぐ分かった。いっとう前で

聞いてやれと思って席に座ったら、そこはリザーブドだとウエイトレスのね

えちゃんに言われてしまった。しょうがないのでうろうろしていたら、隣の

席の熟年のご夫婦が、ここの空いている席に座れと言う。お言葉に甘えて

座ったら、彼らの食べているものまで分けてくれた。こういう事は、少なく

とも僕の経験では、アメリカでは起こらない。多少遠慮をしてみたが、自分

達はもうたくさん食べたので、残りを食べてと言うことだった、この日もと

ても天気が良く、パラソルの下で彼らの演奏を聴くこととなる。演奏はモダ

ンジャズ。まあ。音楽を聴くのにこれだけの贅沢なロケーションは望むべく

もない。しかも瞬間的に全てがタダになってしまった。透けるような空の下

を流れる清冽な空気を媒介して、彼らの楽しげなサウンドが、お客さん全員

をスイングさせる。ふと見渡すと、客層がまちまちであることが分かった。

若いカップル、おじいさん、おばあさん、謎の赤鼻の哲学者みたいな人、子

供達、なかにはステージにあがろうとする子供もいるが、誰も注意しない

し、プレーヤーも気にしていない。オープンエアーということもあるのだろ

うが、子供は子供なりに楽しむ権利があるという、大人達の容認があるのか

もしれない。いい国だなと思った。


同日夜、今度はト−ステンのコンサートに行く。この演奏もト−ステンを筆

頭に、キャスパー、ヤコブ、マ−スがフロントだ。昼間の演奏とはうって変

わったものになるに違いない。場所はまたカタカナ表記できないからアル

ファベットで書く。コペンハーゲンの中心にあるクラブ、HUSET,PLAN 

B,TEATERSALEN4.SAL。4SALとは確か4階の意で、なんとこの場所では、1

階から4階まで、全然違ったコンサートが行われている。


コンサートはまず、ト−ステンの前口上から始まった。舞台を歩き回りなが

ら、身ぶり手ぶりを含め、なにか音楽的心情を述べている様子。これで観客

の雰囲気がこなれるのだから、ト−ステンもたいしたタマだ。そういえば、

ト−ステンのアパートの本棚には、シェークスピア、サミュエル・べケッ

ト、ジェームス・ジョイスなど本が並んでいたっけ。


演奏が始まってさらにおどろいた。ドレミファソラシドだけで構成されてた

メロディーを、百科撩乱、いろいろなシェープ、リズム、楽器のコンビネー

ションによってとことん聞かせるというものだった。昼間ストレートなスイ

ングを演奏していた面々が、夜にはオリジナリティー100%の演奏をしてい

る。ここには席をゆずってくれるような人は聞きに来ていない。若い人が多

い。彼らの音楽に対する許容力は相当なものだ。皆身の丈に合った楽器を探

し当て、演奏しているような気がした。しかしサックスという楽器は、ピア

ニストにとって不思議な楽器だ。なぜあそこまで吹き倒さなければならない

のだろうか。フロイトの口唇期ではないが、リードから伝わる己の息が、唇

を微妙に震わせることにより、肉体的快感を得ているのではないだろうか。

少なくとも今晩の演奏を聴く限り、そうとしか思えない。トロンボーンもト

ランペットも、吹くことにより、それらの楽器を吹くことによって起こる快

感を、感じているのではないか。

演奏後、皆で和やかにビールを飲んだ。彼らの友人等も集まってくる。煙草

の煙と共に吐き出されるデンマーク語。僕はデンマーク語の語感が嫌いでは

ない。というより、なんともいえない親しみをおぼえる。この小さな国の、

ドイツより北に位置する国で、ゲルマン語がさらに寒い土地用に変容して

行ったのだろう。デンマーク人は海の民でもあるから、甲板でこれらの言葉

を話している彼らを想像してみた。

マ−スの妹も演奏を聞きに来ていた。マ−スの妹は韓国系デンマーク人だ。

朝鮮戦争の時、デンマークは戦争孤児を多数受け入れたということだ。彼女

はアダプトされて、マ−スの家の家族となったのだろう。見た目は僕と同様

だが、立ち振る舞いは、ヨーロッパ人のそれである。再会を祝してハグした

後、彼女から面白い話を聞いた。先日彼女は韓国に行ってきたという。どう

だったと恐る恐る聞いたら、「自分はデンマーク人だとはっきり思った。」

と答えた。なんというか、こう正々堂々といわしめる自我とはなんなのだろ

うか。もし僕が同じ立場で日本に行って僕はデンマーク人だとハッキリ言え

るだろうか。彼女の姿形は、言葉は悪いがマジョリティーの中のデンマーク

人ではない。しかし、私はデンマーク人だとハッキリ言わしめるこの強さに

僕は少し憧れた。

7月11日
と、日付けを書いても意味をなさなくなってきた。11日と12日の間という

ことになる。あまりにも色々なクラブをカケモチで聞いてまわったので、


逆にそれを正確に記することができなくなっている。確かなのは、午後3時

くらいに起きて、しばらくぼーっとしてからパンをかじり、窓から空をぼん

やりと眺める。なんてきれいな空なんだ。時々一瞬、カモメが網膜をさあ

−っと過ぎて行く。フルートの音が聞こえそうなモーメントだ。コペンハー

ゲンの中心街にあるト−ステンのアパートはとても静かである。一国のヨー

ロッパの首都が、こんなきれいな空を擁しているなんて、贅沢きわまりな

い。屋根の縁から真上に行くに従って、その濃い青のグラデーションが、

青、碧、真空と、三段階にきれいににじんでみえる。そうやって時を過ごし

ているだけでも楽しかった。加えて、下に階に住んでいるアラブ人のコーラ

ンがたまに聞こえてくる。なんという異質文化のぶつかり方か。コーランも

空の中に消えてゆき、多分僕の想念も消えてゆき、また全部が空の向こうに

消えちゃうんだろう。


しかし、夜の時間は正反対だ。薄暗い楽屋、激しいサウンド、酒、煙草、

等々。どこのクラブへ行っても顔見知りがいるし、ということは楽屋への出

入りも簡単だし、知り合いがカケモチしたりしていると、そいつの後にくっ

ついて行って、また新しい人にあって友達になり、演奏後また楽屋で飲んで

騒いで、気がつくと明け方6時という日もざらになってきた。まともとは到
底言えないサイクルが身についてしまった。


そのサイクルの中、日本から偶然にも芳垣安洋(DS)率いるEMERGENCYが、

コペンハーゲンにやってきた。メンバーも錚々たるもので、斎藤(社長)良

一(G)、大友良英(G)、水谷浩章(B)である。演奏場所はSTUBNITZとい

う中型船の中を改造したところで、まず船に乗るところから楽しめるという

趣向だ。場内は満杯で、左右に陣取ったギター二人、真ん中に鎮座するアニ

キ(芳垣さんのこと)、何やら戦陣をしいているような風情である。最初の

出だしは、サウンドで風景を作るところから始まり、だんだんとサウンドが

ゆっくりとだがクレッシェンドしてゆく。頂点を迎えても、更にまた別途の

頂点が用意されていて、サウンドのカラーも目まぐるしく変わる。こう書く

と、混乱しているようなイメージを持たれるかもしれないがそれは違う。最

初から最後まで、ブルースという芯が一本ぴーんと通っているからだ。アニ

キのドラミングが絶頂を超えた時、聴衆のデンマーク人が狂いだした。皆

体を揺すり、サウンドの渦の中で音楽と人間とが合体していた。アンコール

は3回。僕は彼らのことをすごく誇りに思った。皆と楽屋になだれ込んでこ

んでまた騒いだ。


この時、社長(斎藤さんのこと)が至言を吐いた。「デンマ−クって、中州

に似てません?」一瞬、脳の回路がデンマークと中州という全然違うセンス

と言葉の免疫の違いで、すーっとなった。中州、博多の。僕はあまりにもお

かしくて逆に笑えなかった。ヨーロッパの雰囲気を満喫しようと思っている

僕に、この一言は、非常に健康的に響いた。どんなに気取ってヨーロッパの

街並を歩こうが、こういうセンスで切り崩されれば、日本人としてどうしよ

うもない。おお、博多の中州。懐かしい。相当酔っぱらい、皆に別れを告

げ、深夜一人で船から降りて、タクシーがいそうな場所まで歩いた。そう

か、俺は今中州にいるのか。屋台はどっちだ。

7月13〜14日
もう日付けは用をなさない。昨晩水谷君とかに会ったので、そうとう羽目を

はずしてしまった。13日、起きたのは午後3時。ト−ステンのアパートの2

件先に、イタリアンのTAKE OUTがあるのを思い出し、外に出る。イタリア

ンといっても、どう見ても店の者はトルコ系だ。トルコ系の人が料理したイ

タリアンを日本人が喰うなんて何か変だ。でもこれが変だったら、日本人が

デンマーク人とジャズを演奏する方がもっと変だ、と思って店の中にはい

る。英語のメニューはないといと店の者が言う。後はわずかな僕のデンマー

ク語の知識を駆使して、何とかまともな喰い物にありつかなければならな

い。PASTA、とか、PIZZAなどの主な欄は分かったから、PASTAの下を見

て、一番長い字体のものを注文した。一番いろいろ肉とか入っていると思っ

たからだ。しかしアパートに帰って紙袋を開けて見てみたら、単なるミート

スパゲッティーであった。そのパスタたるや、うどんみたいに柔らかく、ア

ルデンテもへったくれもない。まあ、消化にはいいだろうと頭を切り替え

た。食事後、ベッドに寝転んで、また空を見上げていたらいつの間にか寝て

しまった。


深い眠りから目覚めた。反射的に時計を見たら、午後3時半だった。24時間

寝たことになる。空の明るさに化かされた気がした。なんでこんなに眠れる

んだ。不眠症じゃなかったのか。多分仕事からも、雑用からも解放されてい

るからこその休息だったのかもしれない。7日にジャズハウスで仕事を終え

て以来、バンパイアーだったしなあ。毎日一日一食で24時間寝られるとした

ら、経済的にも楽だなあ。起き上がり外に出てみると、もう夕暮れだ。また

トルコ系イタリアンの店に行く。他に探すのが面倒だったからだ。今度はパ

スタの一番下の欄のものを注文した。これは昨日よりまずくはなかった。消

え去った24時間。昨日やったことをそのまま今日やっている。なんだかSF

小説のようだ。


今回のフェスティバルには、勿論のこと、ビッグネームが目白押しだった。

ハ−ビー・ハンコック、ブラッド・メルドー、ケニー・バロン、ビル・フ

リーゼル。書き出したらきりがない。最初の内は、仕事が終わったらどれを

見に行こうかなあ、と、プログラムのページをめくって楽しんでいたのに、

気付いてみれば、キャスパーやその友人たちについてまわって、楽屋で騒い

だり、夜中までいろんな所をうろうろしていたりで、最初の目的と大きくず

れてしまった。ものぐさなんだろう。全部見逃した。ビッグネームで見に

行ったのはたった一回。ギタリストの鈴木氏が見に行きたいというから何と

なくついて行ったパット・メセニートリオだけだ。これもあまり僕の中に印

象に残らなかった。なぜだか分からない。

7月14日夜と15日頃。
ということで、もう日記の体をぶち破って書くしか無くなってきた。14日夜

はト−ステンが仕切るジャムセッションがあり、僕もピアノで参加すること

になった。場所は再度上手くカタカナ表記できないので割愛。ト−ステンの

ジャムの前には、NYの大御所、ティム・バーンが演奏していた。デンマーク

の女性サックス奏者、ロッテ・アンカーと一緒だ。完全なフリースタイル

で、お互いの音を聞きつつ、どんどん風景を創って行くという案配。またま

たここで僕は、ジャズサックスフロイト的口唇期快楽説を唱えたくなった。

本人は気持ちいいんだろうが、たまにぴー!と耳に響く音を出されると、こ

ちらはあまり心地よくない。会場も窓がなく暑いので、外の階段に座って

ビールを啜った。と、突然、闇夜に月が姿を現した。ちょうど午前0時。真

夜中だ。何度かお月様には遭遇している。最初に泊まった蒸し風呂ホテルか

らもお月様が良く見えた。明け方帰る道すがらにも、ひょいと顔を出したこ

ともある。この晩の月は、群雲で、雲の間から顔を出したり出さなかった

り。日本と違い空はコバルトブルーに少し濃いめの墨を塗った感じで、月は

雲の間にはまっても、冴え冴えと目にうつる。後ろからはフリージャズ。夜

空の中には風流な月。月の形状は卵形で、こちらがルナティックになるに十

分な麗しさ。BGMもきてれつ

だが洒落ているとも言える。稲垣足穂がこの場にいたら、どんな宇宙的コン

トを書くだろうか。この同じ月を見て、蕪村は、「名月や 露にぬれぬは

 露ばかり」とうたった。僕の好きな俳諧感覚だ。しかしデンマークは乾燥

しているので、あまり露というものを見たことがない。だんだん頭がおかし

くなってきたなあと思っていたら、ジャムセッションの時間となった。

ベースとドラム、共に若い。駆け出しっていう感じだ。ト−ステンがサック

スを自由に吹きはじめる。ちょいちょいとその間にコードを入れていたら、


だんだんいい感じになってきて、一盛り上がりして終わった。ルナティック

な夜にちょうどいい演奏だ。月夜の晩に、コペンハーゲンの片隅で、ルナ

ティックなピアノを弾く俺。けっこう洒落てると思うんだが。

7月15日から帰国まで。
さあこれから全然時間を追って起こった出来事を書き記すことができなく

なった。時間のメルトダウン。想念の噴出。本能にだけ浸っている時の伸び

縮み。滞在最後の日である。コペンハーゲンの中心街を何となく散歩し、昼

飯を食った。日本で言うバイキングと言うやつ。本来CATERINGというのが

正しいと思うのだが、なぜ日本ではバイキングというのか。デンマークでバ

イキングを食べたと英語で言ったら、こいつは人肉を喰うんだと思われかね

ない。誰がネーミングしたんだろうか。とにかく、こちらの肉は「肉」の味

がする。野趣が残っている。当たり前なことなのだろうが、日本の肉には野

趣が消されているような気がする。当然臭いがきつい時もあるが、「肉」を

食べているという実感はあるのだ。こちらでは卵も「卵」の味がする。

「バイキング」を食べた後、ふらっとまた歩き出してちんたらした。この日

の夜にも、ビッグネームの演奏はあるが、もうそんなことはどうでも良く

なっていた。この街は僕に、多くの慰めを与えてくれた。朝5時頃、クラブ

の外によろけ出た時、太陽に反射した、まるで天使のお尻のように血行のい

い空の雲の出現の仕方に息をのんだり、昼間、建物のガラスが陽によって路

地に反射していて、思わぬ美しさに感嘆したり。今はそのそれぞれの思い出

を忘れまいと、再度街をうろうろしているのである。


パッキングはひとつのゲームだ。マジックと言ってもいい。とにかくトラン

クに全てのものを圧縮して詰め込むのである。しかし、入っていたものが、

分量は増えなくても入らなくなる時があり、色々と手を尽くす。帰国と言う

大きな命題がなければ、荷物をああだこうだ引っくり返すことはしないだろ

う。今回は荷物を増やしていないので混乱はなかった。ト−ステンに借りた

簡易ベッドの部屋を簡単に掃除し、シーツを洗濯機の中へ入れた。帰りの飛

行機が、午後3時45分であったので、少しはやめに起きれば全て帰国の準備

はすむ。辛いのは、ト−ステンとの別れだった。音楽の話をし、お互いの共

通点を探りあい、昼から一緒にビールを飲んだり、とても楽しいもてなしを

受けたからだ。ト−ステンはこれからサマーバケーションへ、デンマーク北

部にて休養とのことである。僕は、電波がいっぱい、電柱のケーブルが、街路の真上に雲の巣を張っているような街に帰る。


帰国日の朝、色々とかたずけて、ト−ステンの起きてくるのを待つ。何やら

昨晩も、演奏があったらしく、昼になっても起きてこない。もう一度窓の外

から空を見た。この神秘的ブルーともお別れだ。演奏を聞くより僕の感性に

ビビッと何かを感じさせたのは、滞在中、いつも眺めていた空だった。


電話がかかってきた。チャンスだと思った。受話器を持ってト−ステンの部

屋にいきノックをした。電話だよ、というと、今から起きるという。ト−ス

テンのガールフレンドは、これから彼がバケーションに行くデンマーク北部

で働いている。彼はそのことで、ずっと寂しい寂しいといっていた。僕との

別れも寂しそうだ。忘れ物はないか、何か必要なものはないかと、いろいろ

と気を使ってくれる。タクシーを呼んでもらった。窓の外を眺めていると5

分程で、タクシーがきた。二人無言でハグしあった。今日もコペンハーゲン

は絶好のお天気で、部屋の中がまぶしいぐらいだった。アパートのしたに降

りてから、来年も会えるだろうことを彼に伝えた。だから最後のお別れ風の

流儀や言葉はやめにしようと思った。タクシーの運転手は、荷物をトランク

に放り込んでいる。いつまでもハグしているわけにもいくまい。再度のお礼

をいってタクシーに飛びのった。運転手は行き先も聞かずに車を飛ばしはじ

めた。段段ト−ステンから遠ざかる。小さくなっていくト−ステン、見なれ

た街並が過ぎて行く。トランクの荷物を見れば、タクシーの運転手なら空港

だなと思うのが普通だろう。彼はだから行き先を聞かない。このまま東京ま

で走ってもらえないかな。

彼は見覚えのある街々を、猛スピードで運転した。僕の未練をぶっちぎるようにして。


空港に着いて驚いた。チェックインするための列が、ものすごく混んでい

た。どう混んでたかって、列の最後尾がすぐに見つからないような状態で、

人間が鞄と一緒にとぐろを巻いていた。少し早めにきて良かったが、この列

で、定時の飛行機に乗れるのだろうか。そこにふっとアニキが(芳垣さん)

現れた。偶然同じ時間に空港にいたのだ。地獄に仏とはまさにこのこと。二

人いれば、列を離れてトイレにも行けるし、煙草を吸いにも行ける。やはり

この偉大なドラマーとは何かの縁があるのだろう。アニキの便は僕より一時

間程早く、やはり同じことを心配していた。列は遅々として進まず、僕らは

滞在中にあったことを話し合ったりした。それでも時間が潰せないぐらい待

たされた。この時の僕の一番の欲望は、空港内のカフェでゆったりした席に

座ってビールを飲むことであった。しかしそれはあまり早く実現できるとは

思えない。


ビールにありついたのはそれから優に1時間以上過ぎていた。さすがデザイ

ンの国である。空港内の机、椅子全てに優秀なデザインが施してあった。ま

さか、方や酪農の国だからといって、牛や豚を配置するわけには行くまい。

太陽光線を十分取り入れるようにできている壁や天井は、一様に巨大なガラ

ス窓になっており、明るい所で、少しセンチメンタルになって飲むビール

も、まあ、酒の味のうち。最後の煙草を吸って出発カウンターに来てみた

ら、我が同胞が老若男女日本語をしゃべっている。ピチピチペチペチと言う

リズムに聞こえた。僕もこの言葉のリズムにまた沿って生活することとな

る。


機内では、また食事の後睡眠導入剤をがぼっと飲み込み寝てしまった。

気付いたら成田で、何も言わなくても、こちらの様子を察して笑顔で対応す

る空港関係者と出会う。まあ、デンマークに限らず、日本以外の国では、な

にかこっちからASKしないと、人は普通動かない。いい国なんだか悪い国な

んだか。本心が知れないというのもイヤなものだ。


家に帰ったら、煙草が300円になっていた。30円高くなっても、借金だらけ

のわが国のこと、電柱とそのケーブルが地下に埋まるのは、多分28世紀頃だ

ろう。コンピューターのメールの数が800件近くたまっていた。ああ、も

どってきちゃった。一抹の安堵と、一抹のイライラが同時に僕の心の中をか

けめぐる。

今回のCDの発売予定は来年春位になるだろう。乞うご期待。