Read the diary backnumber
某月某日

ラジオの収録に行ってきた。文化放送、「浜美枝といつかあなたと」というラジオ番組だ。放送

は、9月28日の午前10:30〜11:00。なんだか、わけの分からないことをべらべらしゃべってき

たが、内容を知りたい方は、以上の時間にどうぞ聴いてください。浜さんは、さすがもとボンド

ガールであり、とてもエレガントな方であった。話しの内容は、だいたい僕の著書「黒鍵と白鍵の

間に」(小学館)の内容からのことが多かったが、浜さんの巧みな質問に翻弄されて、何やらいら

ぬことまでしゃべってしまったような気がしているが、もはや、何をしゃべったかは記憶にない。

ここのとに関わらず、僕はどうも、過去のことはすぐ忘れる傾向にあり、そういう部分が女性には

不評である。何故過去のことをすぐ忘れるのに本なんか書けるのかといわれれば、これはこれでま

た違う理屈が成り立つ。つまり、物事をイメージとしてとらえられることは、何故だか忘れない。

そのときの会話内容を含めて。イメージとは理路整然としているものではないが、その事象にまつ

わることがイメージ化しやすい場合、その事象の中での会話も覚えていられる。ではどういうこと

をイメージとして頭の中に保っていられるかといえば、これはもう雰囲気と言うほかない。イメー

ジしやすい事象を取り巻く雰囲気が、僕の何かしらの感性にひっかかれば、それはもう既にイメー

ジ化されているということである。特に、音楽そのもの、または音楽に関する周りの事象がイメー

ジ化しやすく、その他のことは記憶に残らない。まあ、こういう極端な僕の欠点を考慮しつつラジ

オ出演をしたので、放送禁止用語とか、誰それを中傷したりする発言はしていないつもりだが、ま

あ、楽しい番組になっていようことは推察できる。お時間のあるい方は、ラジオを聴いてみてくだ

さい。

某月某日
また長らく、日記の更新を怠ってしまった。諸事雑用、ピアニストも、クリーニング屋に己のスー

ツを自らの手で持って行き、ゲリラ豪雨を縫って、洗濯をしなければならぬということである。あ

まり私生活のことをあからさまにすると、少数の人が幻滅するやも知れぬが、事実なのでしょうが

ない。今晩テレビを見ていたら、福田首相辞任の報。この日記はあまり政治問題に触れるつもりな

く書いているが、つまりグウタラでノンポリの僕の日記だからというスタンスで書いているという

ことだが、やはりどうも解せぬ。福田首相(前首相と書くべきか)は、首相を辞めるというが、政

治家という家業自体はヤメナイんだろう。首相を辞めるということ即ち、政治家を辞めるというこ

となのか。いずれにせよ死ぬまで喰っていける人である。ヨイヨイになっても家族に負担かけるこ

となく、メシが喰える御仁であろう。僕がピアニスト廃業宣言をしても、ああそうですかと言われ

るだけだろうが。体の続く限りピアノを弾くしか生き延びる手段なし。福田首相もキツい仕事を

担っていたんだろうが、ヤメることができて、しかもメシが喰えるというのは、何とも恵まれた御

仁である。父親の資産もあるだろうし、別にヤメてもメシが喰えるんだからヤメられるんだろう。

色々と複雑な問題があるのだろうが、途中で首相の座を投げた奴は全財産没収という法を制定して

はどうか。まあ、そうなったって、福田首相には痛くも痒くもない話なんだろうが。どうあれ、飯

を喰える奴は強いなと思った。バンドマンは気楽な部分もあるが、メシ喰うのに精一杯である。

ヤーメタと言った時点で、少しかすっていた世の中との接点もなくなる。しかも、福田首相の


収入は税金である。僕の収入はライブのお客さんの数である。元々比べることがナンセンスだが、

今度からは、喰えないでオッツコッツの政治家を皆で選んだらどうか。そう簡単に仕事を手放すよ

うなことはしないと思うが。組閣するという行為にイッタイいくらかかってんだろう。福田首相

は、別に個人的怨恨はないけれど、ヤメたことで無収入になるのでしょうか。良くわかんないな。

日本の政治は。まあ、一介のバンドマンがノタレ死のうが生き残ろうが、日本政府には知ったこっ

ちゃ無いことなんだろうけど。人生に余裕があるということは、役得ですな。まあ、言ってみれ

ば、当分、僕はピアニストヤメませんから。ご安心を。

某月某日
毎日あまりにも暑いので、日記を更新することすら眼中に無いような生活を送っていた。とにかく

日々の雑用及び仕事をすることが精一杯であり、他にもとあることで文章を書き続けなければなら

ぬ仕儀となり、日記の文章がおろそかとなってしまった。ここまで暑いと、宗教音痴の僕でさえ、

既にこの世自体が地獄なのではないかと思ったりしてしまう。火の海地獄は実際、今この生きてい

る世界に存在しているではないか。しかも世間は喧しい。オリンピックの開会式をちらと見たが、

彼の国は、北朝鮮と同じく、マスゲームが好きですな。大げさなものは粋じゃない。家ではほとん

どテレビは見ないが、蕎麦屋、定食屋の類いに昼時行くと、必ずテレビで高校野球を放映してい

る。こんなことを書いては、大勢の人に嫌われるのを百も承知で書くが、もう騒ぎ過ぎだよ。タダ

でさえ暑いんだから。何でこんな暑い中、汗だくの高校生を見なければいけないのか、理解に苦し

む。余計暑苦しいじゃないか。何故この時期に野球なんかやるのですか。秋にやったらいいではな

いですか。甲子園ではなく市民球場かなんかで。おまけに変なメロディーの校歌もイヤでも耳にす

るし。日本人は総じてサディストなんだろうな。あんな暑いところで高校生に野球やらして喜んで

んだから。高校生の健康状態にいい筈ない。まあ、全てのテレビ局がこれらの放映を中止する必要

もないと思うけど、どこか一局でもいいから、エリス・レジーナや、アントニオ・カルロス・ジョ

ビンの映像を、何の解説もなく流しておくチャンネルがあってもいいのになあと思うのですが。ビ

ジュアル的にも涼しいし、浮き世の憂さを忘れるのに、うってつけではないか。まあ、こんなこと

書けば、朝日新聞に睨まれるんでしょうな。いずれにせよ、ボサ・ノヴァの番組にはスポンサーが

つかないんだろうな。ここまでくれば、オリンピックならぬ、ドリンピックというものも、裏で企

画したらどうでしょう。ドーピングしまっくってもOK。気の早い選手は、HONDAと提携して、

下半身をロボットにし、つまりミュータントですな、100m5秒とかで走りきるように体を改造す

る。薬物や人体のロボット化によって、人間がどこまで何ができるかを裏ドリンピックで試してみ

るのも一考でしょう。その方がスポンサーつくんじゃないのか。いずれにせよ、この時期に、ヤバ

い事件を起す奴がいても、新聞その他のメディアは、オリンピック一色だから、第一面には乗らな

い。危険な兆候ですな。タダでさえ暑いのだから、夏はじっとしている方がいいのだと想います。

某月某日
昨晩、渋谷のJZBLADにSteve Kuhn Trioを聴きにいった。ベースがエディー・ゴメス、ドラムは

ビリー・ドラモンド。とってもとってもとってもとってもステキな演奏だった。世の汚濁にまみれ

た我が精神と身体が、浄化するようなサウンドを、キューン氏のピアノの音は果てしなく紡ぎだす

のであった。派手さはない。しかし、キューン氏にはもう、そんなものは必要ないようだ。そんな

ものはとっくに過去にたくさんやってきた。私の今の境地はこれだ、と提示されるピアノの美音の

数々には、もう既に、枯淡の境地に入った、ある一人のジャズピアニストの道程が示されているよ

うであった。もうそこには、大人の演奏などという陳腐な表現を大きく乗り越えた一人の求道者

が、ピアノの前に座っていた。僕がアメリカにいた頃、キューン氏に師事した。貴重な体験であっ

た。ロシアンテクニックというピアノ奏法を学んだ。手の小さい僕にはきつい練習方法だったが、

70歳に近いキューン氏が、まだ第一線でピアノを弾いているということは、あながち、ロシアン

テクニックを学んだことは間違いではなかったと再確認した。ピアノはKAWAIであったが、ちゃ

んとスティーブ・キューンのピアノサウンドが楽器から鳴り響いていた。弘法筆を選ばずか。あの

境地までいけば、生半なことで調子を崩すということもないということであろう。只々脱帽。この

クソ暑い極東の小国にやってきて、なんの遜色もない演奏すること自体、御大の年齢を考えれば、

体力気力ともにきついに決まっている。だが、そんなことを微塵も感じさせない音楽を、キューン

氏は我々に提示した。真のプロフェッショナルとはああいう芸当をすんなりやらかすということで

あろう。さらに脱帽。キューン氏のピアノサウンドは、僕の日常についてまわる悩み、腹の立つ世

の中の仕組みなどを、全部洗い流すかのようなパワーを持っていた。キューン氏の演奏を聴いてい

る間、それらのことが全て、僕の脳内で、忘却の彼方に引っ込んだ。今晩だけ、僕は自分がピアニ

ストだということを忘れ、ただの一ファンとしてキューン氏の音楽を楽しんだ。CDを買ってサイ

ンしてもらった。キューン氏は、ちゃんと僕のことを覚えていてくれて、仕事の調子はどうだ、演

奏は定期的にやっているのかと、僕のような者の活動状況まで心配してくれた。優しい方である。

買ったCDを差し出し、サインをねだると、「Hiroshi-All the new best ! You are very special

Steve kuhn」と書き込んでくれた。嬉しかった。たまにはこんな一日が有ってもいいだろう。

小雨降る東京の街を、空を見上げながら歩いて家まで帰った。ステキな夜だった。

某月某日
東雲、散歩することがある。まるで夢遊病者のようだが、この時間が、いたって心地よい。空気は

まだ湿気をはらむものの、午前四時から五時にかけて、この都心でも鳥の声を聞くことができる。

空の模様は東雲そのもの。もちろん、深夜にかけて人通りの多い区域に住んでいるが、さすがにこ

の時刻には、人っ子一人いない。この時刻が、いちばんすごしやすい。世の中は静かで、誰も居

ず、夜明け前の明かりのせいか、コンヴィニエンスのライトの明かりも、少し暗くなったようにも

見える。今週は、ジャズヴォーカリスト、与世山澄子さんと二回共演した。何たる幸福。彼女のメ

ロディーのフェイクのしかた、そのフェイクの中に温存された本物のフィーリング、伴奏冥利に尽

きる。否,伴奏と言っては誤解を生じる。彼女も一つのインストルメントで、僕は与世山さんとい

う、肉体自身の楽器と共演できたということだ。本物のアメリカのにおいがする彼女の歌声。パン

チのある歌の出だし、バラードに於けるはかなさ、これ以上は文章では表せない。与世山さんさえ

良ければ、また一緒に演奏したいと切に願う。こんなことを考えながら、夜明けの旧山手通り。

なぜかカラスは姿を見せず、美しい歌声を持つ鳥達が空を舞っている。しかし姿は見えない。普段

はどこに身を隠しているのだろう。与世山さんだったら知っているような気がした。こういう体験

ができるのも、不眠症の特権である。さあ、そろそろ寝ようかな。

某月某日
明日は、国立のNO TRUBKSでBOZOの演奏。 
バンドの核はドラマーであるが、その定義の恩恵をこれほどまでに 
享受しているバンドは他にはあるまい。外山明氏のブレークビート、 
または音楽全般に関わるすべてを最高のサウンドにしてしまう化学変化 
の、その力の弱まった事は一度としてない。オルタネーイェィブとか、 
主流派とか、中央線ジャズとか、そんなことはどうでもいい事で、 
水谷浩章(B),津上件太(sax),外山明(DS)の音の行く末は、 
明日になってみないと分からない。 
7月 
11(金) 国立 NO TRUNKS BOZO 
津上研太(AS) 南 博(P)水谷浩章(B)外山明(DS) 
http://notrunks.jp/ 
音楽の夜明けは夜やってくる。

某月某日
前回の日曜日、仙台へ演奏に行く。共演者はベースの鈴木正人氏、つまりDUOでの仕事。送られ

てきた新幹線のチケットをたよりに、東京駅ホームへ。やたらと人が多い。何かイヴェントがある

のか。出発時間15分前に着いたのでスモークしようと思い、喫煙コーナーを探すも、見当たら

ず。売店のおばさんに聞いたら、ちょうどそのとき僕が立っていたホームの位置からいちばん遠い


ところにあることが分かった。色々な種類の、おばさん、おじさん、よたよた歩きの子供などを避

けながら、ホームの反対側に行き、やっと喫煙コーナーを見つける。そこは、プラスチック張りの

小さなスペースで、スモーカーでもういっぱいであった。僕も何とか中に入ろうと、喫煙室の扉を

開けると、モアッとした煙とヤニの匂い。愛煙家の僕さえ咳き込みそうなその中に突進し、一本煙

草を吸う。何となく、ナチのガス室を思わせる空間であった。違いは、その空間が外側からよく見

えること。何とはなしに、僕の頭に、HUMAN ZOOという言葉が浮かんでは消える。ここまで愛

煙家が嫌われる土壌、発想、コンセプトは一体どこの誰が考え出したものなのか。非喫煙者が珍し

そうに喫煙コーナーの中を覗き込む。なにをやってるんだろう見たいな目つき。タバコ吸ってんだ

よ!


鈴木君と指定された新幹線の席で落ち合う。乗車前になにげに買った産經新聞を読んでいたら、何

とまた、僕の本の書評が出ていた。(6月29日の朝刊)早速、編集者や実家などに知らせようと思

い、デッキに出て携帯を操作したがつながらず。仙台到着後でもええわいと考え直し、仙台着ま

で、鈴木氏とバカ話をしていたら仙台に着いてしまった。それまでの窓の外の光景は、雨と湿気で

遠望が効かず、醜い景色も、美しい景色も、緋色の暗い彼方になにも見えない。少なくとも、景色

を楽しむような旅の役得が得られぬこと100%不可能な天気。

仙台駅に到着してみると、今回の仕事を仕切っているSさんが迎えに来てくれた。体の芯から好青

年と呼ぶにふさわしいSさん。動きもテキパキとしており、何気ない会話も的を得たこをしゃべ

る。Sさんにつれられて投宿先のホテルに荷物を降ろし、歩いて30秒ほどのところにあるである,本

日の演奏場所、Berkanaに移動。サウンドチェック。雨脚が仙台に着いた辺りから強まった。集客

に影響が出ないことを望むばかり。サウンドチェック後、Sさんにつれられて食事に行く。なんだ

か無茶苦茶雰囲気のいい小体な和風レストランのようなところ。繁華街から少し離れた位置にあ

る。こういう場所は仙台に住んでいなければ分かるまい。鮎などを食す。久しぶりの鮎だ。川魚の

宝石。

後ホテルに帰り着替える。本番は夜八時半から。Berkanaに十分ほど早く行ってみると、そこはも

う、若い人でいっぱいであった。この雨の中をありがたい。曲を決め演奏開始。

お借りしたアップライトベースのサウンド良し。ピアノのサウンドも良し。お客のクイツキも良

し。ということで、全体の雰囲気も良し。今回売り出し中のCD、「Like Someone In Love」

(EWE)で演奏しているスタンダードに加え、新しいスタンダードなど交えて演奏。演奏の後半

に、自著「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)からエピローグの部分を演奏付きで朗読。自分としては、

ポエットリーディングのつもり。文中に出てくる「イパネマの娘」や、「ゴッドファーザー愛の

テーマ」に文章がさしかかったとき、軽くこれらの曲の冒頭を弾き、またフリーで怪しげな曲調に

戻るといった趣向。今回は、フリーなピアノフレーズの一音一音に、日本語の一言一言を乗せ、早

く読んだり、間を空けて読んだりということを試す。どちらも効果的であることが判明。

ありがたくも、お客さんの反応はとても良いものであり、Sさんも嬉しそうであった。2セット、

入れ替えであったが、どちらも満員。本もCDもよく売れた。僥倖である。

後、Berkanaのスタッフ、Sさん、居残りのお客さん、鈴木君などと呑む。僕はハイボール、仙台

に住む仲間のピアニスト、Wさんは、ワイン、鈴木君はウイスキーロック。その内、皆の酒がうま

そうに見えてきて、僕もハイボールから、ワイン、ウイスキーロックへと移行。アメリカ時代に、

名も知らぬバーのカウンターで呑んでいた時、初老の白人が僕の隣に腰掛けたことがある。何とな

く言葉を交わし始め、その老人は、なんと戦後日本で働いていたことが判明。色々な話をしてくれ

た。双方帰り際、その老人に酒の呑み方の流儀を教わった。「簡単なことだから、覚えときなさ

い。Just don't mix it, that's all young man.」

老人に教わった流儀を無視して騒いでいたら、場を変えようということになって、気がついたら、

見知らぬカウンターに座っていた。ジャズ喫茶でないにも関わらず、アンドリュー・ヒル・トリオ

がかかっている。粋なバーだ。皆で明け方まで騒ぐ。

翌日、ホテルのロビーに午後2時集合。チェックアウトが午後2時のホテルは、いままでのところ

知らない。もしかしたら、ミュージシャン専用のホテルなのではないかというあらぬ妄想が頭を駆

け巡る。そんな筈ありゃしない。

Sさんの提案で鈴木君とともに、昼飯を喰いに行くことになる。またSさんの後にくっついて行

く。彼の愛車、プジョーに乗って、仙台の中心街から少し離れたところへ向かう。短いながらも観

光ができた。仙台は緑多く、建物も落ち着いた雰囲気で、湿気少なく、近くに大きな山がないの

で、全ての景色が広々と見える。ステキなところだな。

Sさんのお勧めで、冷やし中華を食べることとす。古い店のようで、実際建てつけも古い中華料理

屋だった。元祖冷やし中華、略してガンヒヤが名物だそうで、早速それを注文。まだ少しほてった

体に、冷たい麺が涼気をさそう。今年初めての冷やし中華なり。

Sさんに重々礼を言い、仙台駅にて新幹線に乗る。ホームの売店で、何となく、鈴木君は週刊文

春、僕は週間現代を買う。車中、お互い黙々と雑誌を読む。宇都宮辺りで雑誌を交換。しかしなん

だなあ、政治も社会もこうどす黒くては、やりきれないなあ。あの仙台の美しい風景とは雲泥の差

だな。

東京駅にて、鈴木君と別れ、一人JR渋谷方面のホームに向かう。たった一日の遠出ではあったが、

体が新鮮になった気分。東京の人々の立ち振る舞いが、何やら重々しく感じる。これは錯覚だろう

か。

我が家着。出かける前に、ちゃんと掃除をしておいたので、気分よし。しばらく日本間で大の字に

なっていたら、午後10時半を過ぎてしまった。いけねえ、マーケットが閉まる。

その晩は、また野菜スープを作る。腹がくちくなったら、また何か呑みたくなった。昨夜のバーは

よかったな。これから行くのも無理だよな。見知らぬ人々を含めて、ワイワイ騒いだ次の日の晩と

いうものは、普段一人でいることに慣れた僕のような人間にも、そこはかとない寂びしみがわいて

くるものだ。まあ、独り酒も悪くないと外出。その後の僕の動向を知るもの無し。


某月某日
くだらない事を書いていたら、小学館より連絡あり。今週発売の週刊現代に福田和也氏が連載して

いる「平成フラッシュバック」にて、僕の本のことが、またしても紹介してあるとのこと。売店に

走る。先日、福田氏に、バブルの頃の銀座の様子を話したのだが、その話しの内容は、記事の資料

に使われるものだとばかり思っていた。今回の文章を読むと、何と、僕が表に出る形で記事が構成

されている。またまたびっくりした。興味のある方は、読んでみてください。

某月某日
急に夏日となる。窓から見える木の葉が匂いたつようだ。またこの季節が巡ってきた。舗装された

道路の上に波立つ陽炎と、呼吸するごとに体内に入ってくる熱気。また今年の夏も暑いのだろう。

冷たいもりそばがうまい季節でもある。冷や奴、枝豆、たまご豆腐、そうめん。書き出したらきり

がない。しかし、消え去った日本の風情も、気がついたら多いような気もする。風鈴、蚊帳、蚊取

り線香の匂い、ひぐらしの音、ゆかた、行水。特に風鈴など、マンション住まいであると、隣近所

から苦情が来るかもしれない。そういう世の中、そういう都市構造に我々は住んでいるということ

だ。良いのやら悪いのやら。テレビを垣間見ると、年がら年中エコだエコだと騒いでいる。まず僕

はこういう和製英語もどきの短縮した言葉がキライなので、なにか新しい、環境のためという意味

が一発で分かる日本語を誰か考え出したらどうか。エコだエコだ言われると、なんだかえこひいき

に聴こえてしょうがない。地球のためのエコひいき。自分の気に入った者にだけ肩入れする地球規

模のエコ。何だ、もう人類全員がやってんじゃないか。和製英語でいうところの依怙ロジー。本当

の意味のエコロジーを実現するのは、考える上に於いてだけ簡単だ。まず世界中の核施設、核爆弾

などを地中フカ〜くに埋めてしまう。その他の自然に有害な化学物質も、何らかの方法を用い、中

和して無毒なものとする。そのあと、人類全員が、セーので全員クタバレバいいだけだ。これほど

完璧なエコロジーもなかろう。まあ、そうなれば、人類が一人も居なくなるのだから、エコロジー

という概念もなくなるということであり、やはり意味ないか。エコサッカー、エコ野球など開発し

てはどうか。自転車こいでもある程度の電力は得られるのだから、風力発電の小型軽量機械みたい

なものを開発し、サッカー選手や野球選手の股間に装着する。世界中であれだけの数のサッカーの

試合が年中行われてるんだから、まんざらバカにできない数値が出るのではないか。生み出された

エネルギーは、電波でもって電力集積所などに集められる。そのエネルギーで、夜の試合を照らし

たら良い。動きがニブくなると、試合会場は暗くなるから、畢竟、各選手、走り回るしかなくな

る。そういう試合の方が、手に汗握って面白いのではないか。まだ本格的に夏にもなっていないの

に、真夏の夜の夢のようなことを妄想してしまった。

某月某日
今度の日曜日、仙台にて演奏します。詳しい情報は以下のごとくです。

berkana 2nd Anniversary
Hirosi Minami×Masato Suzuki
"Like Someone In Love"Release Live In Sendai
2008.6.29.Sun at berkana
1st STAGE:19:30 OPEN/20:30 START
2nd STAGE:22:00 OPEN/22:30 START
ADV\4.500,DAY\5.000(with 2DRINKS)
※各ステージ限定25名様完全入替制
RESERVATION:berkana
info@berkana.jp
仙台市青葉区一番町4-3-9B1F TEL/022(711)0238

今回の新しいCD「LIKE SOMEONE IN LOVE」ewe,及び自著「白鍵と黒鍵の間に」小学館、共に

発売します。お店の大きさから、ピアノ、ベースデュオというフォーマットとなりますが、トリオ

とは違った味わいある演奏となるでしょう。仙台方面の方、お会いできることを楽しみにしており

ます。

某月某日
先日、文藝評論家の福田和也氏と会ってきた。福田氏は、週刊現代にて、昭和、平成の出来事を追

うといった内容の記事を書いておられる。ということで、ぜひ僕の本「白鍵と黒鍵の間に」に書い

てある、昭和末期のバブル狂騒の時期を詳しく知りたいので会いませんか、という連絡を受けた次

第。週刊新潮の「闘う時評」で僕の本が採り上げられた関係もあるのであろう。かねがねこちらお

礼を言いたいと思っていたので、約束の某一流ホテルのバーにて会合す。思ったとおり、福田氏

は、温厚で知的な雰囲気の方であった。会話の内容はもちろん、バブル狂騒の時代のこと、僕が本

に書き損じた内容をうまく聞き出すということがメインテーマであったが、博覧強記の福田氏のこ

と、話しは途中から、文学、音楽、時勢、この国の在り方、落語の話しと多岐に及び、まったく

もって楽しい時間をすごさせてもらった。前にも書いたことだけれど、福田氏は僕と同年である。

何たる基礎教養、又は知識の違いか。どうすればあれだけの情報、知識をイヤミ無しに身につけら

れるのか。とにかく、時間を忘れ、知的会話に没頭するという経験をしたのは、本当に久しぶり

で、本当に楽しかった。また、機会があれば、福田氏と話ができたらどんなに楽しいかと思う。

会合の日からしばらくして、福田氏が編集している雑誌、「en taxi」が送られてきた。刺激的内

容に満ちた雑誌である。本を書いたことでこういうおまけがつくとは、実際想像していなかった。

次回は、福田氏といっしょに落語などを聞きにいきたいと思う次第である。

某月某日
本日は久しぶりの休日。といっても、部屋の掃除、洗濯などをする。後、ピアノトリオのレパート

リーを増やすための曲探しと練習。日記にて、ピアノの練習をしているなどと書くのは、あまり

かっこいいものではない。毎日ふらふらとすごしている輩が、ピアノを弾かせたら、突然ものすご

くうまいというのが、本物の才能だろう。僕はそういう本物のヒップスターとは違うというだけ

だ。ヒップスターなんてもう死語だと分かりつつ書き付ける自分が哀しい。今晩は、ちゃんと夕食

を調理しようと試みたが、残念ながら時間切れ。気がついたらスーパーマーケットが開いている時

間を過ぎていた。スーパーとはとび抜けたという意味があるのだから、マーケットにて、独り住ま

い用の総菜類をもっと増やすべきだと思うのだが。例えば、「金欠コーナー」「野菜不足コー

ナー」「家庭の味コーナー」など、その場で調理してくれる半定食屋のようなセクションがあれ

ば、もっと人を呼べるだろうに。換算するに、独り住まいの場合、光熱費、水道代、調理の時間、

皿洗い、片付けなどを視野に入れると、外食を主にするのと、どちらがコストパフォーマンスに優

れてれているのか。誰か統計立てて研究し、本を書けば、僕の本より売れること間違い無し。ホテ

ル住まいを続けた、藤原義江、淀川長治、収入さえあれば、洗濯、食事から面倒をみてくれる生き

方ができる。しかし、いかんせんこちとらピアニストなので、パトローネスを得て、仕事の面でも

高級取りになっても、ホテルにピアノは持ち込めない。賞味期限なんか気にしている脳味噌の隙間

なんてもうない。僕の母は専業主婦だが、それでも冷蔵庫の食べ物を腐らせる。どうしたもんなん

だろうか。一事缶詰だけを主食にしていたことがあったが、意外と長続きしない。まあ、一日五

穀、色んな色をした野菜を食べるのが最も良いのだろうが、それもまた夢の夢。夜中なのに小腹が

減ると往生する。キツネドンベイ我が見方。塩分多いんだろうなと想いつつ、夜の闇にまみれてす

すりこむ。明日も帰りは演奏なので遅い。食事の準備などできなかろ。要するに、「死ぬまで生き

る」しかないんでしょうな。

某月某日
自著、「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)が、昨日の、日本経済新聞夕刊の書評欄で紹介された。僥

倖である。


評者の井上章一氏は、もちろん面識はないが、京大出身、現在、国際日本文化センター助教授とい

う職にある方だ。とんでもなく偉い人にまで、自著が行き渡っているということが、まず驚きで

あった。以上の情報は、インターネットで調べたものであるが、国際日本文化研究センターという

ところが、またとんでもなく学術的なものを扱う場であるようである。その研究のキーワードは、

風俗、意匠、近代日本文化史となっているのが面白い、と言っては失礼に当たるのか。ともかく、

井上氏が僕の本に目をつけた理由は、80年代後半の、それもバブルがはじける直前の銀座に身を

置いていた一人のクラブピアニストをとおして、ひとつの昭和史に於ける、この研究機関がいうと

ころの「風俗」を感じ取られたということなのであろう。その視点から、井上氏は、僕の本に注目

してくれたような気がする。また、そういう観点から、井上氏の書評を読むと、逆に自分の気付か

なかったものの見方を教わったような気がした。そうか。あの80年代後半の、昭和という時代が

異常に燃えあがっていた時期、あれは、一つの風俗としてとらえることも可能な、そんな時代だっ

たのか。確かに、きょうび頻発している、一般人が無闇に刃物を振り回すようなことは、当時はあ

まりなかったような気がする。本にも書き記したが、特に銀座という場所に於いては、銀座の夜空

に万札が唸りをあげて旋回しているごとくな雰囲気が、僕がピアノを弾いていた界隈を覆ってい

た。天皇陛下が崩御されるまでを頂点に、日本人全員が、グワーッと何かに向けて、各自が両方の

手のひらを開いて、何でもいいから掴めるものは掴み取ろうと、魑魅魍魎、百鬼夜行もどきの群れ

が、跋扈していた時代だったのだ。もちろん僕も、その中の一人であったことは言うまでもない。

本には書かなかったが、銀座のクラブが休みの土曜日曜は、有り余った金をポケットにねじ込み、

あこがれの池上正太郎先生の本に出てくる旨いもの屋巡りなどをしていたのである。それでもちゃ

んと留学用の貯金分のカネは残ったのであった。けだし、その当時、自分が今どういう時代のどう

いう辺りに居るといった客観性は、僕には無かったと言えるし、多分、大方の日本人がそんな客観

性など持ち合わせていなかったのだろう。実際、昨今の経済、政治の体たらくを垣間見れば、逆に

それは明らかというものだ。あの「バブル」という時代の「風俗」が無ければ、僕はいったいどう

なっていたのだろうか。渡米という僕の人生に於ける大事業は、果たされなかったに違いない。

いずれにせよ、この場を借りて、井上章一氏に感謝の意を評したいと思います。

某月某日
ウガンダ・トラさんの訃報に接した。哀しかった。もう何年も前のこと、そう、アメリカに留学す

るずいぶん前に、僕は青山劇場にて、ミュージカル「ジョージの恋人」のオケピットでピアノを弾

くという仕事をしていた。公演は一ヶ月ほど続いたような記憶がある。ウガンダさんは、その

ミュージカルに出演していた。この「ジョージの恋人」、ミュージカルとしては、歌のメロディー

や、合唱部分の譜面がやたらと難しく、本番に入る前に、一ヶ月ほどリハーサルをする必要があっ

た。主演の有名俳優や、その脇を固める他の俳優全員、なぜだか譜面の読める人が少なかった。複

雑に絡み合うメロディーの輪唱などに、リハーサルを何度やってもついていけない人が続出してい

た。その中で、音楽的カンの良さ、タイミングの良さを含めて、ウガンダさんは群を抜いていた。

その頃の僕は、ウガンダさんがビージーフォーというバンドでドラムを担当していたということさ

え知らなかった。またさらに、今回の訃報の記事を読むまで、ウガンダさんの父君が、有名なジャ

ズドラマーであったことなど、夢にも思っていなかった。


ウガンダさんは、音楽が難しくてだれ気味になるリハーサルに於いて、ムードメーカー的存在で、

いつも人を笑わせたり、セリフのあいだにアドリブを混ぜるなどして、指揮者と俳優陣の関係に不

穏な空気が流れそうになる時など、独特のジョ−クでその場をなごませるような、そんな存在感を

持った人だった。ウガンダさんがその芝居に参加していることによって、いくつもの難しい局面が

スムーズに行くようになることも珍しくなく、とにかくウガンダさんは、誰からも好かれる存在と

して、そのミュージカルに参加していた。


本番が始まって半月ほど経った頃のある日、なぜだか僕は早い時間に青山劇場に着いてしまったこ

とがあった。客入れの時間まで少し間があったので、オケピットに置かれているスタインウエイ

で、スタンダードチューンなど弾きながら時間を潰すことにした。その頃、スタインウエイのピア

ノなど、滅多に触ることができなかったからである。何曲か弾いていると、突然舞台の上から、そ

のとき弾いていた曲に合わせてスキャットで絡んでくる人物が居た。びっくりしてステージを見上

げると、そこにはウガンダさんが、少しおどけた表情で、僕のピアノに合わせて歌を歌っていた。

何だ、この人、ジャズの素養もあるじゃないかと嬉しくなり、何となく何曲かいっしょに遊んでも

らった。今から考えれば当然だ。僕が無知だったというだけのことで、ウガンダさんはあらゆる音

楽に精通していたのだから。それから後、楽屋は違えど、ウガンダさんと青山劇場の地下の廊下で

すれ違う時など、二言三言言葉を交わすようになった。「君、やっぱりジャズやりたいんだ。僕は

ドラムを叩くんだけど、今度一緒に呑みにいこうよ。」などと気軽に誘ってくれたときもあった。

ウガンダさんは、本番で、いつもセリフの中にアドリブを噛まして、お客さんを笑わせていた。エ

ンターテイナーだった。そのアドリブは、絶妙な間をもって、毎回違うネタでミュージカルのその

場その場を盛り上げていた。こんな表現はなんの工夫もないことは百も承知だが、才能あふれる方

だった。

ミュージカルも終焉を迎えたある日、ウガンダさんと、また楽屋近くの廊下ですれ違った。ウガン

ダさんは、あの独特な微笑みをもってして、また僕に声をかけてくれた。「今度さあ、六本木にア

ナバーっていうバーを開こうと思ってんだよ。良かったら呑みにおいでよ。」「アナバーって、あ

の、穴場という言葉ににひっかけて名前をつけたんですか。」ウガンダさんは僕の質問には答え

ず、優しくにっこりとしただけだった。

ミュージカルの仕事が終わってしまうと、自然と僕は、アナバーのことも忘れてしまった。今から

思えば、一度でも遊びにいっておけばよかったと悔やまれる。

ウガンダさんの訃報に接して、その頃の記憶がよみがえってきて、本当に哀しくなった。優しい人

だった。

某月某日
おたおたとしていたら、自分が出演したラジオ番組放送日が過ぎ去ってしまった。しかし再放送が

ある。僕のだみ声を聴きたい方は、まず、www.uniqueradio.jpにアクセスし、サイト左上にある

「Listen Now! UNIQue the RADIO」という箇所をクリック。すると小さい画面が表示されるの

で、そこに表示される簡単な質問に答えると、番組を聴くことができる仕組みとなっている。再放

送は、6月3日(火)8;00〜10:00、14:00〜16:00、22:00〜24:00となっています。だ

がなぜこういう機械の操作を説明する文章を組み立てるのは、難しいのだろうか。どうりで取扱説

明書も良く読めない筈だ。例えば、こんな文章は、分かりにくいだろうが読んでいて楽しかろう。

わくわくとした気持ちと共に、www.uniqueradio.jpに、各自の電脳ボックスをつなげてみる。息

を殺しながら、サイト左上にある「Listen Now! UNIQue the RADIO」をそっと押してみると、

曼荼羅のような小さな小宇宙的画面がプラスティックの透明盤の向こうにぽっかりと浮かび上が

る。電脳曼荼羅には学術的とはいかないまでも、あなたのカルマを決定している基本事項をあなた

自身が書き込むはめになる、そんな質問が立ち現れる。そうするとなぜか、少しマニアックな会話

とともに、あまりテレビなどでは見聞きしない音楽が、あなたの耳を俊敏な動物のように、細やか

な動きをするある器官として動き始めるだろう。ーちょっとやりすぎかな。ー

某月某日
大変なことが起きた。だいたい蕎麦屋がどうしたこうしたなどというくだらない事を日記に書いて

いる暇ではない。6月5日発売の週刊新潮の、闘う時評、福田和也氏執筆の欄に、自著「白鍵と黒

鍵の間に」が採りあげられたのだ。びっくりした。誰に頼んだわけでもないのに。福田和也氏とい

えば、「近代の拘束、日本の宿命」以来のファンであり、「まぜ日本人はかくも幼稚になったの

か」「内でも外でもバカばかり」などを含め、文藝春秋に連載されている「昭和天皇」を愛読して

いる最中だから、重複するが、本当にびっくりした。天皇陛下の物語を紡ぎ出している方が、僕の

物語も受け入れてくれるとは、夢にも思わなかった。この時評欄、かなり手厳しいことを書かれて

いる有名な作家もいるということは、不定期的にではあるが、読んでいたので知っている。今回の

僕の書評は、巧みに、しかも要点を押さえた僕の本の内容の要約的な文章に終始し、幸い手厳しい

お言葉は見当たらなかった。さすがだなあと思った。まあ、福田和也氏が書く事だったら、たとえ

手厳しい書評でも純粋で健康的なマゾ的快感をもってして受け入れていたであろう。否、すこし叱

られたかったなという気分さえある。僕は自分の本が出たという事にさえ、まだ少し驚いている

ペーペーなのだから、何かしらの辛口批評があっても然るべきであったろうに。思うに、そして恐

るべきことに、福田和也氏と僕は1960年生まれである。まったく違うフィールドに居る、という

か、僕のまったく手の届かないところにいらっしゃる方が、同年代。しかしこのことが、今回の僥

倖をもたらしたのではないだろうか。つまり、福田和也氏も、高度経済成長時代に少年期を送り、

バブルの頃は僕と同じく27才前後であった筈であろうから、僕の書いたことが、リアルタイムに

伝わりやすかったのではないかと思うのだが、どうだろうか。

これ以上書くのはやめよう。祝杯の準備だ。今晩の酒の味は、また格別であろう。

某月某日
先日、intoxicateのお招きで、浜松町にある文化放送に行き、ラジオの収録を行った。だが、放送

日の宣伝をしようとこの文章を書き出したのにも関わらず、詳しい日時を確かめておくことを忘れ

ていたことに今気付いた。詳しい、しかも正確な情報は後日また日記に書くこととしよう。さて、

ラジオの収録が終わり、そうだ、浜松町から銀座は目と鼻の先、久しぶりに銀座の○○庵で蕎麦で

も喰おうという気になり、JRに乗り、有楽町へ。勝手知ったる道筋をたどっていき、フフフーンと

件の蕎麦屋の前まで来てみて愕然とした。○○庵が無い。おかしいなあ、たしかこの道筋にあった

筈なのだが。何度もその界隈の道筋を歩いてみたがやはり見つからない。しばらく顔を出さないう

ちに、新しい店舗となってしまったのか。銀座界隈には土地勘があるとはいえ、その蕎麦屋の両隣

の店の名前までは覚えていない。しかも、その日のお昼時はなぜだかとても暑くて、もう一度歩き

まわって探すのはイヤだなと思っていると、ピカッと閃いた。そうだ、泰明小学校の裏に、もう一

軒、うまい蕎麦屋があることを思い出した。○○庵のように無くなっていてくれるなよという思い

いっぱいで、泰明小学校裏の路地を入っていくと、あったあった。ガラッと威勢よく店内に入っ

た。しばらくご無沙汰だったこの蕎麦屋は、昔と同じたたずまいで、多少狭いが、僕がここによく

通っていた頃そのままの雰囲気が、店の中にまだ残っていた。小瓶のキリンがあるというので、昼

ビー(昼間からビールを呑むこと)になること承知の上で、天ぷら盛り合わせと共に注文す。天ぷ

らなんていうものは、熱いうちにどんどん食べなければうまくない。ビールと共に天ぷらを食して

いたら、もりそばが来た。このもりそば、絶妙な蕎麦の盛り加減で、言うことなし。蕎麦屋には蕎

麦を喰いに行くのだから、ざるそばのように、刻み海苔などいらない。ざるよりちょっと、蕎麦の

盛りつけが堂々としていれば、視覚的満足は、まず得られる。つゆも黒っぽい少し紫がかった色を

しており、これだこれだと一気にもりそばを啜りこむ。あっという間に食べ終わり、そば湯を呑ん

でいたら、少しビールの酔いを散らすことができたので、さらにご満悦となり、その店を出た。


しかし、最初に目指した○○庵は、店を閉めたのだろうか。それとも僕の勘違いで見つけられな

かったのだろうか。銀座もしばらくいかないうちに、街の景観がずいぶん変わってしまった。時代

が流れているのだろう。このままでは、ちょっとした食の安らぎも、その流れにそって、どこかに

行っちまうんだろうなあ。


そうだ。今回は、収録したラジオの宣伝をするつもりで書きはじめたのだ。この辺で、今回の記述

は終わりとしよう。最初に書いたとおり、詳しい情報は、また後日この日記にて報告します。

某月某日
今回は、僕のサイトの管理者を紹介したいと思う。実はこの方,僕にとっては、途方もなく偉い方

であり、なぜこのような方に面倒を見て頂いているのかも、今もって不明だ。以前の日記にも散々

書いたことだが、僕はまたこれ途方もなく機械音痴である。懐中電灯の電池を逆に入れてしまうほ

ど、機械というか、その近辺のものやことが理解できない。何か新しい電化製品を買っても、説明

書が読めない。もちろん字面は目で追えるけれども、意味が理解できない。例えば、特に電話機の

説明書に多い「保留」という言葉の意味が分からない。説明書には「通話中にお待たせする(保

留)」と書かれているが、操作のしかたの欄を見れば、だいたいの用途は分かるけれども、何をど

う保留するのか、ということについては理解ができない。しかもなぜ、「通話中にお待たせする」

という、曖昧な敬語を使ってこういう説明書を書くのかも理解できない。かかってきた電話がオレ

オレ詐欺でも、「お待ち頂く」というスタンスで通話を「保留」するのか。


おっと、サイトの管理者の紹介をする為にこの文章を書きはじめたのだった。このサイトの管理者

は小笠原たけしさんという方だ。コンピューターグラフィックという世界で大活躍されている。ご

覧のように、新しいウエッブの表紙のデザインも、あっという間に完成した。まあ、ある意味で出

版記念であり、本の表紙の顔と、サイトの表紙の顔が、あまりにもかけ離れていては、今までの表

紙の顔は、アンチエイジング後と間違われるかもしれないし。また話しが横道にそれた。今回、サ

イトを一新してもらうので、小笠原さんのことを日記に書くことにしたのだ。ということで、小笠

原さんの最近の活動をかいつまんでメールで送ってもらい、その文章を僕が咀嚼して、小笠原さん

のやっていることのすごさを文章化するつもりだったのだが、小笠原さんの送ってきたメールの文

章を読んで一秒後、それは不可能だということが分かった。なぜかと言えば、何が書いてあるのか

良くわからないからである。よって、誤解の無いように、小笠原さんが送ってきたメールの文章を

そのまま以下に列挙することとした。

小笠原たけし
http://www.graphic-art.com/

1)アート作品
高精細&大型平面コンピュータグラフィックス作品、および
各種センサー等を用いたインタラクション・アートを作り続け、
国内、海外の美術館、イベント等で展示・発表を多数行っている。
CG平面作品はデザインコンテストで多数受賞。


2)グラフィックデザイン
IT関連を中心とするグラフィックデザインを行う。


3)講師
女子美術大学の非常勤講師としてインタラクションアートをメインに教えている。

「デジタルコンテンツ エキスポ」
http://www.cofesta.jp/official/asiagraph.shtml
開催日時	10月23日(木)〜26日(日)
会  場	日本科学未来館(一部 東京国際交流館)
主  催	経済産業省/(財)デジタルコンテンツ協会(DCAJ)
---------
私はこのエキスポの招待作家になっています。
今年は音楽に反応して絵柄が変化するインタラクションアートを
企画しており、ミュージシャンとの共同作品となる予定です。
--------------------------------------------------------

とにかく、小笠原さんのサイトから、彼の作品群をご覧頂きたい。何度もいうようだが、機械のこ

とは分からないので、解説しようもないのだが、とにかくすごいということだけは、誰でもが分か

ることであろう。



某月某日
新しいCDと、本の出版が続いたため、このウエッブサイトも少々内容を変えることとなった。

まずは、もう皆様ご存知のとおり、「BOOK」という欄が新設された。こういう欄をつくってもらう

と、なんだか本一冊ではすまないような気がしてくる。書ける機会があれば、また何か書きた

いと思う意欲はあるのだが。


同時に、トップページのデザインも近々変える算段となっている。現在のフロントページにある

僕の顔は、既に、10年以上前のものであり、下手をしたら、なりすましメールのごとく、男が、

「ハ〜イ、私の名はノリカ、スタイル抜群、いつでもあなたとお会いできるわよ。メール下さ〜

イ。」といった種類の行為に間接的に近かったような気がする。今回トップページに使われる

写真は、2年ほど前、コペンハーゲンにある、ピットインのような位置にあるジャズクラブ、ジャ

ズハウスの前で、イタリア人のカメラマンが撮ってくれたもので、、少なくとも、既存のトップ

ページよりも、あらゆる意味で、僕の面構えの信憑性が増すこと請け合いである。次回の日記

には、このウエッブの管理者のことを含めて書きたいと思う。しばし待たれよ。

某月某日
過日、ずっと雨の日だった。CDの発売や、本の出版が重なって、本日は久しぶりの休日。と

はいえ、相変わらず、洗濯物に困ったり、家の中を掃除している。我が人生に於いて、この正

月前後、心機一転をしなければならぬことあり、、家の中をRENOVATEした。思いきって、ど

うしても必要と思われる書籍以外、全部売っぱらった。すっきり爽快である。家の中にあるご

ちゃごちゃしたものも、正月以来少しずつ捨てていって、畢竟、掃除がしやすくなった。壁も明

るい色に塗り替え、照明器具も刷新した。気分よし。


ピアニストも、食事の準備、掃除、洗濯は、いまだに生活の必須アイテムである。しかし、残念

ながらできないことがひとつある。それはボタン付けとアイロン。包丁は、指を切らないように

して調理することに慣れたが、ボタン付けの場合、布地のどこから針の先が出てくるか分から

ないので、自然と敬遠すいるようになってしまった。ということで、服を買いにいく時は、チャッ

クなどがついている、自然とボタンの少ないものを選んでしまう。ここまで科学が発達してい

るのだから、自動ボタン付けマシーンのようなものが、発売されてもしかるべきだと思うのだ

が。

みそ汁を調理していたら、なぜか曲想が浮かんで、一曲すぐに作曲してしまった。次のGO 

THERE!で試しに演奏してみるつもり。タイトルはまだ仮題だが「RAINY DAY」。


最近また料理に凝ろうという気がしてきたので、明日は、近辺のマーケットを廻ってみるつも

り。一旦ものすごく料理に凝った時期があって、その時のような状況を再現するつもりはない

けれど、ただ、味醂、料理酒、醤油、オリーブオイル、塩、コショウなど、基本的なものは良い

ものを買い、後は、財布の機嫌をうかがって行動するのみ。ピアノの練習前後など、料理をす

るということが、どんなに気分転換になることか。僕の知っているクラシックの作曲家は、大

方、料理が巧い。多分、作曲と同じプロセスを料理をするという行いの中に感じているのだろ

う。何となく納得できる。


重複するが、次回の GO THERE ! 6月10日(火)には、二曲の新曲が用意できたことにな

る。僥倖。

また、新譜「LIKE SOMEONE IN LOVE」のトリオで、5月25日、代官山、晴れたら空に豆まい

て、というクラブで演奏する。この日は対バン形式であり、詳しくは以下のウエッブを参照され

たし。


「晴れたら空に豆まいて」http://www.mameromantic.com/

このクラブでは、8月25日、噺家と我がトリオのコラボレーションが予定されている。

乞うご期待。


某月某日
最近、僕の新しいCD,「LIKE SOMEONE IN LOVE」のジャケットの写真について質問されるこ

とが多い。この表紙の女性は誰ですか、ミナミさんの知っている人?もしかして、よく演奏で

行っているデンマークの現地妻だったりして。お安くないなあ。こんなことをいう人が現れたの

で、少し、今回のCDのジャケットの写真について説明します。もちろんジャケットの女性は、僕

は会ったこともなければ、現地妻でもありません。まあ、もしそれが事実だとすれば、ある意味

喜ばしい、ロマンスですが。この後に書く文章の内容も、もっと衆目を集めるものとなったで

しょう。とにかく、今回のCDのジャケットの写真の評判が良いことは確かだ。


この写真は、CDの内側に書いてあるように、オランダの女性写真家、Hellen van Meeneとい

う人が、2004年に、ラトヴィアの首都、リがで撮影したもののようです。今回、CDの制作が三

年近くかかったため、ジャケットの写真選びには、EWEの若手の制作担当者などと、本屋巡り

を何度もやって、やっとこの写真にたどり着いた次第。Hellen  van Meeneで検索すれば、彼

女の他の作品も見ることができる。


写真を選んだ段階では、この写真がラトヴィアの女性を撮ったものだとは知らず、とにかく、

制作側、僕も含めて、これだこれだ、これを使おうと、選び出したのであった。お分かりのよう

に、写真選定にも相当な時間がかかったということだ。CDの発売が、あまり長引くことも良く

ないことだが、こうやってジャケットの写真を、充分な時間をかけて探すことができたというメ

リットもあったのだがら、まあ、結果として、差し引きゼロということになるのだろうか。今から思

えば、運がよいことに、北欧でも東欧でもロシアでもない、バルト三国の女性という、この情報

の多い日本でも、いまだにあまり知られていない国の謎の雰囲気が、この写真の真骨頂でしょ

う。また、内容の音楽となぜかすごくマッチしていることが、不思議といえば不思議です。

ちょっと不自然に英語で言うところのBELLYに左手が少し形を斜めにしている構図も秀逸で、

背景の薄いブルーも、なんだかこの写真の未知なる部分を強調していがごとることが、今回

の評判を呼んだひとつの一因なのではないだろうか。


しかしこういう日記形式の文章は、不特定多数の人々が読んでいる筈であり、あまりこの作品

を自画自賛してしまうと、ニッポッン的謙譲の美徳、という点から言って、反感を持たれる方も

おられるのではないかと思う。いやあ、つくづく日本の社会は難しい。儒教というものが、韓国

のように、本当の意味での儒教体勢が社会の中に浸透しており、同性の者同士は結婚できな

いというぐらいに厳しいものであれば、何を書いてよいか悪いか、基準がはっきりしているのだ

から、ある意味容易かろう。しかるに我が国は、儒教の影響は受けているものの、それは韓国

とは比べるべくもなく、しかも、よく言われるところの世間という、目に見えない、しかも漠然と

した基準があるので、こうやってものを書くのも、容易ではない。


あまりにも自分のしたことを褒めちぎっては、何だあいつ、居丈高だなあ、出しゃばりやがって

と思われるのもイヤなものだ。また逆に、「エヘッヘッへ、どうも皆さん、お世話んなってます。

ミナミです。こんどCD出したんすけど、まあね、たいしたモンじゃございませんよ。ま、皆様の

お耳に快いサウンドがちょっとでも届けば、なんて、そんなこと考えてるんですがね、えへっ

へっへ。」などと妙にへりくだっても、じゃあ、なぜCDなんか出すんだよ、と言われれば、返す

言葉もない。今この日記を読んでいる皆様、どうか、どっち付かずのものの見方で受け取って

ください。再度書きます。僕にもしヨーロッパのどこそこに現地妻が居ようとも、自分のCDの表

紙には載せません。悪しからず。



某月某日
昨日は僕の誕生日であった。しかも自著「白鍵と黒鍵の間に」の発売日でもあった。またまた

しかも、盟友キャスパー・トランバーグが東京に居るという、近年稀にみる華やかな時間が過

ぎていった。こういう偶然も起こりうるということだ。キャスパーは、ピットインで共演後、僕の家

に投宿しており、お互い昔話にふけったり、今年11月に出る我々の新しいCDのこと、(このこ

とに関しては、また新しく報告します。)それによって可能となる未来のことなどを話しあい、

非常に有意義な時間をすごした。キャスパーは、本日早朝、成田に向かうべく去っていった。

タクシーを拾うため大きな通りへ彼の荷物を半分持ちながら、早朝の街を歩いた。二人とも無

言だった。僕はタイミングよくやってきたタクシーに片手を上げて止め、「ヘイ,メーン」と一事

言ってキャスパーをハグした。彼もぎゅっと僕の体をハグした。一秒ほど。一抹の寂しさが僕

の身を貫いたが、男同士というものはいいものだ。相手が日本人でなくとも、黙っていても、お

互い同じ心境であることが分かりあえる。荷物をタクシーのトランクに入れ、キャスパーがタ

クシーの後部座席に座り込む。お互い目で見つめあってから、同時に二人とも微笑んだ。

ドアが閉まる。タクシーが見えなくなるまで手を振った。いまごろ、あのおとぎの国のようなコ

ペンハーゲンで、彼の娘達に東京のお土産でも配っているのであろう。またな、キャスパー。

またいっしょに演奏しような。


というわけで、本日はあまりにも早く起きてしまったので、部屋の掃除などをして時間を潰して

から、近所の大手の本屋へ行ってみた。自分の本が置いてあるかどうか不安だったからであ

る。この本屋は、行き慣れているので、どういう本がどこにあるか、大体僕には見当がついて

いる。僕の本は、音楽関係の出版物が並ぶコーナーに、平積み状態で置いてあった。複雑な

心境だ。今まで何冊の本を読んできたことか。今まで何冊の本をこの本屋で買い求めてきた

ことか。そこに自分の本が加わるなど、以前は夢にも思わなかった。これからは、自分の本で

はなくとも、本というものへの見方が大幅に変わりそうだ。本というものが、どういう行程をへて

完成するかを目の当たりにし、実感したからである。畢竟、今まで読んだ本の文章も、僕の意

識の中で変わりつつある。ものを書くということは、こういうことだったのね、という、何というか

一線を越えてしまったからこそ分かる重みと儚さ。思考の方は、斯様に重々しいものであった

が、行動の方は、僕らしくもなく、どういうわけだかそわそわしていて、自分の本が置いてある

棚の前を行ったり来たりしている。何をやってんダア俺は。他の来店客の様子などをチラチラ

見て、さあ、帰ろうかと思ったが、どうも自分の本がまだ気になる。何がどう気になるのかよく

わからない。まさか買い求めたりしてもしょうがないし、誰かが本を買うまで立ち去らないと自

分に言い聞かせるのもばからしい。だが立ち去れないというこの心境は、いったいどこから来

るものなのか。ほかの本を見に行くべく本屋の中をうろうろした後、また自分の本が置いてあ

る棚の前まで来て、なんだか落ち着きなく行ったり来たりしてしまう。私服警官が僕を見た

ら、万引き犯と思ったに違いない。怪しいメガネをかけた惚け顔の男が、不定期的に、同じ場

所をうろうろとしているのだから。少なくとも、禁治産者には見えたのではないだろうか。しば

らくしてから、心身ともに冷静を取り戻し、いつまでもこに居てもしょうがないと自分に言い聞

かせ、本屋を後にした。まさか、その場で、「こ、こ、これは俺が書いた本なんだあ、誰か、誰

か、頼むから買ってくれい!」と叫ぶわけにもいかないし、寅さんのように、「けっこう毛だらけネ

コ灰だらけ、お猿のおケツはマッカッケ!」などと、香具師のようにバイを始めるわけにも行くま

い。

今日、本当に残念に思ったこと。それは、キャスパーに僕の本を一冊プレゼントできなかった

こと。なぜって奴は日本語が読めない。その点、音楽とは何と素晴らしいのだろうか。あ、小

学館の皆様、こんなことを書いてごめんなさい。


某月某日
昨夜、横浜MOTION BLUEにて、久しぶりに、盟友キャスパー・トランバーグ(TP)と演奏。相

変わらずのサウンドの美しさにこちらのピアノの音まで影響され、またそれが、ベース水谷氏、

ドラム外山氏に伝播して、近来まれに見る大人の音楽を演奏してしまった。こんなトランペッ

ターなかなか居ないよな。もうかれこれ18年来の友であるけれども、彼のサウンドが年を追う

ごとに磨かれていくのが分かるというのも、共演していて嬉しい側面のひとつだ。今回はベー

スの水谷君が、彼のバンド、フォノライトのレコーディングに彼を呼んだことで、今回の演奏が

実現した。水谷君にも感謝せねばなるまい。


キャスパーの、ある意味舶来文化的提案で、僕は、ポエトリー・リーディングまでこなしてい

る。ポエトリーといっても、実際の題材は、5月15日に発売になる僕の本「白鍵と黒鍵の間に」

のエピローグを朗読したのだが。怪しいインプロのサウンドに乗っかって何かを読むということ

が、こんなに面白いとは意外であった。本日12日は、鎌倉ダフネ、14日は新宿ピットインで

演奏する。残る二回とも、マイクの数が足りるのであれば、ポエトリー・リーディングに再度挑

戦したい気分だ。もうひとつの面白い局面を発見した。キャスパーは日本語を解さない。彼に

は僕が読む日本語がサウンドとして聴こえているということである。これは非常に面白い現象

を生み出す。つまり彼は僕の読む日本語を音楽としてとらえ、僕の朗読にトランペットで絡ん

でくる。句読点、文章の間など、彼には分からないからこその新しいサウンドが、さらに新鮮な

空間を作り出す。もちろん、キャスパーの曲も、ユニークという枠を超えた、新しい響きの音楽

だし、このバンドはクセになりそうだ。元々、僕が長年、デンマークのミュージシャンを日本に

呼んで演奏したり、僕がデンマークへ行って演奏したりしてきたのだが、今回のKASPER 

TRANBERG JAPANESE QUARTETの狙いは、日本で彼のリーダーバンドをつくってしまおう

というところにある。キャスパーを一人デンマークから呼ぶということであれば、今までやって

きたように、他のデンマーク人4人を呼ぶ労力も省けて、その時々のバジェットと状況に於い

て、こちらもフレキシブルに動けるというわけである。昨夜の一回目の演奏で、何故だか分か

らないが、もう既にバンドとして成り立ってしまったので、あとは、この四人を今後機会を見て

集合させるのみだ。と言いつつ、なかなかこの四人を集合させるのは難しいんだけどね。

興味のある方は、お見逃しのなきよう。また、何度も書きますが、5月14日ピットインンでの演

奏では、僕の著書「白鍵と黒鍵の間に  ピアニスト ・エレジー銀座編 」小学館 を先行発売し

ます。

某月某日

さてっと。自分なりのライナーは書き終えた。(この日記の下を参照。)これらの文章が、聴く

側の人々をより楽しませることを望むのみである。CDを買った方ならお分かりのように、この

一枚を世に出すのに2年かかってしまった。詳しい事情は言うまい。しかし、こちらにとっては

長い長い待ち時間であった。


表紙の写真も自分で言うのもおかしいかもしれないが、秀逸だと思う。CDのジャケットを開い

て左側の右下にある白抜きの文字、「For My Niece」はイワクツキである。実は、我が妹の出

産予定日が4月23日(CD発売日と同じ日)であったので、この一言を入れた次第だ。赤ちゃ

んは、予定日より早く生まれ、名前をつけるのに時間がかかったため、CDに、我が姪の名前

を入れることができなかった。まあ、早く生まれたといっても、早産ではなかったので、問題は

ないのだが。いや、問題は、僕が本当の意味で叔父さんになってしまったことにある。このCD

に於いて、姪の存在を明らかにしてしまった。僕はUNCLE HIROSHIとなったのだ。


さらにまた偶然が重なる。僕の著書、「白鍵と黒鍵の間に」小学館5月15日発売というのも、

1/365の確率だ。なぜかと言えば、5月15日は僕の誕生日である。これらの説明のつかな

い偶然もあるのかなと思うところと、あまり神秘的な方面での考えはやめようという思いが、今

ないまぜになっているところだ。我が姪は、2008年生まれである。午後7時頃に生まれたか

ら、勝手にナナコちゃんというあだ名をつけた。ナナコちゃんは、それはもう、本当にかわいく

て、難しい本を読んでいるより、人間を知る手助けをしてくれているようでもある、僕には貴重

な存在だ。変な喩えかもしれないが、我々人間は、飛行機に乗っている時はのぞいて、地球

の表面約2メートル以下の空気の範囲を、我々の肉体が占めている。そこにまた、新たに地

球上の表面を地表2メートル以内のどこそこかの空間を占める存在がこの世に生まれでてき

たということだ。神秘といえば神秘だし、当たり前だといえば当たり前だけど。ナナコちゃんが

成人するのは、2028年である。オレは生きているのだろうか。ナナコちゃんの成人式とやらに

参加できるのであろうか。否,参加できる体であっても行かぬがよろしいようで。カタギの祭り

を邪魔しちゃあいけませんぜ。なあおい。



某月某日
(今この日記にて、新譜「LIKE SOMEONE IN LOVE」の、僕なりのライナーを書いているとこ

ろです。気がつけば、文章を日を追って上に積み上げる式なので、読みにくい状態になったこ

とに気付きました。お手数ですが、このサイトを初めて読みはじめる方、最初から読むには、

下段、「MY FOOLISH HEART 」から読み上げてみてください。)

CHELSEA BLIDGE 

言わずもがな、僕の一番敬愛する作曲家、ビリー・ストレイホーンの名曲である。

勘違いしていたようだが、どうも、チェルシーブリッジという橋は、NYには存在しないらしい。

タイトルの由来は、ロンドンのチェルシー地区に架かる橋の名前であるようだ。まあ、そんなこ

とはどうだっていい。この曲のハーモニー、絶対古びない。フランス印象派の影響をものすご

く受けたことの分かるコード進行で成り立っている。ジャズチューンとしてはハイブローだが、

メロディの微妙な切れ目の中に、ちゃんとブルースが埋め込まれている。本当は、メロディー

を2コーラスソロ無しで演奏しようかと思ったほどだ。ソロなんて意味ないと思わせてしまうほ

ど、メロディーが完結している。こんな難しい曲を何故ラストに持ってきたかといえば、それだ

けの重々しい高貴さがこの曲にはあったからなのだが。ビリー・ストレイホーンは別の名曲、

「LUSH LIFE」を 、彼は17歳の時に作曲したらしい。こういう場合、もう既に、日本語で言うと

ころの早熟などという表現は当てはまらず、つまり、生まれながらにしてあの世を感知できる

人物だったのではないかと、僕は冗談抜きで思っている。


そう、僕たちの一番身近にあって、それなのにまったく未知の世界である「死」ということ。なぜ

だか僕は、ビリー・ストレイホーンの音楽を聴くと、その洒脱さ、ユーモア、曲の構築性のしっ

かりした様、それら、ビリーの音楽的特徴の向こうに、いつも「死」というものを感じてしまう。そ

れは、決してペシミックなスタンスのものではない。ここが不思議な点で、しかも矛盾するとこ

ろなのだが、その音楽的特徴の向こうにある「死」というものは、何かしらの永遠性を秘めてい

るような気がしてしょうがない。それは、よく牧師さんが言うような、彼(又は彼女)は、永遠の

眠りにつきました、という場合に使う永遠性ではない。僕の感じる永遠性とは、ビリー・ストレイ

ホーンのメロディーの中にあるのである。客観的に時間という単位で計ってみれば、ものの

3〜4分で一曲は終わりだ。だが、だからこそ、ビリーのメロディーには、時間の長短を超越し

た何かが存在するのではないだろうか。恣意的な意見かもしれない。だが、彼のメロディーを

聴く者が、一瞬一瞬永遠な何かを仰ぎ見るような要素が、彼の曲を聴く間、存在しているよ

うな気がしてならない。

ご存知の方もあるかと思うが、ビリーは、エリントンの片腕であった。否,この言葉は正確ではない。


"Billy Strayhorn was my right arm,my left arm,all the eyes in my back of my head,
my brainwaves in his head,and his in mine." -Duke Ellington

このエリントンの言葉に訳は要るまい。これは、ビリー・ストレイホーンのサイト

http://www.billystrayhorn.com/で見つけた言葉である。

その他、参考になるのは、「ラッシュ・ライフ ー ビリー・ストレイホーン・ソングブック」VERVE

POCJ9543 のライナーに詳しい。


このライナーの中には、哀しい記述もある。抜粋することを躊躇したが、あえて載せよう。

「1939年から1969年5月31日、自虐的なほどの無神経さで酒やタバコを続けたのが原因

となった食道ガンで亡くなるまで、デューク・エリントンの協力者、アレンジャー、時には作詞

家として活動した。彼がエリントンのために書いた作品のほとんどは、ストレイホーンの流儀を

前面に出しながらも、バンドリーダーやオーケストラの体型に合わせて、親愛の情を持って仕

立てられていた。」


天才ビリー・ストレイホーンも、ある面タダの人間だったという証かもしれない。僕は、エリント

ン研究家ではないし、そんなことをするつもりもないから、これから先は僕の臆測である。


ビリーがいくらナイスガイで、エリントンを敬愛していたとしても、出版される作品は、皆エリン

トン名義となる。ここに、天使でない限り、人間としての屈託が生まれてしかるべきである。し

かし心優しいビリーは、これを諦観し、エリントンを見守っていたのではなかろうか。更に言え

ば、その諦観が、また新たなる曲の雰囲気を作り出していったと想像しても、あながち間違い

ではないような気がするのだが。さらにまた、その諦観と屈託が、彼を、酒とタバコを「自虐

的」にまで用いる要因となったのではないか。ビリーの周りの人間が、「自虐的」と思うほど、酒

とタバコを用いたということは、相当な量だったのだろう。何故って、普通他人は、周りの人間

を、思うほどあまり見ていない存在であるから。


ごくたまに、芸術のジャンルを問わず、このような天使のような存在が世の中に現れる事があ

る。幸か不幸かは分からない。しかし、現れてしまうのだからしょうがない。


ビリーは多分、自分が「知っている」世界に帰っていったのであろう。そう考えないと、なんだか

やるせない。2008年の日本という国で、彼のメロディーを演奏したCDが発売された。そのこ

とを彼が知ったとき、いったいどう思うのだろうか。いずれにせよ、ビリー・ストレイホーンは、彼

の作曲したメロディの間に間に生きていると思うので、ノープロブレムだ。この曲は、これから

も、ライブにて、執拗に、しつこく演奏してゆくつもりだ。もしかしたら、ビリーに会えるかもし

れない。




某月某日
(今この日記にて、新譜「LIKE SOMEONE IN LOVE」の、僕なりのライナーを書いているとこ

ろです。気がつけば、文章を日を追って上に積み上げる式なので、読みにくい状態になったこ

とに気付きました。お手数ですが、このサイトを初めて読みはじめる方、最初から読むには、

下段、「MY FOOLISH HEART 」から読み上げてみてください。)

EIDERDOWN

今回のCDは、南博トリオ、初のスタンダード作品集との謳い文句で発売されていることは、当

の本人が充分承知である。同時に、オーダー(つまり曲順)から見て、最後の曲のひとつ前と

いうのは、なかなか選曲が難しい。こういうシンプルな曲の構成だと、最後から二番目の曲

は、最後の曲より目立ってはならないし、かといって、今までのオーダーをつつがなくエンディ

ングの曲に繋げなければならないという役割もある。こうなれば、スタンダードではない、かと

いって、ものすごくオリジナルな曲を選ぶでもない、そのあたりの条件を充分に満たした曲を

探す必要があった。


あまり悩まずとも、「EIDERDOWN」が頭に浮かんだ。言わずもがな、巨匠ベーシスト、ス

ティーヴ・スワロウの曲である。全ての素晴らしいプレイヤーが、素晴らしい曲を書けるわけで

はない。同時に、素晴らしい曲を書けるプレイヤーが、誰しも素晴らしいプレーヤーではない。

これは天の配剤だからどうしようもない。スティーブ・スワロウは、生まれてくる前に、あの世か

どこか知らないが、誰からか、よほど良い処方箋を受け取った数少ないミュージシャンであ

る。いずれにせよ、彼の曲を入れることによって、CD全体の雰囲気も締まると思った。同時

に、この「EIDERDOWN」という、一見簡単そうで実は音楽的に難解な曲を、芳垣、鈴木両氏

にぶつけてみたいと思った。結果は、まあ、CDを聴いて頂くしかないが、僕の狙いは功を奏し

ていると思う。まずは鈴木君のソロを聴いて欲しい。素晴らしいから。


このトリオの録音時に限らず、ことあるごとにこの曲を演奏してきた。しかしこの場になって、

この曲のタイトルの意味を知らないことに気付いた。早速辞書をひく。


「EIDERDOWN」1:雌のけわたがもの綿毛。2:(1その他の柔らかいものを詰めた)羽布団。

3:(米)毛羽の厚い綿ネル。


また、他の辞書には、けわた鴨(北欧沿岸産)とある。お手上げだ。


ネイティブの英語には、やはりついていけない。まあ、これは論文ではないのだから、何となく

雰囲気を察するにとどめよう。だが、けわた鴨とはいかなる生物か。調べてみると、う〜ん、

頭が痛くなってきた。

けわたがも:カモメカモ科ケワタガモ属の鳥の総称。北極地に四種がすむ。羽毛は非常に良

質で、寝袋、羽根布団などに珍重される。


ああ疲れた。調べれば調べるほどワケが分かんない。スティーブ・スワロウはニュージャー

ジー出身の筈だから、北欧沿岸とは関係ない筈だが。待てよ待てよ、北欧にツアーに行った

時に、EIDERDOWNでできた羽根布団で就寝したという可能性もあるぞ。または、スワロー幼

少の頃、そういう布団で寝ていたという可能性もあるし、曲ができたあと、何となく付けたタイ

トルかもしれない。


これらの珍種の鴨が、鉛色をした湖に浮かんでいるという風景を想定しながら演奏することも

悪くない。また、今回調べたことなど忘れ去って、自由に演奏するのもまた良し。実際、それ

だけの可能性をプレイヤーに提供すべく、この曲は、シブく、難解で、シンプルで、小節の数

がハンパで、かっこいい。

関係ないけど、オレはやっぱり冬の寒い日に鴨南蛮をかっこんでいるのがいいなあ。




某月某日
(今この日記にて、新譜「LIKE SOMEONE IN LOVE」の、僕なりのライナーを書いているとこ

ろです。気がつけば、文章を日を追って上に積み上げる式なので、読みにくい状態になったこ

とに気付きました。お手数ですが、このサイトを初めて読みはじめる方、最初から読むには、

下段、「MY FOOLISH HEART 」から読み上げてみてください。)

HOW INSENSITIVE

ポルトガル語の題名は「INSENSATEZ」。

9・11のテロが起きたあの日、僕はとあるクラブでの演奏を終わり、楽屋としてあてがわれた

テーブルの奥に座っていた。そこには何故だかテレビが置いてあった。スイッチをひねってみ

たら、画面は見えるが音が出ない。クラブのマスターに聞いたら、音は出ないようにしてある

のだという。


しばらくして、同じ光景が、どのチャンネルでも何度も何度も写りはじめる。アナウンサーや、

リポーターの声は聴こえない。きっと「大変なことになりました!」「今二機目が突入したところ

です!」というようなことを言っているに違いないと思った。僕は、無言の画面をしばらく凝視し

た。ふとあるメロディーが頭に浮かんだ。それはジョビンの「HOW INSENSITIVE」だった。


こんなことを書いては、あのひどい事件で被害に合った方、亡くなられた方からお叱りを受け

るかもしれない。しかし正直に書くこととしよう。その無言の画面に僕の脳内は、自然と

「HOW INSENSITIVE」のメロディーを思い浮かべていたのだ。


ポルトガル語の辞典がないので「INSENSATEZ」の意味は英題からでしか推測できない。

「 INSENSITIVE」、辞書には、鈍感な、感受性の鈍い、無神経なさま、とある。

僕は思った。こんなカタストロフィーが眼前に繰り広げられているのに、泣くこともなく、いわん

や、頭の中にジョビンのメロディーを思い浮かべている僕は誰なんだろう。しかし同時に、ま

た、やるせないことに、その音のないテレビの画像に写し出される光景が、そのメロディーに、

ものすごくフィットしていた。


現代社会に生きていれば、人様々ではあろうが、どこか鈍感でなくては生きていけないという

側面も認めざるを得ない。しかし、9・11のような出来事は、ただ鈍感だから、感受性が鈍い

からではかたずけられない何かを僕に発していた筈だ。しかしジョビンのメロディーは、脳内

に鳴り続けた。そして、少し気付いたことがひとつあった。

鈍感なのは、アメリカ政府だけじゃないし、テログループだけじゃないし、僕を含めた全世界

の人達が「HOW INSENSITIVE」なんじゃないか。人間全体が、ある意味、鈍感でバカなん

じゃないか。


「HOW INSENSITIVE」のメロディーが、僕の脳内から聴こえてきたことは、僕に何かを悟らせ

るために、自然と僕のサブリミナルな部分を、何かが刺激したとしか思えない。また、逆に考

えれば、あれだけの惨事を、ひとつのシンプルなメロディーの流れで総括してしまうことは難

しい。しかし「HOW INSENSITIVE」だけは、少なくとも僕にとっては例外だった。なぜって、僕

は哀しい画面を見ながら、このメロディーを思い起こすことによって、とても慰められたのだか

ら。


もちろんアントニオ・カルロス・ジョビンが、僕がこのような状態で自分の曲を聴くことを想定し

て、「HOW INSENSITIVE」を作曲したとは思えない。しかしジョビンは、もっと大きなスタンス

で、森羅万象あらゆる人間共の悲喜交々を、肩代わりするつもりで、この曲を、それも無意識

の内に作曲したのではなかろうか。


以上が、僕がこの曲を演奏するときの基本的な心情である。この曲の歌詞を要約すると、「あ

んなに真剣に愛してると言ってくれた彼(又は彼女)に冷たい態度をとってしまった。〜もう彼

(又は彼女)の面影を追うのみだ。」ということになる。


別段、上記のようないきさつを、我がメンバーに伝えてから「HOW INSENSITIVE」を演奏した

のではないけれど、そこは音楽。なかなか皆さん、僕のピアノを素晴らしくするための演出に

怠りがない。

いずれにせよ、バカでもいいけど、鈍感ではありたくない。


某月某日

(今この日記にて、新譜「LIKE SOMEONE IN LOVE」の、僕なりのライナーを書いているとこ

ろです。気がつけば、文章を日を追って上に積み上げる式なので、読みにくい状態になったこ

とに気付きました。お手数ですが、このサイトを初めて読みはじめる方、最初から読むには、

下段、「MY FOOLISH HEART 」から読み上げてみてください。)

MISTERIOSO

言わずと知れたセロニアス・モンクの曲である。モンクの曲は、どうアレンジしようが、どういじ

ろうが、メロディーの骨格というしかない全体の流れが、絶対に、まあ料理に当てはめて言え

ば、煮くずれしない。同時に、今回のCDは、この曲に限らず、他の曲も含めて、全然と言って

いいほど譜面上のアレンジを施さず、全曲を演奏した。しかし、唯一この「MISTERIO」だけ

は、いわゆるヘッドアレンジを用いた。まあ、ヘッドアレンジといっても、鈴木正人君に、テーマ

を弾いている間、ベースソロをしてもらうという、ごく簡単なものであったが。いずれにせよ、こ

のアイデアは、レコーディングブースに入り、ピアノ、ベース、ドラムがスタンバイをし、エンジ

ニアが、録音開始のキューを僕に出す寸前に浮かんだもので、「鈴木君、テーマやってる時、

同時にソロして。」と、機械類のスイッチがonになる一瞬前に彼に一言言っただけである。こ

れでは、ヘッドアレンジとさえ呼べない。しかし、効果は抜群であった。ここで鈴木君がソロを

することで、全体の構成も良くなり、彼のまた違った魅力を聴く人に提供できたと思う。


このセロニアス・モンク、また今回のCDの最後の曲の作曲家でもあるビリー・ストレイホーン共

に、ニルヴァーナの世界をメロディにて体現しているような気がしてならない。この二人の偉

人は、音楽的サウンドの方向性は違えど、彼らの表現したかった音楽の芯の部分は、明らか

に同じだったのではないだろうか。ニルヴァーナの訳を見てみると、「心をやすらかにし、さとり

をひらくことと」とある。なにも彼らの音楽が直接仏教的だということを言いたいわけではな

い。同時に、何かしら宗教的な意味合いを通してこの曲の解説をしたいのでもない。現に、

我々人間なんて、そう簡単に、本当の意味で、心安らかになんて心境を得られる筈もない。も

しかしたらこの二人の偉人も、実生活においては、いつもニルヴァーナの心境ではなかったか

もしれない。しかし、一旦彼らがピアノを弾きはじめ、また、曲をつくりはじめると、その心境は

一変したのではないだろうか。否,もしかすると、実生活に於いてさえ、ニルヴァーナだったか

もしれない。なんだかそんなことを想起させる雰囲気が、この「MISTERIOSO」のメロディーに

は隠されている。実際、ライブでこの曲を弾くときは、CDと違い、テーマを4コーラスぐらいくり

返してしまう場合が多い。お経の何たるかを知らぬ僕がお経に言及することは、極めてイン

チキ臭いことだけれども、実際、「MISTERIOSO」のメロディーを何度も何度も弾いていると、

何かこう安らかな気持ちになって来ることは間違いない。それは、静かな寺でお経を聴いてい

るような時と感覚が似ている。霊能力もなく、生まれてからこのかた幽霊さえ見たことがない

僕がそう感じるのだから、何か秘密があるに違いない。


余談ではあるが、モンクのミドルネームは「SPHERE」である。僕の知っている限り、このミドル

ネームを持つ人は少ない。「SPHERE」とは、球体、天体の意であること、辞書で調べてみた。

特に「天体の音楽/The music of the sphere.」という例文も書いてあった。ううむ、僕が演

奏中に感じたことも、当たらずとも遠からずという気がしてきたが。


彼の経歴を見てみると、ジャズの仕事を始める十代後半まで、福音派の伝道者とともに、各

地の教会でオルガンを弾いていたとある。福音派、というものが、キリスト教という膨大な知

識と意識と知恵と流派の固まりの中で、何をどのような形で活動しているのか僕は知らない。

だがしかし、Mr.Sphereの中には、もう天体そのものが見えていたのではないだろうか。滅茶

苦茶な理由付けと承知しながらも、まあ、演奏者が楽しくこの「MIOSTERIOSO」を弾くことが

できればいいではないかと、ひとり、分かったつもりでいる。何にせよ、UAや、その他のバンド

では聴くことのできない、「別の」鈴木正人君の素晴らしいベースの音が、自転するメロディー

の奥から、聴こえてくることには間違いない。


某月某日
SOLAR

自分のバンドのメンバーの良さを、バンドリーダーが意識しないわけがない。鈴木正人(B)、

芳垣安洋(DS)のトリオでの演奏は、EWEから出ているアルバム、「ELEGY」からCD盤として

世の中に出たが、元々、ご存知のとおり、芳垣氏は、もうひとつの我がバンド、GO THERE!の

メンバーでもあり、もっと掘り下げて言えば、芳垣氏が大阪に住んでいた頃からの付き合いで

ある。アメリカから帰ってきた1995年頃、芳垣氏と既に演奏をはじめていた。アメリカで、

色々な音楽を見聞きしてきたが、音楽即ちそのプレーヤー存在そのものであり、それを元に

各自がアンサンブルするということが、すなわちバンドであると学んだことは、大きな収穫で

あった。その意識が伝播できるドラマーの一人が、芳垣氏だと、帰国後早くも感じたことを覚

えている。光陰矢の如し。1998年ぐらいから、芳垣氏にGO THERE!に加わってもらった。爾

来、バンドサウンドが煮詰まったことは一度もなく、GO THERE!事体のサウンドの発展に、芳

垣氏は貢献し続けている。

二つのリーダーバンドを持つということは、各々に特色がなければ意味をなさない。僕の中で

は、GO THERE!はオリジナル中心、ピアノトリオはスタンダード中心という位置づけをしている

つもりでいる。その二つのバンドに、同じドラマーを使うことは、本来危険が伴うことであるの

だが、芳垣氏の音楽性の深さは、僕のちょこざいな心配を大きく凌駕しており、まったくもって

フトコロが深い。21世紀のレガートは、彼が叩き出している。その大きな魅力を、存分に披露

するために、マイルス・デーヴィスの「SOLAR」を選んだ。正解だったと思う。

某月某日
LIKE SOMEONE IN LOVE

「LIKE SOMEONE IN LOVE」の歌詞を訳そうと思って、しばらく思案した後、やめた。

スタンダードの英語の歌詞に限らず、英語の詩というものも総括的に読んでみると、僕にとっ

ては、これはお手上げだということを確認する作業にしかならない。何でお手上げかって?頭

の中で邦訳することができないからである。あまっさえ、萩原朔太郎氏の詩を読んでどう感じ

たかなんて、どんなに筆が立つものでも、容易に文章化することは難しい。日本の詩でさえそ

うなのだから、母国語でない詩を邦訳するなんて、僕には無理だ。さらに問題なのは、なま

じ、英語の歌詞なので、各々の単語の意味は分かってしまうという妙なバイアスがかかること

が、頭の中の翻訳機能をさらに鈍らせたりする。しかし、今回のCDのタイトル曲となった

「LIKE SOMEONE I N LOVE」の歌詞は、内容を理解することに関して、他のスタンダード曲

の歌詞より、僕にとって少し身直に感じることのできる数少ないスタンダード曲である。お手

上げだ、やめた、といいつつ、ちょっと日本語に歌詞の内容を移し替えてみようか。この曲の

最初の出だしには、まあ何となくこんなことが書いてあるのではないだろうか。「このごろ、 何

となく星を見上げている自分に気付くことがある。ギターの音を聴きながら。まるで誰かが恋

をしているように~」「Lately I seem to find I'm gazing at stars,Hearing guitars,Like 

someone in love~」

邦訳ヤメ!恥ずかしい。やはり日本語にすると、何かしらのしのエッセンスが逃げていってしま

うような気がしてならない。僕はこの曲を、まず歌詞が好きだから選んだので、そのいきさつを

文章にしようと思って書き出したのだが、どうもうまくいかないらしい。いずれにせよこの歌詞

は、己のロマンティックな感覚を、意識的に第三者の視線からとらえていて、あえてその表現

で、けだるく歌詞の内容を完結させているところがステキなのだろうと思う。もちろんメロ

ディーも秀逸だから、CDの表題にすることに決めたのだけれど。だがやはり、詩というものは、

その言葉のネイティヴでないと、文字の数ミリメートル上の芳香を充分堪能することはできな
い。

しかし、メロディーは別である。この曲のメロディーには、口笛が似合うと思う。僕がこの曲の

メロディーを弾いていて、いつもイメージしているのは、晩秋の自由が丘近辺から、駒沢公園

をはさんでROUTE 246までの、街のたたずまいだ。東京独特の、これから冬になりそうな空

気の乾燥度とか、そういう条件のもと、このメロディーを、かすれた口笛を吹きながら、気に

入ったジャケットなどを着て、散歩をしている、そんなイメージをこの曲のメロディーから感じ

ることができる。まあ、この感覚を、僕の意見だからといって限定するつもりはないけれど。だ

が、少なくとも僕がこの曲を演奏するときは、上記のような気分とイメージが、どうしても沸き

起こってくる。自然と、CDの「LIKE SOMEONE IN LOVE」も、晩秋の駒沢公園辺りを散歩し

ているときのイメージで演奏した。

何度も記すようだが、この曲のメロディーには、かすれた口笛の音が、よく似合う。


某月某日

新しいトリオ、「LIKE SOMEONE ION LOVE」のCDを買った方ならお分かりのように、今回の

菊地氏のライナーの文章は、直接、CDの曲目を説明するといった常套句でないことがお分

かりであろう。いずれにせよ、美文ではあるけれども。そこで、何の足しになるかは分からずと

も、ここで、今回のCDの自分なりのライナー、乃至は所見を述べたいとおもう。再度誤解のな

いように一言加えるが、菊地氏の文書に、物足りなさを感じて書こうとするということでないこ

とだけ、はっきりさせておきたいとおもう。これは僕なりの、自分に向けたライナーノートであ

る。

MY FOOLISH HEART

言わずもがな、ビル・エヴァンスの名演のひとつである。事の起こりはこうだ。何年か前、菊地

氏の仕事で、映画、「大停電の夜」という映画のサウンドトラックの製作に参加した。この映画

をご覧になった方はお気づきであろうが、この「MY FOOLISH HEART」が、ある意味、狂言回

しの役割をこの映画のストーリーの中で担っている。映画では使われなかったが、一応、ピア

ノトリオのフォーマットで演奏したヴァージョンが、今回のCDの最初の曲となった。これを演奏

したとき、スタンダードのみのCDを制作するといったような意識は微塵もなく、ただ、サントラ

用に、ビル・エヴァンスの演奏を、我がトリオのメンバーが、オリジナルの演奏を意識しなが

ら、それなりに真似るような真似ないような、何ともいえない気恥ずかしさを覚えながら演奏

したのが、今回のCDの第一曲目となった。後、いざ総本山のビル・エヴァンスの演奏と聴き比

べてみたら、似せようとおもった演奏が、全然似ていないことに各自の演奏者が気付いたの

であった。当たり前のことに気付くことには、逆に言えば、ある一定の演奏経験なり、各自の

ミュージシャンの感性の中の何かを刺激するものがなくては気付く筈はない。そういった観点

から、よし、これはこれでいい演奏なのだとメンバー各自納得し、EWEのA&R,M氏に、スタン

ダードのみのCDを制作するというアイデアを発案してぶつけてみた。M氏は幸いにして、最

初からその案に乗り気となった。ここから僕が、「MY FOOLISH HEART 」に続く、新たなるス

タンダードナンバーを探すという新しい役割が生じたこととなる。

追って、次の曲の自分なりの解説も、書いていこうと思う。しばし待たれよ。

某月某日
さて、今日はEWEより、新しいトリオのCD「LIKE SOMEONE IN LOVE」の発売日だ。残念な

がら小用が重なり、今日の午後あたり、タワーレコードなどに、変装をして様子を見に行く時

間がないのが悔しい。今日は、と書いたが、今は午前一時半。セロニアス・モンクのCDをかけ

て一人で祝杯をあげているところだ。おっと、酒がなくなったので、近くのコンビニエンスに出

動してくる。しばし待たれよ。、、、、、、、(5分経過)えっと、夜のコンビニエンスというのは、

何故あのように明るいのであろうか。瞳孔のスジの筋肉痛をおこすかと思った。しかも僕は蛍

光灯が大嫌いである。我が部屋に入りまたモンクを聴きはじめる。意外に思われるかもしれ

ないが、何故だか今年に入ってから、あまりCDで音楽を聴かない。なにも音楽を機械で再生

しなくても、頭の中で鳴っているときがあるから、邪魔になるというのがひとつの理由だと思

う。まあ、ある意味頭の中がラプソディーなんだろう。


今回のCD、ライナーを菊地成孔氏に書いてもらった。秀逸な文章である。日本語の軸の部分

を、いたぶったりくすぐったりしているような彼の文体は、とかくペシミスティックな文章になり

がちな日本語という言語の中に有って、希有なリズムを持つと思う。どうあれ、ライナーの文

章はライナーのごときにあらず、いわゆる曲紹介などを含めたライナーは、僕があらためて、

後日書くことにしようかと思っている。


ニュース番組を見ていると、どうもペシミスティックになっていけない。まあ、もともと、ジャズと

いう20世紀に生まれた音楽は、近代、現代の人類のペシミズムを代表して表現しているよう

な音楽だと、僕は感じているのだが、どうも、最近の世の中の動向は、ジャズが表現してい

る、また、表現しようとしているペシミズムとは、また別種の様相を呈しているようにも思う。

まあ、そういう気分のときでも、モンクのピアノは、今日のような、僕にとって特別な日に実に

フィットするのだが。さあ、あしたから、また何が起ろうと、苦笑を軸に、口笛を吹きながら毎日

を送ることとしよう。それしか対応策なさそうだからね。

某月某日
NEWSの欄のCD発売日が間違っていました。なぜか3月23日と記載してありました

が、4月23日の間違いです。また、新しく出る本のサブタイトルは、「−ピアニスト・エ

レジー銀座編−」と決定しました。内容を詳しく述べることは、本を出す意味がなく

なりますので避けますが、僕が高校時代、ジャズに興味を持ち、毀誉褒貶、精神的天

変地異、偶然と悪運と幸運の渦巻きの末、バブルの時代の銀座のナイトクラブの仕事

を経て、アメリカに留学するまでの話しをまとめたものです。4月23日発売予定のCD

は、NEWSの欄にあるように、スタンダードのみ、今回は、ストリングス無しの、掛け

値無しのピアノトリオ演奏です。記載ミスをお詫びしたいと思います。なにしろ秘書

もなく、全て手作業で行っており、小さな記載ミスが大事になることがあることは、

重々承知していますが、ご勘弁下さい。

某月某日
まずは、本に関しての詳しい情報が新たに届きましたのでお知らせします。

前の日記と重複するところは目をつぶってください。

「白鍵と黒鍵の間に」ー ピアニスト・エレジー ー 銀座編  南博著 小学館

定価 1785円(税込)5月15日発売。

なんと、5月15日は僕の誕生日である。40歳を超えると、別段、誕生日という

日にちに対して、深い感慨もわかなければ、誰も僕の誕生日を祝ってくれなく

ても、そんなもんだと思えるようになってくる。そういう思いの中には、僕が40

歳の誕生日を迎えた時、もう充分10年分の誕生日の至福を受けるような誕生

日パーティーを僕が満喫したということも影響していると思う。40歳の誕生日

を迎えたのは、コペンハーゲンだった。ちょうど、キャスパー・トランバーグのバ

ンドでのデンマークツアーが終わった日であった。7月初旬の陽気のいい日

で、僕のために、演奏仲間や、その友達、各々のガールフレンドなどが、レスト

ランでは味わうことができない、デンマークの家庭料理を持ち込み、あらゆる

種類の酒を用意して、僕の誕生日を祝ってくれた。サックスプレーヤーのヤコ

ブのアパートの前にある庭に、わざわざいくつかのテーブルを運んでくれて、な

かなか暗くならない北欧の初夏の天空のもと、パーティーは時間の次元を超

越して、止まるところを知らなかった。デンマークの家庭料理に舌鼓を打った

後、僕も含めて、誕生日パーティーの参加者全員が、しこたま酒を飲み、らん

ちき騒ぎ寸前の状態で、僕が聞いたこともない、デンマークのお祝いのときに

歌う古い歌などを彼らが合唱してくれて、僕の誕生日を祝ってくれた。そのとき

僕は、自分の誕生日を十回ぐらい祝ってもらったような気がしていたのである。

なぜかと言えば、少なくとも、あの乾燥して空気の中、コペンハーゲン郊外の、

森に囲まれた白夜の中で行われ誕生日パーティーに匹敵するものは、二度と

再現不可能だと思ったからである。

それから七年間、誕生日らしいパーティもしたことも無ければ、実家にも帰った

わけでもなく、時はすぎた。だが、今回自分の本を出版するにあたって、その発

売日が奇しくも自分の誕生日となった。これは特別、編集者と打ち合わせをし

た結果ではない。単なる偶然だ。七年前の、あのコペンハーゲン近郊の澄んだ

空気の記憶が、今回は、本の発売という特殊な事情にて塗り替えられようとし

ている。時はうつろう。しかしうつろうがこその、飛び石的な特別な誕生日を迎

えようとしている。いずれにせよ、これを吉事だと思い定め、飛び石でも良いか

ら、また新たなる、そして違った形の誕生日を、将来も迎えたいものである。



某月某日

気がついてみたら、正月以来文章を書いていないことに気付いた。生来三日坊主ならぬ三

十秒坊主である僕らしい所行ではあるが、今回だけは、他に確固とした理由がある。この

日記以外のところで文章を書き続けていたからだ。それで日記まで手が回らなかった。よ

うやく三月中旬を過ぎ、書き続けることから解放されたのが、ついこのあいだ。実は本を

出版する成り行きとなった。僥倖である。タイトルは、「白鍵と黒鍵のあいだに ー ピ

アニスト・エレジー銀座編」発売日、5月中旬、発行元、小学館。まあ、エッセーのよう

な、そうでないような、僕の業が深いんだか浅いんだか、やる気があるんだか無いんだ

か、正直者なんだかずるい奴なんだか、よくわからない今までの所行を、あるときはアン

ティペダンティックに、ある時は饒舌に、ある時はささやくように書き下ろしたもの。正

確な発売日、本の値段などは、またこの日記、またはウエッブのNEWSの欄でお知らせし

たいと思っています。皆様、どうか本の出る日を楽しみにしていてください。


さらに、新しいCDも発売となる。タイトルは、「LIKE SOMEONE IN LOVE」。曲目は

スタンダードのみ。メンバーは、鈴木正人(B)芳垣安洋(DS)という布陣。発売日、4月

23日。あえてオリジナル曲を入れなかったことについては、この日記の欄でその理由を書

くことになるだろう。ちなみにライナーノートは菊地成孔氏が書いている。まあしかし、

菊地君の文章であるから秀逸であるということは言うまでもないことだが、発売日が近づ

いたら、菊地君とはまた焦点と観点を異にした、自分自身のライナーノートを、次回の新

譜のために書くつもりでいる。もし僕の三十秒坊主が頭をもたげなければの話しだけれ

ど。双方の活動に新しい進展があれば、またこの欄に書き加えていきたいと思う。次回の

日記を待たれよ。