Read the diary backnumber

今回から日記は下へと移動します。三階はおもちゃ売り場でございます。アテンション・プリーズ!―――
某月某日――心機一転、日記の欄をまた新しく始めることにする。これを機に、新しい文章を上に書き載せて行くか、下に書き進んでゆくか迷っている。どうも他のブログなどを見ると、下に書き進んでいるようなので、その手法をとりたいとも思うが、最新の文章がすぐ目の前に現れるというのも、捨てがたい利点である。まあ、次回どうなっているかお楽しみに。――
さて、宣伝です。物書きの方では、相変わらず、リトルモア広場、これは何と言えば良いのでしょう。WEBの中で「妄想するJAZZ」というタイトルで連載をしています。http://www.littlemore.co.jp/hiroba/―――
また、驚くべきことに、分學界からエッセーの依頼があり、原稿を送りました。焦ってしまって何月号に載るのか聞きそびれており、またこの欄でお知らせします。(ボツにならない限り)と言いますのも、文芸春秋と分學界は、毎月愛読しておりまして、謙遜ではなく、僕のフィールド外として読んでいましたので、イザとなると、さすがの僕も浮き足立った。何と今月号のエッセーの欄には、あの車谷長吉氏が書いています。
大丈夫かな?また、演奏の方でも、二月において、今までの活動にない新しいことをいくつかお披露目します。16日(水)中目黒、楽屋にて、Suspended 3rdという名で、ベースに安東昇氏を迎えて演奏します。また更に、20日(日)渋谷―SARAVAH ・TOKYOにて、きっこの日記風に書きますと、アリエナイザーなメンバーで演奏します。http://www.saravah.jp/tokyo/schedule/201102.php
ご覧のように、あたくしピアノ、鈴木正人(B)、そして竹野昌邦(sax)。竹野氏は我がバンド、GO THERE!の若頭ですが、いつもオリジナルを演奏しているので、SARAVAHでは、彼のスタンダードが聴けるかもしれません。場所も渋谷のど真ん中。おみ足も軽く、会場にはすぐです。中々こんな機会はないですからお見逃しなく。そして真打ち登場。21日(月)代官山「晴れたら空に豆まいて」において、キッコの日記風にも書けない特別ライブがあります。さながら小生が、芥川龍之介と、英単語をいくつ知っているか勝負するようなことになりかねませんが、まあそこはそれジャズだから、と自分に言い聞かせている毎日です。http://mameromantic.com/?m=201102&cat=1
ご覧のように、御大、渋谷毅氏と斯界の鉄砲玉、津上研太氏との、それぞれのデュオ、最後は三人で演奏という趣向。渋谷氏とのデュオなど、お前には100万年早いんだよ、という幻聴が聴こえてきそうですが、仕事を頼んだら、快く承諾して下さり、承諾して下さったということは、まあ、ミナミともやってみてもいいかぐらいのことはちらと御大の頭をかすめたと勝手に理解しております。何がどうなるんでしょうか。
とにかく、お楽しみに。さて、それでは次の課題、つまり日記をどう書いていくか考えつつ、今回はこれでおしまいです。

某月某日――朝まだき、ふいに目覚める。薄暗いので、また夜中に起きたのかと思い、時計を見ると午前五時半。早起きは三文の徳というが、なぜ三文の得という字ではないのだろうか。いつの時代にできた言葉かは知らねども、損得勘定ばっかり考えている自分の根性の卑しさが、こういう発想と結びつくのだろう。昔の日本人は徳性を重んじたということだ。だが、いくら早起きが良い行いだとしても、三文とはいったいいくらなのだろうか、と思ってしまう自分の性も下卑ている。これから朝の散歩に出て、下ばっかり向いて歩いても、落語の与太郎である。三文は何処でもらえるんですかね。
起きても、うーんと言いつつ伸びなどしない。そんな便秘薬のコマーシャルのようなことはせず、まずechoを一服。煙草に440円も出せるものか。銀座のナイトクラブでピアノを弾くようになる前、印刷屋でアルバイトをしていた頃、まわりのおじさん達は、みんなechoを吸っていた。禁煙ファシズム台頭前のよき時代であった。健康は勿論大切だが、あまり長生きするのもどうかと思う。人間が厄介なのは、死に際を自分で決められないことだ。もっと厄介なのは、生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まるということだ。哲学者、池田晶子氏は、死は存在しないと言った。誰も死者の言葉を聞いたことが無いからだそうな。さすがに言葉というものを重んじる哲学者らしい見解である。しかし、市井の凡人である自分は、池田氏の言葉を頭では理解できても、いざ死ぬとなれば、自分も回りもすったもんだするに決まっている。それでechoを吸ったもんだ、なんちゃって。そう、なんちゃってである。戦後特にこの国はなんちゃってで出来上がっている。つまり確固とした何かしらの基盤がない。白州次郎氏のいうところのプリンシプルである。国の予算が決まんないなあ、なんちゃって。少子高齢化で困ったなあ、なんちゃって。自国を他国から守ろうという気概がないなあ、なんちゃって。これからは心の時代だなあ、なんちゃって。我が子をぶん殴るのって悪いことかなあ、なんちゃって。この曲演奏するの止めとこうかなあ、なんちゃって、のなんちゃってでは済まないことばかりがなんちゃって、になってしまった。国民総バンドマン化である。なんちゃってね。

某月某日――現在、午前4時33分。目が覚めてしまうので仕様がないのである。新聞を見てみると、八百長の記事だらけ。相撲協会という組織がどういう権威の上に成り立っているのか皆目見当がつかないけれども、もう心底、日本人の大方は、戦後の悪しき教育の最悪な部分の犠牲者に成り果てていると思った。そして皆虚仮に成り果てた。みんな平等、悪いことをするのは止めなさい。良い人になりなさい。人間の命は地球より重いーー。何をバカなこと言ってんだ。生まれた時から人間は皆不平等で、悪いことが無ければ、世の中にドラマも生まれないし、詐欺の類に至ってはひっかかる方にも責任がないとは言えまい。人を心身共に傷つける悪は元々話しの外だが、オレは死んでもこれだけはやりたくネエ!というのが本当の人間じゃないの?その気概をどういう基準で地球の重さと比べるのか。体重計か?そういう意識で世の中に居ると居心地の悪い事甚だ多し。
八百長なんて江戸時代から受け継がれてきた、それこそ伝統みたいなものではないのか。伝統と言って語弊があるなら、慣習と言っても良い。いずれにせよ、一部ではずっと続いてきた事なのではないのか。それを今更になってよってたかって、真面目に応援していたファンに何と弁解するか、だって。バンドマン、飲食業、カタギのサラリーマン、みんな相撲に限らず、甲子園の高校野球に至るまで、皆金を賭けて遊んでいたではないか。それで力士だけを許せないと言えるのかな。毎度同じこと言うようで恐縮だが、銀座でピアノを弾いていた頃、大枚の金を稼いでいたので、ちょっと背伸びをし、20代ではとても入れないような店でよく飲んだり喰ったりしていた。こちらもちょっと浮き足立った気分だったが、客の前で調理する花板が、厨房の奥の追い回しだろうか、後輩格に、「お〜い!今、何対何だ?」なんて声をかけていたものである。別に厨房の追い回しに、ごぼうと大根の比率を均一に測れ、などと言っていないことだけは、僕にも分かったのである。みんなカネを賭けて、遊んでいたのである。それがプロ野球であれ相撲であれ法律違反であれ、仲間内でやる分には取り締まりようがない。大人が双方了承済みなら、強制でない限り、大人の遊びの範疇ではないのか。また、そういう花板の、ドスのきいたかけ声の一つも聞けば、こちらも一歩大人の世界に近づく事ができた気分になれたものなのだ。当たり前のことだから、書くのもばかばかしいが、大人は普通、二十や三十の秘密は抱えこんでいるもので、そんなこと、清濁合わせ飲むなんて大仰なことではなくて、この世に生きていたら、自然に身に付くものだろう。また自然とそうせざるを得なくなるのが人の世ではないか。そしてさらに、そういうところからこそ、ドラマが生まれ、人情が育まれ、義理の返し方も学ぶというものである。それを全て明らかにせよというのが今の世論だ。無茶である。角界は小学校じゃないんだから。大人が大枚の金を動かしているところなのだから。しかもそこは特殊な世界。そんなところに、あらゆる意味で公明正大、何を開陳しても戦後の悪しき教育を受けた人達が納得する清らかさなんて無いことぐらい、本当の大人だったら分かるだろう。また、その相撲協会の一番偉い人が、「この八百長事件は、プロ野球のそれより悪い」と言ったそうな。怒りなさいよ。プロ野球の方々も。もしも、プロ野球でも八百長しているとしても、そこで怒るのが大人なんじゃないの。国技だから、神道、神事に関わる事だから八百長が許せない、という事になっていたら、相撲はもっとつまらないスポーツとなって、今頃どこかの田舎で年一回、細々とやっているぐらいの行事で終わっていたと思うのだが。国技となって、国技館なんてよくわかんない建物を建てて、四股を踏んで、中学出てからは相撲のことしか知らないガタイのでかい奴がぶつかりあうから面白い競技なのでしょう。タニマチなんかも居て、どういう形であれ、庶民には見当のつかない額の万札が唸りをあげている世界で、それがまた庶民にはどう使われているか分からない。そこに、我々のそこはかとない憧れがファン心理へと変化して行ったのではないか。勝った負けただけではなく、観戦しながらの弁当が楽しみだったり、会社の同僚と枡席を買ったり、つまり社交の場でもあった筈だ。取り組み以外の楽しみも含めて大相撲の興行なのではないのか。悪の味方をするつもりはないけれど、世の中あんまりギスギスしてきたら、本当に大人が安心して遊べる場所が無くなっちゃうよ。ああ、朝からこんなこと書くのもアホらしい。別に相撲ファンではないけれど。

某月某日――日記は毎日書いてこそ日記だろうが、という声が頭に響いております。その通りでございます。正確な人数を割り出すことは不可能なれど、少なくともこの日記を楽しみにしていた方々には深くお詫び申し上げます。また前回から随分と日が空いてしまった。さて、書くにあたって、何処から書けばよいのやら。演奏の方では、重鎮、渋谷毅さんとデュオで演奏しました。渋谷さんの演奏は何度も聴いていたが、同じステージに上がるとまたこれが、、、、、、、、。何事かを本筋で身に付けるとはこういうことかと思いました。その後、EWEから発売予定の新しいトリオのレコーディング準備に入って、関係者と打ち合わせを何回かこなし、僕の意思と彼らの意思の接点を中心にして、曲を選び、久しぶりに思いっきり練習し、、、、。
なんて書くとかっこわるいな。酒呑んで、オンナとチャラチャラして、あいついつ練習してるんだ、みたいな生活している奴が、ものすごくかっこいい演奏をする。これこそがジャズだと思うのだが、僕はまだその域には達していないようです。世の人々をどうやって楽しませようか、という案件と、ええい、弾きたいように弾きたいんだよ、というジャズの業の狭間でうめいているうちに、レコーディング当日。左記の、どちらにも偏らない、しかし刺激的な演奏が、僕の見も知らない機械軍団によって吸い込まれた。レコーディングエンジニアはいったいどういう頭の構造をしているのだろうか。これは貶しているのではない。逆である。畏怖の念を持ってして彼らの動きを見ていたのである。あんなに多くのつまみやスイッチやボタンやケーブルやキーボードを、即座に、しかも敏捷に操作し、
さらに冷静であることこの上ない。あの機械類の中身はいったいどういうパーツで出来上がっているのだろうか。まあ、それを言いだしたら、例え、真空管の白黒テレビの内側を見せられて、この機械はこういうことをする為にあります、と説明されることと同じである。ただ、機械音痴の僕に分かることは、それらの部品が非常に小型になったのだということだけだ。当然、演奏する時には、その音に念をこめる。念をこめるという謂いはある意味形而上的な表現だが、あの機械類は、全くもって形而下のものである。しかしその細かな部品が僕の念を拾い上げているのである。それは演奏したものを聴けば分かる。I PHONEにしても、ダウンロードと称して、空中からアプリケーションが舞い降りてくるのである。これはもう錬金術意外の何者でもない。なにげに恐ろしい時代である。とにかく、念のこもった新作が完成した。メンバーは勝手知ったる鈴木正人(B)、芳垣安洋(DS)。しつこく言うが、今回のレコーディングは、更に更に念をこめたので、ぜひ多くの方々に聴いて頂きたい。――ええとそして、あ、そうだ。レコーディング前に、文藝評論家の福田和也氏と対談をしました。お題目は「音楽の成り立ち」。扶桑社の担当者からこの話しを持ちかけられた時、志ん生師匠じゃないけれど、座りションベンしてバカになるかと思いました。あの碩学の福田氏と音楽の成り立ちについて語り合うだあ?世の中、一寸先は暗闇、我々フリーランスは一ミクロン先が漆黒ですが、いくら福田氏主幹の雑誌に連載していたからといっても、限度ってエものが、この世の中にはあるんじゃあないんですか。音楽の成り立ちを筋立てて、朗々と語ることができれば、今頃、東京芸術大学名誉教授かなにかになって、年金の勘定でもしているってなもんで。さすがのオレも焦った。グレゴリオ聖歌から語れば良いのか、ピタゴラスかエピキュリアンかソクラテスだかのギリシャ哲学と数学の関係から説明するのか。色々資料に目を通しましたが、この歳の一夜漬けは千枚漬けにも劣り、何も頭に入ってやきません。さて、こういう緊急事態はすぐ当日となるのが世の定めのようで、気がついたら、池袋西武デパートにある書店、リブロの特別室で、福田先生と並んで座っている自分を発見。自分を発見したのだから、もう既にゲシュタルト崩壊は始まっていたということです。
しかし意に反し、話題はジャズピアノやその周辺の事柄、留学時代の出来事、出版社は違うのに我が拙書のことなどを福田先生は話題の中心にして下さり、聴きにきてくれた方も、楽しんでもらえたようで、何とかこなしたという次第。自分のしゃべりが如何にべらんめえ口調かを学んだのも収穫としておきたいところです。時制が逆になりましたが、レコーディング後、私生活で何や彼やありまして、疲れきったところに腰痛が出て、立ち上がるのもままならない状態に。長く自炊をしていなかった故、冷蔵庫は空。この腰じゃあ買い物にも行けず、店屋物でしのいだ。「まいど〜」の声に千円札握って玄関にいざる。高級に書けば膝行するといった状態で、出前のニイチャンも、イザリの僕に目を点にしながら天丼渡してんだから訳が分からない。だって、天丼の器を卒業証書でももらう用な格好で拝み取るのですから。多分近所のそば屋では、あいつは天丼教だといううわさが流れているに違いない。次回カツ丼の出前を頼んだら、カツ丼教に宗旨変えしたとまた思われるのであろう。――まあ、何とか動けるようになって、歩幅五センチで近所の町医者へ。いくら東京のど真ん中とは言え、棒立ちの人間が少しずつ移動している姿は、やはり人目を引くもののようです。新しい健康法だと思われた方もあるでしょう。こっちは、風が吹いても倒れそうなのに。ということで、痛み止めの注射を先生、そこです、そこだ!という場所、筋肉だそうですが打ってもらって、帰りは爽快。スキップしようかと思ったほど。

まあ、こういったことで今日は3月9日。新しいトリオのCDは6月発売予定。ステキなスタンダードが聴けますよ。扶桑社刊、EN-TAXIに連載していたエッセイも本になります。これも5月末頃の予定です。
詳しいことは、またこのウエブのニュースの欄にお知らせしますので、今後ともどうかよろしくお願いします。

―――今回の日記だけは日時をはっきりさせます。今日は4月14日。あの地震からこの方、ずっと或ることを考えておりました。今までのように、自分の怠惰で日記を更新できなかったのではありません。考えていたのです。心の中で今回の災害の犠牲者に心の中で手を合わせながら。このような、日本国の在り方が変わらざるをえない時期に、仕事ではなく文章を書くということを、まず控えたいという思いがありました。何を書いても、自らの意見を言っても、所詮無意味だという気持ちで、この一ヶ月ばかり、悶々としておりました。気がついたら、宗教アレルギーのこの僕が、キリスト教、仏教、イスラム教の本を読みあさっていました。別段入信するつもりはありませんが、今回の莫大なる不条理には、人智の及ばない何かを求めたことも確かです。人間関係、カネ、健康、人生、それらの中に包括される不条理、虚無感は、今まで何とか自分の頭で考え、そして行動し、なんとかしのいできました。ただ今回は地震のみならず、あのデザインもへったくれも無い、無粋な長方形の建物が及ぼす、訳の分からない飛沫物に関して、どう自分の内心を処理していいのか分からなかったのです。
物事を理解するのが遅いこの僕は、受験向きの脳みそではないのですが、時間をかければ、その「理解」という意味を含めて、自分のスジを決定することがゆっくりと固まる性格にできていて、それが一ヶ月以上かかかりました。文章にしてしまえば簡単ですが、こういう時だからこそ、自分のできることを、以前と変わらずやっていこうと、頭ではなく、すとんと腹の中に
納めました。と書くと、迷いの無いように思われるかもしれませんが、迷いはあります。しかし、その迷いを含めて、やるベきことをやるしか無いでしょう。実際、沢山のお知らせ、宣伝がありますが、今回のこの文章は、これにて終わりにしたいと思います。最後に一言。特段、エベレストの頂点を目指さずとも、人生自体が冒険であることが、よくわかりました。

某月某日――三冊目の本が発売中です。タイトルは「マイ・フーリッシュ・ハート」、扶桑社より刊行。今回は、アメリカ留学を終え、成田に降り立ってからのことを書きました。「en -taxi」という季刊誌に連載したものをまとめたものですが、精神科医、春日武彦氏との対談も加え、充実した内容となっております。
音楽を目指す人も、何だか最近面白いこと無いなあなどと思っている方には、特に最適の一冊です。何やら春らしい時期を通り越して妙な天気が続いておりますので、本屋に行くのも面倒だという方はこちらから。
http://www.amazon.co.jp/マイ・フーリッシュ・ハート-南-博/dp/459406406X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1305077033&sr=1-1

何やら文字化けのような状態になってしまいましたが、要するに、アマゾンでも勿論購入可能です。内容にはあえて触れませんが、いったいジャズピアニストという存在は、世の中にどういう形で関わりを持ち、
何に悩み、どうやって生活しているのか、等々を赤裸々に書きました。あれ、内容に触れてしまいました。
赤裸裸と言っても、別に血だらけになったことは無いのですが、精神的にはずっと血だらけのようなものでした。だからこそ、その中で得る喜びもひとしおで、
、、、まあ、その先は本の内容に譲りましょう。

ただ言えることは、最初の本、「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)は、ある意味修業時代ともいえる内容で、
「鍵盤上のU.S.A」は、どうあれ学生だった訳で、今回の本は、プロとしてのピアニストがどう身過ぎ世過ぎをしつつ、いろいろな事柄に対し、どう逡巡したかを書いたという点が、以前の本と違うところです。

今月は面白いライブもいくつかありますので、ぜひ僕のピアノの音も聴きに来て下さい。
某月某日――霧雨の銀座、オツですな。風評被害の余得とでも言いましょうか、何やら人出も少なく、昨日の午後の銀座は、そっと僕の過去の記憶までをも呼び覚ますのでした。子供の頃、特に夏には、両親と銀ブラをしました。その当時は、露店などもちらほらと散見され、日劇(今のマリオンですか)から四丁目まで、いい風情でございました。

いやいや今回銀座に来たのは、銀ブラが目当てではなく、6月末にでる新しいトリオのCDのマスタリングに来たのです。曲間を決めたり、最後に少し音をいじったり。こう書くと、何やら楽な作業のようですが、
午後二時にスタジオ入りし、終わったのが午後九時です。その間、ドラマーの芳垣氏、エンジニアー、EWEの担当者と共に、耳をそばだて、最後の仕上げをしたのでした。タイトルは「BODY&SOUL」。あの大震災前に録音したものですが、この曲を入れておいてよかったと思える曲が多々あります。被災されている方々にはまず衣食住足りてなんぼでしょうが、少しでも多くの方に聴いていただきたいと思います。癒しなどという安直な言葉では表せない何かが、今回のCDにも、僕の情念としてこもっているのです。情念と書くと、何やら汗臭いイメージがありますが、内に秘めたクールなサウンドの中にも、情念は存在します。
また、CD先行発売の演奏をします。詳しくは→
http://www.ewe.co.jp/archives/2011/02/post_40.php
ピアノはベーゼンドルファーです。しかもモニター類無しの生音で演奏します。ご期待あれ。

某月某日――リトルモアのウエブに発表していた「妄想するJAZZ」という連載が、編集者交代のため突然終了しました。せっかくですので、このウエブに連載分を公表したいと思います。お楽しみあれ。

Jazzを妄想せよ
音楽を言葉で説明できれば演奏する必要なし。では、妄想で表現表してみたら――創造的かつ不毛な実験に、ジャズピアニスト南博が挑む。

芸術にはひらめきとアイデア、イメージと想像力が必要ということになっている
妄想という言葉はどう理解したらよいのか。辞書を見ると、「ありもしないことを心に思い、事実だと信じてしまうこと」とある。よってこの言葉はどちらかというとあまり良い意味で使われていないらしい。
しかしである。特にジャズなどの音楽は「ありもしないようなサウンド」を日々追いかけているわけだから、音楽活動自体、ある意味妄想に彩られていると言っても過言ではないだろう。もっと言えば、「ありもしないこと、たとえそれ自体に根拠がないこと」をあれこれ想像することが、面白い音楽が出来上がる条件である場合が多い。
まあ、まずはこの頂いたお題目と僕の考えをイントロとして、以上記したように妄想に入りやすいCDを紹介していきたいと思う

第1回:「WALTZ FOR DEBBY」ビル・エヴァンス

初回はピアニスト、ビル・エヴァンスの「WALTZ FOR DEBBY」(RIVERSIDE)を今回のお題目の俎上に挙げたい。NYにあるヴィレッジ・ヴァンガードのライブ録音である。大袈裟に言えばこのトリオが、黒人の伝統音楽であったジャズを、白人でも黒人でも、我々のようなアジア人でも演奏可能にした偉大なるトリオなのだが、最初にこのトリオを聴いたとき、あまりにも客席がガヤガヤしているのにびっくりした。こんな貴重な演奏をなぜ聴衆は黙って聴かないのだろうか。
しかし何度もCDを聴いていると、トリオの音楽は勿論のこと、どんな客層がどんな服装で、どんな会話をしていたのかが気になってくる。1961年の録音だから、アメリカの社会状勢、風俗もまったく今と異なっていただろう――。

男性の客は、ケーリー・グラントが映画でよく締めていた細長いタイを締め、ドライマティー二などを呑み、ジューン・アリソンの若い頃のような髪型をした若い女性を前にビルの弾く「WALTZ FOR DEBBY」を聴きながら、
「君のその真珠のイヤリング、ステキだね」
「あら、これは去年あなたがプレゼントしたものよ。もう忘れてしまったの」
すかさず男性の方は、今度は真珠の首飾りが入った箱を彼女に渡す。
「ワザと忘れたフリをしただけさ。勿論覚えているよ。だけど今回の贈り物は真珠の粒が大きいんだ」
「まあ、箱を開けていいかしら」
大粒の真珠の首飾りが卓上のロウソクの小さな灯を反射して揺らめく。
隣のテーブルのカップルはといえば、ロウソクの灯りの中でお互い見つめ合うのみである。黙ってビルの演奏を聴いて陶然としているカップルもいる。
ウエイターのトニーは根っからのジャズファンであり、だからこそこのヴィレッジ・ヴァンガードに職を得た。ギリシャ系で黒くカールした髪の毛が印象的な物静かな若者だった。彼は毎晩くしゃくしゃの1ドル札や5ドル札のチップで何とか糊口を凌いでいた。それでも、トニーは毎晩いろんな種類のジャズが聴けて満足だった。
そんなトニーにも、今晩のビル・エヴァンスの演奏は特別に思えた。あまりにも演奏が素晴らしいので、飲み物の注文を聞いて廻ることさえ忘れてしまった。音楽はジャズであるのに、毎年夏休みに行くメイン州の祖母の家に広がる茫漠たる自然を思い浮かばせる何かが、そのビルのサウンドに含まれているような気がしてならなかった。典型的なNYサウンドであるにもかかわらず、そのような風景を想起する自分が不思議だった。
ヴィレッジ・ヴァンガードのオーナーの鋭い視線を感じたので、我に帰り飲み物などを配りはじめたが、頭の中はビルの演奏に夢中になっていて、よくオーダーを間違えた。ビル・エヴァンスのトリオの演奏は、その3人の居る場所だけ、さながら無重力ではないかと思わせた。そう錯覚させるようなメロディーが、更に彼を高揚させた。その精神の高揚を、お客さんには極力隠しつつ、コースターにカクテルを載せて狭いテーブルの間を行き来した。
気分的には、ビル・エヴァンスのサウンドと共に、どこか遠い宇宙に飛翔したいという気分を隠しながら、少しずつチップを稼いでいった

「WALTZ FOR DEBBY」
エバンスが姪のデビーに捧げた楽曲。1961年6月25日にNYのヴィレッジ・ヴァンガードでライヴ録音された、ビル・エヴァンス・トリオ(b:スコット・ラファロ、ds:ポール・モチアン)の同表題アルバムに収録。従来、主従だったピアノとベース・ドラムの関係を、互いに触発し合う対等なものとする独自の演奏スタイルでトリオの新たなあり方を示した。このトリオで収録した全4枚のアルバムは「リバーサイド 4部作」と称され、ジャズの傑作として名高い。
ビル・エヴァンス(1929‐1980)
ニュージャージー生まれ。ジャズピアニスト。独自の美意識が貫かれた静謐で美しい演奏で知られ、時代を越えて幅広い人々に愛されている。顔が鍵盤につくほど背中を丸めてピアノを弾くことでも知られる。

第2回:「MY FUNNY VALENTINE」マイルス・デイヴィス
ピアノの音は地を這う何万という大蟻の音。満月の夜の、猛烈に乾燥した大地を行進している。
ベースの音は、象を筆頭に大型動物の駆け回る音。その地響き。
それに重なるミュートされたトランペットの音は、闇夜を切り裂く風の音。まさにアフリカ的な大地の音だ。
これらの音に加え、サックスの低音がジャングルの奥から響いてくる雷のように鳴りはじめる。
近くの集落から、何かの儀式だろうか、ドラムの変則的なリズムが聴こえる。鋭い雷の音がそれら全てのサウンドを切り裂く。その音は近くか遠くか分からない程、周りの出来事を掻き乱するようなサウンドである。小動物は巣に退散し、ライオン、豹、虎などは目を光らせながらジャングルから出てくる――。

急に静寂がやって来たと思ったら、またも大地を揺るがす雷の胴鳴り。部族のタイコの音は続く。それに向かって大蟻の何十万という行進が近付いて行く。荒い地面をシャリシャリと、削って行く。その大蟻の歩行と集落のドラムサウンドが、雷の轟に同期して行く。
集落でタイコを叩いている者はその変化を見逃さず、動物や自然の音に自らのサウンドを同期させて行く。
雨が降ってきた。乾いた大地に水が行き渡るが、その水はどんどん大地に吸収されてしまう。さながら、自然の音と人間による太鼓の音のコラボレーションを賞賛しているごときだ。
と同時に、空からまた別の雷の胴鳴り。次の一瞬、満を持して雷と同時に強風が地面を舐めるように吹き荒れる。地響きの中からは、何かの猛禽類の鳴き声。しかしそれに臆することなく大蟻は行進を続け、集落のパーカッションは鳴り響く。
雷のせいで象などの動物が叫び声を上げる。それに連動して、人間の神経の図のような稲妻がアフリカの大地を切り裂くように鳴り響く。

その次の瞬間、満を持して、雷と強風が地面を舐めるように吹き荒れる。地響きの中からは、猛禽獣の鳴き声。しかしそれに臆すること無く、大蟻は行進を続け、集落のパーカッションは鳴り響く。
そのサウンドはアフリカの大地を駆け、今まさに光り輝いている天にも通じる、神々しいまでのサウンドだった。
その音が鳴ったとたん、集落のドラムが激しく鳴り響きはじめた。象も、全ての巨大動物も地鳴りを上げながら集落に向かって行く。それらを操るがごとく、風の音が、大地と天の間を切り裂くようなフレーズを展開する。
大自然と人間の音を差配しているのが風の音であることは、不思議だけれど理屈抜きで分かっていた。動物達と人間のセッションは長く続いたが、明け方になって雨は上がり、それは終わった。

そう、マイルス・デイヴィス・クインテットの面々――ロン・カーター(B)、ハービー・ハンコック(P)、ウエイン・ショーター(SAX)、トニー・ウイリアムス(DS)。あの世代の黒人達は、あの時代でも尚、細胞のレベルからまだアフリカを体現できる人達ではなかったろうか。

「My Funny Valentine」
1937年にミュージカル「ベイブス・イン・アームズ」の中で歌われた楽曲で、歌詞には少女の少年への恋心が綴られている。フランク・シナトラをはじめ多くのアーティストにカバーされているスタンダード・ナンバーで、マイルス・デイヴィスは同曲を1956年のアルバム「Cookin’」、1964年のアルバム「MY FUNNY VALENTINE」でカバーしている(今回取り上げたのは後者)。同アルバムに参加したカーター、ハンコック、ショーター、ウィリアムスらと1960年代に組んだクインテットは、デイヴィスのトランペットの音と他のリズム・セクションとの相性が絶妙であったことから、「黄金クインテット」と称され
マイルス・デイヴィス(1926 – 1991)
稀代のジャズトランペッターで、モダン・ジャズの“帝王”。激しい即興演奏が特徴的なビバップが全盛の時代に、アルバム『クールの誕生』(1956年)で編曲を重視するクール・ジャズを始め、ジャズ界に衝撃を与える。以降、ビバップの発展形であるハード・バップからより自由な旋律のモード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョンなど、時代とともに柔軟かつ先進的に音楽に取り組みジャズ界を牽引した。

第3回:「ラウンド・ミッドナイト」セロニアス・モンク
1960年頃のある夏の夜のNY、セロニアス・モンク・クアルテットのメンバーであるチャーリー・ラウズ(TS)、ジョン・オー(DS)、フランキー・ダンロップ(B)が、マンハッタンのダンウンタウンにあるジャズクラブの楽屋に集まっていた――。

C, J「ヘイ、ヨー、フランキー」
F「ハウユーデゥーイング、チャーリーアンドジョン、やっぱしモンクはまだ来てないなあ」C「ああ、あいつの気まぐれも今に始まったことじゃないだろ、なあフランキー」
F「ごもっともだ。この前、二人はもう準備出来てるのか? オレのベースはステージに準備してあるが」
J「オレのドラムもチャーリーのサックスも、しっかりセットしてあるぜ。後はマエストロのご登場を願うばかりだ、なあ、チャーリー」
C「もっともだが、オレは今晩そのマエストロとやらが、何の曲を演奏するか、まだ聞いてないんだ」
J「ほんとうかい? まあモンクが演奏直前にふらっとやってくるのはいつものことだからな」
C「でも、急に演奏しろと言われても困る曲が何曲かあるんだ。この前のレコーディング、覚えてるだろ? マエストロ・モンクの書いてくる譜面が難しすぎて、最初は皆目見当がつかなかったが、レコーディングを進めるうち、マエストロのやりたいことやメロディーが段々分かってきてさ。まあ、録音する段階では最高だったんだけど、今晩みたいなクラブギグとなると……」
F「そうだよなあ、チャーリー。ベースのオレにしても時々計り知れないコード進行が出てくるから度肝を抜かれるよ。だけどそのサウンドがクールだから、文句言えないんだよなあ」
J「フランキー、お前の言う通りだ。オレもドラマーとして、サウンドが固まった時は何よりも面白い。マエストロの音楽の中にマジックがいっぱい詰まっているような感じがして、スティックさばきも、一段と映えるっていうもんだぜ」
C「なぁ、みんな。オレ何回かサックス担いで奴の家に演奏前に迎えに行ったことがあるんだよ」
J「いいなあ、お前は自分の楽器担げてよ」
F「オレはベース担いでうろうろするのはごめんだな」
C「まあとにかく、オレは奴の部屋に行ったんだ。そうしたら、驚いたことに、奥さんのネリーがさ、モンクのワイシャツのボタンを締めてネクタイまで結んでる。我がマエストロはボーっと立ってたままだった」
J「奴はやっぱり、ピアノを弾くことしか出来ないのかね。オレはドラマーだからさ、手ぶらというわけにもいかないし、服装の準備や自分の楽器を運ぶことも、大変な作業だが、まあ、言ってみれば大事な儀式の一つみたいなもんだからな。そう思わない、チャーリー?」
C「オレもたまげたさ。奴は靴を履くのさえ奥さん任せだ。あの天才野郎は、奥さんに全てをやらせていたぜ」
F「どうでもいいけど今夜は暑いな。楽屋が地下にあるっていうこともあるんだろうけど、なんだかじめじめしてるな。オレのベース、こんな湿気の多い日に鳴るかな」
J「心配するな、ドラマーだって同じこと。お、マエストロのオデマシだぜ。着飾ってんなぁー、いつものことだけど。奥さんも一緒だ。チャーリー、今晩やる曲を確かめてくれよ」
C「わかっ……あらら、モンクの奴、何も言わずにステージに出ちまった」
J「チャーリー、今晩のレパートリー、聞きそびれちまったな」
C「ああだこうだ言っててもしょうがない。とにかくオレたちもステージに向かおう」
F「それしか手だてがないな」
C「そうそう」

NYのマンハッタンの片隅で、ものすごい演奏が繰り広げられたことは言うまでもない。その晩の最初の曲は「ラウンド・ミッドナイト」であった。

「Thelonious Monk Live in '66」セロニアス・モン「’Round Midnight」
セロニアス・モンクが作曲した曲の中で、つまりジャズの曲の中で、最も多くのミュージシャンに演奏された曲。1944年にコーティー・ウィリアムズのオーケストラと演奏した際に初めて録音され、その後マイルス・デイビスがそのカバーを自身のアルバムに収め、アルバムのタイトルをこの曲にちなんで「Round About Midnight」としたことが最も有名。今回妄想したメンバーによって演奏されたものは音源として残っていないが、盟友チャーリー・ラウズと演奏しているものとして、DVD「Thelonious Monk Live in '66」がある。実際の映像を観ながら、バンドマンたちのやりとりを想像していただきたい。
※その時のライブのメンバーはラウズの他、ラリー・ゲールズ(B)とベン・ライリー(D)。
セロニアス・モンク(1917 – 1982)
“奇人”と“天才”の二つの称号を持つ、ジャズの歴史に偉大な功績を残したジャズピアニスト兼作曲家。鍵盤を打楽器のように弾き、予想のつかないタイミングで音を休止する独特な奏法で知られる。その奏法を評価しつつも、合わせることに耐えかねたマイルス・デイビス(TP)と喧嘩のようなセッションを繰り広げたことは有名。奏法のみならず、モンク自身も奇抜なファッションと演奏中に急にいなくなるなどの奇行によって周囲の度肝を抜いていたが、作曲した曲が1000枚以上のアルバムで取り上げられているジャズ界屈指の作曲能力は絶対的な信頼を得ていた。

第4回:「You Don’t Know What Love Is」エリック・ドルフィー

 エリックは飛翔したかった。もちろん己が奏でる音楽によって。そう感じるとき、心の中で、それまで共演してきたジャズにおけるモンスターたちのことを思い浮かべることが多々あった。ジョン・コルトレーン、チャーリー・ミンガス、さらに数々のミュージシャンと演奏を繰り返してきてもいたが、特にジャズの世界においてこの二人は強者であり、エリックが最も影響を受けたミュージシャンたちであった。
 この二人は、ジャズというカテゴリーをも吹き飛ばすような音楽性と精神性を持ってして、己が音楽で飛翔していた。この二人のジャズジャイアンツのサイドマンとして演奏していて、学んだことは多い。だからこそ、エリックの心はある意味の喜びと、そしてそれがもたらす欲求不満に、気持ちを引き裂かれていた。本能的に、自分もバンドのリーダーになって新しいサウンドをクリエイトし、コルトレーンやミンガスとはまた違った自分の世界を音楽によって表出できうるのではないかという、理屈抜きの欲求がエリックを突き動かしていた。
 しかし、1960年当時のアメリカにおいて、自分の音楽を具現化するにはあまりにもハードルの高い問題が多かった。ミンガス、エリックは共にLA出身だが、当時、ジャズで重要なことはNY、または東海岸でハプニングしていた。自然とエリックも東海岸において色々なバンドに参加することとなる。しかし、自分がリーダーとなる機運、チャンスはなかなか他のミュージシャンのように訪れない。同じLA出身でも、ミンガスには人を集めるというオーラがあった。子供の頃から小鳥の鳴き声を真似してフルートを吹いていた引っ込み思案なエリックとは、才能の差こそ無けれ、それは自然の成り行きだったのかもしれない。
 エリックは当時のジャズというカテゴリーを無理矢理破って進んでいかないと、自分の音楽が体現できないということに気づいていた。自分の飛翔願望を達成するには、サイドマンの協力が必要であることは勿論である。しかし彼の頭の中に、それがどんなメンバーなら可能なのか分かりかねていた。
 パリに住んでみたいとも思っていた。そこには、アメリカのような人種差別もないし、自分がやりたい音楽を具現化することができると感じていたからだ。
 そんなときふと、ストックホルムにミンガスとツアーで行った時のこの会話を思い出した。
「何年ぐらいこっちにいるつもりなんだい?」
 リハーサルの間に、譜面をチェックするミンガスがエリックに聞いたことがある。
「分からない、でもそんなに長くはないと思います」
「長くはないってどのくらいなんだい。エリック、一年位かい? それとも一カ月位かい?」
「長くても一年にはならないと思います」
 またエリックはこうも言った。
「わたしはしばらくヨーロッパに住もうと思っています。なぜですって? ヨーロッパならわたしがやりたいと思う音楽を押し進められるだろうと思っているからです。アメリカでは、人が何かちょっと新しく変わったことをやろうとすると、寄ってたかってそれを押しつぶそうとするからなのです」 
 ミンガスとのツアーを終えたエリックは、単身ヨーロッパに残る決心をした。自分のイメージの中にある飛翔を体現するために。しかしそれは、あまりにも茫漠で、アメリカの活動より良い結果を生み出せるかは未知数であった。しかし、ジャズのみならず、シェーンベルグ、サティ、ストラヴィンスキーなどの現代、近代などの音楽を愛し、分析していたエリックには、どこかヨーロッパに対する期待のようなものがあった。 
 それから間もなく、1964年、エリックはオランダのヒルバーサムにいた。オランダ語読みではヒルヴァルスム。首都アムステルダムに近い街で、自らのレコーディングセッションが行われた。後世、その場で録音された演奏は「LAST DATE」という名で世に出ることになる。バンドは、ミシャ・メンゲルベルグ(P)、ハン・ベニング(DS)という布陣。
 最後の方の曲でフルートを手にしたエリックは、スタンダード、「You Don’t Know What Love Is」の演奏に取りかかった。その時、身体の中心から湧き出るものが感じられた。「飛翔」などという言葉を超えた何かだ。それは意外に激しい衝動ではなく、天空にいる何者か、いや者ではない、とにかく何かに直接通ずるサウンドを奏でていることを、エリック自身、どこか自覚していた。
 しかし演奏が進むにつれ、その自覚のようなものは心中から消え去り、さながら、自身のサウンドをもってしてそこに居る観客を飛翔させるような感覚を味わっていた。
そのセッションには、ジャズにありがちな緊迫した早いリズムの興奮はない。当然のことながら、ヨーロッパの聴衆にアメリカのジャズを聴かせるという意識もエリックにはなかった。ただ、天に触れるような感覚はあれど、エリックの心中は意外と静謐であった。
 今まで「飛翔」という文字によって縛られていた自分が、どんどん解放されてゆく自由と喜びをかみしめていた。しかしそれは心中の話であって、この音を、聴衆をも天高く舞い上げ、自分のサウンドでこの世界を広げるという行為は、精神的満足感はあっても、肉体的には不思議とものすごい疲労感を伴った。いつもは観客が盛り上がれば疲れなど感じないのに。
だが、それはエリックが、自ら求めてきた何かであることに変わりなかった。曲が終わり、エンディングのパートでピアノとドラムが沈黙した。最上の、そして最高のフルートのフレーズが己の意識を飛び越えて乱舞した。それはあたかも、自分の音楽を、天のどこかの位置から、本物の音楽だけに反応する音楽のミューズがいるがごとくであった。その感覚がどれだけ続いたのか自分でも分からない。それは時間では計れないひとときだった。 
 それから何日かして、ベルリンの「タンジェンド」というクラブで演奏していたエリックは、急に気分が悪くなり、途中で演奏をやめざるをえなかった。ホテルのベッドの上で、エリックは、「早く家に帰して下さい」という言葉を繰り返した。関係者が病院につれてゆくと、重度の糖尿病だということが判明した。入院翌日聖天。享年36歳。
「Last Date」エリック・ドルフィー
「You Don’t Know What Love Is」
1964年、エリック・ドルフィーが亡くなる27日前に録音した、遺作となったアルバム「Last Date」の中の1曲。まさに天高く飛翔していくようなフルートの音色が美しく、後半の異例とも言える長尺のソロではドルフィーの技巧の妙が炸裂している。アルバムの最後には、彼の次の肉声が収められている。”When you hear music, after it's over, it's gone, in the air, you can never capture it again(一度出した音は宙に消え、二度ととらえることが出来ない
エリック・ドルフィー(1928 – 1964)
アメリカ、ロサンゼルス生まれ。アルト・サックス、バス・クラリネット、フルートを縦横無尽に操る鬼才。作品の調性の範疇ながらも跳躍の激しいアヴァンギャルドなアドリブフレーズはフリージャズの先駆けとも言われる。1958年にチコ・ハミルトンの楽団に入り、60年にチャールズ・ミンガスのバンドへの参加と同時に自身のリーダーバンドを結成。その後のジョン・コルトレーンのバンドでの活動を経て、64年に再びミンガスのバンドに参加。同年、糖尿病による心臓発作で他界。

第5回前編:「MONEY JUNGLE」デューク・エリントン

サトシは、東京にある、某有名音大のピアノ科の二年生。クラシック音楽を心から愛する若者である。特にロマン派のショパン、印象派のラヴェル、ドビュッシー、フォーレなどの演奏が得意で、他の音楽に見向きもしないひたむきな彼の性格が、更にクラシック音楽に彼をのめり込ませていた。
 ある夜、久しぶりに友達四人とバーで酒を飲んでいると、友人の一人が、これからヒロシのアパートに行って飲みなおそうという提案をした。ひたむきさはあったが、少し内向的な部分も併せ持つサトシは、内心嫌だなと思った。ヒロシは、サトシと同じピアノ科であったが、クラシックの音大にいるくせに、キャバレーやナイトクラブで、酔っぱらいを相手にピアノを弾いているという噂を聞いていた。学校で会っても挨拶をかわす程度。眼鏡をかけ、長髪で、いつも不敵な笑みを浮かべているヒロシのことを、サトシは内心よく思っていなかった。それ以上に、クラシックという音楽をほったらかしにして、ナイトクラブなどで弾いていること自体が、サトシは許せなかった。クラシックのみの教育を受けていると、自然とそういう場所に偏見を持つようになる。
 ヒロシのアパートに着いてみると、ヒロシはドカタのように頭にタオルをまいた姿でドアを開け、「やあおまえら」といった調子で招き入れた。長髪を束ね、何やら聴き慣れない音楽を、ぼろいステレオセットでかけていた。とても音大生に見えないヒロシのその出で立ちを見て、サトシは、やはりコイツとは合わないなと内心思った。だが、酒がまわってくると、他の友達が居ることもあって、段々サトシもリラックスし、ヒロシの話に自然と耳を傾けるようになっていった。
「オレよお、最近すごいレコード見つけちゃってさあ、まあ、みんなに無理に聴かす程オレも野暮天にはなりたくないんだけど、どお? 聴いてみたくない?」ヒロシがそんな提案をしたのは、もう夜も更けてからであった。世の中は静まりかえっていた。
「マネー・ジャングルっていうタイトルなんだけど。最近のオレのヒットはこれなんだな。デューク・エリントン、あ、ピアニストなんだけどさあ、ビッグバンドのリーダーとしてのレコードの方が多いわけ。でもこれは、チャールス・ミンガス、マックス・ローチっていう当代きっての名手を集めたピアノトリオなんだ」皆にことわっておきながら、返事を待たずにヒロシは既にレコード盤をターンテーブルに載せている。
 何だよ、誰も承知していないじゃないかと思ったサトシの耳に、今まで聴いたことの無い音の波が押し寄せた。サトシは、自身の全身に響き渡るのを感じた。そういう体験は初めてであり、ヒロシに対してしかめ面で睨んでやろうかと思った自分の狭い根性が恥ずかしく思われる程、その音楽は開放感に満ちていた。
 音楽を下腹に感じるということも初めてだったが、もっと驚いたのは、サトシの眼前に、行ったことも見たことも無い、NYのハーレムの情景が浮かんできたことである。きっと過去に見た映画やテレビ番組の記憶が無意識下に浮かび上がってきたのだと思った。しかし、その映像は、サトシ自体が、あたかもその映像のカメラマンに成ったがごとく、情景自体が動くのである。まるでハーレムの通りをタクシーで徐行するように。
 次の日、サトシは午後になって目が覚めた。二日酔いだった。ぼんやりする頭でも、ピアノのレッスンの授業を、何の断りも無く休んでしまったということだけは認識できた。一度も休まなかったのに。
 それからというもの、サトシはなぜか、クラシックピアノを練習することが苦になっていった。あんなに愛していたクラシック音楽。しかし前の自分とはなにかかけ離れた夢のような体験を、サトシは忘れられなかった。ヒロシのせいだ、と思ったが、内心尊敬していない奴の影響を、ここまで受けたということに対して、不思議と悔しさは無かった。
 兎に角、しらふの状態で、もう一度あの音楽を聴いてみよう。そうしたら、元の自分に戻れるかもしれない。たしか「MONEY JUNGLE」とか言ってたな。
 件のレコードはレコード店ですぐに見つかり、早速サトシは一人でその音楽に対峙した。驚くべきことに、サトシの無意識下のそのまた根底にある何かを、そのサウンドは鷲掴みにした。こんな経験は、クラシック音楽でしたことが無いということを認めざるを得なかった。
 またもや、サトシの眼前にはハーレムの風景が展開していた−−夕涼みのためか、建物の前の階段でぼんやり座っている黒人の子供や年寄り、昔白人の中産階級のために建てられたそのマンハッタンの北側のエリアは、白人が郊外に移り住むにつれ、そこに黒人がなだれ込み、黒人街となるのは二〇世紀初頭前後である。黒人の子供達のスラングが飛び交い、大人も大きな声で、サイドウオークでおしゃべりに余念がない。街自体はダウンタウンより少しすすけて見えるのだが、黒人街特有のヴァイタリティーがそこにはあった。
 そんな光景を、まざまざと音楽のみで見せつけてくれるデューク・エリントンのサウンドに、サトシは畏怖の念さえ感じ始めていた。
 これはガールフレンドのハルミに絶対聴かせなければならないと思った。急いで彼女を呼び寄せ、まくしたてた。
「ハルミ、オレすごいレコード見つけちゃってさあ、是非とも君にも聴いてもらいたいんだ」
「何よサトシ、そんなに興奮しちゃって、ミケランジェリの新しいレコードでも見つけたわけ?」
「違うんだよ。ハルミはいつも、オレのクラシックに対する意見とか、オレの演奏を理解してくれるだろ。だから今回も、僕の新しい発見に、君がどう判断するのか興味があるのさ」
 早速MONEY JUNGLEをターンテーブルに乗せる。最後の曲が終わるまで、膝を抱えて聴いていたハルミは浮かない顔をしていた。
「ねえ、これなに? 演奏が雑だわ。サトシおかしくなったんじゃない? あなたの好きなドビュッシーとは全然違うわよ。しかも黒人のやることなんて、私には理解できない」
 サトシは沈黙するしか無かった−−オレは本当におかしくなってしまったのか。
 それからというもの、サトシはデューク・エリントンを皮切りに、猛然と他のジャズピアニストをむさぼるように聴いていった。またジャズ喫茶という存在を知ったのもその頃で、持ち金を全てレコード購入にまわせないサトシ君にとっては、そこは魅力的な場所に思われた。ハルミを誘って一緒に行くことにした。正直に言えば、サトシは一人で行くのが少し心細かったのだ。
「なによそのジャズ喫茶って。どんなところ?」
「実はオレも行ったことが無いんだけど、面白そうだと思ってさ。ハルミも一緒に行かないかなと思って」
 渋谷にあるとあるジャズ喫茶の扉を開けてまず驚いたのは、そのボリュームの大きさだった。席に着きコーヒーを頼んだ。
「なによここ。こんなに大きい音じゃおしゃべりも出来ないじゃないの」
 ハルミの文句をよそに、サトシはもう既に、大音量で放出される音の波に翻弄され、息つく暇も無いといった顔をしていた。
「サトシイ、聞いてんの、あたしの言ってること」
「ああ」
「ああじゃなくてさあ」
「うん」
「なによその態度!」
「少し静かにしろよ」
「誘ったのはあなたでしょう! あたしこんなに大きな音のところに長い間いられない」「ああ」
「ちょっと聞いてんのサトシィ?」 
 音の波が途切れ我に返ると、隣にハルミの姿は無かった。店内を見回すと、左後ろに、黒のワンピースに、黒いサングラスをかけた、サトシより確実に年上の女性が、ゆっくり煙草を吹かせつつ、じっとサトシの方を見ているように思われた。全てお見通しよ、といった表情に見て取れた。ジャズってこういう大人の女の人が聴く音楽なんだなとも思った。いずれにせよ、この大音響で、MONEY JUNGLEを聴きたい。勇気を出して店主にリクエストした。 
 店内にMONEY JUNGLE が流れると、サングラスの女性が軽く微笑んだ。
 三週間後、学校からの通知があり、これ以上レッスンを休むと単位取得に問題が生じると知らされた。当然だ。毎日のようにジャズ喫茶に通い、コーヒー一杯でネバって、昼から夜遅くまでジャズ漬けの日々を送っていたのである。
 全然学校に姿を現さなくなったサトシを心配していた他の友達が、ある日サトシがヒロシのアパートの方にすたすたと歩いていくのを目撃したという情報を最後に、サトシを学校で見たという友達は、確実に減っていった。 
 最初にサトシがヒロシのアパートに訪ねていった時、ヒロシは留守だった。普通大学のジャズ研にも顔を出しているという情報を得ていたので、サトシは意を決して、そこに行ってみることにした。 
 その大学はサトシが通う音大から、電車で二駅ばかり離れた場所にあった。校内に入り、ジャズ研の場所を探すのにそんなに時間はかからなかった。サックスやトランペットの音が聞えてきたからだ。吸い寄せられるように、その方角に進んでみると、何やら小汚い建物が見えてきた。
 建物中に入ってまずサトシが驚いたのは、大勢のサックス奏者やトランぺッターが、廊下の壁に向かって各々練習していることであった。他人の音が気にならないのだろうか。音大では、少なくとも練習室が設けてあり、一人になって練習する機会が与えられていた。
だがサトシが本当に一番驚いたことは、他人の音が轟々と響きわたる中で、各々が音楽に真剣に立ち向かっているというその態度だった。音楽に対して情熱さえあれば、他人の音など気にならなくなるのであろう。
 サトシがその光景をぼーっと突っ立って見入っていると、無精髭をはやした、ひょろりとした同世代の男が話しかけてきた。
「見ない顔だけど、ここのジャズ研に入部希望?」
「いえ、あのう、サトシといいます。あのぉ、ヒロシっていうピアノの奴知りませんか」
「ああ知ってるよ」
「どこに居ます?」
「今そこの部屋の中でちょうどジャムッてるんじゃない。付いてこいよ」
 練習室であろうドアを開けてみると、そこでは白熱したセッションが行われており、ドラムのビートがサトシの心と身体に突き刺さった。サトシはまだ、ジャズを生で聴いたことがなかった。ジャズ喫茶においてサトシが聴いてきた数々の演奏はスピーカーから発せられるものであり、それが名演であろうと生の音ではなかったということが、当たり前ではあるがどこかショックだった。
 聴き慣れない曲だったが、サックスやトランペットが交互に入れ替わり、一曲がとても長い。その伴奏をヒロシが必死の形相で努めていた。そこには、あのドカタのようなイメージは微塵も無かった。ボロい、そして調律もされていないようなアップライトピアノに、ヒロシは食い下がるような勢いで周りの音に反応し続けていた。
 サトシの中で何かがはじけた。 
 
(第5回後編に続く)
「Money Jungle」デューク・エリントン
ビッグバンドのイメージの強いデューク・エリントンがピアノトリオとして1962年に出した同名のアルバムからの一曲で、このセッションのために書き下ろされたもの。都会的で洗練された旋律を、エリントン、チャールス・ミンガス(B)、マックス・ローチ(D)というジャズ界のビッグネーム三人が時に過激に、時にクールに、仕掛け合うようプにプレイしている。南さんが若き日に衝撃を受けた曲でもある。

デューク・エリントン(1899-1974)
優れたジャズピアニストにして、ジャズの歴史に大きくその名を刻む偉大な作曲家、バンド/オーケストラリーダー。1920年代のNY・ハーレムのナイトスポット「コットン・クラブ」の専属として始まったビッグバンド「デューク・エリントン・オーケストラ」を20年以上に亘って牽引。「A列車で行こう」をはじめとする数々の名曲を生み出し、それまで黒人の民俗音楽として捉えられていたジャズを芸術の地位まで高めた。

第5回後編「Lotus Blossom」DUKE ELLINGTON

一旦セッションが休憩に入った時、サトシは件の髭もじゃのひょろりとした男に、「あの、入部したいんですけど」と、半分上の空ではあったが、申し出ていた。そう言った自分自身に驚いた――僕はそんなに積極的な人間じゃなかったのに。

「君どこの学校?」」
「あのヒロシと一緒の近くの音楽大学で、ピアノやってて」
「ああ、じゃあ指は動くんだ。名前は?」
「サトシといいます」
「ヤノピね。実はオレ、このジャズ研のジャーマネなんだ」
「……ヤノピ? ジャーマネ?」
「ハハハ、ピアノとマネージャーっつうこと。そのうち慣れるよ。一応入会金をもらうことになるけど」
「そんなことより、僕はまだ、コードネーム読めないんです」
「ああ、シクラ(クラシック)の人たちは皆そうだ。ヒロシ知り合いなんだろ。あいつはここで一番うまいから、あいつに習えばいいじゃん」
一瞬サトシの内心に複雑な衝動が走ったが、それを凌駕する、知りたいという欲求が強かった為、彼は即答した。
「分かりました。改めてヒロシを僕に紹介して下さい」
「君ら、おんなじ学校じゃないの」
「こんなすごいヒロシを見るのは初めてなんで」
「変なこと言う奴だな、おまえ。まあいい。おいヒロシ、お前のダチが入部希望だってよ。知り合いじゃあねえの?」
呼ばれたヒロシは振り向きもしない。ヒロシはピアノの椅子の上で、何やら一生懸命に譜面を書いていた。「誰よ、ダチって?」
「サトシって奴。同じ学校なんだろ」
ヒロシが振り返ってサトシの顔を見た。
「ああ、お前か、入部したいって?どうやってこの場所を見つけたんだ?」
サトシは無言だった。ヒロシを付けていったようには思われたくなかった。
「サトシっていったっけ」
「はい」
「ちょっと廊下に出ない?」
ヒロシの後をサトシは追った。
「サトシよう、入部するのはかまわんけど、絶対に学校の先生にバレないようにするって約束してくれよ。バレると、なんやかんやうるさいからさあ」
「そういうもんなんですか」
「そういうもんなんだよ」
「あの、コードネーム教えてください」
「おう、いいけど、クラシック青年、オレでいいのか」
「はい」

気がついたら、サトシは、その私立大学の練習部屋に入り浸るようになっていた。そこは、サトシのように、他の大学から入部してきた者も多く、話が合った。知らない情報も交換できるし、ヒロシをはじめ、色々な楽器の者に手ほどきを受けたのでサトシの上達は早かった。元々クラシックの基礎がある上、音楽理論もしっかり学んでいたこともあり、ジャムセッションに参加できるようになるまで、そう時間はかからなかった。
ジャズを知れば知るほど、サトシは自分がクラシック音楽の影響を受けていることが大きいと分かってきた。特に、自分の好きな、フランス印象派の作曲家から、大きな影響を受けていることがはっきりしてきた。
サトシは、再びクラシックの練習を始めた。ジャズの理論を知った後に弾く、自分の得意なクラシック曲が、まったく違って聴こえるようになったからである。聴覚的にもその違いを感じることができた。しかし何よりも前と違うことは、曲を分析して、頭の中にコードネームを浮かべながら演奏すると、曲の理解も早くなるということだった。さらに、スケール(音階)をどう使っているかという観点からも、暗譜という次元を超えて、作曲家の意思が伝わってくることを確信できた。

また音楽学校に通い始めたサトシを見て、友達が声をかけてきた。
「おう、サトシ、久しぶりじゃん。しばらく顔見なかったけど、どうしてたの。ハルミが探していたぜ。電話かけてもいつも居ないって」
「ああ、心配かけてすまん。実は、音楽がもっと好きになるある方法というのかな、そんなようなものに出会って、しばらく学校に来られなかった」
「なんだよそれ、まあとにかく、以前のサトシと比べると、妙に元気そうだな。ハルミに連絡するの、忘れるなよ」
「サンキュー、またな」
サトシは一カ月ぶりにハルミに電話をした。 
「ハルミ? ああ、ああ、オレ。ああ、ごめんごめん連絡しなくて、えっ、やあー今度どこに居たか話すからさ、そう怒らないでくれよ。えっ、だから謝ってるだろう。うんうん、悪かった。あのさあ、今度僕のラヴェル聴いてくれる? そう、そう、明日の夕方例の練習室で会えない? うん、うん、分かった。じゃあ明日。うん、じゃあね」

翌日、ヒロシの奏でたラヴェルの曲を聴いて、ハルミはちょっと驚いていた。
「サトシ、とっても良かった、というか、これからもサトシのピアノが良くなっていくのを感じさせる演奏だったわ。何が起きたのかしら。表現力も力強くなったし、演奏自体から、とても自由な何かが感じられるわ。とってもステキ。ねえ、一体サトシにどういう心境の変化があったの?」
「その謎、知りたい?」
「うん、知りたい」
「ホントに知りたい?」
「うん、ホントに知りたい」
「前、ジャズ喫茶行った時みたいに文句いわない?」「いわない」
「途中で怒って帰ったりしない?」
「しない、しないってば」

サトシはハルミをジャズ研の練習室に連れて行った。ハルミの反応は、サトシがそこに初めて行った時に示したものとまったく同じであり、兎に角練習室の前の廊下には、サックスやトランペットの音が鳴り響いているので、文句を言う隙間も無かった。その日も誰かがジャムセッションをしているようであった。部屋の中から、いつも通り、土臭くも情熱的なサウンドが響いていた。もうこの場所のカオとなっていたサトシは、何のためらいもなく、ひょいとドアを開ける。音のヴォリュームが急に三倍になる。ハルミはポカーンと口を開けて、その現場に見入ってしまった。
「ねえサトシ、あそこでピアノ弾いてるの、ヒロシじゃない?」
「そういうこと」
「このホコリ臭いゴミだらけの場所がサトシを変えたっていうの?」
「どうやら、そういうことらしい」
その後ハルミは口をつぐんで、演奏に耳を傾けた。

それから卒業までの二年の間、時間とお金が許す限り、サトシとハルミはクラシックのみならず、ジャズのコンサートを聴きにいった。ハルミも段々ジャズに関して、真っ当な意見を言うようになってきた。サトシも感想を述べる。そうやって二人で話をすることも、彼らの楽しみになっていった。

卒業直前、サトシはヒロシに呼ばれ、また仕事を分けてくれるのかなあと気軽に彼のアパートへと向かった。その頃のサトシは既に、結婚式の仕事や、キャバレーでの仕事がちょくちょく入ってくるようになっていた。ギャラはほんの小遣稼ぎにすぎなかったが、アンサンブルについて、学ぶことが多々あった。
それらの仕事が入るのは、主にヒロシを通してだった。ヒロシはいつものように、頭にタオルを巻いた顔をドアから半分出して、寝ぼけ眼でサトシを見やった。お前か、入れよ、と目が合図したので、サトシはヒロシの散らかった玄関で靴を脱いだ。
「なんだよ、サトシ、睡眠妨害やめてくれよ」
「あ、悪かったかなあ、連絡もらったからきたんだ」「ああ、今日は仕事の話じゃない、っていうか、仕事にも関係あるか。オレさあ、NYに行くことにしたんだ」
「えっ!」
「そんなに驚かなくてもいいだろう。オレさあ、やっぱり本場のサウンドを聴きたいし、オレ自身もそういうミュージシャンになりたいんだ」
「卒業した後?」
「ああ、アップアップだったけど、何とか学校は卒業できそうだ。卒業したらすぐにもNYに行くつもりだ。それでさあ」
「はい」
「お前、卒業したらどうするの」
「僕もアップアップで卒業にこぎ着けたクチで、クラシックのレッスンとジャズ研、キャバレーなんかやってたら、就職も何も今まで考えられなくて、気がついたら行き先無しです。もっとも、自分で選んでそうなったんですけど……」
「おいサトシ」
「えっ」
「オレがNYに行くということはだなあ、オレがレギュラーでやっているナイトクラブを辞めなきゃいかん。斯界の決まりじゃあ、新しいピアニストを紹介してから抜けるっていうのが筋なんだ」
「はあ」
「もう分かったろ、オレの言いたいこと」
「えっ?」
「ニブいなお前、要するに、やる気があるんだったら、ナイトクラブのレギュラーの仕事、お前に変わってやってもらいたいっていうことよ。どう?」
「……」
「すぐ返事が来ないような奴に、この仕事は勧められない。なにしろ毎晩遅くまで弾くんだからな」
「あっやりますやります」
「大丈夫かなあ」
「やらせて下さい。そうだこれをチャンスというのか」
「いまさら何言ってんだおまえ」
「すいません」
「じゃあ、今度、クラブのバンマス(バンドマスター)に紹介するから。このレパトリーの書いてある譜面もお前にやるよ」
「あっ、ありがとう。ヒロシはこれ無しでNY行くの?」
「もう全部、曲は憶えたんだよ。そん中にあるやつ」
「へーっ」
「じゃよろしくな」
「あっ、ちょっとまって、ヒロシがNYに行く前に一つだけ聴いておきたいことがあるんだ」
「なんだよ、サトシ」
「オレさ、ジャズもクラシックも分野を超えて好きなんだけど……あのさあ、クラシックの演奏会とか、演奏がマズくても、お客さんしゃべらないよね」
「ああ」
「だけど、キャバレーで演奏してるとさ、うるさい客がいると、ドラムやベースの音、もっとヒドい時には自分のピアノの音さえ聴こえなくなっちゃうんだ。それで、ヒロシのやってるナイトクラブ、うるさい客居ないか、ちょっと心配なんだけど……」
一気にしゃべったサトシの視線には、普段のヒロシとは違う、恐ろしい形相を浮かべた誰かが浮かび上がっていた。そのきつい目線がこう語っているように思えた――お前に選り好みする程の実力があるのかよ。
一瞬凍り付いたような雰囲気の後、気がついたらいつものヒロシが目の前にいた。彼は黙ってレコード棚から一枚レコード盤をスイと抜き取り、大切そうに持ちながら、ターンテーブルの上に載せた。
「サトシ、いまだにエリントン、好きか」
ヒロシの唐突な質問に、サトシが言葉もなくうなずくと、ヒロシはレコード盤の上に針を落とした。スピーカーから音が出た瞬間に曲名が分かった。サトシの好きな曲だった。ビリー・ストレイホーンの「LOTUS BLOSSOM」を、デューク・エリントンが弾いている。しかもピアノソロで。
何とも瞑想的なメロディーだったが、聴き入るうちにおやっと思った。ライブ録音だ。なんだか背後がガチャガチャうるさい。しかも、黒人であろうか、あの独特なイントネーションでしゃべり続けているものがいる。エリントンが演奏しているんだぞ! 静かにしろ! とサトシは一瞬カッとなった。
どうやらその曲は、レコードの最後に入っているようで、曲が終わるとターンテーブルのアームが自然と元の位置に戻った。
なんだか一瞬のようにも思えたし、ものすごく長い時間にも思えるような、そんなエリントンのサウンドだった。しかし、エリントンのソロでもしゃべる奴がいるのか――曲の余韻に浸りながらサトシがボーッと考えていると、ヒロシはレコードをジャケットに戻した後、静かにそれを差し出して、
「受け取ってくれ」と言った。
何ともいえない感慨がサトシの胸を詰まらせた。
「えっ、いいの」
サトシは、なぜか自分が小声になっていることに気付いた。
「ああ、アメリカまで、レコード全部持っていけないしな」
そっとジャケットのタイトルを見ると、「……and his mother called him bill」と読めた。

それから幾ばくかの年が経ったある日、毎晩ナイトクラブでピアノを弾いているサトシの元に、NYのヒロシから手紙が送られてきた。長い手紙だったが、要するに、こちらでは音楽的にものすごいことになっている、という内容であった。ヒロシもやってるなあ、でも、手紙には書かれていない苦労も沢山あるのだろうなと、サトシは思った。もし、自分も行っていたら――そんな考えが一瞬頭を過ったが、すぐに打ち消した。今のオレは、NYには行けないな、これも人生だ。オレは別の幸せを手にしたのだから――。
ふと時計を見ると、ナイトクラブに行かなければならない時刻となっていた。
「出かけるよ、ハルミ」
「いってらっしゃい」
「娘の顔も見せてくれ」
「はいはい、エリコちゃん、おとーちゃま、バイバイの時間ですよ」
「エリコちゃん、パパ、ピアノ弾いてくるね。おとなしくしてるんだよ」
サトシは「TAKE THE A TRAIN」のメロディーを口笛で吹きながら、都心へと向かう電車の駅に歩いていった。

「Lotus Blossom」
デューク・エリントン
「Lotus Blossom」
デューク・エリントン・オーケストラで「A列車で行こう」をはじめとする数多くの名曲を作曲し、デュークが自身の「両腕」と称するほど信頼されていた作曲家・ビリー・ストレインホーン。1967年、デュークは自分より16歳年下でありながら先立ってしまったビリーを悼み、すべて彼が作曲した楽曲で構成した追悼盤「……and his mother called him bill」を発表。収録されている一曲「Lotus Blossom」は、デュークがピアノソロで演奏している。生前、ビリーが好んでデュークに弾かせた曲だったという。

デューク・エリントン(1899-1974)
優れたジャズピアニストにして、ジャズの歴史に大きくその名を刻む偉大な作曲家、バンド/オーケストラリーダー。1920年代のNY・ハーレムのナイトスポット「コットン・クラブ」の専属として始まったビッグバンド「デューク・エリントン・オーケストラ」を20年以上に亘って牽引。「A列車で行こう」をはじめとする数々の名曲を生み出し、それまで黒人の民俗音楽として捉えられていたジャズを芸術の地位まで高めた。

第6回:「LUSH LIFE」ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン

俺がアメリカ人のジューンと暮らしていたのは、もう既に五年以上も前になってしまったのか。冬が迫るとあの頃のことをつい思い出してしまう。
ジューンと出会ったのは、冬のベルリンだった。そのベルリンの場末にあるちんけなバーで、彼女と偶然隣り合わせになった。その時の俺は、ピアニスト――あるジャズグループのサイドマン――として、ドイツの主要都市をツアーして廻っていた。だが、そのグループのリーダーが、ツアーの途上、ベルリンでギャラを持ち逃げして、我々サイドマンは、泊まっていたホテルから動けなくなってしまっていた。
クラブの主催者は、何とかそのリーダーを捜すことと、我々が自分の国に帰るだけの航空運賃を捻出しようと、躍起になっていた。だが、そんな簡単に金が捻出できないことは、この業界に長くいたからこそ分かっていた。
そんな状態だったので、何かもう全てがどうでも良くなり、ホテル代のことも気にせず、只々毎日をぶらぶらと、捨て鉢になって、ベルリンの街を彷徨っていた。別に国に帰ったからといって、すぐに仕事があるわけでもなかったし、ピアニストという身では、楽器が身近にないので、練習もままならない。段々と俺は日を追うごとに自堕落になってゆき、昼から何も食べないで、酒ばかり飲むようになっていた。
そんな時ぶらっと寄ったバーにいたのがジューンだった。
一目で彼女が酔っぱらっていることが分かった。しかも相当に。彼女と目が合った瞬間、何かの共通点を感じた。そう、お互い、どこかしら世の中にひっかかることに不器用で、ひっかかろうと必死になることにも疲れ果て、無意識の内に、負け犬の匂いを発散させていたのだ。俺自身、男の負け犬だが、俺より酷い男の負け犬を嫌というほど見てきていた。だが、女から、その男の負け犬の匂いを嗅いだことはその時までなかった。ジューンに出会うまでは。
ジューンと目が合ったとき、なんだか同類がそばにいるような気がして、俺にしては珍しく、女がいるから近寄った、というより、自分自身に声をかけるように、隣に座っていいか、彼女に目で合図を送った。彼女は少し微笑んだだけだった。歳はいくつぐらいだろうか。濃い化粧の裏には、白人女特有の、容姿が崩れかかる寸前で背筋を伸ばしているような不自然さが漂っていた。ちょっと前は相当美人だったんだろう。
「昼から呑んでるのか。俺と同じだな」
「あら、下手なドイツ語を喋るの、やめなさいよ。私はアメリカ人よ。」
「ああ、英語の方が助かる。ドイツ語は片言だ」
「あなただって、昼から呑んでるクチでしょ」
「人のことが批判できる柄じゃないだろう」
「失礼な人ね。何処からきたの」
「まあ、ドイツ人じゃないことは確かだ。ドイツ語は片言と言ったろう」
「それにしては英語が上手ね」
「世界中ふらふらしてきたからね。英語さえ喋ることができればどうにかなるから」
「さて、名前を名乗らない男、アタシ好きじゃないの」
「さて、名前を名乗らない女も、俺は好きじゃない」
「感じ悪いわね。アタシはジューン、NYで育ったの。あなたは?」
「なあ、自己紹介はそのくらいにして、一杯おごらせてくれ。俺も呑みたいから。酒は何にする?」
「ドライ・マティーニ」
「真っ昼間からマティーニか」
「イッツナーンオブユアビジネス」
「ああ、俺も同じものを飲もうかな」

ジューンは俺の知っている限り、信じられないほど酒に強い女だった。そして一番扱いにくい酔っぱらいでもあった。
「ねえ、もう一杯呑みましょうよ」
「おごると言ったのは俺だがね。俺がここに来た時点からおごるのか、あんたがここに来て飲みはじめた時点からおごるのか、はっきりさせてくれないか」
「アタシ、そういうケチな男、嫌いよ」
「ああ、そう、ならいいんだ。今までの分、自分で払いなよ」
「どういう神経してんのよあんた!有り金全部出しなさいよ」
「いいよ、今持っているのはこれだけだ」
「あら、いっぱいのお札。少なくとも、今はあんたの方が金持ちだわ」
「これで足りるかな」
「充分よ。ねえ、名前は聞かないから、なぜ今ベルリンにいるのかだけ教えてよ」
「俺はピアニストで、この街に来たら全てうまく行かなくなったんだ。国に帰る金もないし、帰ったって誰かが待っているわけじゃない。仕事もない。だからふらふらしてる。そこに君がいた」
「あなたの話、分かるんだか分からないんだか、それが分からない。ねえ、お店出ましょうよ。違うところで呑みなおさない?」
「いいね。ベルリンには長いの?」
「答えたくない。でも詳しくないことだけは確かかも」
「俺もぶらぶら歩き回っているけど、地図は持ってないから、観光地や、バーが多くある区域とか、よく知らないんだ」
「ピアニストって言っていたわよね。でも、どう見てもクラシックじゃなさそうね」
「勘がいいな」
「どうせジャズかなにかでしょう」
「……」
「ジャズクラブを探して、そこで呑みなおしましょうよ。場所は、あそこのバーテンダーに聞けば知っているはずだわ」

その後、我々が行き着いたのは、ベルリンの一流どころが演奏するようなジャズクラブではなく、なんだか場末の、これまたちんけな店だった。だが、確かに、
ジャズらしい音楽が、店の外まで聴こえてきていた。
「ねえ、あのバーテンダーが言っていた店、ここのことかしら」
「そうでないとしても、この寒さの中で、これ以上歩くのはご免蒙る」
「そうね。入ってみようかしら」
「エスコートするよ」
そのジャズクラブの中に入ってみると、中年以上のドイツ人のジャズミュージシャンが、スタンダードナンバーを演奏していた。ピアノトリオとサックスという編成で、彼らもべろべろに酔っぱらいながら演奏していた。
「あら、ステージの上にもお仲間がいるわ」
「君の方が上手だよ」
「人のこと言えんの、あんた」
「言えないな」
ヤサグレとはいえ、俺もミュージシャンのハシクレだ。彼らの演奏は、酒を飲んでいるにも関わらず、どこか硬かった。肝心なところで、リズムがうねらない。そんなことを耳で感じながら聴いていたら、彼らは、かの有名な作曲家、ビリー・ストレイホーンの「Lush Life」を演奏しだした。一言で言えば、酷い演奏だった。
「ジューン、NY育ちなんだろ」
「そうよ」
「ジャズに詳しくなくても、あいつらの演奏、なっちゃいないということが分かるだろ」
「残念ながら、酔っぱらっていても分かるわ。ということは、とても酷いということね」
「明日も会える?」
「嫌だわ」
「まあ、そうつれないこと言うなよ。この曲の名演のレコードを知っているんだ。明日それを探して、君にプレゼントするよ」
「スカしてるわ」
「いや、アメリカ人でNYから来たんだったら、絶対納得する演奏を知っているんだ。君と一緒に聴きたい」
「どこでよ」
「君のアパートで」
「なぜアタシのアパートにレコードプレーヤーがあることを知ってるの?」
「いや、知らずに話してた」

翌日、ホテルでレコードショップの場所を聞き、行ってみたら、申し訳程度にジャズコーナーが設けられていた。だが、目当てのレコードは見つかった。「John Coltrane And Johnny Hartman」。確かこの盤で、「Lush Life」をやっていたはずだ。レコード盤の裏を見ると、記憶に間違いがないことが分かった。
ジューンがくれた、住所の書いてある紙切れを、タクシーの運転手に無言で手渡して目を閉じた。このレコードは何度も聴いている。一瞬、ジョン・コルトレーンのフレーズが頭をよぎった。
タクシーの運転手がドイツ語で喋りかけてきたので目を開け、タクシーを降り、周りを見回すと、酒呑みの酔っぱらいが住んでいるあたりには見えなかった。ベルリンの地理には疎くとも、その辺りはかなり高級な区域に見えた。なぜジューンがこんなところに住めるのか、不思議に思った。
「あら、いらっしゃい。来ないかと思ってた」
「君はいったいベルリンでなにをしているんだい?」
「老人のオムツを替えているの。そのかわり、家賃は払ってくれるという約束で」
「理由はどうでもいいんだ。ゆっくり、君と一緒に、本物のLush Lifeを聴きたかっただけだ。誰にも邪魔されずに」
「ご心配なく。アタシ友達をつくるのすごく下手なの。昼から酒につきあう奴なんてろくでもないのばっかりよ。アタシを含めてね。だから、誰も来やしないわ。ねえ、そのレコードを聴く前に、そこのボードの上にあるウイスキー、こっちの部屋に持ってきてくれない」

それから半年ばかり、俺はジューンとそのアパートで暮らした。起きた時から酒を飲み、煙草を吸い、買ってきた件のレコードを毎日すり切れるまで聴いたのである。なぜかといえば、レコードは、それしかなかったし、他にこれといってやることもなかったからだ。
ああ、一つだけやることがあったのを今思い出した。ジューンのペッサリーをよく薬局に買いに行ったっけな。今から思えば、「Lush Life」の歌詞のような生活をしていたということだ。この曲は冬に合う。特に冬のベルリンの、夕刻の並木道に。

「Lush Life」
デューク・エリントン・オーケストラで活躍したビリー・ストレインホーン作曲。ジョン・コルトレーンは1957年に同タイトルの自身のアルバムで演奏しているが、1963年に歌手のジョニー・ハートマンと共演したアルバム「John Coltrane And Johnny Hartman」の中でもこの曲を取り上げている。ハートマンの甘く深い歌声と、控え目ながらも艶やかなコルトレーンのテナー・サックスが絶妙なハーモニーを奏でており、同アルバムはバラードの名盤とされている。

ジョン・コルトレーン(1926-1967)
サックス奏者(主にテナー)。マイルス・デイビスと共に、20世紀を代表するジャズ・ジャイアンツ。若い頃、評論家から下手くそ呼ばわりされていたが、マイルス・デイビス、セロニアス・モンクなどの巨匠のバンドや自身のバンドで研鑽を積み、一流のサックス奏者となった努力の人。アルバム「Giant Steps」でピアノのように同時にいくつもの音を奏でているように聴こえるサックスの奏法「シーツ・オブ・サウンド」を編み出し、それにより自由なコードチェンジによるアドリブが可能となった。この方法論はジャズにとどまらず後世のさまざまな演奏家に影響を与えている。

第七回「PEOPLE TIME」スタン・ゲッツ

この企画は妄想を軸に、ジャズという音楽を絡めて書く場であるので、別に、『スター・ウォーズ』のダースベーダーが、スタン・ゲッツのテナーサックスにイカレてしまっても良いわけである。
僕はSF映画が大好きだが、スターウォオーズの第二作以降は、どうも映画の中に身も心も入ることができない。映画冒頭の字幕でまず説明があるではないか。「A long time ago in a galaxy, far, far away….」と。ではなぜ、変な宇宙人までもが英語を喋っているのであろうか。特に、ハン・ソロの喋る言葉は本当のアメリカ英語だし、ボディランゲージ、つまり仕草、目つきもアメリカ人そのものだ。だから、そのことばかり気になってしまって、三作目以降はシラケてしまった。
ということで、もとより映画の設定が妄想的なのだから、どんなこじつけもこの場で書き著すことは許されるはずだ。
まず、『スター・ウォーズ』に出てくる宇宙船はどうも四次元空間を利用して移動しているようだから、時間感覚のないその空間で、未来の地球の言葉や文化などを超絶に発達した科学技術にて垣間みることもできた、と解釈してしまう。そこで悪の象徴であるダースベーダーが、その四次元空間にて、アメリカという国のジャズという音楽になぜか引きつけられてしまうことだって無きにしも非ずだ。
なぜって本人が英語を喋っているのだから。

「フーッ、フーッ、ハー、ハー、コレハナンダ? コトバデハナイノニ、コトバノヨウダ。フーッ、ワタシニ、キョウツウスル、ナニカヲ、カンジル。コノ、アーストヨバレル、ワクセイノ、アメリカ、トイウ、クニノ、ジャズトナノル、オンガク、トイウモノガ、アッタノカ。フォースダ。コノジャズトイウ、オンガクニハ、フーッ、フーッ、フォース、ヲカンジル。ハー、ハー」
早速ダースベーダーは、超絶科学技術によってジャズの初期、ニューオリンズ・ジャズからフリージャズまでの歴史資料を瞬時に手に入れ、理解する。それに加え、アメリカのみならず、ジャズミュージシャンと呼ばれる人間なる生き物の名前、各々のサウンドなどを、またまた、瞬時に全て聴いてしまう。
そしてその中でも、スタン・ゲッツというサックスプレーヤーの経歴と音楽に、なぜかダースベーダーは特に興味を寄せるのである。
「ドウナッテ、イルノダ、ハー、ハー、コノオトコノ、ケイレキハ、ダークサイド、ソノモノデハ、ナイカ。フーッ、フーッ、ヘロイントイウ、アクノ、ショウチョウヲ、ゴウトウマデシテ、ヌスミ、フーッ、フーッ、ケイムショトイウ、ダークサイドニ、カタンシタ、ニンゲンヲ、ハー、ハー、カンキンスル、バショニ、コウソクサレ、ソノアトモ、アルコール、トイウ、ブッシツニ、イゾンシ、フーッ、フーッ、ワタシヨリ、ダークサイドノ、パワーガ、ツヨイ。ダガ、ハーッ、ハーッ、コノニンゲンノ、サックストイウ、ガッキガ、カナデル、メロディー、サウンドハ、ドウダ。ワタシガ、アナキント、ナノッテ、イタコロ、フー、フー、アイシタ、オンナノコトヲ、オモイダサセル。マルデ、エンジェル、ノヨウナ、メロディーヲ、カナデテイル……」
それからというもの、ダースベーダーは宇宙船デススターの彼の部屋で、スタン・ゲッツのあらゆる演奏を、遠い銀河を見つめながら聴きまくったのであった。
ダースベーダーは悩んだ。いったいこのスタン・ゲッツという男の本質は、私生活や経歴にあるのか、それとも、彼の奏でるメロディーやサウンドに存在しているのか。
勿論、ダースベーダーはダークサイドに自らの魂を売ったのだから、スタン・ゲッツの音楽よりも彼の経歴、つまり、悪の象徴のようなスタン・ゲッツの私生活が、彼の本質だと信じたかった。しかしである。一度彼のサックスのサウンドを聴いてしまうと、どうしても、悪の象徴というものが彼の本質ではないと思わせる、言葉を超越した何かが、ダースベーダーの心を打つ。そのサウンドに含まれたエレガンス、クールなスタイル。燃え上がるような演奏でも、決して自らを失わないバランス感覚。聴いている人をすぐさま虜にしてしまう、その知性あふれる演奏スタイル……。
――このアースという惑星にいたスタン・ゲッツという人間は、音楽世界のジェダイの騎士ではないか。ということは、もし、この自分自身が、音楽の面を彼の本質と捉えてしまえば、自己を否定することになってしまう。
しかし、頭ではそう分かっていても、ダースベーダーの心がスタン・ゲッツの音楽そのものに、どうしても傾いてしまのである。そんな自分の葛藤を、雄大なる銀河を眺めつつ沈思黙考していたら、副官の一人が入ってきた。
「ダースベーダー様! 反乱軍の戦闘機が多数、我がデススターめがけて進撃中です。ぜひ、ご命令を!」
「スー、ハーッ、スー、ハーッ! バカモノメガ。イマワシハ、モットタイセツナ、ハー、ハー! モンダイヲ、カイケツシヨウト、シテイルノダ!」
言うな否や、ダースベーダーの右手がさっと挙がった。次の瞬間、その副官は事切れていた。
「スー! ハーッ! バカモノメガ、コノワシノ、シコウヲ、ジャマシオッテ! スー、ハーッ、ウウッ、ツギノ、キョクハ、ゲッツノ、トクイナ、イパネマノムスメダ」
その時点でもう既に、ダースベーダーはジャズおやじと化していた。
「スーッ! ハー! ウウム、コノフレーズ、マサニ、ゲッツソノモノ。タマランワイ。ウ〜ン、スーッ、ハー、イマノ、オブリガードモ、タマラナイネー、マッタク。アッ、ソウダ、ツギハ、スーッ、ハー、コレキイテ、ミヨーット」
この時点で、ダースベーダーはとうとうジャズおやじを通り越し、いわゆるジャズキチの域に達していたのであった。
「ウッ! スーッ! ハー! イマノフレーズ、ナンテ、カッコイインダ! オイオイ、センソウナド、シテルヒマ、アッタラ、ミンナデ、コレヲ、キコウヨ、オイ、ソコノ、ストーム・トルーパー!」
「はい! 閣下!」
「スーッ、ハー、オイ! スーパーレーザーヲ、ハッシャスルノヲ、チュウシセヨ!」
「しかし閣下、我が帝国軍は今、劣勢です」
「エエイ! スーッ! ハー! ヤメロトイッタラ、ヤメロ、コノ、ウスノロトンカチ!」「はっ! 副官に命令を伝えてきます」
「スーッ、ハー、ナニヲ、ヤッテ、ヤガルンダ。ドイツモコイツモ。ミンナデ、ゲッツヲキケバ、ソレデスベテ、カイケツジャンカヨ。センソウナンテ、スルヒツヨウネーヨ。アッ! ゲッツ、バンネンノ、ライブバンダ。ナニナニイ? ガンヲ、ワズラッテ、ヨメイミジカシトキ、コノエンソウヲシタ……?」

その時ダースベーダーが聴きはじめたのは、スタン・ゲッツとピアニスト、ケニー・バロンとのデュオ、「People Time」であった。余命宣告であと六ヶ月と医者に言われたスタン・ゲッツだったが、彼は不死鳥のようだった。余命宣告から二年ほど経った時、コペンハーゲンにて演奏し、このアルバムを作っている。スタン・ゲッツが渾身の演奏をしたことは言うまでもない。
「フーッ! ハー、ナンテ、カナシク、ソシテ、ドウジニ、ナンテ、キヒンアル、エンソウナンダ。ワタシガ、アナキンダッタコロノ、ヤサシイ、キモチガ、コノオンガクヲ、トラエテイル。ソンナ、キモチガ、マダ、ノコッテ、イタナンテ……」
ダースベーダーの心の迷いは、この時点で消えたと言ってもいい。彼はスタン・ゲッツの私生活ではなく、音楽そのものに、彼の本質を見出したのだった。ダークサイドは敗れたのである。
「ほら、私の言った通りだろう」
「ウウッ! スーッ、ハー、ソノコエハ、オビ=ワン・ケノービ!」
「そうさ、私だ」
「オレハ、オマエヲ、ライトセーヴァーデ、サシタハズダ。イキテイタノカ。オマエニモ、ゲッツノ、コノエンソウガ、キコエテ、イルノカ!」
「当然だとも、アナキン君。この演奏は、フォースそのものなんだ。今からでも遅くない。君はダークサイドから足を洗いたまえ」
「ウウッ、スーッ、ハー、アシヲ、アラッテ、ナニヲシロト、イウノダ」
「君が四次元飛行中に見つけた惑星、アースにあるアメリカという国のジャズという音楽が、フォースであったわけだ。だが、アメリカだけじゃない、その惑星アースには、ジャパンという国もあってね。そこでもジャズが盛んらしい」
「スーッ! ハー! ソレハ、ワタシノ、シリョウニハ、ナカッタ、ジョウホウダ」
「そのジャパンのキャピタル、トーキョーでジャズ喫茶でも一緒に経営しないかね、アナキン君。僕らのことは、ジャパンでもとても有名らしいから、そのジャズカフェ、きっと流行ると思うよ」
「スーッ、ハーッ、ソレデハ、ソノミセノナヲ、スーッ、ハーッ、ピープル・タイム、トデモスルカ。スーッ、ハーッ」

「People Time」(ユニバーサル ミュージック)スタン・ゲッツ/ケニー・バロン
「People Time」
スタン・ゲッツとケニー・バロン(P)が、コペンハーゲンのカフェ「モン・マルトル」で演奏した音源を収録したライブ盤。スタンダードの名曲を、ゲッツの甘くロマンティックなテナーサックスと、それにしっとりと絡まるようなバロンの美しいピアノの名演で魅せている。この収録の3カ月後にゲッツは癌で亡くなるため、彼にとって最後のアルバムとなった。
※本アルバムは2枚組だが、この時のライブのすべての演奏を含めた7枚組のアルバムも発売されてい
スタン・ゲッツ(1927-1991)
ユダヤ系ドイツ人移民の両親の元、アメリカで生まれる。1940年後半からクールジャズを代表するサックス奏者として注目されるも、麻薬に溺れ、54年に薬局に押し入り逮捕される。服役後、北欧へ演奏旅行に出かけ、その際に魅せられたスウェーデンに長く留まりジャズから離れた生活を送るが、61年にアメリカに帰国。当時流行っていたボサノバを取り入れ、商業的に成功する。特に63年のアルバム『ゲッツ/ジルベルト』はグラミー賞4部門を独占し、ボサノバを世界的に広めることに貢献した。

第八回マイルス・デイヴィス 「Bye Bye Blackbird」

 一時期はやった昭和の歌番組に、「みんなの歌謡ショー」という番組があった。一時は高視聴率を得て、スポンサーも沢山ついたものだが、ある事件を境に、その番組は、ある時ぷっつりと姿を消してしまった。司会は神谷信太郎。軽妙な喋りと、歌手との間に交わされるある意味珍妙なやり取りが人気を支えていた。
 珍妙なやり取り、といっても、神谷がそれなりに音楽的知識が豊富であったからこそ成せる技であった。神谷は芸能界に入る前に、ジャズトランペッターとしても有名だった。だが、本格的なモダンジャズに固執するだけの力量があったことが裏目に出て、仕事は少なかった。
 そんな神谷が食うや食わずの生活をしているとき、大学の先輩でテレビ局のプロデューサーの里山と、とあるバーで偶然に出会ったことから、神谷は救われ、そして同時に、破滅への道を歩みはじめ、そして新たなる第一歩を踏み出すこととなる。

「ヤー、カミちゃん久しぶり。どうよ最近ラッパのチョウシは?」
「あれ、サトさんですか? ああ、お久しぶりです。サトさんもよくこのバーにいらっしゃるので?」
「いやあ、今晩は仕事仲間に誘われて初めて来たんだけど。なかなかいい店だな。カミちゃん、よく来るの、この店」
「まあ、仕事のない日はよくここで呑んでます」
「毎晩だったりして?」
「へへ、お恥ずかしながら、それ冗談にならないんですよ。最近」
「なによ、カミちゃん、そんなにチョウシよくないの、ズージャの方は」
「曲間のべシャリの方はウケるんですけどね。演奏の方がどうも。自分でもいいセンいってると思うんですが、内容が本物になればなるほど客が離れちゃって。まあ、ここんとこ毎晩ここで呑んでいるという有様で」
「いけないねえ、そりゃあ。カミちゃんには才能あると思うんだけどな」
「ありがとうございます。でも、出すレコードもあまり売れなくて。あれ、オレ酔っぱらって先輩にグチを言ってるみたいですね」
「まあいいから。ねえ、カミちゃん、いい考えがある。実はね、そのカミちゃんのベシャリ、今度始まるテレビの番組でうまいこと使ってみるというのはどうかな。今度新しい雰囲気の歌番組を始めることになってね。考えておいてくれないかね」
 ジャズ業界であろうが芸能界であろうが、こういう話がある、というハナシはほとんどが社交辞令で、大方実現しないものである。神谷もこんな会話には慣れていたので、実際に、このハナシが先に進むとは思っていなかった。だが今回は違っていたのである。
 一週間ほど経ったある日、神谷のもとに里山から電話で連絡があった。
「ああ、カミちゃん、お疲れさまです。今ちょっといい? うん、実はさあ、この前話した新しい番組の件、カミちゃんの司会で行こうということに制作会議でなってさ。けっこう業界人もカミちゃんのライブ聴きに行っていたみたいよ。あのべシャリは使えるって。え? うん、うん、ああ、即答してもらった方がこちらも話が早い。でさあ、早速打ち合わせしたいんだけど、今週空いている日ない? うん、ああ、ちょうど良かった。じゃあ、その日にTテレの一階の喫茶で。ああ、よろしくね」
 神谷が初めて司会を担当した歌謡番組「メロディー・ナンバーワン」は、低視聴率に加え、時間帯も中途半端で、なにやら里山に使い捨てにされた感があったが、そこはそれ、得意のアドリブを交えて面白おかしく番組を進めてゆくうち、神谷の司会が評判となってきた。テレビ番組の制作に、ギャラの安い神谷を起用した里山も、思わぬ効果にしめしめと思い、神谷を使い続けた。
 畢竟、神谷の司会の腕は評判を呼び、人気は上がるばかり。他局からの司会の仕事の引きもあり、神谷は段々本業のジャズトランペッターという仕事から遠ざかっていった。

 それから何年か経って、神谷は売れっ子の司会者として引く手数多となっていた。ギャラも跳ね上がり、ジャズを演奏する時間はもはやなく、複数の局の番組を掛け持ちするまでになっていた。
 特に神谷の司会の手腕は、歌謡番組で発揮された。ジャズの音楽知識をもってすれば、歌謡曲の歌手や、その曲自体に、気の利いたコメントをすることは意外に容易く、そこに少し毒を含んだジョークなどを交えれば、番組自体が盛り上がる。とにかく、その頃の神谷にとってあらゆることが新鮮で、自らが元ジャズトランペッターであることを忘れるに充分な、華やかな世界がそこにはあった。
 勿論、ジャズミュージシャンである頃の収入を大きく上回るカネが転がり込んできたことも言を俟たない。自然の成り行きとして、神谷の私生活も華やかなものとなり、毎晩のように、芸能人御用達のバーやクラブで遊ぶことが多くなっていく。オンナにも不自由せず、毎晩遊び呆ける神谷に里山は、「まあ、オレが見つけた逸材だから」と吹聴して廻る。
 全てがうまく行っている、と神谷は思った。
 しかし、神谷には妻子がおり、彼がジャズトランペッターで食うや食わずの生活をしていたのを支えてきたのも、その妻であった。神谷が段々と芸能界で成功してゆく過程において、妻は喜んで神谷の活動を見守っていたが、毎晩帰りが午前様、下手をすると家を空けるようになってきて、神谷との間が険悪になってゆくのにそんなに時間はかからなかった。一番の理由として、子供の面倒をいっさい見なくなっていた神谷が許せなかった。しかも、その時の神谷には、もう既に何人かの愛人がおり、まったく家には寄り付かなかった。
 そんなある日、昔の演奏仲間が神谷のもとを訪れた。
「カミちゃん、久しぶり。最近すごいね。テレビつけると、いつもカミちゃんが映っているよ。ベシャリも相変わらずだな」
「おお、お前か。久しぶりだなあ。最近どうよ。ジャズクラブ、客は来る?」
「まあ、知っての通りさ。カミちゃんが演奏していた頃と大して変わらないよ。ところでカミちゃん、今もラッパ吹いてる?」
「そんなヒマ無いんだよ。売れたら売れたで視聴率下げられないし。ギャラは良いんだけどね。たまにちょっと触る程度かな」
「カミちゃん、実は今日来たのは頼みがあってさ。カミちゃんの空いている日で良いから、今度一緒に演奏してもらえないかな」
「……」
「いやね、こんなことは言いにくいんだけど、カミちゃんがクラブに出るとなれば、お客さんも呼べるしさ。こっちも、まあ、助かるわけよ」
「……」
「どうかな」
「ああ、うん、まあね、事務所がなんて言うか。今のオレは、自分でスケジュールを決められないんだ」
「だからそこを何とか」
「なあ、はっきり言っとくけど、オレは昔のカミちゃんじゃないんだ。司会をやらせたらどんな番組も盛り上げる、神谷信太郎なの、分かる? 昔のよしみだからって気軽にハイハイ分かりましたとは言えないんだよ!」
「カミちゃん、変わったな」
「ズージャなんてもうやってるヒマじゃないんだよ。お前も変な夢を見てないで、歌謡曲でもやったら!」
「そうかよ。分かったよ。邪魔して悪かったな、カミちゃん」

 後味の悪さがこみ上げてきたのは、この会話が為された数時間後だった。いかに次の新しい番組のことで頭がいっぱいであったとはいえ、昔の仲間にあのような態度を取ってしまった神谷は、複雑な心境であった。
「ペットかあ。長い間吹いてねえなあ」神谷は、いつものバーのカウンターで、ダブルのオンザロックを見つめながら溜め息をついた。「もう少し、言い方変えりゃよかったな」

 神谷の私生活で変化が起きたのは、何も昔の仲間との間柄だけではない。案の定、妻が弁護士を伴って、離婚を申し出てきた。慰謝料は、彼の少なからぬ収入の大半を占めるもので、勿論養育費も含まれる。里山の力を借りることにし、神谷も里山を通して弁護士を雇った。ゴシップを避けるためである。
 離婚話はトントン拍子に進んだ。神山に残ったのは、何人かの愛人と、都内の高級マンション。
 それからというもの、気がついたら、神谷は毎晩浴びるように酒を呑みはじめていた。ズージャがなんだよ、ペットがなんだよ。そんなことにうつつをぬかしていて食えなかったじゃないか――しかし、神谷の心の中には、彼の貧しい生活を必死に支えてくれた元妻のかいがいしい姿がよぎっては消える。また、彼の昔の仲間に吐いた罵詈雑言も、今更になって彼を苦しめていた。
「ケッ、なんだよ、どいつもこいつも。勝手にしやがれってんだ」

 それからしばらくして、また里山から連絡があった。所定の場所で彼に会うと、なぜか落ち着きのなさそうな感じである。
「カミちゃんねえ、もう一つだけレギュラーの番組、担当してもらえないかなあ。『みんなの歌謡ショー』ってタイトルなんだけど。え? ダサイって、タイトルが? うんまあ、オレもそう思うんだけどさあ、プロデューサーだからって、勝手に全部決めるわけにいかないんだよ。あまりにもハイブローなものはウケないの。それにこの番組には、もう一人のプロデューサーが関わっているんだ。歳がオレより上でさあ。だから……そう、そう……分かってる、分かってるって。事務所に言ってくれ、もう手一杯だ、でしょう。だから頼んでるんじゃない。あのさ、今度の番組は生中継でね、それで出演する歌手やバンドが、皆新人なんだよ。これから売り出そうっていうね。こっちもさあ、レコード会社に頭が上がらないところがあるから、断りきれないんだよなあ。まあ、新人だから、テレビ慣れしてないし。そこでカミちゃんがうまいこと仕切ってくれれば、何とかなると思うんだよなあ。えっ? ダメ? それはないでしょう。カミちゃんねえ、今の神谷信太郎を発見したのは誰だかよーく胸に手を当てて考えてごらんなさいって。こんなことねえ、言いたかないけど。ウン、ウン、分かるよそりゃあ、カミちゃんの気持ちだって。やっぱりズージャが忘れられないところもあるんだろ。まあ、まあ、ウン、分かってるって。それを承知で頼んでんだよ。ウン、ウン、だからさあ……そうなんだけど……ああ、だからそれは……」
 結局のところ、里山に押し切られるかたちとなった神谷だが、本当のところを言えば、神谷自身、もうどうでも良くなっている部分も確かにあった。毎晩の飲酒と、無理に作り続けたカメラへのえへら笑いで、彼は心身共に疲れ果てていたのである。

 さて、件の新番組の楽屋で一人、神谷が人の目を盗んでウイスキーなどチビリチビリやっていると、ディレクターが彼を呼びにきた。「神谷さん、本番です」
 神谷は重い腰を上げた。この新番組には最初から気が乗らなかった。今までの歌番組では、歌手やバンドが神谷のところに挨拶に来た。ジャンルはどうあれ、音楽の内容も、苦労を積み重ね、やっと日の目を見ることができたスターのみが有する、ある輝きがあった。
 だが今回の出場者はどうだ。楽屋に挨拶にもこない。打ち合わせの段階で聴いた彼ら新人の音楽は、神谷にとって、ただ叫んだり飛び上がったりしているだけで、何の感興も湧かないものだった。
 神谷が薄々勘づいていたとおり、最初の回の収録は惨憺たるものだった。今までの歌謡番組は、ある面、神谷の好みでない音楽ばかりだったが、そこにはメロディーがあり、リズムがあった。だからこそ、神谷はそれらの音楽や歌手に対して、機転の利いたコメントも言えたし、おちょくることもできたのである。
 しかし、今回の「みんなの歌謡ショー」に用意された新人共は、音楽以外のことでウケを狙っているような連中ばかりだった。音楽の基礎も知らないそこらの若造が、レコード会社に煽てられていい気になっているとしか思えない。そんな雰囲気の中で神谷のベシャリが噛み合う筈もなかった。神谷自身、カメラに向けるえへら笑いを保つのが精一杯の状態だった。
 収録後、駆けつけた行きつけのバーで、意気消沈した。つまり、こんなことやってられっか! である。いくら何でもひどすぎる。神谷自身、自分のべシャリが、成す術もなく空回りしたことも歯がゆかったが、根本的に腹立たしかったのは、こんな音楽的でないものを平気で人前に出す、この業界でなされていること全てであった。
 その日を境に、神谷は更に呑んだくれるようになり、仕事の時間を守らなくなっていった。「みんなの歌謡ショー」の収録が回を増すごとに、神谷は段々酒の入った状態でスタジオ入りするようになっていった。こうなると、神谷の最後の砦であった彼独特のえへら笑いも、瞬間的に反応できた抜群のユーモアも、影を潜めてしまった。神谷は焦った。焦れば焦るほど酒量が増えていった。

 何回目の収録のときだったろうか。気がついたら本番だった。二日酔いの自分自身が、生放送の「みんなの歌謡ショー」でスポットライトを浴びている。もう神谷独特のべシャリもユーモアも、毒を含んだジョークも何も、彼の中には残っていなかった。競演の女性アナウンサーが、必死で番組を成り立たせているのを、ただボーッと見ている神谷自身、既にどう振る舞ってよいのか分からなくなっていた。
 二つの新人バンドが演奏を終えた。神谷が何か言った。どこからも何の反応もなかった。あれっと思っていたら、ガチャガチャする音が聴こえだした。次のバンドが演奏していた。演奏が終わり、女性アナウンサーが必死で何かコメントし、神谷に話を振った。えっ? この音に何か言えっていうこと? バンドの方を振り返ると、キザな格好をした若者が、トランペットを持ってたたずんでいた。
 瞬間、神谷は、「あっ、ペットだ!」と叫んでいた。人工物である「番組」という空間が、その一言で、冷え冷えとした別の空間に変わり果てた。カメラマン、スタッフ一同も凍りついた。
「お、お、お前、いま、歌にからんでペットを吹いてたよな!」完全なるゲシュタルト崩壊を起こした神谷はつかつかとその若者のところに歩み寄って、彼のトランペットを、もぎ取るようにして奪い取った。
「お、お、お前! ペットっていうのはなあ、こうやって吹くんだよ!」何年も本気で吹いたことのないトランペットを唇にあてる。最初は「プスッ」という音が出ただけだった。凍り付いている番組が、更に氷河期を迎えたような感を呈してきた。
「プスッ、プスッ、パ〜ララッ、パパラパパパパピ〜〜!」
 神谷は低音から高音に駆け上がるオブリガードを吹ききった。すばらしいサウンドだった。スタッフを含め、全員が固唾をのんだ。「パッパラ〜ッパッパラ〜パララアラララッ!パッピ〜〜ヤ〜!」そのサウンドには、「みんなの歌謡ショー」には必要のない、全てのサウンドが詰まっていた。
 楽器が鳴りはじめると、神谷は、以前の十八番であった、マイルス・デイヴィスの名演でも名高い、「Bye Bye Blackbird」をソロで吹きはじめた。すばらしい演奏であった。周りの関係者、新人バンドの連中も、その演奏に聴き入った。全ての者が、現在の状況を全く理解できなかったが、神谷のサウンドが本物であることだけは、なぜか理解することができた。
 神谷の演奏が終わって一瞬の間が空いた。皆どう反応してよいか分からなかった。その時、スタジオの扉が開いて、里山が入ってきた。泣きながら拍手をしている。それにつられて、バンドの連中、女性アナウンサー、カメラマン、スタッフ連中が、惜しげもなく神谷に拍手を送りはじめた。何とも素晴らしい光景だったが、番組としてはメチャクチャなことになっていた。

 ふと神谷が我に帰ると、番組収録は途中で打ち切られており、里山が、「みんなの歌謡ショー」のもう一人のプロデューサーに怒鳴りつけられていた。
「だからジャズをやってた奴をこういう世界に引っぱり込むことに、オレは反対したんだよう! ジャズマンはアドリブが利くけど、非常識で、何やらかすか分からない連中だと、あれほど言っただろ! ほれみろ、神谷だって例外じゃない。やってくれちゃったじゃないの。生放送で、しかも歌謡ショーで、本物のジャズを放送して、上層部がオレになんて言うか分かったもんじゃないよ! まあ、演奏はすばらしかったけどさあ……。おい里山、いざとなったらお前にも責任あるんだからな! おぼえとけよ!」
 里山はまだ、突っ立ったまま泣いていた。

 しばらく経って、神谷は、とあるジャズクラブで、彼の十八番である「Bye Bye Blackbird」を吹いていた。
芸能界を放り出されたあと、神谷の身には、孤独と挫折からくる後悔と怠惰な日々が待ち受けていた。だが、トランペットを吹くことだけは、手放せなかったのだ。特にこの「Bye Bye Blackbird」を演奏する時は。思い上がっていた自分をすんなりと受け入れてくれたジャズの仲間達も、彼を第一線に復帰することを助けてくれた。そんな思いを一点に絞りこむようにして吹く彼のトランペットのサウンドには、一層の磨きがかかっていた。
 最初のセットが終わり、神谷はメンバーと楽屋に引っ込んだ。そこには里山の姿があった。
「あら、ジャーマネのサトさん、来るのが遅いじゃないですか。この神谷、毎晩これだけの客を呼んでいますよ」
 実際に、客席は満杯で、立ち見の者もちらほら見える。
「カミちゃんねえ、一回テレビで派手なことやらかしたから、聴きにくる客も多いんだよ。そういう連中は、飽きるのも早い。カミちゃん、何か次の手を打とうよ。実はねえ、こういう話が合ってさあ。えっ? いやだ? まあ、まあ、分かってる、分かってるって。だけどさ、今度の話は……えっ? その話この前したって? 嘘だあ、そうだっけ。だけどねえ、今度の話は……そう、そう、いいでしょ。だからさあ、もうちょっと聞いてよ。だからアレがこうなっちゃってアアなっちゃったのよ、分かる? だから……そう、そうそう。うん、だからあ……」

「Bye Bye Blackbird」
1900年代のニューヨークで活躍した作曲家、レイ・ヘンダーソンが1926年に作曲した楽曲で、作詞家モート・ディクソンによる歌詞には、故郷へと帰る娼婦の心情が歌われている。ジョン・コルトレーンやキース・ジャレットなど様々な著名アーティストによって演奏されているが、マイルス・デイヴィスの第一期クインテッドによって演奏されたものが、モダンジャズを代表する1曲として高く評価されている。

マイルス・デイヴィス(1926-1991)
稀代のジャズトランペッターにして、“モダンジャズの帝王”。激しい即興演奏が特徴的なビバップが全盛の時代に、アルバム『クールの誕生』(1956年)で編曲を重視するクール・ジャズを唱え、ジャズ界に衝撃を与える。以降、ビバップの発展形であるハード・バップから、より自由な旋律のモード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョンなど、時代とともに柔軟かつ先進的に音楽に取り組んだ。

第9回:「Mood Indigo」デューク・エリントン

エリントン公爵

おみくじをひいた美佐子は、一瞬そのおみくじを高々と、まるで太陽を遮るように透かし見て、それからキャッと叫び、僕の方に足早に近づいてきた。
「ねえ、大吉だって。何か良いことあるのかしら」
美佐子のこういう子供っぽさが、僕は好きでたまらなかった。
「ねえ、おみくじの中に大吉って、いったいいくつ入っているのかしら」
「多分君が引いた分だけじゃないかな」
「それだったらなおさら嬉しいわ」
着物姿の美佐子がぼやけて見えるようであった。そんな気分にさせる1944年の5月の初旬、陽の光は、美佐子の姿に反して、神社の木々の影をくっきりと映すほど強かった。
「あら、まぶしそうな目つきをして、お疲れですか?」
「いや、また少し歩かないか」
二人して境内を後にし、どちらともなく歩み始める。
「大尉殿、どちらに行かれるのですか?」
「もうその大尉と僕を呼ぶのは止めておくれ。大東亜戦争はもう終わったんだよ」
「そうね、大尉殿のおかげで、あのミッドウエイ海戦での帝国海軍の勝利から戦況が急転し、我が大日本帝國は、米英の休戦の申し入れに同意した」
「ははは、ラジオの解説者のような喋り方だな。実際僕が乗っていた空母、飛竜の活躍は目覚ましかったよ。テキさんの飛行機を随分落としたものだ」
「またその話? もうよしましょうよ。戦争も一年前に終わっていることだし、帝都東京も空襲に遭わずにすんだわ」
「君が大尉なんて僕のことを呼ぶからいけないんじゃないかね」
「そうね、あなたは今、外務省欧米局一課課長、何だか長い肩書きね」
「僕が飛行機乗りになる前に、帝大の英文科で成績優秀とされたから、再びキナ臭い部署に行かずに済んだということさ」
二人のそぞろ歩きは、吾妻橋から隅田川沿いへと向かい、そよぐ五月の春風に誘われるように、安田財閥の屋敷の方向に道を曲がった。
美佐子が寂しそうにぽつりと言った。「また紐育にいらっしゃることになるのでしょう?」
「ああ、課長と言っても、僕の仕事は、ドイツとの中立地帯となった米国の東海岸における藝術調査だからね。特に音曲が僕の専門だ。歌舞音曲といえども、人身に与える影響は計り知れないからね。軍歌、軍楽隊。欧州はそれらの人民に与える影響を熟知していたと思われる。我が皇軍でさえ、軍歌は重要なものだったのだ」
「でも、心配だわ。中立地帯は中立地帯よ。桑港(サンフランシスコ)や羅府(ロサンゼルス)のような、我が帝國の範疇ではないわ」
「大丈夫、君の父君の阿南中将が紐育(ニューヨーク)の日本街総督府に居られる。それに伯林(ベルリン)から新たに結成された親衛隊も大勢来るのだそうだ。軍事目的ならいざ知らず、僕の目的は、米國の歌舞音曲調査だ。向こうの地下抵抗運動の連中も、僕の行動には目くじらは立てないだろう」
「その調査というのは、もう始まっておりますの? あら、これはお國の秘密事項だったかしら」
「はははは。軍事機密ならそうかもしれないが、歌舞音曲は、我が祖国の為に利用するものだからね。はたして米人共に、そういう音楽をどのくらい許してよいものか、それも調査の基準の内だ……。そうだ、思い出した。来週渡米するにあたって少し調べてみたんだが、どうも大変な音楽家が居るらしい」
「どんな方なんですの」
「黒人なんだが、エリントン公爵という作曲家が居てね。米人の間ではすこぶる人気が高い。ジャズという音楽らしいのだが、これが何とも艶っぽく、それでいて踊りだしたくなるような音曲でね。勿論我が國では敵性音楽として聴けないものだが、レコードの表題が、『デューク・アット・ファーゴ1940』という」
「ファーゴとはどういう意味かしらね」
「僕もまだ調査中だが、米國の田舎にある街の名前らしい。昨日そのレコードを同僚と一緒に聴いたのだがね。その中の『ムード・インディゴ』という曲がすばらしくてねえ」
「まあ、大尉殿、敵性音楽をすばらしいなんて、この美佐子、許しませぬぞ」
「はははは。まあそう怒らんでくれたまえ」
「そのエリントン公爵という作曲家、どんなお人なのかしら」
「これも今調査中だがね、華盛頓(ワシントン)出身だ。出自が裕福だったらしく、最初は音楽をやるか絵を描くか迷ったそうだ。結局は音楽の道に進んだようだね。米國禁酒法時代、つまり西暦千九百二十年代、紐育の下町にある『綿花倶楽部』という寄席に雇われた。経営者は、我が國にもよくあることだが、極道でね」
「アル・カポネなら知っているわ」
気づいてみると、美佐子の目の前にある両國駅の構内に、雑誌売り場があった。
「ねえ、カポネのこと、あそこで調べられないかしら」
「無理だろうね。君はカポネのことをお父上から聞いたのだろう。一般の日本臣民は、情報統制で、カポネなんていう名前すら知らないはずだ。雑誌も当然統制を受けている。でもいい勘をしているぞ。さっき話した『綿花倶楽部』、実はカポネのお膝元、市俄古(シカゴ)の近郊にも、もう一件あるらしい。紐育のそれを真似たのだろうね。蛇の道は蛇さ。兎に角、エリントン公爵は彼の楽団で戦前から『綿花倶楽部』で演奏していたんだ。まあ、この音曲を統制するか、我が臣民に聴かせるか、我々はその判断もしなければいけないのだが。まずはその音楽形態を何と書き著すかだ」
「わたくし、聴いたことが無いので分からないのですけれど、先ほどのあなたの説明から察して、ジャズのジャに蛇という漢字を当てはめるのは、ちょっとかわいそうな気がするわ」
「そうかも知れんな」
「麝香の麝の字はいかがかしら? 何かこう、匂い立つような雰囲気がこの漢字にはあると思うわ」
「なるほど……」
「ジャズのズは、やはり少し格調高くないと、前の字に負けてしまうわね。ず、ず、ず、ず。この音を漢字で探すのは難しいわ」
「そうだな。ううん、なにも『す』に点々で無くてもよいのではないかな。『つ』に点々でも発音は同じだ」
「そうねえ、待って、今考えるわ。つ、つ、つ、づ、づ……。つに点々だと『尽くす』の『つ』しか思い浮かばない。今のあたくしのようね、ウフフフ」
「はははは、ちゃかすなよ。一応仕事ではあるんだから」
「ちょっとまって。あなたさっき、『綿花倶楽部』という寄席と言ったわよね」
「ああ」
「寄席なのだったら、粋なところよね。『粋』という字は『すい』とも読むわ。麝香の香るような粋な音楽、『麝粋』。これどうかしら」
「ジャス、ジャズ、中々いいかもしれない」
美佐子がはっと我に帰ると、気がついたら日が暮れていた。五月とはいえ、夜は少し薄ら寒い。
「ねえ、あなた……」
「ああ、分かっているよ。当分の間、燗酒など飲めなくなる。ぬるいのを一杯やるか」
「飲むとなったら、いつもこの店ね」
「ああ、この『お蔵』は帝大の学生の時から来ている店でね。先勝気分も手伝ってかあれから繁盛して、別館も建てたそうだ」
「あたくしも少し飲んでかまわない?」
「ハイどうぞ、父上には内緒にしておきますよ」
「ねえ、さっきの話の先を続けましょうよ」
「漢字の当てはめっこかい?」
「それもあるけど……なぜかしら、どうして黒人が演奏するところに、わざわざ『綿花倶楽部』なんていう名前を付けたのかしら。あたくし女学校で習いましたのよ。黒人は奴隷時代、日が昇って暮れるまで、綿花摘みをやらされたって。何だかその寄席の名前、当てつけだわ。ひどいわ」
「美佐子、今の時代も、米國では黒人を差別しているのだよ。我々が戦った彼らの言うデモクラシーとやらは、やはり上っ面だけなのさ。どんなイデオローグも平等なんて実現し得ないんだ。だから我々の國策は正しかった。しかしねえ、少し酔いが回ったから話すけれども。これは内緒だよ」
「はい、なにか」
「僕はね、同僚と一緒にエリントン公爵の演奏を聴いたと言っただろう?」
「はい」
「自分自身不思議だったんだが、あの音曲の中には本当のデモクラシーが存在すると直感的に思ったんだ」
「まあ、音曲にもそんな思想性がありますの?」
「言ったじゃないか。軍楽隊を含め、音楽の力は計り知れないって」
「あたくし、聴いてはいないけど、あなたがそう言うなら、きっとその音楽には何かがあるのね」
「そうさ。そして僕はこうも思っている。あの言語でないデモクラシーは、いくら我々当局が取り締まったところで、全てを禁止することはできないし、全ての音楽家に目を光らせることもできない。なにしろ楽器そのものを禁止する理由が逆に見つからないからね」「ねえ、さっきあなたが聴いたエリントン公爵の曲名は、なんていったかしら?」
「『ムード・インディゴ』だよ」
「ムードは分かるけれど、インディゴってなにかしら」
「藍色という意味さ。簡単に言えばね」
「藍色の雰囲気、すてきだわ」
「そうなんだ。こういう風に、自由に感情を刺激するものを統制できると思うかい? 僕はね、ここだけの話なんだが、敵も味方も無く、また黒人や我々大和民族の境も無く、あの音楽を自由に聴ける世界がくればいいと思っているんだ。そうしたら、美佐子、ムード・インディゴをエリントン公爵の楽団に演奏してもらって、一緒に式を挙げよう。あの曲で君と一緒に踊りたいんだ。ゆっくりとね」
「すてきね、藍色の雰囲気の結婚式なんて」
 突然、美佐子のその言葉をかき消すように、上の階から軍歌が聴こえてきた。

「The Duke at Fargo, 1940: Special 60th Anniversary Edition」(Storyville Records)デューク・エリン
「Mood Indigo」
1930年にデューク・エリントンとバーニー・ビガード(C)が作曲し、アーヴィング・ミルズが作詞。エリントンが初めてラジオで流すことを前提にアレンジを施した楽曲であることから、“マイク・トーン(マイク録音のための音)”と言われた。ジャズがダンス音楽として栄えた頃の息吹が感じられる名曲として知られている。
今回紹介するアルバムは、1940年、デューク・エリントン・オーケストラがノースダコタ州ファーゴで11月7日の夜から翌日の早朝にかけて行ったコンサートの音源を、楽団のファンであった2人の青年が私的に録音したものをまとめたもの。現在発売されている音源としては、ファーゴでのコンサートの60周年記念版として2001年に発売されたもの(上記)がある
デューク・エリントン(1899-1974)
優れたジャズピアニストにして、ジャズの歴史に大きくその名を刻む偉大な作曲家、バンド/オーケストラリーダー。1920年代のNY・ハーレムのナイトスポット「コットン・クラブ」の専属として始まったビッグバンド「デューク・エリントン・オーケストラ」を20年以上に亘って牽引。「A列車で行こう」をはじめとする数々の名曲を生み出し、それまで黒人の民俗音楽として捉えられていたジャズを芸術の地位まで高めた。

第十回 ワシとカカア

惚れ合って一緒になった嫁であったが、年月が経つにつれ、人間は変わるものだ。いい方に変わることに超したことはないが、悪い方に変わったら、夫婦関係なんて目も当てられない。
ワシの嫁はもう嫁なんてものじゃなく、単なる性悪なカカアと成り果てた、とワシは思っている。結婚して三十年と少し、子供がないことも原因の一つかもしれないが、ワシのカカアはとにかく、口を開けば人の悪口ばかり言っている。その悪口には当然ワシのことも含まれており、他人の悪口のネタが尽きると、ワシのことをことさら悪く言う。
「ああ、何でこんなロクデナシと結婚しちまったんだろう。稼ぎはない。要領は悪い。会社でもらう仕事も半端なものばかり。これじゃ出世は夢の夢だわね。あら、また煙草の灰を畳みに落とす。誰が掃除してると思ってるんだい!」ワシは黙っている。長年の経験から、いくら正論を説いても、いくら謝っても、このカカアは口だけは達者だ。すぐ丸め込まれてしまう。
 だが不思議と、ワシはこのカカアが嫌いではなかった。勿論好きでもなかったが。何か妙な生き物が同じ屋根の下に同居している、という全く無機質的感覚から来る、何やら不甲斐ない無関心が、多分ワシの心の真ん中に巣食ってしまったのであろう。
「お前がそうまで言うならワシは出てゆく」と啖呵を切ったことも一度もない。ただ、「ああ」だとか、「うん」だとか、否定も肯定もしない、何だか全てのことがどうでもよい以前の精神状態での返事を繰り返している。そういう状況でここ三十年ばかり、このカカアと一緒に暮らしている。
稀につかみ合いの喧嘩をすることはあるが、不思議と相手を傷つけることはない。それはワシが最後の線で手加減しているわけでもないし、カカアの方も手加減している様子はないのだが、なぜか流血沙汰にはならない。不思議なものだ。

ワシの家には離れ家がある。絶対に入るなとカカアに申し付けてある。
離れ家と言っても、庭の端にあった物置小屋を、ワシがそれこそ二十年以上かけて改装したものだ。勿論入り口の鍵はワシしか持っていない。そしてなぜか、あのカカアが、ワシの離れ家に関しては何も言わないばかりか、近づこうともしない。畢竟、話題にも上らない。家の事に関しても、あらゆる事に悪態をつくあのカカアがである。
改装を始めた時、何か言われるかと思っていたが、見て見ぬ振りでもない、まったくその離れ家など庭に無いような態度をとったものだから、ワシはびっくりした。
 さてその離れ家の中は、ワシの好きなジャズのレコードやCDが溢れている。特に誰々のファンだとか、ブルーノートの何番台を集めようとかいうマニアックな気持ちは毛頭無い。少ない小遣をこつこつと貯め、レコード屋などで、あれ、これ面白そうだなあ、なんて感じで買い集めたものばかりである。要するに、ワシはジャズという音楽自体が好きなのであって、特段マニアではないと思っている。そして、買ってきたレコードやCDを、自分が改装した離れ家でじっくりと聴く時が、ワシが全てを忘れられる時なのである。カカアのことも、会社のことも、隣近所のことも。浮き世に存在する全ての面倒くさいことを。
 ステレオセットも、ジャズ喫茶のような高級品とはいかぬまでも、普通の家庭にはまあ無いだろうというぐらいの設備は整えてある。幸い離れ家の回りには民家が無いので、夜中でも好きな音量でジャズが聴けるのだ。
 そう、ジャズが聴きたいだけなのだ。
 今晩はコルトレーンを聴こうとか、誰々を聴こうとか、そういった選び方はしない。プレーヤーで選ぶよりも、その演奏自体の音色で選ぶのだ。誰にも言わないことだが、ワシには音が色になって見える。それも強烈に。だから、強いて言えば、今晩はこんな色が見たいなあ、といった感じで選曲をするのである。そしてその色が、音楽と共にはっきりと見えるのが、何故だかクラシックでもなく、歌謡曲でもない。ジャズでないとワシには見えない。
 特別音楽的環境に育ったわけではないワシが、なぜこういう耳を持ったのか、いまだに不思議であるが、そのことが不思議だからこそ、ジャズにのめり込み、そしてのめり込めばのめり込むほど、いろいろな色が見えてくる。
 まあ、こんなワシは、会社の同僚との付き合いも決していい方ではない。酒は下戸だし、たまに居酒屋などに誘われても、ジャズ以外のことはとんと興味がないので、同僚の輪の中で一人ぽつねんと黙っていることが多い。次第に同僚からは誘われなくなり、上司のお眼鏡にも掛からなくなる。極端に言えば、ワシはただ生きていけるだけの金を稼ぎ、その中から捻出した僅かな金で、ジャズの色を買っているのである。こんな話を同僚にしたところで、変人扱いされるだけと承知している。否、もう既に変人扱いされているのだが。

 そんなある晩、家に帰ってみると、家の中が真っ暗であった。カカアの奴は、周りに人がいなくても、一人で文句をぶつくさ言っているような女である。そんなことにはもう慣れてはいたが、家が暗いのみならず、カカアの声も聞えてこない。久しぶりに「ただいま」と言って玄関を開けると、庭に出るガラス窓が開けっ放しであった。鎧戸も閉まっていない。カカアの奴は、文句ばっかり言う女だが、異常に警戒心が強く、日が暮れれば鎧戸をきっちり閉めてしまうのだが。
 何かおかしいと思いつつ居間に入ると、真っ暗な中にカカアが下を向いてかしこまっている。カカアが文句を言っていない、または何かを喋っていないという状態を、結婚後初めて見たワシは少し驚いた。最近は、以前より更に、夫婦の会話などかけらも無かったのであるが、ワシは声をかけざるを得なくなっていた。
「おい、おい、どうした? おい……」
 返事が無いと言うより、反応がないと言った方が正しい状態だった。
 カカアの肩にそっと触れてみると、そのままその場に身体が崩れた。目は開いているが、何処を見ているのかよく分からない。
「おい、おい、どうした? 何かあったのか?」
 やっとワシの顔をちらりと見たようであった。そしてちょっと口を動かした。何か言いたげである。
「なんだ? どうした、何が言いたいんだ?」耳をそっと彼女の口元に寄せてみたが、何を言っているのか分からない。
 ワシはとにかく、カカアをその場に寝かせ、毛布を被せてから鎧戸を閉め、居間の明かりをつけた。カカアは腕で目を覆う。
「眩しいのか? 調子が悪いんだったら、ほれ、布団敷いてやるから、寝なさい」
ワシは寝室に行ってカカアの布団を出し、いつもの位置に敷いてから、カカアをおぶって布団の上に寝かせてやった。
「おまえ、どうしたんだ……どこか痛いところがあるか」
 カカアはゆっくり顔を横に振る。
「じゃあ、気分が悪いのか。夕飯はどうした?」
 ワシのその声にも、カカアは顔を横に振るだけである。ワシは何だか不安になってきた。あのカカアがこんな状態になることはあり得ない。どこか痛いところが無いというのは本当だろう。痛かったら、身をよじるなり何なりする筈だ。だが気分が悪くないというのは嘘だろう。あのカカアが悪態をつきもせず、いわんや黙っているのだから。
「まあ、そこに寝とれ。今体温計持ってきてやる」
 熱は無かった。ワシには何が起きたのかさっぱり分からなかったが、カカアがうつらうつらし始めたので、台所へ行ってみた。そこには夕食の支度はされておらず、飯びつの蓋が床にころがっていた。ワシは飯びつの中に残っていた冷や飯で茶漬けを食い、カカアの様子を見に行った。カカアの奴は、相変わらずうとうとしている。今晩は、いくらこんなカカアであっても、放っておくわけにはいくまい。ワシは、楽しみにしていた離れ家に行ってジャズを聴くことを諦め、カカアの横に布団を敷いて横になった。こんな夜、医者だって起きてはいまい。脳溢血の症状でもなさそうだ、といろいろと考えていたら、ワシも気づかぬうちに眠っていた。

 次の日の朝、ワシが目を覚ますと、カカアは上体だけ起き上がらせて、庭の木陰をぼうっと見つめている。
 今までの朝の喧噪から、少なくとも今朝だけは静かにしていられると思いつつ、カカアの顔を覗き込む。人の悪口を言う時に、醜く歪んでいたその下唇が、わなわなと震えている。
「おい、朝だぞ。おい。どうした……まだ元気が出ないのか」
 答えは無い。仕様がないので、ワシはその日は欠勤とし、カカアの腕を引っぱって、近くのかかりつけの医者に連れて行った。

 医者は、性悪カカアに何を言われるのかとびくついた顔で我々を診察室に迎え入れたが、カカアを見るや否や、その顔は真剣となった。血圧、体温、その他全て正常。これ以上は大きな病院に行って精密検査を受けなければ、カカアがなぜ豹変したか分からぬとその医者は言う。
「まあ、私は専門ではありませんがね、つまり、奥様が、何と言いますか、非常に活気があるお方だったでしょう。それが一晩のうちに静かになってしまった。まあ、こういうことは言いたくはないですがね、精神科の診療もお勧めしておきますよ」
何を言っていやがる、とワシは思った。あの口汚くて、全てのことに対して文句ばっかり言っていたカカアは元々初めから精神を病んでいたんじゃないのか。とは言え、いくら諦めの外にその存在自体を置いてしまったカカアでも、放っておくわけにはいかなかった。
後日、ワシはまた会社を欠勤し、大学病院の精神科にカカアを連れて行った。

「御主人、奥様は突発的にうつ病を発症されたとしか考えられませんな。その、御主人がおっしゃるように、結婚してからこの方、陽気な方だったわけですよね。それがたった一日で何も喋らなくなった。何か奥様に親族など、突発的なご不幸があったとか」
ワシは笑いを堪えるのがやっとだった。このカカアは親、兄弟、親戚、友人全てから、その己が性格によって絶縁状態であった。近所の人々も怖がって近寄らない。ワシにも全然見当がつかなかった。
「まあ、お薬を出しておきましょう。週一回の診察で、経過を見ましょう。うつ病の方は食欲が無くなるので、少しでもいいですから、御主人が何か食べさせてあげて下さい。また、経過によっては、認知症の疑いも出てくる可能性があります」

こうなってくると、ワシもカカアのことを本格的に面倒を見なければならなくなった。医者が言うには、うつ病患者には、希死念虜というものがあり、突発的に死にたくなるという。認知症となれば、また別のことで面倒を見なければならなくなる。会社に訳を話し、長期休暇をもらって、ワシはこの性悪カカアの面倒を見ざるを得ない状況になってしまった。

ワシにもほとんど友人というものはおらず、カカアに至ってはお話の外なので、自然と、小さい家で二人だけの生活が始まった。
会社なんて、飯を食うためと、中古のジャズのCDやレコードを買う金が必要だから働いていただけで、その職に対し、ワシは何にも興味を持っていなかったから、意外に毎日のんびりと過ごすことができた。しかも、カカアの罵詈雑言も聞えない。
ただ、ワシがカカアのそばに付いていなければならず、離れ家に一人で行くことができないのが少し寂しかった。まあええわい、と自分を納得させ、三度の飯を、料理本を見ながら見よう見まねで調理して、カカアの口の中に押し込む。カカアのあの独特な毒づきも消え、そしてまたジャズの音も、そこから見える色さえも耳から遠のき、ワシは耳の奥が真っ白になってしまったような気がしてならなかった。

そんなこんなで一年経ってしまった。会社はもうクビになっている。ワシは不思議とショックは受けなかった。この静かな毎日がとても貴重に思われたからだ。そして、ワシの意識の範疇の外にいたあのカカアが、最近、少し喋り始めてきたことも、ワシの気分を軽くしていた。
そんなある日の夜、ささやかな料理とともにワシがカカアと晩飯を喰っていたら、カカアが何か一言つぶやいた。
「なんだ、どうした……今なんて言った?」
はっきりは分からないが、同じことを何回も繰り返して言っているようである。
「ワシには聞えん。ちょっとまっとれ」
ワシはカカアに顔を寄せて、もういっぺん言ってみい、という目つきで覗き込んだ。
「あの離れ、あの離れ、離れ家、あなたの……離れ」
ワシは確かにカカアがワシの離れ家のことを言っているのだと咄嗟に判断した。
「なんだ、あの離れ家がどうした……お前には関係なかろう」
「離れ、離れ家」
「なんじゃ、離れ家がどうしたんだ」
「離れ、離れ、な〜に? なーに?」
カカアの言っていることをやっと理解したワシは、当然ドキリとした。カカアが性悪だった時も、その後、自らを閉ざしてしまった後も、カカアは一度としてワシの離れ家のことには触れなかったからだ。
「どうした、お前……離れ家って、あの庭の隅のあれのことか」
「離れ……なーに?……離れ」
「ああ、何にしても、やっと意味の通じる言葉が出たな。しかし何だな。その初めの言葉がワシのあの離れ家のことを言うとは思いもよらなかった。さあ、離れ家が何だ? 中を見たいのか?」
「なーに? なーに?」
「よしよし分かった。今離れ家に連れて行ってやろう。お前はあの中をまだ見たことが無かったんだよな」
夕食もそこそこに、ワシとカカアは狭い庭に出て、薄暗い足下に気をつけながら、離れ家にたどり着いた。
「今鍵を開けるから、待っとれ」
久しぶりに離れ家の中に入ってみると、埃と饐えたような匂いが鼻を突いた。ワシ以外、ここに入る者はいなかったので、全ては前のままであった。古道具屋で買ったランプに明かりを灯し、無意識にステレオセットのスイッチをオンにした。
ワシはカカアを、特等席であるボロいカウチに座らせた。
「なあ、おい、お前、この離れ家の中に入ったのは初めてだろ。ワシがここで何をしていたのか、気にならなかったのか?」
ワシの思った通り、カカアはぼんやり辺りを見回すだけで、何の反応も示さない。
「おい、ワシはなあ、ここでいつも一人でジャズを聴いていたんだよ。お前にジャズなんて言っても、馬の耳に念仏だろうが」
山積みとなっているCDの埃を払いながらワシがもう一度声をかけると、カカアがぼそりとつぶやいた。
「ジャズ……アタシ……聴いてた。離れ……なーに? なーに? 壁の外で……音が聴こえた……」
なぜだか、ワシは急にこみ上げてきた嗚咽に耐えられなくなり、気がついたら、泣きながらカカアを抱きしめていた。
「お前、知ってたのか。ワシの秘密……。なぜ言わなかった、このワシに。なぜあんなもん下らないとか、うるさいとか、お前らしく毒づかなかったんだ?」
カカアはまた無言となり、再度辺りをぼんやりと見回している。とにかくワシは、手近にあったCDを手に取るや、プレーヤーの中に押し込んだ。
「カカア、もう外で寂しく聞耳立てんでも、今晩はゆっくり聴かしてやるから。待っちょれ」
ワシはプレーヤーのスタートボタンを押した。チャーリー・ミンガスのベースソロの音が、その狭い離れ家に充満した。「THE GREAT CONCERT OF CHARLIE MINGUS」だ。ワシのお気に入りの一枚である。カカアはしばらくの間、惚けたような顔をしつつ、ミンガスのベースソロを聴いていたが、突然はっきりとした口調で言った。
「真っ黒な色の中に……透明なシャボン玉がいっぱい」
ワシはこの時ほど度肝を抜かれたことは無かった。ガサツで、文句ばかり言っていたカカアの感性にも、こんな部分があったのか。ワシと同じく、音楽を色で捉える感性が存在していたのか。
「お前にも見えるのか」
「あたし、寂しかった……心が閉じる前、あなたの後を追ってこの離れ屋へ……素敵な音楽……色が見えた。今の演奏は誰?」
「サックスのクリフォード・ジョーダンさ」
「シルクのような、真っ青な空のよう。何のメロディー?」
「ああ、お前の言う通りさ。この曲のタイトルは『Orange Was The Colour of Her Dress, Then Blue Silk』。ワシは英語に疎いんじゃが、何やらベースのミンガスの恋人か誰かが、青いシルクのドレスを着ているといったような意味じゃないかな。とにかく、ワシも同じ色を毎回見ておるよ」
「青色シルク、青色、青色……」
カカアの独り言を聞きながらワシは思った。カカアの奴、偶然かけたミンガスのCDを聴いた瞬間から、語彙が増えたような気がする。それではこれはどうだ。
「カカア、今度かける音楽はなあ、マイルス・デイヴィスという人のトランペットだがな。どんな色が見えるか教えてくれるか」
ワシはカカアにこう問いつつマイルスの「My Funny Valentine」を聴かせてみた。カカアはじっと聞いていたが、「何だか、透明なブルーに混じる黒色。でもさっきの人の黒色の方が好きだわ」
ミンガスのことかと思い、ワシはまた最初にかけたCDをターンテーブルに置いた。
「そうそう、この黒色と、宇宙にまで届くような透明感、これが好き」
ワシはカカアがいつから詩人のような表現ができるようになったのか、少し怪訝に思ったが、カカアの顔に表情が蘇りつつあったので、まあええわい、と思い、一晩中、色々なジャズのCDをカカアに聴かせまくったのであった。

それからというもの、ワシとカカアは、件の離れ家で、毎晩ワシのコレクションの中からランダムにCDをかけて過ごした。
だが、そんなことをずっと続けているような経済的余裕もなかった。カカアの病状にも変化はない。そこでワシは、なけなしの貯金をはたいて、駅のそばに小さな喫茶店を営業することを考えた。喫茶店であれば、カカアをカウンターの端に座らせておけば、何かと心配材料も減るのではと思ったからだ。
だが、水商売などそもそも関わったことすらないし、だいたい、自分の性格が接客業に向いているとも思えない。ええい、そんなことをがたがた言っている暇などワシにはないのだ。そうだ。とにかく良い音楽だけは、そこら辺のチェーンのコーヒー屋より提供できるのではないか。数えきれないほどの枚数のCDがある。ここで大切なのは、ワシの喫茶店を、あえて「ジャズ喫茶」と称さないことが大切だろうと判断した。ごく稀に立ち寄ったことのある、いわゆるジャズ喫茶には、あまり人の出入りがなかったからだ。

そんなこんなで近くの駅前の物件を探しに行ったら、あった、あった。ワシの人生も捨てたもんじゃないと思った。今まで運が良いなんて一回も思ったことなどなかったが、空き倉庫のような場所が一件貸し出されていた。簡単な台所のような設備もあり、家賃も安かったので、すぐに手付金を打ち、喫茶店を開く準備に取りかかった。
開店はそれから六ヶ月以上後のことだった。役所に営業許可を取るのに手間取ったからだ。出来上がったワシの喫茶店は、内装も何もあったもんじゃないむき出しの壁に、簡単なカウンターだけの簡素な作りで、作れるものといったら、コーヒーや紅茶、ココアの類とピザトーストだけである。
だが、皆を心地よくする音楽はふんだんにある。なにしろ、数えきれないほどのCDの中の音楽の色を、ワシは全部憶えているのだから。店の名前は考えるのも面倒くさかったので、「喫茶・WAS SHE?」とした。ただいつもワシは自分のことをワシと呼んでいたからという、他愛もない理由からである。
店は開店し、ワシはいの一番に大好きなジャズのCDを店内に流して過ごすようになった。昼から好きなジャズが聴けるなんて、それだけでもワシにとっては極楽であった。

思いの外、すぐ常連客ができた。コーヒーが美味い店として、また、変わったばあさんが面白くて変なことを言うという、噂自体も妙なものだったが、いずれにせよ偏屈なワシでも、客が来ないより来た方が嬉しかった。
なぜコーヒーが美味いと言われるのか、最初は不思議に感じていたが、考えてみれば、毎晩離れ家でジャズを聴いているとき、これも密かに購入したコーヒーミルでコーヒーを飲んでいたのである。あれだけの年月、毎晩コーヒーを煎れていたのだから、ワシのような朴念仁でも、コーヒーを美味く煎れる、あるポイントを自然に会得していたのかもしれない。
また、カウンターの窓際に座り、ただニヤニヤしているだけのカカアが、突然、「あっ!水色の音!」だの、「真っ黒だけど透明で重い色!」などと言いだすものだから、客達は何事かと周りを見回す。ワシが、いやコイツにはね、音楽が色になって見えるんですよ、などと説明すると、客達は変な冗談としてワシの言葉を受け止め、かかっているジャズにも興味を示さず、新聞を読んだり、ぼんやりし始める。
しばらくすると、常連に加え、中高年の一癖ありそうなオヤジ達もワシの店を根城にし始めた。いわゆる団塊の世代と呼ばれる連中だ。定年退職したが、第二の人生なんてアホらしいとどこかで思っていて、一日中家の中にいると粗大ゴミ扱いを受けているような、そんな連中である。彼らには学生時代にジャズを聴いたという青春の通過点がある。
おっ、良い音楽がかかっているねえ、なんていう客も珍しくもなく、ご近所さん同士の同年輩が、ジャズ談義に花を咲かせることもある。そんなことも幸いし、ワシの店は繁盛したのである。
「おい、マスター、これミンガスじゃないの」
「はいはい、そうですよ。例の二枚組のライブ盤」
「ザ、グレートコンサートオブ、チャールズ・ミンガスだろ。学生時代、よくジャズ喫茶で聴いたもんさ」
「お客さん、よくご存知で……」
「昔はジャズ喫茶に入り浸ったもんだが、ここは音量がジャズ喫茶みたいにうるさくないし、ほら、そこの奥さんが突然面白いこと言うからさ。家にいるより落ちつくんだよな」
「シルクの青色! 透明だけど哀しくて、でも青色!」
「な、ほら始まった。奥さんまるで、音が色になって見えているようだな」
「奥さんなんてそんな言い方はやめて下さい。カカアですよ。ワシはあれを何十年とカカアと呼んできたんです。だからお客さんもカカアと呼んで下さい」
「え、いいの?」
「はい、はい。カカアで結構です」
「あっそう。おーい、そこのカカアさん、今何色が見えるんだ?」
「今の……演奏は……ドルフィーだから、涙が出るような暖色、でも狂ったような灰色がかっている色をしている時もある!」
 ワシは思った。あのカカアに狂ったような色と言われるドルフィーも気の毒だな。
「The great Concert of Charles Mingus」(Verve)
チャールズ・ミンガス
「Orange Was The Colour of Her dress, Then Blue Silk 」
才能豊かな作曲家が金持ちのパトロン女性のために、彼女をイメージした曲を作った。彼女の着ているドレスがオレンジ色だった――というストーリー設定から生まれたチャールズ・ミンガスの曲「Song with Orange」。その曲のイメージをミンガス自身が更に広げ生み出したのが同曲。1964年、ミンガスのクインテッドがヨーロッパツアー中パリで演奏したものが特に評価が高い。
また、南さんと菊地成孔氏によるバージョンが、アルバム「花と水」に収録されている。
チャールズ・ミンガス(1922-1979)
ジャズ・ベーシストであり、作曲家、バンドリーダー。チャーリー・パーカーやバド・パウウェルのバンドでベーシストとしての名を上げ、1956年にアルバム「直立猿人」でベーシストだけでなく、バンドリーダーとしても名声を得る。コード進行に乗せたアドリブを展開するビバップをよりメロディアスに洗練させたハード・バップを軸に、さまざまなスタイルの演奏をこなす。デューク・エリントンを敬愛し、「デュークの継承者」と呼ばれた。人種隔離反対の姿勢でも有名。有能であれば白人でも進んで自分のバンドに迎え入れた。

某月某日―――さて、新しいCD、「Body&Soul」を発売し、拙書「マイ・フーリッシュ・ハート」も発売記念対談を菊地君とやり、その後いくつか仕事をこなしていたら、やっと休みの日がいくつか重なった。部屋の掃除をしながら、一日中ガンガンジャズのCDをかけながら過ごしている。掃除、洗濯がある程度片付くと、モンクを聞きながら、読書をする。今のお気に入りは、
「フロイトのイタリア」(平凡社刊)で、改めてヨーロッパの豊穣さ、ユダヤ人という存在、イタリアという国の地理的な位置、その他考える事が多く、また知る事も多々あり、まあその分自分の無知さ加減を改めて自覚しているのだが、とにかく久しぶりの大ヒットの本である。拙書で僕がうつ病に罹患したことは克明に記したが、精神分析、カウンセリング自体も人間が考えだし、それを症例に則って太の人間に応用しているのだから、人間が思いもつかないような事象というものは、存在しないのである。これから先、目を剥くような、精神疾患に対する有効な手だてが、どこぞの天才精神分析医が考えついたとしても、やはりそれも、人間という生き物の範疇で考えなされていることであって、あとは、イルカと一緒に泳ぐしか方法はあるまい。その精神疾患の大本にたどり着いたフロイトは、
イタリアという地に於いて、ローマの文化、カソリック、そして豊穣な現世利益を同時に体験する。そして己の過去とイタリア体験を、ユダヤ人であるヨーロッパ一の教養を持った男が、いろいろな発見をして行く。
ここで僕は決めたのだ。とにかくイタリアに行こう。
何かの機会を作って。そうすれば、僕の罹患したあの厄介な暗雲の大本が知れるかもしれないではないか。
いずれにせよ、フロイトもビョーキである。鉄道恐怖、
なぜだかローマには中々近づけない。これ以上書くと寝たバレに成るのでやめるが、モンクも自閉症で、ある意味統合失調気味であった。お二人の天才クレージーに、午後の日差しを避けて読書しているこの僕は、
ディレッタントを通り越した、落語の若旦那的である。
ああ、これも面白いなあ、オトッツアンに知れたら大変だけど、ああ、この枕絵も面白い。早く日が暮れないか。早く吉原行ってタレがカキてえ、なんていう世離れ加減と同じだからである。こういう行いが、僕の休日なのである。誰かモンクある?