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Read the diary backnumber 某月某日 昨晩は,新しいトリオのCDのミキシングを終えたところだ。メンバーは前回と同じ、鈴木正人 (B)芳垣安洋(DS)という布陣で,二年程前に出した一枚目とくらべ,バンドサウンドが固まった 感が有る。各々が自由だが,決まる時には決まるという,アレンジという範疇を超えた長年の演奏経 験から出てくる、いわゆる「あらよっと」が演奏に横溢している。発売は3月末ということで,これ からジャケットの写真などを選ぶ算段となる。演奏した曲は,ワザと今は証さぬが,ジョージ・ガー シュイン、チャーリー・ミンガスなどの誰もが聴いたことのあるメロディーを選んで演奏している。 詳細はまたこのウエブにて.。 某月某日 徒然伊豆紀行 レコーディングも終わり,連載している「EN-TAXI」(扶桑社)の締め切りも先で,年末からずっと 休んでいなかったので、一区切りつける為,近間の温泉にでも行ってみようかという気になった。最 近不気味な地震が群発している伊豆の方は空いているだろうと思い,少し探したら,手ごろな旅館が あったのでそこに宿を決め,JR踊り子号に飛び乗った。身銭を切って交通機関に乗るのは何年ぶりだ ろうか。我々ミュージシャンにとって旅イコールツアーであり,交通費、その他を演奏を要請した側 が全部準備することとなっている。畢竟,自ら切符を買うということが,とても不思議に思えた。踊 り子号の車内はすいており,窓から放り投げたくなるようなうるさい子供などもおらず,東京駅で 買ったクロワッサンとサンドイッチを食べながら,ワインの小瓶を少々あおる。熱海までは,見覚え のある、グロテスクな色とデザインの、なんだか存在自体が中途半端なマンション群が,見え隠れし ていたが,熱海をすぎると車窓から海が見えた。海洋民族である筈の僕なのに,海なんてずっと見て いなかった。それだけ東京という磁場が,僕をひきつけるのであろうが,岸壁に打ち寄せる波は,勿 論,気温,風速,温度に比例して、ただ単に岸壁に打ち寄せているだけであり,そこが自然のダイナ ミクスさの原点なのかしらと思っていたら,車内の売り子がやってきた。どうせ川端先生の作品の名 を借りて踊り子号なんて名前つけているのだから,売り子にも着物を着せて,「ハハ〜お弁にお酒に 甘いもの、お酒のつ〜ま〜みもありんすよ〜!」などと妙な踊りなどして車内を行き来すれば売り上 げ倍増ではないか。実際は、売り言葉も皆様もよく知っているありきたりのもので,僕は至極残念で あった。さて熱海をすぎると,電車の速度がいきなりのろくなって,名も知らぬ駅に停車したりし始 めた。よく外を見ると単線で、駅で上り列車を待たないと出発できない模様。ツアーの時は新幹線, 飛行機,車なので,少しジリジリとしたが,なあに,夜演奏する予定などなく、焦ってもしょうがな いと思いを新たにした。まあ,そんな田舎ではないのに単線とは、と思っていたら,目的地,伊豆高 原駅に着いた。電車を下りたら,今にも崖から飛び降りそうな哀しげな表情をしている、僕より顔色 の悪い年増。後はチンピラ風情二人しか下車しなかった。ま,言ってみれば僕も、鳥打ち帽をかぶ り,茶色いレザーのジャンパーを着ているうので,香具師、宿無しと周りの人に思われてもしょうが あるまい。改札を出て,タクシーに乗る。 宿の名を言うと,あそこら辺は別荘地と隠れ家的旅館が多いとのことであった。「あの、運転手さ ん,海まで徒歩20分とこの宿のパンフレットに書いてありますが,どうも電車の車窓から見た景色 では,20分では行けないような気がしますが,本当は何分くらいかかりますか。」運転手さんの答 えは40分だという。案の定,旅館,宿のパンフレット類には,景勝地までの距離を短縮して書いて あるものだと思っていたら,急な坂道を上がり下りして、宿に着いてしまった。宿の前に痩せぎす の、僕よりも顔色の悪い支配人風情が僕の来るのを玄関先で待っていてくれた。顔色の悪い人を見る のはこれで二度目だ。部屋に案内してくれる時も,その支配人風情,慇懃無礼な雰囲気は微塵もな く,内風呂は24時間使用可能で,食事は午後6時からだという説明をしながら,何か必要な者は有り ますかと聞く。僕はその支配人風情にちり紙で包んだ3千円程を渡し、「土地感がないので,まあ, よろしく頼みます。」と言うと,「当旅館のシステムではこのようなチップを受け取りことは禁じら れております。」と言う。「まあ、いいから,誰も見てないんだし,とっといてよ。」無理矢理チッ プを手渡し,彼が部屋から出ていくのを見計らって,浴衣と丹前に着替え,まず畳みの上に大の字と なる。 信じられないことに,不眠症である僕に眠気がおそってきたが,ここで寝てしまうと,夜眠れなくな ると思い,着たばかりの浴衣と丹前を0,5秒で脱ぎ捨て,障子を開け,パンツを脱ぎ,脳溢血,心臓 マヒ,何でもござれだと内風呂に飛び込んだ。運良く湯加減はちょうど良く,部屋のテラスにある内 風呂から,始めて外の景色を見た。雑木林の間に間に海が見える。少し風が強いのか,表面が銀色に 波打っている。冬の空気が温泉の温度と相まって気持ちいい。頭と身体を洗い,また風呂に入って, ぼんやり冬景を眺めていると,もう既にに三日逗留しているような気分になってくる。風呂から上が り,浴衣をはだけて,冷蔵庫から缶ビールを出し、のどの渇きを癒していたら,また畳の上に大の字 となった。何やら体内から,疲れの澱のようなものが抜けていくのがよく分かる。アメリカ留学以 来,冬場もシャワーで済ましてしまう僕にとって,この温泉効果は抜群だなあなどと思っていたら、 不覚にも眠ってしまった。どのくらい寝たのだろうか,電話の音で目が覚めた。夕飯の仕度ができた ので,階下に来いという御達し。階段を下りてみると,仲居さんが部屋に案内してくれた。僕は泊ま り客皆で食道のようなところで食べるのかと思っていたが然に非らず。食事をするところも,畳敷き の落ちついた個室にて,何かと仲居さんが面倒を見てくれる。この宿は,不倫旅行にはもってこいで はないか。たしかに泊まり客は少なく,時期外れということもあるが,宿泊中,他の客を一度も見な かった。旅館側の配慮もあろう。なんだかこの宿のシステム自体が淫猥である。 飯を喰い終わり,自室に戻り,また一風呂浴びてから何となくテレビをつけてみた。ハイチ大地震の ことを採り上げていた。地震国日本も人ごとではないにも関わらず,僕は今,腹一杯で,あふれんば かりの水をたたえた湯殿がそばにある。当地では,水,食料が不足し,皆が救援物資を奪い合ってい る。人間とは何と不公平なのか。地震を起したのは僕じゃないから、あまり罪悪感は感じない。しか し、一方では,畳の上で寝転がっている僕がいる。一方では,腹が減って死にそうだと叫んでいる 人々がいる。要するに世の中こういう具合にできているのである。たとえ,僕の中のヒューマニズム を最大にし、現地へ乗込んで行ったって,足手まといになるのは目に見えている。しかも、僕が行く ということは,一食分メシが余計に必要になるということで,テレビに向って,募金するから勘弁し てねと,心の中で謝った。 後、チャンネルを回してみても、政治スキャンダルだの何だの禍々しい内容しかやっていないので、 テレビを消し,もう一度入浴。大体普段のイライラから解放されたくて伊豆まで来たのだから,ただ 外の木立を眺めながら身体を休めようとした。大体まだ午後の9時過ぎである。演奏の仕事なら,今 本番の真っ最中ということで、身体の仕組みがそう出来てしまっているらしく,何となく手持ち無沙 汰だ。しかし,逆に,僕は今回,ただの旅行社だと自分自身に言い聞かせ,ぼんやりと風呂に入って いたら,湯あたりした。冷水で身を清め,浴衣に着替え,こんな時間に寝たことないけど寝てしまえ と思って布団に入ったら、睡眠導入剤もなく眠りにつけた。 ふと気がつくと,木立の間に間に見える空が薄明るい。ちょうど東雲の時間か。ゆっくりと空の色の 変化を眺めていたら,段々空の一角がオレンジ色になって来た。ご来光だ。部屋の向きがラッキー だったのか。すかさず浴衣を脱ぎ,風呂にドボン。ゆっくりと日の出を待つ。どうして明け方の太陽 というものは,直視できるのであろうか。そのとてつもなくでかい線香花火の先は,ぐんぐんと空に 上がってくる。僕は風呂の中で,自分の幸運を想い,思わず手を合わせてしまった。お天道様.これ からも僕を良き道に導いてください。いつから太陽神信仰がこの身に根付いたか分からねど,どうし ても手を合わせたくなってしまうような,そんなご光来だった。 明け方に風呂に入るということになれていなかったので,身体を拭きそのまま爆睡。気がついたら電 話が鳴っている。朝食の用意ができましたという。階下に下り,レセプションにてこのあたりの地図 をもらい,朝食を食べながら地図を眺めた。ここまで来たのだからやはり海を見たい。どうも、城ヶ 崎海岸沿いにハイキングコースがあるらしく,吊り橋,灯台などもその行程に含まれている。折角こ こまでやって来たのだから,少し歩くこととす。朝食を終え着替えて,レセプションにてタクシーを 呼んでもらう。タクシーに乗ってみると,急勾配の細い道をくねくねと海の方へ下りて行く。これが 徒歩なら,行きはヨイヨイ帰りは恐いというところであった。この急勾配を登って宿まで歩く自信な し。 「運転手さん,ハイキングコースの最後には何が有るんですか。」「海洋公園ちゅうのがあってね え,まあ,そこまで,海の景色を見ながらハイキングを楽しんでください。」運転手さんは標準語を しゃべっているが,その端々のイントネーションには静岡なまりがあった。僕の母の方の祖母は静岡 出身なので,子供の頃会いにいった親戚筋の顔が頭をよぎった。余計なことを考えていると,タク シーから降ろされた。「ハイキングコースといってもねえ,足下悪いから気をつけてね。お客さ ん。」吊り橋は10分ぐらい歩いたところにあった。絶景である。峨峨たる岩の固まりに海の波がく だけ散っていた。吊り橋の真ん中辺りから太平洋を一望する。天気はいいのだが,乱気流のようなも のが身体を刺し貫く。かぶっている鳥打ち帽が風邪に持って行かれそうになる。しかしあまり深くか ぶると視野が狭くなり,景色自体を堪能できない。とにかく吊り橋を渡り、ハイキングコースへと入 る。当初,少し舗装されて道が開けているとお思ったらさにあらん。道のそこかしこに,うねうねと した木の根が土の中からでたり入ったりしており,峨峨たる岩の一部だろうか.とんがった岩が道の そこかしこに頭を出している。これがハイキングというものかと思い,少しずつ歩き出した。左側に 広がる海の絶景に気をとられているとつまずきそうになるし,鳥打ち帽は片手で押さえていないと、 風の力で飛ばされそうになる。絶景をちらちら見ながら,風に翻弄され,デコボコの道を進んで行 く。道の行程には,柵もしていない絶壁が何度も姿を現し,岸壁の上の木に寄っかかって激しい海の 潮流などをぼーっと眺めた。我が国は,当然のことながら島国なのだなと思った。30分も歩いたろ うか。段々道が平坦になり,植物公園というハイキングコースの終わりにたどり着いた。そこは日本 でどこにでもよくある、焼きそばやらラーメン屋を売っている俗な場所であったが,平坦な道を歩け るだけ、ありがたいというものだ。ああ、眺めは良かったが,とんでもない目にあったと、近くの店 でソフトクリームを求め,舐めていると,そこはバスのターミナルでもあり,伊東行きのバスも出て いる。伊東?そうだ。僕の愛する坂口安吾が一時住んでいたところである。作家,坂口安吾の文学館 などあれば是比見に行きたい。早速携帯にて,伊東市の番号を調べ電話をしてみた。電話に出た女性 は,観光課につなぐという。胸を高まらせ,観光課の女性と電話で話した。しかし、残念ながら,当 時安吾が住んでいた家はもう取り壊され,ゆかりの地もほとんど残っていないという。映画,「カン ゾウ先生」の碑はあるが,それならば、案内するという。何を言ってイヤガル!そんなもん見たって しょうがないじゃないか。さほどに今日の日本では,ヨーロッパと違い,いやったらしい資本主義が 横行しているということである。安吾の住処一軒残すのに,そんなにカネがかかるのであろうか。い わんや、その建物に,彼の自筆の原稿や,当時の写真など飾れば,伊東市の一つの文化になるではな いか。ああ、やめたやめた。こういうことを考えるからイライラするうのだ。僕は今身体を休めに来 ているのだ。坂口安吾の言葉は,僕の心の中にしまっとけばいいや。安吾自身,そんな場所は好きで はなかろう。 その植物公園から,宿に近い停留所を割り出し,一旦宿にもどる。一風呂浴びると,どうしても喉が 乾く。宿の冷蔵庫の飲み物は割高だから,コンヴィニエンスに行って,水,お茶,ポカリ、ビールな どを買いに行くこととす。レセプションで道順を聞き、急勾配の道を上がっていったら、案の定,支 配人風情が言った「15分で付きますよ。」というのが大嘘と分かってきた。国道を右へと言われた のでので、その通りにしたら,行けども行けどもコンヴィニエンスストアはない。国道135語号線 か,信号が少ないだけに、ものすごいスピードで飛ばして行く。いずれにせよ,行けども行けども, コンヴィニエンスストアーなど,道筋にはない。だがしかし,あの支配人風情の言ったことを信じる しかなく,20分近く歩き続けたら,ミニストップの看板んが先の方に見えた。15分どころじゃな い。もう30分も歩いている。 やっとたどり着いたミニストップで,水,お茶,ポカリ,缶ビールなどを買って帰途につく。今度は 荷物の分だけ身体が重い。しかもミニストップの前には,横断歩道なく,道を横切るのに難儀した。 こちらが一生懸命手を振っても、止まってくれる車は皆無で,こうなったら,車が途絶えるのを待と うという気になったが,そうなればそうなったで,車のライトの渦が数珠つなぎで、なかなか道を渡 れない。もう夜もとっぷりふけて,周りは真っ暗。しょうがないから,車が途絶えるのを10分ばか り待ったが,その兆候無し。しょうがないので,国道の真ん中で大の字となる。しかし、自動車ども は不気味なクラクションを鳴らして通り過ぎるのみ。その内,奇跡的とも言える,両車線の車の列が ぷつっとぎれた。いまだと半射程に反対方向へダッシュし,ことなきを得た。国道からそれ,宿の方 に曲がってみると,そこは外灯もない漆黒の闇につつまれた急勾配の下り坂で、前が見えない。携帯 の明かりで足下を照らし,ゆるゆると歩いていたら,前方に懐中電灯が輪を描いている。そこに向っ てそろそろ歩いて行くと,件の支配人風情であった。宿からだいぶ遠いところまで迎えに来てくれて いる。最初の鼻薬が効いたかなと思いつつ,帰還。部屋でビールを呑んでいたら,夕食の準備が整い ましたという電話。階下に下りてみると,やはり密室状態の畳の上で,仲居さんが食事の準備を進め てくれる。しかし、こちとら、慣れないハイキングとやらに行き,水を買うにも小一時間歩いている ので,眠くてしょうがない。「これは何々のお造りになっております。これは今日上がった金目の何 とかで、何だラカーダラ。」僕は眠気の為に仲居さんお説明する料理のねたなど全然聞いてないで, とにかく目の前にある喰いものからガツガツ喰いだし,デザートが出る時点では,その畳の間に横に なってしまった。「あらあらお客さんお疲れのようで」「無作法をお許し願いたい。」「いいんです よ.くつろいで行ってください。」 自室に戻り,もう一回入浴す。食事中はあんなに疲れていたのに,風呂に入ったら腹が減って来てし まった。大体,ちまちまとした献立を少しずつ出すから、眠くもなり,後で腹が減るということにも なるのであろうが,やることがないので、無理矢理就寝。ふと気付くと,昨夜とお同じ東雲時に目が 覚めた。その日は少し曇り空で,ご光来は見えなかったが,風呂に入る。二泊三日。今日はもう既に 帰る日である。二泊三日が調度良い。これ以上ぼんやりしても東京に帰ってからの仕事に支障を来た すであろうから。 夜明け中風呂につかってから,朝飯を喰い,簡単な荷造りをして,宿代を精算し,タクシーを呼んで もらう。タクシーは五分でやって来た。行き先は宿の者が既に告げているらしく,タクシーは静かに 滑り出した。 駅で踊り子号を待つこと20分程度,空いた車内に乗込む。横濱を過ぎた辺りから,以前の仕事モー ドに、脳内が戻り始めた。最終的に僕を本格的な仕事モードに引っ張り込んだのは,有楽町から銀座 を望む晴海通りを車窓から見た時である。西に仕事に行く時はいつもそうだ。この街で生まれだ。と いうささやかなる展望が僕の身体を突き抜ける。 家に帰ってみたら、ポストには書類の山。さあ、どこから手を付けようか。 某月某日 本日新しいトリオの録音を終了しました。正月以後,レッスンも休んで,練習に集中しようと思って いたのですが、道半ば腱鞘炎と成りまして,流石の僕も少し焦りました。腱鞘炎を治すには,手を使 わないことが一番の治療法なので,今回録音すると決めた譜面を見ながら,想像と妄想の間を行った り来たりしていました。手の調子が良くなったのは、録音5日前で,手の動かなかった時の,妄想, 想像が鍵盤上に一気に噴き出し,これはこれでジブンでコントロールするのが大変でした。昨日今日 と銀座の某所のスタジオに我がメンバー、芳垣安洋氏と鈴木正人氏とこもりまして、ああだこうだ演 奏してみました。両者とも,僕の抽象的な欲求を難なく受け入れ,まるでライブ演奏をしているよう な気分でピアノが弾けました。そして、おお、スタインウエイ。何という楽器でしょうか。ドミソと 弾いても,オーヴァートーン、つまり倍音がきれいに響くので,テンション入りヴォイシング等不必 要になってしまうような優れた楽器でした。ピアニストはそこにある楽器と折り合いをつけなければ ならない楽器ですが,僕に取ってスタジオに用意されていた楽器は、折り合いをつけるという範疇の 楽器ではなく、古女房がいきなりプレイメートに変身したかのような,そんな違いにみちていまし た。新しいトリオの情報は逐次報告しますので期待していてください。 某月某日 今晩の僕はヤケッパチです。1960年代の高度成長期から今に至るまで,どうして日本は借金まみれ なんでしょうか。何故本当の豊かさを得られないのか。一般の方々が馬車馬のように戦後働いてきた のに,何故我が国の借金は減らないんでしょうか。人口600万程度のデンマークは,税金は高いけれ ど,生まれてから死ぬまで一銭もかかりません。プラス,色々な種類の芸術基金があって,アーティ ストの暮らしを支えている。資源も喰いものもない我が国ですが,衣食住以外のこと、つまり芸術の 分野で何が起きているか知るべきことが,本当の豊かさなのではないでしょうか。音楽もその一部で あり、耳の肥えたお客さんが大勢いることは、こちらの励みに成ります。ボヤイてしまいました。 某月某日 皆様,明けましておめでとうございます。今年が皆様に取って良い年になりますよう。自分として は,やっと新年まで漕ぎ着けたというところでしょうか。去年の師走の時期から,僕はセンセイでは ないから走らないぞと心に決めていたのですが,雑用,演奏多々あり、気がついたら風邪をひいてい たりで,気がつけば師走の波に足を取られ、もがいている状態になってしまいました。12月18日に 横濱のクラブ,ドルフィーで、ヴォーカルの与世山澄子さんと一緒に演奏して、音楽による信じられ ないようなパワーを頂けたことが,そのあと,年末に僕が踏ん張れた一因だと信じて疑いません。偶 然帰りの車が一緒だったので,少し酔っていた僕は、与世山さんに対し,車中にて,素人みたいな 音楽の質問を連発してしまい,恥ずかしい限りです。曰く,そのお年まで,どうやって音楽に対して そんなに真摯で,前向きでいられるのか,とか,そういうたぐいのアホな質問です。しかしエレガン トな与世山さんは,嫌な顔一つせず,真っ正直にこちらの質問に答えてくれました。僕が一目会った ときから,この人はエンジェルだと思ったことが間違いではなかったと知った夜でした。 そのパワーの余波が消え入らぬうちに,青山スパイラルで,24,25日の両日,ピアノソロの仕事を しました。ピアノが非常に良かった為,音響とか,ダイナミクス,普段自分の家でも練習できない それらの音を中心に即興演奏をしました。たまにクリスマスソングを挟んだりしましたが,天上高 く,倍音は鳴り,微妙なタッチで音のコントロールができるピアノなんて,早々ジャズクラブでは, お目にかかれません。楽しき二日間でした。そして年末迫る27日,「晴れたら空に豆まいて」とい うクラブで,ダブルトリオにて,ピアノを弾きました。対バンは昔の生徒。ずいぶん上手くなったな あと思うと共に,こちらも、鈴木正人,芳垣安洋という布陣で,仕事納めをバシッと決めて,後は打 ち合せだの来年の仕事の準備などしていたら、新年に成ったという次第。 さあ,話は今年に入ります。1月はそう演奏の仕事は多くありませんが,13日,中目黒、楽屋に於い て,HIROSHI MINAMI TRIOで演奏します。実は,このトリオの二枚目のレコーディングが決定して おり、レコーディングは,このライブの後すぐ行われます。ですから、かっこよく言えば楽屋の演奏 は,肩ならしであり,おカネをもらっていることを承知で実行する、レコーディングに於いての可能 性を探す壮大なるゲネプロでもあるのです。その緊張感を如何に演出できるかが,このライブの醍醐 味と言えましょう。 近日中に,スケジュールの欄も更新します。なんだかんだ活動していると、なんだかんだ形になって 行くもので,今でさえ不思議に思いますが,この不況の折、僕は音楽活動を始めたときから,ズッ と不況です。自著「白鍵と黒鍵の間に」(小学館)に詳しく書いた,バブルの頃の銀座の時期は差し 引いて、ずっと不況なので,金銭のことに関しては,あまり大騒ぎをしていません。いわんや、今ま でミュージシャンをやっていて,知りあい,仲間,噂を含めてミュージシャンが飢え似んだという話 は一回も聞いたことがありません。 脈絡のない文章になってしまいましたが,要するに,今年もどうかよろしくお願い致します。 某月某日 昨夜は明け方まで文章を書いており,気がついたら雀チュンチュンの時間になったので寝て,午後大 切なミーティングに行ったのですが,目は半開き,ロクな会話もできず,しかも相手の言っているこ とを一生懸命聞いているのがやっとで,アメリカ映画のような,スカッとした出で立ちで,ナイスな スマイルをたたえ、こちらを売り込みつつジョークをはなつという、資本主義本来の姿からほど遠い 僕でした。なにやってんだイッタイ!と自分を責めてみても事既に遅し。僕なんかの仕事は,自分で 仕事のネタを作り,売り込みやら何やらに奔走し,やっと生きているという種族ですが,そこに亀裂 が入っては元も子もない。ですからそのバランスが崩れること自体に気をつけなければいけないの に,本日の体たらくは,あまり褒められたものではありません。 明け方までなにを書いていたのかというと,「ぴあクラシック」という雑誌に連載を持ちました。短 い文章ですが,だからこそ書くのが難しい。興味のある方は読んでみてください。季刊誌で,CD ショップや楽器店、音楽大学などで手に取ることができます、もう一つは,リトルモアの発行してい る季刊誌,「真夜中」に,夢に関して書きました。発売は,来年1月22日ということです。勿論扶桑 社刊「EN-TAXI」に六本線の五線紙というタイトルで,何やら書いております。二足のわらじとはよ く言ったもので,これは渦中の人間しかわからないと思いますが.文章を書くのも楽しく,また。ピ アノの練習,作曲、クラブギグなども楽しく,要するに自分自身ワケが分かりません。客観的な違い を言えば,ピアノを演奏するということは,今日明日練習したからといってできることではありませ ん。ある程度弾けるようになるには長い年月がかかります。翻って文筆というものは,小学校でアイ ウエオを習えば,少なくとも,手紙やラブレター、その他にも書くということは誰もができることな のです。余談ですが,先進国で文盲率が極めて少ないのはニホンだそうです。楽器を演奏すること, 文章を書くことには,確たる違いがあるのです。よろしければ,僕の文章を読んで,感想なり送って ください.こちらの世界ではまだペーペーなので。 最近肌寒いですね。 某月某日 僕の冬眠中に、政権交代やら、例によって目を覆いたくなるような残虐な事件が多発しておりまし て,以前は,まあ、一億三千万もこの狭い島国に住んでいるんだから,色々な性癖,又は生い立ちの 人も居るだろうと,静観していましたが,昨今の事件は,そこいらを歩いている,兄ちゃん,姉ちゃ ん,オジさん,おばさんによって引き起こされてい,段々他人事としてボーッとしている段階ではな くなっている模様。かといってこの国では個人が武装することは禁じられているので、わけの分から ん奴とは知り合いにならないのが得策としておきましょう。 日記を書かず,冬眠しているあいだに世も変わりました。まあ,政権交代しても相変わらず金の問題 が耳目を集めているようです。僕は鳩山首相をかばうつもりもありませんし,いわんやこのサイトで 何を書こうが,政界にはなんの影響もないと思うのですが,いいじゃないか,貧乏人が,金集めだけ で政治をやっていることにくらべれば。ついでに妾の三人ぐらいかこって、私生活がデタラメだっ て,決断と実行力が備わっていれば,少なくとも僕は納得します。あのトシで女三人ぐらい面倒を見 るということは,知力,体力ともに抜群の素養があるということだから。あまりこまいことでマスコ ミも騒がずにほっといてあげればいいのに。まあそうなるとマスコミもメシの食上げですな。 ということで、師走が近付いてきました.先生も走り回るからこの言葉がデキタのでしょうが、多分 全国の小学校に、廊下を走るのはやめましょう,という標語が掲げられているような気がします。 先生も走れずじまいで,さぞや大変でしょう。僕は今,年末を忙しくしないという計画を立てており ます。いずれにえよボウフラの身,外食だのみの僕には,年末から新年にかけて、店が全てしまると いう難儀もありますが、食いつなぐことは容易で,周りの人が右往左往しているのを見ながら,ま あ、オレなりの師走,年末を過ごそうと思う次第。察するに,ニホン人は年末を忙しくすることが好 きなのではないかと思います。ということは,全ての会社,その他組織と呼ばれる団体は,多分年末 迄仕事を繰り越しているのでしょう。決算ということもあるでしょうが。忘年会シーズンといわれま すが,本当に,今年のことが忘れられるのでしょうか。イスラエルは,元ナチのアイヒマンをつかま える為,あらゆる情報を網羅して,1960年代に彼をつかまえました。イスラエルに忘年会がないこ とは少なくとも確かです。 さて,音楽に話題を戻せば,12月18日(金)我が尊敬する与世山澄子(VO)さんが,横濱DOLPHYで 歌います、布陣は、安ヶ川大樹(B)津上研太(SAX)松山修(DS)という現在のジャズを語る上で の重鎮を集めてみました。与世山さのお場合,出演という言葉より,降臨されるという言葉の方が似 合っている気がします。沖縄在住の彼女,あまり聴く機会がないと思いますが,是比ドルフィーへ。 店の周りの雰囲気も,港未来駅周辺からくらべると,とても昭和な雰囲気です。場所自体,老舗のク ラブだけあって,独特の雰囲気です。ご来場をお待ちしております。 また,12月27日に,自己のトリオで演奏します。場所は,代官山「晴れたら空に豆まいて」に於い て,元生徒のトリオとタイマンならぬ対バンで演奏しますので,http://www.mameromantic.com/ こちらも、大入りを期待しています。 某月某日 あー皆さん,ずいぶん長い間日記を書きませんでした。冬眠から目覚めた気分です.多分八月の上旬からでしょう。こういう日記は毎日書いてこそ意味性、連続性の中に何かしらの価値があるというこ とは充分承知しておりますが,思いと行動は別物であって,怠けてしまいました。まあ、演奏の仕事 と,文章を書く仕事は、滞りなくこなしているので,そこら辺を鑑みて許して頂きたく思います。扶 桑社刊、「EN-TAXI」という雑誌,季刊ながらも文字数が多いので,書くことは楽しいのですが,以 前のように,ふと日記を書くという気になるという頻度で書けるようなものではないのです。悪い言 い訳ですが。今発売されている「EN-TAXI」には、僕がアメリカから日本に帰って来た後のスッタモ ンダをあれやこれやを書き記しています。興味のある方は読んでみてください。その他,本を二冊出 しただけにも関わらず,単発で,色々な雑誌からエッセイの依頼などあり,嬉しいことです.今迄の 文章がなかったら他人に僕の筆の癖は伝わらなかったでしょうから。それだからこそ逆に,日記とい う自由な空間に文字を書くきっかけが掴めなかったのも,様々なところに文章を載せる機会があった ここと自体が影響していたのかも知れません.ご了承ください。音楽の方面では,大先輩である松風 鉱一(sax)吉野弘志(B)と,「ZEKATSUMAAKUSTIK TRIO LINDENBAUM SESSHON]」 TSUDIO WEE ,SW409が、発売されております。乞うご期待。 某月某日 前回の日記にも,ニュース番組では、ろくでもない事を採り上げていると書いた。これはニュース番 組が悪いのではなく,起る事件の民度が低すぎる為,こちらが辟易としてテレビのスイッチを切って しまうのが理由である。なにも,ニュース番組自体が悪いわけではない。ただ、目を覆いたくなるよ うな、アホな出来事が,政治,社会に多い事は否めない事実だろう。アナウンサーの人達も,表情ひ とつ変えずに,人間の杜撰な行いを報じているが,あれも一つのテクニックが必要な気がする。僕 だったら,「血だらけで、倒れていました。」なんていうこと一言いうのに相当時間がかかってしま う筈だからだ。そういうニュースの中で,宇宙開発に関する情報は,何とかこの地上で一息抜ける話 題だろう。ニホン人の宇宙飛行士が閉鎖された空間でがんばっているのだから大したものだ。 しかし、無重力という世界で,我々の煩悩の元である、食慾、睡眠慾,性慾などが,化学実験に比べ て、基本的におろそかになってしまっているような気がしてしょうがない。新薬の開発。新しい食べ 物の模索といった事はそれなりに重要だが,禅の坊主を無重力状態で無の境地にしたら脳波がどう変 化するのかとか,そういう事を調べる余裕は無いのだろうか。特に無重力状態で、男女が、「目合 (マグハヒ)」したらいったいどうなるかという事も,堂々と研究してはどうか。 「今晩は。エヌ・ハー・カー、七時のニュースです。ニホン時間今夜六時,老田さんが、同宇宙船勤 務の24歳の金髪美人,リー・アンダーソンさんと,人類初めての無重力状態でのマグハヒに成功し ました。今,お二人は四十八手の中の一手である「帆掛け茶臼」という状態で,微妙な角度で360 度マグハヒながら無重力の中,まわっているようです。これは宇宙史上初めての事として、モザイク 無くお届けします。ウ〜ン、老田さん、気持ち良さそうですねえ。ア,失礼しました。今日は解説委 員に、この手の事に詳しい鬼団七さんに来て頂きました。鬼さん,二人のマグハヒ状態はいかがです かねえ。」「うむ、無重力の中で回転しておって,さぞかし気もちええ筈じゃ。あや?白人女が上に なりおったわ。これは「騎乗位」じゃ。さすがアングロサクソン,攻撃心が強い。しかし「騎乗位」 といっても、どっちが上でどっちが下なんじゃろうか。宇宙では。しかしなあ、宇宙船の中は,ロウ ソクは真っすぐ垂れるんじゃろうか。」「無重力の場合,真っすぐというのは難しい意見ですね。し かし、裸の火は、他のものに燃え移って、危険なんじゃないでしょうか。」「それはエヌ・ハー・ カーのお人よ。人間のエロスを知らぬ上の意見じゃ。どんなに危険であろうとも、男女というもの は,快楽(ケラク)の為には命もいらなくなるものでのう。人間というものは業が深いものよ。」 「ア,老田さん、ロープを出して,アンダーソンさんを縛り始めましたねえ。」「あの縛り方はまっ たくの素人じゃが,重力が無いところで,どうやって女を吊るすのじゃ。吊るすには重力が必要な筈 じゃろう。」「私にも分かりません。」「おっ、一応白人女をつり下げたヨウじゃな。な,何と,船 内ロボットアームで女を嬲リ初めおったわ。」「老田さんはロボットアームの操作にかけてはピカイ チですからね。」「う〜む、すごいのう,細かいところによく手が届いておる,ウオッ、画像が切れ た。どうしたんじゃ!」「何かアクシデントが起ったようです。」 こんなニュース番組見られれば,ゆっくり寝られるんだけどなあ。 某月某日 過日,僕の連載を載せて頂いている雑誌,「EN-TAXI」のVOL 4の原稿を書き終えたばかりである。 この雑誌,恐ろしいことに,主筆が文藝評論家の福田和也氏であり,責任編集が,坪口祐三氏,リ リー・フランキー氏である。下手な事は書けまい。季刊ながら内容充実し,読む人にとっては読みが いのある内容満載である。特に,今回の号は,「特集」江藤淳、没後十年,『批判の明滅、批評家の 命脈』が主なタイトルであって,こんな事,僕に分かるわけない。分かるわけないクセして,「六本 線の五線紙」というエッセイを連載させて頂いている。福田氏から,アメリカから我が国に帰った後 の事を文章にせよという命を受け,とにかく何だか書きまくっている次第。大丈夫かミナミヒロシ? 特に,今月号の表紙を見ると,石原慎太郎氏の上に僕の名がある。再度、大丈夫なのか?ミナミヒ シ? 実は,拙書「鍵盤上のU.S.A.」を書くにあたって,いつも頭から離れなかったのは,江藤淳先生の名 著の一つ,「アメリカと私」だった。こんな事を書いては怒る方もあろうかと思うが本当なんだから しょうがない。拙書を書いているとき,いつも意識していた。だが、前回の日記の南博先生と同じ く、江藤淳先生も碩学の士である。慶応義塾大学文学科を卒業後,ロックフェラー財団の研究員とし て米国プリンストン大学に留学。プリンストン大学東洋学科で日本史を教えた。めくるめく英語力と 言わざるを得ない。とにかく,半端ではない。銀行で口座が開けなかった僕とは比べものにならない が,時代は違えど,やはり,江藤先生の吸っていた空気が、本で読んだ通り僕にとってもアメリのそ れであった。 それは僕がアメリかに始めて行って分かった事だが。著書によれば,生活になじむまでの四苦八 苦が記されている。碩学の士でも,アメリカに行けば,四苦八苦するのである。いわんや僕もがな。 勿論格は違えど。それだけアメリカの社会というものが,ニホン人の感性に,特出して違っているい ると言うことだけはいえよう。 次号の「EN-TAXI」のネタは,1998年,北京国際ジャズフェスティバルに参加した時のあれやこれ やを書きまくった。今は只ただ,次号のメインのイシューが、とんでもなく高級でない事を望むのみ である。 某月某日 時々,自分に関しての数多の人々のブログをチェックしているが,中に,僕を心理学者であり,一橋 大学社会学部教授であらせられた同姓同名の南博氏と勘違いしておられる方がたまに居ますので,こ こに訂正しておきます。心理学者である南博氏は、1940年、京都帝国大学文学部哲学科を卒業さ れ,後、アメリカのコーネル大学大学院に留学された戦前からの碩学であり,僕との共通点は,名前 が同じ事,アメリカ留学した事のみである。アメリカ留学といっても,僕はTOIFLなど何の試験も受 けずにアメリカに出立した事は,拙書「白鍵と黒鍵の間に」に書き記した。だいたい,戦前とはい え,オレナンカに,京都大学に入る学力も教養も無いし,しかも戦前に於いて、コーネル大学大学院 に於いてPh.D取得と彼の履歴には書いてある。だが僕は,Ph.Dの意味さえ分からない。何かの健康 食品の、ゴマだか魚の良い成分なのかなぐらいにしか思えない。氏は以後戦中塗炭の苦しみを舐め、 帰国後は多くの本を著した大先生である。僕が同姓同名だからといって混同されては,南博先生は草 葉の陰から涙している事だろう。僕はいまだ同性同名の人間には一人しか会った事は無いが,どうか 皆さん,心理学者の南博先生と混同するのはやめてください。オレは一介のミュージシャンにすぎま せん。しかし、オレのオヤジは一体なにを考えてたんだか、、、、、、。 某月某日 ニホン人である事がイヤになる事ばかり世の中で起っている。特に政治の世界がそうだが,この事に 触れると,気が狂いそうになるので書く事は自粛。また、なぜか理由は分からねど,親殺しのニュー スがテレビを見ると必ずといっていいほど報道されているので,テレビのニュースを見るのもイヤ だ。極端な意見かもしれないが,ニホン人で良かったと思えるのは,歌舞伎を鑑賞する事と,落語を 聴く事だけなのではないだろうか。この二つの文化は,如何に日本語が堪能な外国人でも分からぬ 我々ニホン人のみに理解できる素晴らしい芸術、そして特権だと思う。近日中、三遊亭圓生のDVD が発売される。47、880円という高値だが,ディスク12枚という大盤振る舞いの内容。勿論僕は, 新宿紀伊国屋に予約をしているので,発売日である9月2日が楽しみでしょうがない。圓生の落語 は,その語りも一流である事は言うまでもないが,その噺に付随する所作が,何とも魅力的だ。これ はDVDでしか見られない貴重な記録であると思う。そう、所作である。明治から真にニホン人で あった圓生は,ニホン人の所作,驚きの表現,もみ手をして相手にものを頼むときの笑顔,女を演じ る時必ず着物の裾を少し持ち上げる色っぽさ,今までそれはCDでは分かりかねた事ばかりなので, 映像にて,圓生の噺しを見聞きできる事は,我々が戦争によって忘れ去った、市井の江戸,東京の 人々の生活というものを,その所作から感じ取る事ができるだろう。特に,DVDの中の演目の中で 映像着きで見てみたいのが,「妾馬」「浮き世床」「鰍沢」「中村仲蔵」「らくだ」などである。噺 は知っていても,その高座の中での彼の所作をじっくりと見て,僕もニホン人として、何か忘れては ならない事を取り戻そうという、何やら切羽詰まった心情が,このDVDの中にうごめいているので はないか。落語は、ただ単に面白い噺を聴き,笑うというそんなビールの泡のみを呑むような代物で はないと僕は信じている。羽織を脱ぐタイミング,喉を湿す為に呑む茶碗の持ち方,全てが魅力に満 ちあふれている。早く9月2日が来ないかな。 某月某日 あまりの暑さに倦怠感が続く。皆同じ条件でこの夏を生きているのであろうが,それこさ、体力気 力,人それぞれである。肉体労働者が,熱波にやられないこともあれば,冷房のきいた病院で亡くな る方もある。千差万別、老少不定。こんな季節に,8月9日,渋谷公園通りにある「公園通りクラ シックス」に於いて,久しぶりに我がバンド,「GO THERE!」の演奏をする。詳しくは以下の通 り。 http://www.radio-zipangu.com/koendori/ メンバーはおなじみの,水谷浩章(B)竹野昌邦(SAX)芳垣安洋(DS)という、自分で言うのも なんだが,贅沢極まりない布陣だ。特に,水谷,芳垣氏共々,大友良英氏のグループで、ヨーロッパ を何度も巡回した仲であり,竹野氏に至っては,スタジオミュージシャンとして,ビッグバンドのメ ンバーとして,その他数々の、いわゆる場数を踏んだ強者であるし,こう書いてくると,リーダーの 僕が一番ひ弱に見えてしまうのが哀しいい限りだが、場所は違えど,新宿ピットインに於いて,ほぼ 十年の間,このメンバーで造り上げてきたサウンドであるから,聴く人に何かは届けられるバンドだ と自負している。特に今回は,いつものピットインではなく,「公園通りクラシックス」という場所 である。アコウスティックなジャズというものは、その演奏する場所の音の反響,つまりは天井の高 さや床の材料、建てつけまでもがサウンドに影響してくるものであるから,普段と違う場所で演奏さ れる「GO THERE!」は、更に我々ヴェテランの強者の耳と技を、普段とまったく違うものにしてし まうのではないか,という意味で聴き所いっぱいである。芳垣氏がドラムを叩けば,そこがどこであ ろうと,こちらはとにかく良い意味で全力投球をしいられること必須。クラブのサイズも大きからず 狭からずで,新宿ピットインの常連の方々を含め,あそことはまた別な「何か」を間近で見られると いう得点が、今回の我々の使命であり,聴く側の醍醐味でもある。また更に、「GO THERE!」とい うバンドの魅力を引き立てるよいチャンスと、メンバー共々,虎視眈々と、8月9日を睨んでいる。 曜日は日曜日,開演は19時30分。さあ、来れかし我がバンドの祭典へ。真夏の夜の夢はシェークス ピアのみではないことを、視覚ではなく,聴覚をもって体験されたし、、、、、、ああ、オレも暑さ でだんだん頭が狂ってきたな。 某月某日 相変わらず雑務多く,おまけに毎日暑いので辟易としている。昨日も、あまりの雑務の多さに音をあ げ,たまには旨いものでも喰おうと、我が住まいから少し離れたうまい蕎麦屋に行く。蕎麦屋に入れ ば,まず精進揚げでも肴に日本酒が呑みたくなるのが人情というものである。特にこの蕎麦屋は揚げ 物も格別に旨い。酒はぬる燗でと思ったが,あまりにも世間が暑いので,あまり好きではない冷酒と 精進揚げをまず頼む。さくさくという歯触りと冷酒を楽しんでから,その店の看板メニュー、ぶっか け蕎麦をあっという間に食べてしまった。蕎麦とは何と偉大な喰いものなのか。空きっ腹だったゆ え、そんなに量は呑まなかったが,酒が僕の頭を直撃し,少しふらついた。いわゆる,良い加減とい う奴だ。蕎麦屋に長居は無用。さっと喰ってさっと外に出るのがまた蕎麦の味のうちであるから, 早々に勘定を済ませ,外に出た。エアコンの効いた蕎麦屋にいたせいか、また、冷酒を呑んだという 身体がそう感じさせるのか、夕時なのに、蕎麦屋に来る時より外気をより暑く感じた。うまい蕎麦を 食った満足感までもが浸食されるようなその湿気の多さに、更に辟易としながら我が住まいの方角に 向って歩いていたら、なにやらそこら中に人だかりができており,各自思い思いに,携帯で空の写真 を取っている。何ごとかと思い僕も空を見上げてみたら,何とそこには,今まで見たこともない美し い虹が空に架かっていた。酔眼の我がマナコに,溶け入るような透明な色々。思わず僕も立ち止まっ てその虹に見入ってしまった。まさに、The arch of the rainbowという表現がぴったりの,くっき りと美しく,優美なその姿は,この下界の不快な湿気をよそに,ものすごく神々しくさえもあった。 東京で虹が見られるなんてなあ。僕は自分の携帯で写真を撮る方法が,機械音痴で分からぬゆえ,他 の人のように写真を撮るのはやめにして,我が家の方向に向かって歩き出した。幸い,ビルの間か ら,我が家への道すがら,ずっと虹を見ながら歩くことができた。虹にも寿命がある筈で,消え入る 前に我が家にたどり着こうと思い立ち,少し早足に歩いた。部屋のソファーにもたれかかった後も, 目の中の残像に,美しい虹の姿がくっきりと残っていた。俗に,地震、雷,火事、オヤジという。 火事、オヤジは人災だが、地震,雷は天災である。いくら都会に住んでいたって,否,都会に住んで いるからこそ,そういった自然の脅威には脆弱であるといえよう。しかし、たまには,一銭も払わず とも、自然の素晴らしさを都会の中で味わえる瞬間もあるのだなと、雑務で疲労した脳が少し緩んだ 気がした。 某月某日 はたまた雑用多く,長い間日記の更新まで手が回らなかった。昨夜,やっとのことで一段落、なんて してないのだが,大ファンである中村吉右衛門演ずる「鬼平犯科帳」をフジテレビでやっていたの で,無理矢理色んなことを停止状態にして見た。うむ、やはり歌舞伎役者がテレビの時代劇に出る と,画面が引き締まるなあ。僕は勿論のこと,池波正太郎先生のファンでもあるから,もう本当に楽 しい時間を過ごさせてもらった。しかし、吉右衛門,いいなああ,男惚れをするほどいい。演技がう まいなんてもんじゃない。やはり歌舞伎で養った所作は画面を通り越してこちらの感性を撃つ。厳し くも情あり,頭よく誰からも尊敬され,男のカガミではないか。番組が終わったので素早くテレビを 消す。その後のがちゃがちゃした番組に余韻を持ってかれるのがイヤだったから。久しぶりに,いい 時代劇を見たという思いの後から,そうか、東銀座の歌舞伎座も,もうそろそろ姿を消すんだなあと 思いつき、哀しき気分となり,そのあと仕事が手につかなくなった。ここで,あの銀座の歌舞伎座に まつわる思い出を書き連ねると,長くなるので却下。元々銀座とは僕にとって思いで深き土地であ り,拙書「白鍵と黒鍵の間に」(小学館刊)に書いたごとく,一時は毎日のように行っていた場所 だ。しかし銀座の思い出は,僕の三歳ぐらいの記憶にまつわるものから始まるものであり、そういっ た記憶の総体の中に,歌舞伎座も含まれるのだから,あの建物が無くなる事自体,脳味噌の縮む思い だ。元々オヤジの事務所も銀座にあったし,銀座は僕にとっての特等席であり,そこには歌舞伎座は 無くてはならないものなのだが。あの建物は,空襲によて一旦焼け,昭和24年頃立て替えられたも のであるにしても,やはり銀座のシンボルとして残してもらえないものだろうか。正しく世の趨勢に は逆らえないのかな。 某月某日 またも、わけの分からない夏がやってきそうだ。どうもこのところ,僕が子供の頃過ごした夏という 季節とは,なんだか塩梅が違うのは,やはり温暖化というもののせいなのだろうか。しかし、どんな 夏の季節でも、我が街代官山にウタを歌いに,7月15日,「晴れたら空に豆まいて」というクラブに 於いて,わざわざ沖縄からウタを歌いにいらっしゃるお方がおられる。その名も与世山澄子さん。沖 縄のみならず,日本を代表する歌姫様である。 2005年8月,僕は初めて沖縄の地を踏み,彼女とレコーディングした。「インターリュード」 (Tuff Beats)というCDを制作するためだ。那覇にある与世山さんの店,「インターリュード」で 始めて彼女に会ったとき,瞬間的に,あっ、この人は天使だと思った。理屈なんかない。無理矢理理 屈を述べるとするならば,たとえどんなに良い人間にも,その人物が持つ独特の臭みや,弱点がある ものだが,与世山さんには少なくとも,そういうものを僕に感じさせない何かがあった。瞬間的に天 使だと思ったのは、その人物像のみならず,もちろん彼女のウタう歌の中にも充分感じ取れるもの だったからだ。その思いは,演奏する機会が多くなればなるほど,確信になり,積み重なってゆき, それだからこそ、CD,「INTERLUDE」に彼女のことを天使だと書き記した。その歌声は,良い意味 で,常規を逸している。天使が舞い降りるとき,それは日々の日常とは決定的に違う違う何か素晴ら しいことが起きることを意味しているのだろうが,与世山さんの歌声は,まさにそのとおり良い意味 で常規を逸しており,彼女はその場に居るというよりも,ウタを歌うため,どこかしら,僕の知らな い場所から降臨してきたとしか思えない、そんな気さえしてくる、なんだかものすごいウタを歌う方 である。 天使に履歴書など有る筈もないが,生身の与世山さんの生きてきた過程を見るに,これも半端ではな い。1940年、八重山小浜島に生まれ,16歳でプロデビューし,1957年,ボブ・ホープとレス・ブ ラウン楽団と共演とある。ボブ・ホープとの共演は別の意味での賞賛に値するが,彼女は,ドリス・ デイの大ヒット曲,「センチメンタルジャーニー」を伴奏した楽団をバックに17歳にしてウタ歌っ ていたことになる。モンスーン気候の,湿気の多いあの沖縄列島から,なぜあのようなジャズヴォー カルの天使が降臨したのであろうか。いずれにせよ尋常ではない。 沖縄には,与世山さんのような存在が生まいでる何かがあるに違いない。元々,琉球王国は,女性が 神官として登用されていたらしい。カンダーリ、つまり「神がかり」となった女性は,修行を積み, 神と交信できるウタという、一種イタコのような存在になるという。普段天使のような,そしてまる で少女のような与世山さんが、一旦ウタを歌いだすと,大袈裟ではなく,その神との交信を,音楽を 通して我々に伝えようとしている瞬間を,僕は彼女の後で伴奏しながら何度も経験した。彼女はジャ ズという音楽を通して,歌っているその音楽の中で,トランス状態となり,普段ボクラには感じられ ない大切な何かを伝えようとしているのではないだろうか。 また,彼女は1940年、八重山小浜島で生まれたと書いた。終戦の年は5歳だったということだ。それ からの与世山さんは、よく考えて見れば,アメリカ人だったのである。沖縄が日本に返還される 1972年5月15日(奇しくも僕の誕生日)まで。そのとき彼女は32歳だった筈で,国籍上,いきなり ニホン人となった。しかし,僕が訪れた彼女の店の壁には、アメリカ人のビッグバンドの前で熱唱す る与世山さんの写真が沢山飾ってあった。ということは,彼女は,その感性や才能を花開かせた時期 とは,やはり、「アメリカ人」としての時ではなかったのではないだろうか。 その後与世山さんは,1984年,1985年と続けて,かのビリー・ホリデーの長年の伴奏者であったピ アニスト,マル・ウヲルドロンとの共演を果たしている。天使の所行でる。 今年の夏はまた,ある意味残酷で,節操のない世の流れと汗にまみれ,過ぎていくことになるのだろ う。そんなこの東京の夏の7月15日,与世山さんはわざわざ沖縄から,天使の身のこなしで、我々に 沖縄の神の声を,ジャズという語法に依って届けにきてくれる。 共演するミュージシャンも,僕を含め、安ヵ川大樹(B), 津上研太(SAX),松山修(ds)という文 句無しのメンバーである。 世瀬山さんの歌を聴く時,僕の頭の中のイメージには,何か壮大なる星空が浮かんでくることが多々 ある。夏の夜に,皆さん、与世山さんと僕のピアノを聴きにきませんか。お問い合わせは,代官山 「晴れたら空に豆まいて」http://www.mameromantic.com/まで。 ご来場をお待ちしております。 某月某日 昨今の政治のニュースをテレビで見ていると,さすがの僕も感情的になる。頭にくる。今まで極力, この公の場で政治と宗教の話は書かないよう努めてきたが,もう限界である。日本の政治家は根本的 に使い物にならぬ。まあ、これ以上のことを書くことは差し控えるが,たとえば100件のメールに依 る要求があるならば,しかもその全員が,僕のCDか本を買った方のみに(苦笑)、こちらの怒りの 矛先を文章にし、間近に迫った総選挙について,こちらの意見を滔々と述べることとする。もうこの ままじゃ日本はダメだ。メシ喰う事に心配がない奴が政治やってもダメだ! なあんてね,冗談ですよ。江戸庶民は御上のやることを笑い話にして,川柳で遊んだりして,本気で 腹を立てる奴をバカにしたそうだ。粋じゃないってね。僕もその心境を見習いたいですな。着流しで 朝風呂なんか入って,その足でちょっとした飲み屋で昼から酒飲んで,二階の席から行き交う江戸庶 民をぼんやり眺めながら,「よ、オツな柳腰の女がいるじゃあねえか。あんな女としっぽりと濡れた いもんだね。しかしまあ、御上も何を考えているんだか。皆目見当がつかねえ世の中だな。まあ、 こっちはこっちで,好きにやるさね。」なんて態度で,昼から湯豆腐つついたりして。 「よう、源公ジャねえか。昼からオツに湯豆腐とは一本とられたね。大工仕事の方はどうなっちまっ たんだ。」「どうもこうもあるかよ,こんな世の中,真面目に働けって方が無理な相談だあね。どう だい熊公、おめえも一杯やんねえか。」「ありがてえ。それでは一杯ゴチになるか。」「おうおう 入った入った。こちとら一人でさっきからチビチビやってはいたんだが,ダチ公がいれば、はなしに 花が咲くってモンさ。」「なんだかどうやらイナカ侍が公方様に近づいて、なんだかやらかそうって 話じゃねえか。その裏には上方のえれえ侍が,後から,糸を引いてるとか何とか、江戸中その話でも ちきりだぜ。」「まあまあ、いいじゃねえか、御上のやることにいちいち腹立ててちゃあ,こっちの 身がもたねえよお。おーい、おチョウシのおかわり持ってきておくれ!」「源公まだ呑むのかよ,ま だお天道様は真上だぜ。」「けっ、知ったことかよ。こんな世の中で,メシのタネに困らねえ奴ら が、庶民のことも忘れていきり立ってるんだぜ。」「ちげえねえ。」「だからさあ,たまにはこうし て朝風呂でも浴びて,ちびりちびりヤルってえのも,まあ,お天道様のバチは当たるメエ、とな。」 「源公よう,もしかしたら,バチが当たるのは,御上の方だったりして,な。」「あははははは、チ ゲエネエ,チゲエネエ、しかしあの顔のひんまがった殿様にはもううんざりだあね。」「そのことな んだがよ,どうも近々とんでもないことが起るって噂だぜ。」「ほう。」「どうも殿中ではギョロ目 の老中と呼ばれてるオサムレエが、なんだか謀反を起こす気なんだって。」「まあまあいいじゃねえ か,勝手にやらしときゃあ。こちとらたまにこうしてほれ,昼から湯豆腐つついて酒飲んで,へらへ らやってたって,なんのオトガメも無いんだから,こちとらそれで、おっと、だんだんいい塩梅に なってきやがった。こう来なくっちゃいけねえ、熊公、おめえももっと呑め。」「へへ、呑むなと言 われたって,アタシャ呑みますよ。」「どうでいこれから,コッチの方,冷やかしにいってみる か。」「よう、熊サン、そう来なくっちゃいけねえよ,別にそんなにピンと小指を立てる必要はね え。」 ペリーが来る20年ぐらい前の江戸時代に生まれるというのも,あながち悪いことではなかったであ ろう。虫歯になっては大変だが。 某月某日 友人の持っているカメラ,RICOH,GR,DIGITAL をいじっているあいだに無性に欲しくなってきて, 通販にて購入してしまった。またも余計な散財であるが,説明書を読みながら,ああでもない,こう でもないといじっていると、日々の喧騒を忘れ,気がまぎれる。ダッチワイフならぬ,大人のオモ チャである。このカメラによって良い写真を撮りたいという気持ちは充分あるが,一昔前, CONTAXのカメラを二台持っていたが,ろくな写真が撮れなかったので,売っぱらってしまった。 今回も同じく,あまり期待せず,ただ撮りたい時に撮りたいものを撮れるようになればいいと思う次 第だ。問題は,説明書という文体が、僕の頭に入ってこないことで,これもいじりながら何とかする しかない。まあ、忙しい中,このぐらいの遊びがあってもよいだろう。 某月某日 雑用や,日々の生活をコントロールできぬことを、また書いてみたところで,今まで散々この日記 に 於いて,そのような状態を書き記してきたので,今が午前4時半であり,眠気はあるが睡眠状態にな れないといったことは,珍しくもないであろう。ご存知のとおり,一日は24時間だが,まずいこと に,この時間、つまり午前3時から5時の間は,とても過ごしやすい。僕は吸血鬼ではないが,心情 的には近いものがあるのかもしれない。この無茶苦茶な世の中で,生きていること自体不思議なの に,この午前の時間帯には,携帯電話もかかってこない。電話もかけられない。つまり全てが静かな 時間なのだ。意外と思われるかもしれぬが,「静かな時間」とは非常に得難いモーメントであって, 誰ひとり僕をかまうでもない。つまり,一人暮らしの効能と,弱点が同時に表出するのがこの時間帯 なのである。孤独に,一人でものを考えていれば,大方、心配事の方が頭の中を一杯にする。誰かに 相談できるわけではないので,自分で、そのわけの分からない不安と闘い,あるいは一時,自分自身 に停戦を申し入れ,やりくりするし、あるいは,真正面から,その不安の要素を徹底的に自分自身を 論破するしかない。この夜中から朝にかけての時間にしか,そのような自己分析の時間は得られな い。かといって,毎晩そんなことをしていたら,これまた何らかの脳味噌に於ける障害になるのであ ろうが。お日様という存在は素晴らしい。だが,この世には,勿論のこと,影の部分が我々の見える ところ,また見えないところで跋扈しているのである。有頂天外になったつもりが,その事象に依っ て,意気沮喪となってしまう場合もある。美輪明宏氏がおっしゃるように、この世はプラマイゼロに 出来上がっているのであろう。 さて、コンヴィニエンスに行って,ビールでも呑もう。 某月某日 昨日は,以下の日記に書いたとおり,下高井戸,BLUE-Tにてトリオで演奏。ありがたいことにフル ハウスだった。演奏前,雑多な用事があり、部屋の中を行き来している間にクラブへ行く時間とな る。せわしない。結局,起きてから一口もなにも食べずにBLUE-Tに向う。こういった事は間々ある ので胃の腑が慣れてしまったせいか、あまり食欲というものがわかぬ。しかし、クラブに到着した 後,体を動かしたせいか、空腹を感ず。だが,サウンドチェックがてらトリオのメンバーと合わせた い曲がいくつかあり,それをこなしているうちに演奏時間となってしまう。さあ、胃の腑の底になに も入っていないミュージシャンが,どんな演奏をするのか,聴いてもらおうではないかという勢いにて 演奏開始。演奏が始まってしまえば,空腹感など感じている暇なく,鈴木氏,芳垣氏の繰り出すサウ ンドに耳を傾けつつ,頭のてっぺんから足の先までをくにゃくにゃにしながら鍵盤と対峙。しかし腰 だけは,びしっと決まっていなければ良い演奏ができず,御多分にもれず,腰痛は僕の持病だ。自画 自賛ながら演奏はすこぶる調子が良かった。自分の心臓の心拍数と、ドラマーのビートが合うとき, 不思議な一体感が生まれる。BLUE-Tのピアノは生音なので,モニターからの音ではなく,ピアノの 生音を聴きながら演奏する仕儀となる。ベースもドラムも同じ環境で演奏するので,お互いが聴きあ うという観点が、モニターなどがあるクラブとは違ったものになるのはあたりまえである。いずれに せよ,久しぶりに思いの丈を鍵盤を通して表現する事ができた。元々ジャズは,こういうこじんまり した場所で発生したものなのではないかと,つくずくと思ったりもした。メンバーが、もうワシこの バンドヤーンピと宣うまで,この3人でトリオを続けるつもりだ。演奏が終わったら,さすがに空腹 でふらふらだった。 某月某日 とあるつてがありまして,歴史ある雑誌「暮らしの手帖」に随筆を書くこととなりました。6−7月号 40です。何と僕の随筆の前のページは,週刊文春5月28日号の書評欄で,「今週の必読」に、僕の拙 書「鍵盤上のU.S.A.」を採り上げてくださった川本三郎氏です。暮らしの手帖に随筆を書いている 時,週間文春に、このような記事が載るとは夢にも思っておらず,何やら恐縮する次第なのですが, 困ったことに,何をどうやって恐縮すればいいのか分からない,というのが、今の僕の正直な感想で す。音楽の世界も,人間関係に於いて,気を使わざるざを得ないことが多いですが,文藝の世界に於 いて,僕はまだぺーぺーです。どうなることやら。 某月某日 さあ,今日から,ライブ三連チャン。と言いつつも,今晩鎌倉ダフネでヴォーカルのギラ・ジルカと 演奏してしまったので、明日から二連チャンと書く方が正しいのかもしれない。明日、6月19日は、 新宿ピットインで,津上研太(SAX)率いるBOZOでの演奏だ。このバンド,止まるところなく音楽 的に発展し続けている。簡単に理由を述べれば,ドラムの外山氏があらゆるシチュエーションを音楽 的なサウンドとして,我々が出した音を処理するということに加え,他のメンバー、南(P),水谷 (B),津上(SAX)が、日本のジャズ界でも稀にみるキチガ○であるというところに理由があるのでは ないか。まあ 、一般の方々からすれば,楽器を演奏して好きなことをやってメシを喰っているとい う時点で,何かがおかしいと思われているのだろうが,我々は既にその観点をも凌駕している。その 理由を懇切丁寧に書き起せば,とんでもなく長い文章になってしまうこと必須であるため,ここでは 割愛するが,長いバンドマン生活で、同業者が飢え死んだという話はまだ聞かない。もっと究極に考 えれば,生まれてから,しばらく経って死ぬという、この荘厳なる生の根本は,職業がどうあれ変わ らない。話がそれた。とにかく,天才ドラマーと,三匹のキチガ○が織りなす音楽を聴きたければ, 新宿ピットインに聴きにきてください。少なくとも,損はさせません。 さて,その後にひかえるのが,6月20日,下高井戸、BLUE-Tにて,我がトリオの演奏である。京王線 下高井戸駅の出口からすぐの場所だが,一応,お店のウエッブのアドレスをここに載せておくことと する。http://www.blue-t.jp/ 数多の中国茶と共に、中華のビュッフェを楽しみながら、演奏を聴くという趣向。ピアノのコンディ ションが良いので,この店で何度か演奏させてもらった。また,世田谷育ちの僕にとって,下高井戸 という場所は,えも言われぬ親近感を享受できる場所である。狭い商店街に,いまだ昭和の時代の名 残を残す商店街や、遮断機の音。これら全てが,僕の心的原風景であるから、そういう場所でピアノ トリオで演奏すること自体,演奏前から,僕の気持ちの中に,妙な郷愁が入り乱れ,奏者にとって は,不思議な場所であるのだ。 我がピアノトリオのCD「LIKE SOMEONE IN LOVE」をリリースしたのが,もはや2008年4月のこ ととなってしまった。CD発売から今日まで,だいたい月一回のペースで,色々な場所で演奏してき たが,現在,特にベーシストの鈴木氏のプレイを聴いて頂きたい。勿論,一緒にレコーディングする 時点で,彼は優れたベーシストであったが,その後,演奏を重ねるごとに,音楽に対するアプロー チ、フレーズの滑らかさ,ドラムと噛み合うビートの良さは、既にCDのクオリティーを大きく凌駕 している。 加えて,ドラムのアニキ(芳垣さんのこと)の参加しているバンドを見れば、どうもアヴァンギャル ドなことばかりしている印象を持つ方もいらっしゃるのであろうが,我がトリオでは,極めつけの ジャズドラマーとして演奏してくれている。ありがたいと思うと共に、アニキのそういったプレイは 他では聴けないというメリットもある。昭和の商店街と,質の良いグランドピアノで,ジャズスタン ダードが聴きたければ,ぜひ聴きにきてください。 季節は梅雨となり,何事もじめじめしていて、世の中も何か不安定で,あああー、と思っているあな た。クリーンで乾いたピアノトリオの音楽をお届けしますよ。 某月某日 今週の始めから,いま連載をしている扶桑社刊,「EN-TAXI」の原稿の締め切りと,先日水曜日に新 宿ピットインで演奏した我がカルテット「GO THERE!」の準備とが重なり,てんてこまいであっ た。本日やっと,この二つのことから解放され,人心地ついたところである。忙しさの後というもの も,贅沢な観点から見れば,これはこれで間延びした時間を過ごすこととなる。ほっと一息つくのに は、たまにはテレビでも見るのもよいかと、スイッチを入れてみた。和室の畳に寝そべりながら,普 段あまり見ないテレビの番組をいくつか見た。その結果,テレビを見たことを最初はすぐ後悔した。 テレビを見るという,ある意味リラックスした時間を得ようとしたのだが,まず耳が疲れてしまう。 コマーシャルも,ニュースの事件の場面でも,ヴァラエティー番組でも,誰かがしゃべっているバッ クにも,妙な音楽が使われていて,番組自体の成り立ちを追って楽しむ前に,使われているバックグ ラウンドミュージックに嫌気がさしてきてしまった。しょうがないので,アナウンサーが,しゃべる ということだけをしているニュース番組のみを努めて選んで見た。そうしたら,とんでもない音楽 が、そのニュース番組から流れてきた。 雑音だらけのデレビの番組の中で,それはまるで、天使の奏でるようなピアノの音だった。それは、 辻井伸行君というピアニストのピアノの音であった。ニュースの内容は,彼が,ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクールで一位を勝ち取ったという内容であったが、一瞬テレビに写った彼のピアノの タッチと音楽自体に,僕は鳥肌が立ってしまった。素晴らしい。何と清浄な。汚濁にまみれきったこ の世の中に,突然、天から降ってくるようなピアノの音に,僕は度肝を抜かれた。こんなピアニスト がいるのか。コンクールで一位になることは,チャンスが増えることだから,良いニュースだが,僕 の耳は,そういう世の中の仕組みをとおりこして,自然と彼のピアノの音自体に耳を澄ませていた。 彼がテレビの画面に写っていたのは、ニュース番組ということもあり,10秒かそこらだったと思う 。しかしその時の僕には,それで充分だった。彼の内面が、重複するが、清浄で,真の意味で平 和で,伸び伸びと,しかも芯から音楽を音楽そのものとして捉えていることが,理屈抜きで楽しめる 演奏だったからだ。最近の僕は、CDなどあまり買わなかったし,他のミュージシャンの演奏を聴き に行くという意欲もなえていた。そういう,ある意味疲れきった僕の鼓膜に,辻井君のピアノの音 は,なぜか必要以上にすんなりと,僕の脳味噌や感情を刺激した。早速彼のウエッブサイトを探して みたら,彼が盲目であることを知り,驚くというよりも,うーんと考え込んでしまった。僕は辻井君 は真の天才ピアニストであると思う。しかし,彼の御両親やまわりの方々のご苦労を考えると、気が 遠くなってしまう部分もあったのである。生まれつき目が見えないという事実。僕と彼とを同列に考 えるほど,僕はバカではないが,小岩のキャバレーでピアノを弾いていたとき,見聞きしたこの世の 垢みたいなものを,彼は知らずにすんでいるという面があることも否めない。自称プロデューサーと 称する嘘つき人間に翻弄され,大切な音楽そのものを演奏するということをダイナシにされこともあ る。しかし、辻井君の演奏には,そのような世の汚濁がないからこそ尊い音が出せるという面もある だろう。僕の苦労をここでグチったってしょうがないが,辻井君の苦労、苦しみには,やはり,僕の 経験したことに比べれば,及びもつかないものもあるに違いない。しかし大切なことは,彼は盲目だ からこそ,自分のイメージをキープすることができたのではないか、という思いが残る。 辻井君の素晴らしいところ,僕が思うに,それは,作曲家が最初に得たインスピレーションに依って 作曲した音楽を,そのインスピレーションを得た瞬間の,まさに宝石の原石のような部分を、軽々と イメージし,演奏できるというそのこと自体にあると思う。よって,彼の奏でる音楽は,まるで即興 のようだ。ご存知のとおり,バッハの時代から,元々音楽は即興で創造されていた。それをノーテー ションしたのがクラシッック音楽である。特にショパンなどは,数々の即興を演奏した筈だ。辻井君 は,それら作曲家の核心部分までいとも容易く迫り,演奏しているということだ。これは文章で書く のは容易いが,いざ実行してみようと思えば大変なことなのだ。全盲の彼のイメージの中には,数多 の素晴らしい作曲家のメロディーで満ちているのであろう。再度重複するが,彼の御両親,周りの人 のご苦労は、僕の想像を絶するものがあるに違いない。しかし、辻井君のイメージの中には,これも また重複するが,世の汚濁,汚いもの,汚れた風景,飛躍して,クソ,ゲロ、ブス女、これらのイ メージが皆無だということである。そういうイメージの持ち主が演奏するピアノの音の中には,クラ シックやジャズを超えた,音楽そのものが表出するのであろう。何と素晴らしいことか。そして,何 と残酷なことか,とも思う。 とにかく,彼のウエッブのみならず,YOU-TUBEの彼の演奏を聴く日々が続いた。全てが素晴らし かった。安易で,あたりまえで,クサいことを書くようだが,やはり音楽に人種は関係ないと思わせ る彼の演奏に,僕はとても勇気づけられた。あたりまえのことだが,抜群のニュアンスとリズム感 を,彼はどんな音楽でも発揮している。そして彼のタッチ。一瞬で分かる辻井君のタッチ。さて,僕 も及ばずがな,少し彼のタッチを盗んでみようかな。とにかく,音楽のジャンルを超えて,彼の和音 の中に表出するマジックは,僕に,新たな可能性を教えてくれたことは確かだ。再度また重複する が,辻井君と僕を同列に思うほど僕はバカじゃないけれど,少なくとも,ピアノという楽器の持つ新 たなる可能性を教えてくれたのは、辻井君なのである。ワンダフル! 末席ながらも,僕は辻井伸行ファンの一人であることを宣言しよう。いやあ、しかし、彼がジャズピ アノに興味を持たなくてよかった。もし持っていたらとんでもないことになっていたであろうし,い わんや,多分彼はその場で聴いいた音楽を即再現する能力を持っている筈である。ジャズができぬ筈 はない。恐ろしや。恐ろしや。 某月某日 床屋に行くと,なぜかビールが呑みたくなる。あの散髪屋特有の少しミントが入ったようなシャン プーで、頭皮が,そよ風さえも感じることができるようになるあの一瞬のせいだろうか。幸い,床屋 のそばには,夕方から開いている飲み屋があって,軽くなった頭とともに顔を出すと、おや早いね、 という表情で、飲み屋のオヤジが顔を出す。特段腹が減っているわけでもない。ビールが一杯飲みた いだけだ。簡単なツマミと共に、生ビールが運ばれてくる。ぐっと呑むと,店内まで春の薫りが満ち てゆくような気分となる。散髪とビールは夕方に限る。 某月某日 前回の日記にて,CD「花と水」ツアーのことに触れたが,ツアーはなにも,地方公演のみで終 わったわけではない。最終回の演奏場所、そこは,六本木ミッドタウン内のビルボード東京であ る。地方公演から東京に帰って来て,二日間の間が空いていたが,間が空いていようとも,やは り、有終の美はきっちりと飾らねばならなかった。今回のビルボード,六本木というロケーション ゆえ,我が家から地下鉄等で三十分の道程である。だが、着替えやステージで履く靴など,なにか と持ち物が多く,ツアー用のケースに入れるのも大袈裟であるため,タクシーにてミッドタウンに 向うことと決めた。さながら一流ミュージシャンのような行いである。ラクチンな体勢で、タク シーの車窓から東京の景色を楽しむ。連休中ではあったが,都内の道路はすいており,しかも、我 が家から六本木の間に展開した景色にちらちらと目に入る木々の緑が,色濃く清冽であり,何やら 本物の春の到来を感じた次第。最終日は雨だったゆえ,それらの木々の緑は霞んで見えたが,自分 の目に映るそれらの緑は,場所が東京であるにも関わらず,自然のサイクルをまざまざと見せつけ ているようであった。 ミッドタウン入り口付近でマネージャーの長沼氏,菊地氏と落ち合い、複雑な行程の関係者用通路 を、ビルボードの人に誘導されながら,楽屋に到着。大人数のバンドでも,ゆったりできる空間を 有したその楽屋は,我々デュオコンサートをするものにとっては,あまりにも茫漠としたものだっ た。でっかい黒人もこの楽屋を利用するために作ったのであろう。楽屋まで到着するあいだに見た 様々な店舗も、何だかバブルの残映を見ているようで,加えて僕自身,ミッドタウンの中は極めて 不案内。東京育ちの筈なのに,自分がいなかっぺになったような気分に陥った。まあ、繁栄してし かるべき場所はバブルの頃の華やかさを体現していても良かろうが,このデフレスパイラル寸前の 世相に,この場所はどう対処していくのかと少し疑問に思った。まあ、華々しく,豪華で,リッチ な気分にさせてくれる場所がなければ,逆にやりきれないという部分もあると思うが。 サウンドチェック,着替え,簡単なる演奏の打ち合せ、喫煙,リラックス,菊地氏とのバカ話とい う要素をグルグルとくり返していたら、演奏時間になる。今回は入れ替え制なので,二度演奏しな ければならぬ。そのまず一回目。今後菊地氏との「花と水」でのデゥオの仕事は決まっていないゆ え,この最終日で全部を出し切るというスタンスで演奏するという気分に自然となってゆく。最初 のセット、演奏すこぶる好調で,またしてもピアノはスタインウエイ。しかもこれがまた良く鳴る 楽器で,こちらが体を柔らかくすればするほど,それに反応するという代物。言うこと無し。即興 と曲を交えて一時間,あっという間に過ぎる。菊地氏のしゃべりも冴え渡り,お客さんも満足して いることが手に取るように分かる最初のセットだった。 後,セカンドセットまで一時間半の間が空いた。ビルボードの決まりなのか,食事が運ばれて来 た。僕は演奏前に食べない。今だ体が子供と一緒なのかどうなのか,とにかく何か食べると眠くな る。不眠症の僕としては,演奏時以外、これは吉兆なのだが,残念ながら,眠くなるだけで,睡眠 という次の段階に行ったことはない。とにかく、この時は,眠くなるのが嫌なので,運ばれて来た おいしそうな食事には手をつけなかった。 菊地氏とバカ話をしていたら,セカンドセット開始時間、午後九時となる。再びステージへ。二度 目のステージは目が慣れてきたせいか、客席がぼんやりではあるが,視界に入ってきた。なにやら コロセウムのような造りだ。四段階に客席が別れているように見えた。特に最高列の客席は,何や らお客さん自身が陪審員のように見える。このようなクラブにも陪審員制度が導入されたのかと錯 覚するに充分な四階席の高さ。まず菊地氏が,今まで通り,まず共演者である僕をお客さんに対し て紹介する。僕はいつもどおり、お辞儀をしたが,高い席にいる方々には,手を振るとか,お辞儀 以外のアクションが必要なような気がして,よって単なるお辞儀自体も不自然な行いのようになっ てしまい,自分自身なさけなかった。なれない手つきで手を振ってみたところで,金正日みたいに なっては元も子もないしなあ。などとよけいなことを頭の隅で考えてしまった。ここは裁判所では なく,音楽を聴かせる場所なのであるから,ここに居る方々は,音楽を裁くためにいるわけではな く,楽しむためにいる筈なのだ,などと周りを見回していたら,菊地氏がサックスを吹き出した。 雑念たちまち頭からはなれる。また再び,スタインウエイを弾ける機会もそう近々ない筈だろうと いう思いと,一応ではあるが,最後のデュオ演奏であるという気分も手伝って,ピアニッシモから フォルテッシモまでを駆使し,臨機応変,歓天喜地、あらゆる技を駆使して,菊地氏の演奏と絡ま ることを念頭におき鍵盤に対峙した。縦横無尽、破顔一笑,これほど楽しいことはないという思い と,最後の演奏であるという何かしらの哀しみと共に、最終回を終えた。その時点で,僕の中には もう,なにも残ってはいなかった。二回のセットとも,非常に良いリアクションとともに拍手が 起った。ありがたい限りである。そして同時に,この「花と水」プロジェクトが人々に受け入れら れたという喜びも同時に感じることができ,感慨深かった。これ皆,お客さんの声援その他による ものであり,それなればこそ,こちらも全力で演奏できたのだが。実際,最後の曲、「LUSH LIFE」演奏中に,僕は,演奏という行為の中に深く入りすぎ,これは吉兆なのだが,指、体が自然 と菊地氏のサウンドに反応するという,ベストの状態にあった。こういう体験自体が,ジャズを演 奏するという行為を支えている喜ばしい心的体験であり,次回はもっとすごい体験を目指して,と いう新たなる目標設定にも影響してくる。総じて,今回聴きにきてくださった方々には,感謝の念 が絶えない。 演奏後,菊地氏のシマである新宿に流れつき、氏の行きつけのイタリアンにて,ツアーの成功を喜 びあった。夜更けまで菊地氏と騒ぎ,この先のことは,文章で表現できないのでフェードアウト。 | |