「電話の向こうからのソリチュード(南博のこと)」  蒼井紅茶


私は、ジャズという音楽に対して、今でもほとんど何も知らないに等しい。 ブラジルやアジアの音楽に関しては心から愛していると言うことが出来るし、クラシック音楽と呼ばれている音楽、中でもシェーンベルクとピエール・ブーレーズは、いつでも私に、父親に無言のまま叱責されている時のような恍惚感を思い出させ、それは確実にセクシャルな経験なのだけれど、ジャズやブルースという、それはそれは美しくも汚らしい音楽があり、私の友人の女達も男達も、少なからず魅了されているという事は知っていたけれど、漠然と、私は一生知り合う機会がないんだろうな。と思っていた。誰もが魅了される飛びきり素敵な男の、噂話だけを聞かされてとうとう会う機会はない。などというのは、学生時代から良くあることだった。

なので私の仕事のパートナーであり悪友であるKという作詞家が、二ヶ月に一度、まるで変装してこっそり出掛けるパーティーの様にして「ジャズ」を演奏していることを知り、彼が私に「俺のバンドのピアニスト、すっげえダンディなんだよ。きっとオマエ持ってかれると思うぜ」と言って、とても意地悪そうに笑ったのを見た時には、少し胸騒ぎがした。Kがこうやって意地悪く笑うときには、それがどんなに嫌なことでも大抵その通りになるからだ。

翌週、私は生まれて初めて、ジャズというものを聞きにジャズクラブという場所に行った。新宿のゲイ・ゲットーである地域の中心に近付くと、路上にはたくさんの美しい男の子が溢れていた。道に迷ってしまった私は、蛍光グリーンのセーターを着て、それと同じ色の髪をした少年に店の名前を言うと、彼は黙ってある階段を指さした。愛情のある行為ではなかったと思う。

私が店に入った時は、ちょうど演奏と演奏の間の解説のような時間だった。Kがマイクを握り、次の曲は、男に捨てられた女が、男の思い出の品を弄びながら、こんなものは詰まらないガラクタだと強がりを言う歌だ。と言った。額に汗を浮かべ、私と仕事をするときには見せた事もない様な、静かで気取った口調のKに苦笑していると、Kがほんの少しピアニストの方を向いてうなずき、 演奏が始まった。

ピアニストの指が鍵盤に触れ、それを押し込む力加減と共に最初の和音が成った瞬間、私は一瞬ハートをつかみ取られそうになって、本能的に警戒心でいっぱいに成った。冷や汗が流れた。これが噂に聞くジャズという音楽なのか。だとしたら。

だとしたら、と、たくさんの入り組んだ考えと気持ちが同時に押し寄せてきて、顔が紅潮した。それは後悔、喜び、焦り、驚き、そして何よりも、私がどんなにうろたえ、混乱しようとも、それが総て圧倒的な快感によってきれいに溶かされてしまうという、明晰な化学の実験のような景色がひたすら続いた。私は、そのピアニストの姿に釘付けになった。白い物が混じった髪をなでつけ、少し厳しい顔でピアノに向かう姿は、Kの言うダンディというより、世を憂う青年の様に見えた。

少女時代に、ある集団を見つめながら、特定の男の子だけしか見えなくなって行く。という現象があったことを驚きと共に懐かしく思い出しながら、全身でピアノの音だけを聞いていた(K。ごめんね)それは私のお気に入りのコルトーやグルダやジョビンとは全く違った音だった。すごく固く、乾いていて、無表情だった。音量も3段階ぐらいしかなく、しかし、単にぶっきらぼうさを装った男っぽさを押しつけるような、安っぽいクールさなんかではなく、とても知的で優雅だった。私は、この男の指に触れられたい。と、反射的に思った。ピアノを聞いてこんなことを思うのは初めてだった。思った瞬間に、客席に居るたくさんの若い女性達の存在に気がつき、私は自嘲気味に笑った。顔は紅潮したままだったと思う。

休憩時間になると、Kが意地悪そうに笑いながら寄ってきて、私の耳元で「どう?持ってかれただろオイ?俺の言うとおりだろ?へっ」と囁き、私の後ろ髪をグッと引っ張ると、去っていった。「紹介してくれないの?」という声にならない声が、そんなこととっくにお見通し。のKの後ろ姿を追った。Kが彼を連れて私のテーブルにやってきたのは、その夜の総ての演奏が終わってからだった。

「南さん、こいつ、俺の作詞の仕事のパートナーなんですよ。ジャズ聞いたことねえんだってさ。へへへへへへ」「蒼井と申します。初めまして。大変素晴らしい演奏でした」 あ、そう。サンキュー。とか、聞いたこともないのに素晴らしいなんて解るのかよ。とか「ジャズメン」という人々は言うのだろうか?とでも思っていたあの時の私は、きっと少し怯えていたのだろうと思う。彼は、背筋をしゃんとさせ、丁寧にお辞儀をしながら静かな声で「有り難う御座います」と言った。眼光は鋭く、しかし子供っぽかった。

奇麗な人だな。と思った。Kは不必要なまでに大声で若い女の子に声をかけるとテーブルを離れた。二りっきりにしてやるからよ。とでもいいたげな意地悪な目線を私に向けながら。私は急に心細くなり、Kのスーツの袖を掴みかけて、動悸がしたまま曖昧に微笑んだ。彼は「南です。作詞ですか。素晴らしいお仕事ですね。貴女のような綺麗な方がどんな詞を書くのか、興味あるなあ。今度一度見せて下さい。」と言った。

鮮やかにアメリカの記憶が蘇った。社交辞令の文法、目線の投げ方、口調の抑揚。それは日本語だったけれど、アメリカ人の、しかも、プレイボーイの物だった。私は少しだけリラックスして「ひょっとして、南さん外国にお住みに成ってらっしゃいませんでしたか?」と言った。彼の目が嬉しそうにぱっと輝き 「ええ?何で解るの?」
「だって、ご挨拶が外人ですよ」
「そうかなあ?ごくごく普通の礼儀作法を通しただけだと思うけどなあ。ねえKくうん。俺おかしいかなあ?」
「いやいやおかしくなんかないですよ。挨拶が外人みたいだってさ」
「そお?だって日本語じゃん?」
「あははははははは!ホントだあ。その通りですね。はははははははは」
「いきなりオマエよう、エクスキューズミーつった訳じゃないだろ?ねえ?蒼井さん?」私は 噴き出してしまった。凄くキュートで、清潔だ。アメリカ人ならばコーニーとかマーヴェラスとか言うところだろう。

その後私は彼と2度だけデートをした。それはデートというよりも、ディーナー付きトークショーの贅沢な観客であるような時間で、ショーが終われば拍手をし、客電が明るくなるとコートを着て、とても満足な気分で家に帰る。そんなイヴェントだった。エスコートが完璧なのは言うまでもなく、私は彼のバイオグラフのほんの数頁を大好きなエッセストの名人芸に熱中して宿題を忘れ、翌日学校で叱られた時の喜びを思い出しながら堪能した。

キューブリックの映画にインパクトを受けたこと、クラシック少年だったこと、妹さんをとても愛していること、音大では打楽器科だったこと、一度結婚に失敗していること、銀座の バーでヤクザの歌の伴奏をしていたこと、アメリカでの生活、パリやウィーンをさまよったこと、そしてどこに行ってもその国の恋人が居たこと、日本を愛していること、日本を嫌っていること、機械が苦手なこと、大切な世界中の友達 、ピアノという楽器が紛れもなく性別を持っていること(女性だそうだ)フライパンひとつで作れるアメリカン・イタリアンな得意料理、敬愛するジャズピアニストに会いに行き、教えを受けたこと、敬愛する作家に会えないまま、その作家が死んだこと、女性論、修羅場、乱痴気騒ぎ、淋しいこと、嬉しいことオモチャの様な欺瞞、大袈裟な憂国論、深淵な呟き、ジョーク、沈黙、そしてジャズを愛していること。女性を愛していること。 「どちらを愛してますか?」と聞いたら「そんな難しいこと聞かないでよ」と笑ったこと。

彼と一緒にいる時間の中で、私は弟のわがままを聞いたり、父親のまったく理解できない議論につき合わされたり、恋人に責められたり、教授に諭されたり、芸術家に語られたり、その都度姉や娘や生徒や恋人やインタビュアーに成ったような気分だった。それは雄という現象に関するAtoZのショーケースで、あと一歩で完全に心を奪われてしまう。という所で幕が閉まってしまうのだった。私は、たくさんの彼のガールフレンドと等しくこのショーに圧倒され、魅了された。いろいろな女のキャラクターを忙しく強要されながら私にはこれが彼のピアノの余りのストイックさからの開放の祝祭の様に思えた。

ある夜、私が仕事をしていると、彼から電話がかかってきた。明日の晩、ステージがあるから聞きに来ませんか?と彼は言い、私は明日〆切前なので残念ですが行けません。と言った。私が、でも、あなたのピアノがすごく聞きたい。と言おうとした瞬間に受話器の向こうから聞こえてきたのは、彼のピアノだった。気障という美徳が、日本のジャズからは失われかけているんだ。南さんが絶滅種で、それをまるで保存しなくちゃいけないみたいな感じなんだぜ。どうかしてるよ。気障も、チャーミングも、コーニーも、マーヴェラスも、南さんにしか残っていないのさ。というKの言葉を思い出した。その時は、ふうん。そんなものなのかと思っていたのに、今は何故だか世界で一番リアルな言葉に聞こえる。

私は、ジャズという音楽に対して、今でもほとんど何も知らないに等しいし、あれからCDの一枚も買った訳ではない。でも、この電話の向こうから聞こえてくるソリチュードがジャズであるならば、私はこのまま朝までこれを聞いて、身も心も溶かしてしまいたいと切実に思う。泣きたい気持ちと笑いたい気持ちが同時に押し寄せてくるからだ。そうですか、じゃあまた次の機会にでも、と言って電話を切ろうとした彼に、私は初めて敬語を使わずに「ねえ。もっと弾いて」と言ってしまった。彼の周到な罠だったのか、それともステージ前夜の当たり前の習慣だったのかは解らない。でも、どちらだって良い。どちらにしてもそれは素敵な事なのだから。彼は短く「いいよ」と言い。神々しいまでにセクシーな和音がそれに続いた。

あおい こうちゃ 作詞家/エッセイスト