(号外)わからないことを探す旅を

☆「2曲目でお客さんが全員帰ってもいいですよ!」☆
マルチカラーデュオのかれいどすけーぷが、結成以来14年連続で必ず毎年演奏したのが、唯一、気仙沼のヴァンガード!
何年目かのある時にヴァンガードのマスター、昆野さんが言い放った言葉がこれだった!
 ☆「演りたくないことは演らないでください」☆
とも言い放つマスターのこれらの発言はもちろん、言おうと思えば誰でも言えることだけど、そんな生半可なことではないのだ!
お客さんの入りがどんな時でも、演奏者にアゴアシを含めた一定の条件を保証してくれた上で、
 『金は出すが、口は出さない』という、
ジャズという文化のスポンサー、パトロンとしての究極の美学を、
平成不況にも、火災にも、震災にもめげず実現してきたという唯一のマスターだからこそ、言う価値があるのだ!
それを、ニカズドリームのパノニカみたいなロスチャイルド出身の大富豪がやっているのではなく、
毎日サイフォンコーヒーを260円で、ランチセットを500円で出して、自らは簡素な生活をしてきている中でのことだから、
これらの大胆な発言を、かれいどすけーぷ、は重たく受け取ってきていたのだ!
もちろん経済的保証がなければツアーは大変だが、かれいどすけーぷが経済市場主義な訳では全くなく、
「演奏」というものに対する敬意を表した扱いをしてくれているこの精神と心意気と根性が士気を高めるのだ!
そして、年間に、本人の気に入ったほんの4本の公演の為にいつも絶え間なく準備をしてきてくれていて、
しかも、「かれいどすけーぷ」だけは、「全国で最も安い入場料」、というのを実現してくれていたのも、
僭越ながら、昆野さんと、かれいどすけーぷの特別な関係を如実に表していたのだ!
マスターに3年目ぐらいのある時、かれいどすけーぷを呼んでいただいているのはなぜですか?と聞いてみると、
 ☆「わからないからですね」☆
なんとこれは、松井の音楽に対しての関わり方そのものだった!
高校生の頃に、ジャズの調性感、リズム、アドリブソロに繋がる音楽の構造などがまだわからなかった頃に、
「なるべくわからないもので、なおかつちゃんとしていると思われるもの」を聴くように心がけていた。
そのうち、だんだんわからないものがなくなってしまった頃、もう音楽を聴くのはやめて、
更に自分にもなかなかわからないものを自分で創るようにしてきた。
「わかってしまっては面白くない」、なるべく、「わからないもの」、に対峙し続けたいという気持ちからだった。
マスター昆野さんはまさしく、そのような発想でかれいどすけーぷを聴き続けることにしたのだ!
その証拠に、7年目ぐらいのある時、昆野さんは、
 ☆「だんだんわかってきたような気がします」☆
と言ったのだ。
それはある意味、周りの誰の賛同も待たずして、自らに難題を投げかけ続けて、だんだん解いてゆくという、粋な行為であり、至高の贅沢だ!
そして、逆に周りの人たちに、こういう音楽があるんだ、という問題提起をして、強制的な形でなく、自然な形で広めようとしてくれていたということなのだ!
その流れと同時進行で、3年目ぐらいの時に、昆野さんはなぜかあるボロボロになった本を松井に渡した。最初はなぜだかもわからず、でも、昆野さんの本だから、ということで松井もたまに本をめくってはいたのだが、これがなかなかに難解であった。もともと読書という習慣もなければ、文学の読解力もない松井にとってこの、西脇順三郎の詩集はとてつもなく難解であり、起承転結という概念からは程遠い奔放な文章は、当分の間、松井の読解力を嘲笑し続けた。
本をいただいてから次に昆野さんに会う時までには、たったの250ページ程度のその詩集を完読もできないまま気仙沼に行く日が訪れた。「あのう、いただいた本なんですが、実は未だに難解で読みきれなくて、でも、それでも、味わい深いですよね!」
と、松井は苦し紛れに言った。するとどうだろう、昆野さんは言ったのだ!
☆「あれ、いいですよ。パラパラっとめくって、ちょっと見るだけでもいいんですよ」☆
なるほど!昆野さんの、かれいどすけーぷに対する接し方と全く同じように、無理やりその瞬間に解ろうとせずに、だんだんじわじわと接してゆけばいいのだ!まさに、自分が音楽に対してはしつこく時間をかけてやってきたやり方じゃないか!
この昆野さんの名言を聞いて、気が楽になった松井は、この後、何年かかけてじっくりこの詩集を味わってゆき、いただいてから3、4年後にはやっと一度完読したことを昆野さんに告げ、その後も、その後もパラパラとめくっては想いを馳せる、という、ある意味、昆野方式でこの本にはずっと関わることにして、昆野さんが毎年だんだんじわじわと、かれいどすけーぷを理解してくれる感覚を、松井が疑似体験する、至高の題材となってきたのである。
頑固者で知られるそんな昆野さんも、ある年、一度だけ弱気になっていたことがある。
もう今年いっぱいでライブはやめて、自分は退こうと思ってる胸中を明かしてくれた。
ところがその後、俄然精力的に呼んでくれる年が続いたある時、衝撃的なことをまた言い放った。強気を取り戻していたその何年かの間に、自分の家が実は火事で全焼して、全て失っていたということを何気なく明かしたのだ。そして格安の賃貸物件に住んでいるということも!
☆「すっきりしますよ」☆
大事にしていた様々な難解な詩集など、恐らくかなり集めていたであろう本も全てなくなり、中には二度と手に入らないものもあったのが、全部なくなってしまったことに対する彼の感想がこれだった。
その後震災があった。311の時にテレビで、火の海になっている気仙沼が全国中継されていた。火の海の位置が正確にどこなのか?なかなか正確な情報が得られない中どれだけ気をもんだことか。正直なところ、港にほぼ面していたヴァンガードはもう完全に燃えてしまっているように見えていたし、津波自体が街を洗い流してしまっているような、絶望的な気持ちになってしまった。
ところが、昆野さん自身、地震の時には奇跡的にヴァンガードから離れてやや内陸の自宅の方にいて命はとりとめ、火の海の位置もずれていて、津波自体も、やや入江になっている気仙沼港の構造にやや守られて、ヴァンガードの建物は二階まで浸水してしまってはいたが、完全に流されるという最悪の自体は免れたのだ。もともとあったグランドピアノはひっくりかえっていて使い物にはならなかったが。
さすがに2011年の5月のライブは中止になった。しかしその後、マスターはペットボトルで水を運びながら黙々と破壊されたヴァンガードの再建に最前を尽くし続け、なんとその秋、9月に、かれいどすけーぷ、をやろうと言ってくれたのである!
しかも昆野さんは、まだあらゆる「復興支援」ライブが東北を埋め尽くしていたその頃、恐らく逆にそのような被災地を特別扱いした支援ライブ、という形でなく、
 ☆「いつものかれいどすけーぷをやってください」☆
ということを強調して言っていたのである。
そんなこんなで、あらゆる危機を乗り越えて続いてきた、かれいどすけーぷとヴァンガードの関係には、口を出さないマスターにとっての唯一の発言として、翌年への「お題」というのがあった。
それじゃあ、「やっぱり口を出してたんじゃないか」と思う人がいるかもしれないが、口を出す人というのは、大概、文化的ベクトルでなく、「文化が失速するベクトル」に、例えば、「有名な曲をもっとやってください」とか、「あの曲をやってください」とか、そういうことになるのだが、昆野さんの口の出し方は、それこそ、西脇順三郎の本を松井に渡すぐらいだから、その類ではなく、例えばある年なんかは、
☆「来年のお題は『無駄』です!」☆
などと言う、禅問答めいた、ある意味プレイヤーの心を活性化させるようなお洒落なお題なのだ!
今年、かれいどすけーぷの14年連続14回目のヴァンガードでの公演を、今回の充実したCD「時空旅行」の発売記念として行った夜は、昆野さんは終始にこにこして、そして、初めて客席に座って聴いてくれていた。
いつにも増して満足げに、そして、最近そんなに飲まなくなったと言っていたのに、今年のディープな打ち上げは、かれいどすけーぷが次の日の移動距離を憂えて宿に戻ったあとも朝まで楽しく飲んでいたのだ。
マスターはこの日、またよくわからないお題、
☆「初めまして」☆
を投げかけたまま、次の世界に旅立った。
もしかしたら、もう「かれいどすけーぷ」がとうとうわかってしまったのかもしれない。
なんでもわかってしまっている星に住むのは、たいして面白くないものだ。
そして、ずっと育ててくれていたマスターが放ったこのメッセージは何か。今のところはこのような解釈が妥当なのかと思う。
「かれいどすけーぷさん、あなたたちは、わかりにくいことを、変えないままに、人にどうにか伝わるような形を作るのに14年もかかりましたね。でも、もう大丈夫です。いろいろな人に『初めまして』を言ってあげてください。きっとみんな受け入れてくれると思いますよ。」