☆48 不文律の境地

「あ、え〜とね。そこは、う〜んと、なんというか、この流れの中でそう弾いちゃうと違和感が出るんだけど、これ、理論的にはちょっと、厚ぼったいbook CPJでも全然書いてないことだし、ひとことふたことでは説明つかないんだけどね。なんというか、不文律というしかないかなあ。。。」

と、生徒がした演奏に関して、まるで怪しいいい加減っぽい説明をするしかないときが意外と結構ある。
僕は周りからはかなり理論派と思われてるが、実際そうではないけど、ひとつ言えるのは、かなりのところまで理論的根拠を以って、調性感とそれにまつわるラインのことは必要とあらばとことん説明する方だけど、理論的にちゃんと解析しきれない概念は、コンテンポラリージャズまで含めると、意外とものすごくたくさんある。
どんなにコードが複雑でも、持続的発展性のある中の協和な音列としてのスケールは、その一瞬一瞬のシチュエーションに対して、12半音のうち6〜8音ぐらいの音を許容していて、それはおおよそ全てのケースに当てはめられるけど、、、、、
問題は、
「理論的には合ってる音だけを使ってるのにでる違和感」
に関してだ。
そういう時には、
「う〜ん、これは不文律の域になってくると、それは『個人的な感覚』なんじゃないか、と言われちゃうかもしれないし、それを100%否定もできないことになっちゃうけど、ここでは、おそらく、直前のコードスケールにこの音があるでしょ。これが悪さして、ここでの大胆な展開を邪魔してるんだと思う、、、、、ぐらいしか言えないんだ〜」
「しかも、もし、これらの全てのコードの進行の前後関係のシチュエーションまでを理論書に書き起こすべく作業をすることもできなくもないけど、それでなくてもこのbook CPJだって一体何人の人が最後まで読んでくれたかな、っていう惑星に、また極限的に重たい理論書をこしらえることになるよりは、このへんはそ都度対処した方が早いかなあと思うんだ。いつも覚えていて欲しいのは、
理論は、
『素晴らしい音を生み出すのにあたって、いいショートカットができる為』
にあるもので、遠回りになっちゃ意味がないからね。」