☆46 熟練者の適切な謙虚さは分野を越えて

ジャズは価値がわかりにくい分野だからなのか、
ジャズのお店のマスターや、ジャズ評論家など、ジャズに関わる人々が、いろんな演奏者の勝手な評価をしたりランク付けしたりしてしまうことがあります。
例えばジャズクラブのマスターが、
「○○○○ってやつはまだまだだ。」
「うちの店なんて○○○○とか、○○○○とかも来てるんだ」
「○○○○はおれが育てたようなもんなんだ」
などと言うことも結構あります。
そういう場合のほとんどは、無意識的にも判断がかなり知名度に左右されてしまっていたりして、評価はとてつもなく的外れで、見事なぐらい間違ったことの羅列になっています。
また、ジャズ評論家の評価(☆34)のほとんどもそうでしょう。それを断定的な口調で周りの人々に吹聴してゆくのでしょう。
しかも、「24時間音楽のことに集中して命がけでやってきているジャズマン達」の前でも平気で言ってしまう傾向もあります。
そうなってくると、その人は一度でも何か一つの分野で極めた経験がないのだろう、ということが推測できてしまうのです。
そもそも、ジャズなどの難解な芸術に接する仕事というのは、「知名度」などの浅はかな判断基準に翻弄されて失速を続ける文化に、どうにか追い風を吹かせるべき側です。

そしてそれは表向きには当たり前に認知されている筈なんですが、この脆弱な価値観は、有名性の強烈な印象の前には、何度思い起こされても、一瞬で忘れ去られてしまうのです。
 独自の判断能力を磨くべきなのですが、基本的にそれは100%無理なぐらい難しいことなんです。
世界のジャズマンを経済的にも精神的にも強力にバックアップしていたパトロンのパノニカさんのように、
「金は出すが、口は出さない」
というのが、理想的かつ唯一の可能性なんでしょう。
音楽や美術の場合、それに何十年も携わって仕事しているような人たちが、その年数だけでその専門家になったと思いこんで、断定的な口調で評価してしまう傾向にあります。

ただ実際に
「演る(創る)」人、
と「鑑賞する」人、
の理解度の間には天文学的隔たりがある!

のというのは、「演る」側の人ならほとんどわかっていることですが、立場上なかなか言えないケースが多いのでしょう。専門家ぶって薀蓄を語ることは滑稽でしかないのですが。
それが一番危険な落とし穴であり、そこからとんでもない誤解が生まれ、伝わるべき芸術が伝わらずに消えてゆくことを繰り返しているでしょう。それを何とか打開したいと思っているのですが、、、、、。
こういうようないろいろな経験から、芸術以外も含めた他の分野の専門家でも、とことん極めている人に会うと、初対面でも、
「この人はおそらくその分野でとことん掘り下げているんだろうなあ」ということが、
その人の他人に対する接し方の温度感から推測できてしまうのです。
ひとつの分野で極めている人は、自信もあり、安易に専門外のことに意見することはないでしょう。それがどれだけ稚拙なことだかわかっていますから!